天罰執行 3

夕飯の買い物を終え、帰路につく青木アオキ上葉アゲハ

その足取りはとても軽い。この両腕に下げられた買い物袋にはヘリウムガスが入っているかのように。

この引き籠りが視界に侵入するまでは。

「おかえり~。頼んどいた雑誌買ってきてくれたー?」

Tシャツと青木と名前が書かれたジャージとズボンを装備した、毛むくじゃらの生物がそこにいた。

テレビの前に寝そべり、後ろを見ぬまま器用に足をスナック菓子の袋へ突っ込み、指の間に挟みこむと、上へ向いた口の中へと放り込む。もう一度言おう。手はゲームのコントローラーで塞がり、足で口へとスリーポイントシュート。

そもそも髪は脱獄した囚人の心を持つかのように自由気ままに伸び放題であり、前髪で絶対前が見えてない。ギャグではない。しかしギャグであってほしいほどに、髪はボサボサ、風呂には一応入っているが手入れなど一切してないキューティクルが目視できてしまう。

いずれ風呂をめんどくさがるのも時間の問題だな、と上葉は思う。

その姿はまるで、水族館のアシカ、オットセイ、それっぽいどれか。いや、それでは水族館に関係するすべての事柄に失礼だ。取り消すとしよう。

この玄河紫苑クロカワ シオンは海洋生物ではない。まぎれまない陸の哺乳類である。いや、この生物とこの男が出会った当初と比べれば、いまとなっては哺乳類かどうかさえも怪しいものである。

「コラ、夕飯の前にお菓子食べたらご飯食べれなくなるでしょ。それと乳液買ってきたから、お風呂上がりに使いなさい」

「おかーさんかオメーは」

買ってきたものをあるべき場所へと収納しつつ、今日の晩御飯の食材を並べる。しかしそれでは品数が少なすぎるので冷蔵庫を開け、中に住んでいそうな心の清らかな人にしか見えない妖精さんと相談する。ちなみに上葉には見えていない。今日の献立はいかがいたしやしょうか。これとこれとこれの賞味期限が近づいてるのかー。アハハ。ウフフ。オホホ。ウフウフ。あ、プリン見っけ。

しばらくして最近毎日冷蔵庫と会話しているが、世のお母さま方はいつもこんな感じなのだろうかと、上葉はまだ見ぬ人妻たちに思いを馳せる。お父さん方?ああそういう家庭もあるでしょうね。

兎にも角にも上葉は少しだけ、精神がヤバイことに気づき始める。

プリンを飲み物を飲むかのようにチビチビと咀嚼しながら、後方でシネシネ連呼するFPSやめられない女を振り返り見る。

「……なんか、思ってたのとだいぶ違う」

「ねぇ夕飯なにー?っあテメッ!それアタシのプリン!」

ゲームがひと段落ついたところで振り返り、自身の獲物が横取りされているのを見るが刹那、後ろ向きのまま飛び、とてもその見た目からは想像もつかない俊敏な動きで、自分の獲物を横取りするオスにメスが飛び掛かる。普通ならここで雑技団みたいですごーいという感想が出るだろうが、そんなものは口からも例えケツからでも出ない。

出るのはサーカスみたーい、である。空中ブランコ乗りかって? いいえ、玉乗りするサルです。サルが玉乗りするかは知らないけど。

「プリンなら買ってきたから、頭から降りなさい。あ!肩にお菓子の油染みがぁ!」

「は?ちげーし!そのプリンはアリコーのスーパーにしか売ってないハラダさんが作ってるやつなんだよ!オメーが今日行ってきたのはマルキョーだろうが!さっさと口からプリンを放せぇ!」

「なんで外出てないのに詳しいんだよ!」

「女の子はそういうもんなんだよ!」

いいえ、プリンの容器とドッキングしている唇を無理やりパージしようと、力技で挑むのは決して女の子ではない。ゴリラである。そして躍起になっている上葉は無理やりにでも引きはがされる前にプリンを食べつくそうと吸い込み始める。

いったいぜんたい、いつからこんな感じになってしまったのだろうか。

この青木上葉にはまったく覚えがない。

この野獣も出会った当初は髪がボサボサではなかった。よくよく考えれば髪型しか変わっていない。そう、彼女と出会った三か月前は性格も見た目もこんな原始時代に行って帰ってきたんですか? みたいな感じではなかった。

最初は黒髪セミロングのスレンダー美少女で、ほぼ無言の口数も少ないおとなしい感じだったのだが、催眠術でも少々たしなんでらっしゃる? もう本性表しましたね。としか言いようがない。

前は近づくだけでも妙な緊張感でままならなかったのに、いまではエイリアンのフェイスハガーのように後頭部に張り付き、料理の妨害をしてくる。けっして肩車をするような年ではない。たぶん上葉と同じくらいである。

目を隠そうとする指に噛みつきで応戦しながら、上葉は包丁で野菜を刻む。

「ゆーびきれゆーびきれ」

「それじゃあ今日のポトフの具材は俺の指詰めウィンナーを代わりに使うことになるな」

なんてふざけていたら、うっかり本当に指を少し切ってしまった。

「お、きったね」

「ニュアンスが違う」

ピョンッと頭から降りると、紫苑はどれどれと上葉の手を取り、切った指はどこいった?と探索し、見つけるやいなや。

「はむ」

口にくわえた。

「いや……なにしてんの」

「えっとねー、お昼のワイドショーでふぁー、ツバには実はちゃんと殺菌作用があるてきなのがあったからふぁー」

「他人の血なんか何が入ってるかわかんないだろ」

にも、そんなのあるの?」

首を傾げ、指を咥えながらニヤッとする紫苑の言葉に、上葉は思わず無言になってしまう。

「……いいから薬箱取ってきてくれ」

ふぁいよー、と糸を引きながらよだれまみれになった指に別れを告げ、口元をぬぐいながら薬箱を探すべくリビングの奥地へと探索に向かう。

よだれまみれの指を蛇口から流れ出る流水に突っ込み、指の傷口を見つめる。

シンクの上で生まれる水の流れの中に、黒ずんだ血が紛れ込んでいる。

これは決して幻覚などではない。昔から見ているものだ。

「相変わらず、健康状態が悪いですねー青木上葉さんは」

見たことはないが、確かに彼女にも同じ色の血が流れていることを、知っている。

きっと俺たちは、アタシたちは、およそ人間とは言い難い。

別の、何か。


食卓の前に横一列で二人してあぐらをかき、夕飯を食べながらテレビを付けると、会社の記者会見が行われていた。

そこにはネクストコープ産業の重役と思われる面子が記者の質問に答えていた。しかしその中には、

「社長がいないな……」

食べ物をほおばりながら、紫苑がポツリと呟いた。

「……テレビ消すか?」

「いや……もう少し見ている」

ネクストコープとは、この裏海で設立された産業株式会社である。

いまでは日本全国にその名を轟かせる一大企業にまでなっていた。

当時は何かの研究所だったらしいが、いつのまにか産業になり、いつのまにか有名になっていたのである。

その全貌は異質であり、そのことからネットでは様々な憶測が飛び交い続ける、オカルト好きに人気の企業である。裏海らしいといえば裏海らしいが。

会見の内容は最近ネクストコープが関係している施設での相次ぐ事故についてらしいが、要約すると事故の原因は不明で調査中の一点張りである。

「まーた時子のやつがハッスルしてるんだろうなー」と上葉は心の中で呟きながら、料理を口に運んでいく。後日であった時の光景が容易に想像できてしまう。さらにその想像通りにしゃべり倒されるものだから、とてつもなくデジャブに襲われ続けてしまう。心に住まう記憶の自分が何回目かわからなくなって悲鳴を上げてしまうほどに。

「なんかこういうのってさ。アンタがよく話す幼馴染が好きそうだね」

「ん? ああ時子か? まあそうだな。俺も同じこと考えてた」

「ほーん」

テレビから目を離さずに生返事を返しながら、二人は黙々と夕飯を食べ進めていく。


「そういえば昼間にSNSで見たんたんだけどさ」

「うん」

「なんだっけ、前この町で騒いでた、ユースギャング?ってやつ」

「ああ、“ハリウッド”ね。進化した不良集団みたいなやつ。でもアイツら今はもうハリウッドデビルっていう奴のせいで解散したんだろ。いや壊滅か」

「でもまださー、残党的なのがいて悪さしてるんだってよ」

「へー……紫苑さん的にはどうお思いで?」

「烏合の衆ってさ、見てるとストレス溜まって来るんだよねぇ」

「ほうほう」

「アタシのストレス発散方法って、ぶっちゃけ暴力なんだよねー」

「知ってる~」

「でもでもアタシはいまだ外に出るのも危険だから、暴力振りに行けないわけよ」

「そもそもそう簡単に目当ての奴らに会えないでしょ」

「まあそうなんだけどねー。でもまあ大体いつもたむろしてる場所なんかは、そういうことに詳しそうなの、いっぱいいそうじゃない? 例の幼馴染とかさ」

「いやー時子は確かに知ってそうだけどさ、そういうのにはあんま興味ないぜアイツ」

「ふーん……」

「そんなにストレス溜まってるなら俺をサンドバッグにするか? 夜のボクシングジムって感じに」

「アホ。やらない」

「ハッハッハッ。だろうね」

「まあでも、アタシがやりたいことはわかったでしょ」

「そりゃあもちろん」

「じゃあちょっとひとっ走り行ってきてよ」

「ムリだな。俺はそれとは別件で散歩がある」

「ふーん、まあ気を付けてね」

「フッ、心にもないことを」

「……あるかもよ? 心くらいは、ね」




人々が寝静まった夜。

裏海の町は中々眠りにつくことはない。時折どこからか車両の音に交じり、話し声や、談笑が聞こえてくる。

しかしこの場所には音さえも入ってこない。入る前に沈んでいく。あらゆるものが沈んで、海の底へとたどり着く。

真っ暗なこの部屋も。

まるでこの暗闇に己を隠すかのように、上下黒の下着に身を包んだ女がその部屋にいた。

女は笑みを浮かべながら、まるで黒い絵の具をぶちまけたかのような模様のベッドに、大の字で背中から飛び込んだ。

そしてさっきまでのことを思い出し、女は笑い始める。

「フフフッ……好き……好きだよ」

照れ隠しかのように顔を両手で覆い、誰が見ようと見えない暗闇なのに、まるで人目を気にするかのように頬を赤らめる。

「だって彼って、私の言うこと何でも聞いてくれるんだ、もんっ」

嬉しさのあまり語尾でさえも上ずってしまう。そして恥ずかしさを追い払うかのようにバタバタと足をバタつかせ、ベッドの上で泳ぎだす。

「これが愛。これこそ愛。だってお互いがお互いを求め合ってるんだからぁ」

先ほどよりも笑い声はいっそう大きくなっていき、部屋中に響き渡り始める。この乙女の恋心を言い表すにはどうしたらよいのだろうか。考えても考えてもハートマークしか思いつかない。両手で作り上げるには小さすぎるこの愛を。

「……スキ……スキ……ねぇ、貴方もそうなんでしょ?だって……」

女は自分の顔を覆う前髪を両手でかき上げ、その両の目を露にする。

その瞳はまるで夜の空のように暗く、夜の海のように黒く、まるでこの世の海の様にひどく濁っている。

「私がそうだと言えば、そうなのだから……フフフ」

女は笑い声を上げ、ベッドの上で跳ね上がる。まるで陸に打ち上げられた魚の様に。

女は知っていた。人間とは、浜辺に打ち上げられた雑魚であることを。

海の底に月明かりが差さぬように、この部屋に月はない。

闇夜の中では、色づく世界もすべてが黒に染まる。壁も床も天井も。光は差さず、光の在りかもわからず、何を見ているかもわからずに、ただ視線を向ける。

この世はまるで、深海だ。




深海よりも上の海では、名前が変わる。なぜならそこは陸なのだから。

ここは人通りも少なく、話し声も、談笑も聞こえない。

どこかの家の庭で、犬が吠えている。

自分はオオカミであるとでも言いたげに、月に向かって咆えているのだろうか。

だとしたらそれは間違いである。

獣というものは、とても静かなものであるから。

この裏の海に、その町の路地裏に、獣が居ても気づくものは少ない。

獣はとても、静かであった。

響く音は、拳が肉に当たる音のみ。

男が肉の塊を馬乗りになって押さえつけている。

先ほどまではきっと人の形をしていたであろうその肉塊は、原形をとどめていない。

だがそれでも、この獣は殴る手を止めない。

なぜならその両腕は、まるで深海のように黒く染まっている。

辺りに飛び散っている、赤い絵の具と黒い絵の具、マーブル模様に色づけられるコンクリートの地面、そして自ら気を利かせて飾りつけになる肉片。

転がる大小さまざまな肉塊は、人が数人ここにいたことを教えてくれている。

それはごく自然に生まれたアート。自然界に生まれたアートとは、破壊によって芸術へと昇華していく。

「――いや違うなぁ。ここは裏海。裏側の海。海の底だ。どんなものでも沈んでこそ価値が後付けされる。沈没船みたいにな」

背後から響いた声に手を止め、獣は音を立てずに立ち上がる。

「しかしまあ、黒ペンキ女の正体が男とはなぁ? 噂はあくまで噂止まりってか」

獣が後ろを向くと、そこには黒い金属に身を包んだ、オニが立っていた。

黒オニは獣の足元に転がる肉塊を指さし確認と共に、もう片手でその肉塊の数を勘定する。

それが終わるとため息をつき、獣を指さす。

「お前さぁ、ひとりくらい残しておけよ。コイツらに聞きてぇことがあったのによぉ。全員ミートパイにしやがって。スウィーニートッドみたいに店で出すなよ。当たりの指入りを食いたくねぇ」

冗談を交えながら話す黒オニとは裏腹に、獣は表情ひとつ変えず、狩りが始まる前触れのように眼前の獲物を睨み続ける。

状況を見かねた黒オニは注目しろと言わんばかりに右手の人差し指を上げ、状況の変化を試みる。

「一個お前さんに質問だ。俺とお前さんの敵は、共通か?」

「……否」

獣はようやく口を開いた。その口からは両腕から滴り落ちる黒い液体と同じものが、口端から溢れ出ている。

「我ガ望ミハ、我ガ女神ト同義。我ガ女神ガ為スコトヲ、代行スルノミ。我ガ女神ノ正義コソ、我ガ正義」

獣の答えに、黒オニは頷く。

「なるほどな。それがお前さんの掲げる正義ってことか。だったらそれは、偽りの正義だ」

黒オニの言葉に、獣が反応を示す。

「俺の掲げる正義は、お前さんとはまったくの別もんだ。だからお前さんの正義は、俺にとっては偽りの正義だ。そんでそれはお前さんも同じだ」

獣は静かに、開かれていた両の手を握りしめる。

しかし黒オニは両手を前にだし、それを制す。

「おぉっと。早とちりはいけねぇな。そういう雰囲気出しまくってるけど、俺なんも準備してないから。まっ今日のところは、だがな」

黒オニはその鬼の鉄仮面の下で、笑みを浮かべ喉を鳴らす。

「クックックッ。まだだ。ぶつかりあうにはまだ早い。正義と正義は磁石だ。だがSがNに、NがSになることは決してない。もっと反発を楽しもうぜ?」

黒オニが両腕を広げると、マジックショーのように背後の六本の腕が顔を出す。

そしてその一本がまるで手を振るかのように揺れる。

「またな」

黒オニはそう言い終えるが刹那、背中から壁に飛びつき、まるでクモのようにビルを登っていく。しかし普通のクモは後ろ向きに登ってなどいかない。

だがここは裏海。そして黒オニの名はスカイパニッシャー。

常識の牢のカギは、つねに持ち運ぶことをおすすめする。

常識に囚われた時に備えて。

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