天罰執行 2
世の者たちがAIの反乱やら政府の陰謀やらの都市伝説をインターネットというクモの巣状の海の中で、キーボードと液晶画面を叩き口伝を広めるのに対して、この裏海は古いままだ。お化けや妖怪などの類の新しい都市伝説がいまだに生まれ続けている。都市伝説先進国ならぬ、オカルト後進国。まさに古き時代を追い求めるかのように、過去へ過去へと進んでいく。
新しいものが生まれるが、生まれたものは出てくる時代を間違えている。矛盾という言葉がピッタリの地域。
なんやかんやでそういう専門分野の連中がこぞって文化圏研究にやってくるため、町は潤い続けている。そのお陰で町の開発は進み街並みは都会、かのように見えてしまうが、一歩そこから出てしまえば、原因不明の事故で工事が進まない田舎の景色が現れる。
都会と田舎が混在する、まるで作りかけの料理同士を同じ鍋にぶちまけた、闇鍋シティ。
そんな闇鍋シティの謎の臭いを、甘い匂いと鼻が錯覚してしまった怖いもの知らずたちが、怖いものを知るためにこの町に住みつくことなど珍しくもない。
かくしてここに座する、開いた口が塞がらない蜂須賀時子も、そんな連中の血を継いでいる。一度くぱぁっと開けば、満足するまで閉まらない。
「そんでこの赤い腕の男ってのがさ、目撃情報が増え始めたのが二か月前くらい前からなんだけども、前に工業団地の研究所で爆発事故があったじゃない?その研究所から逃げ出したってのが力説なんだよねぇ!そんでそんで、さらに同時期に、見てこの動画!めっちゃ早く動いてるこの火の玉なんだけどさ、みんな馬鹿がデカいロケット花火作って街中で撃ってるって言うんだけどさ、ホラ見てこれ!どう見てもこれ角を曲がってるんだよ!その先は路地裏になっててよくわかんないけど見てこの画像!別角度からズームしたやつなんだけどどう見ても人の形をしてて、それに走ってるように見えない!?足が速すぎて地面と空気との摩擦で火花が散ってるんだよ!バックトゥザフューチャーのデロリアンみたいに!きっとこんなのがもっといっぱい研究所から脱走してるに違いないよ!ゲッフォ!店長お水!」
「はいよ~」
人体の限界に達し、時子は盛大にむせた。その場で聞いていた二人はグッジョブお口の乾燥、という感想を心の中で呟いていることだろう。
ピッチャーから水が注がれ終わるのを見るがいなや、コップを荒々しくハンズイン。バケツをひっくり返すかのように、渇いたおしゃべり砂漠に潤滑油をまき散らす。
一息ついて落ち着いた様子を見せた時子。しかしこの一息に到達するまでに実際の時間は30分。体感時間は一時間。テレビのチャンネルの主導権を握れないお父さんが、アイドルが主役のバラエティ番組を左目から流し込み、右目からビームとして発射する。そんな感じ。
時子の都市伝説話が終われば、質問タイムと呼べない質問タイムが始まる。そして不意に店長が口を開いた。
「ねえ。全身まっ黒い男のうわさ話みたいのはないのかい?なんというか、そう全身黒いペンキまみれみたいなさ」
「黒い、ペンキ?」
その問いかけに反応を示したのは上葉だった。何か続けて発そうとしたが、店長の顔色をうかがい、やめた。その顔はなんというか、愁いを帯びていた。
時子はタブレットで自身がまとめあげた情報を確認するが、黒い人間などという都市伝説はありふれている。黒いペンキで情報を絞る。
「いやーそんなのいっぱい在りすぎますけど、ペンキ?みたいなのは全身ペンキじゃないけどありますよ。黒いペンキ女ってのが」
「黒いペンキおんなぁ?」
黒いペンキ女という言葉を眉をひそめながら上葉は反芻する。まるでオウムになったかのように露骨にそれに近い言葉をオウム返す。
「なに?上葉くんも知ってるの?」
「いや、俺が聞いたのだと男だった気がするんですけど、ねぇ?」
「ううん。最初から女だよ。まあこの話は髪が長いとか、服装の特徴とか、性別をちゃんと分けるような情報はないんだけど、壁に黒い手形みたいなのが残ってるのが何回もあって、ハッキリ姿を見た人もいないし。それで手の大きさ的に女性かもって。だから黒ペンキ女」
「そっかぁ……」
上葉はおもむろに時子の手を取り引き寄せ、自分の手のひらと見比べる。突然の行動にえ、ちょっ、と困惑の声を漏らす。ハッと空いている手で口を塞ぐが、常に口が開いているものにいきなり声が漏れるのを止めることはできない。
「女の手の大きさねぇ……」
滑らかな女の手とゴツゴツとした男の手を、まじまじと見比べる。美術の教科書に載っている通りの、女と男の手の性差。
「ま、いっか」
時間にしてわずかだが、ようやくと思える体感時間を経て解放される。そしてまるで汚物に触られていたかのように、まるで汚物に触られていたことをなかったかのように、その出来事を消すかのように、触れられていた部分をさする。
先ほどまで熱く語っていたからだろうか、その頬は熱気で少し変色している。
「あ、私そろそろ時間だから行くね。はいこれ私の分」
脱兎の如く立ち上がった時子は、すでにテーブルの上に置いていた500円硬貨を前へ置きなおす。
「待てよ」
脱兎の如く、逃げるように去るかのように横を通り抜ける腕を掴み、引き留める。
「……また、警察か」
一瞬だけ言おうかどうか迷うが、腕を掴んでまで引き留めたのだから、迷うなどもう遅かった。その腕を掴んだ時点で、バツが悪くなるのは当たり前だ。
「……うん。私はあんまり行きたくないけど、でも、お母さんをひとりってのは、ね。もしかしたらまた倒れちゃったりするかもだし」
「ああ……それがいい」
手を放し、そのまま三人で店の外に出る。
「長々と付き合わせちゃってごめんね。お釣りはとっといて。お詫びってことで」
「時子」
今度は店長が呼び止め、無造作にエプロンのポケットから取り出したものを、時子の手に握らせる。
「さーて、今日は何かな~」
開かれたその手には、透明な袋に入ったザラメまみれのアメ玉が包まれていた。
「ブドウだね。ラッキー賞だ。アンタの好きな味。……またいつでも来なさい」
「……うん。ありがとう」
か細い声で礼を述べながら、プラスチックの袋に包まれたアメ玉を、またその手で包みなおす。
少しだけ、いつもより早く歩いていく時子の背を見送りながら、ほんの一瞬だけ周りの景色を見て、繰り返し繰り返し視線を奪われる。それは自然なのか、街並みなのか、この町はゴチャゴチャしていてよくわからない。
「……いま、どれくらいたったんだい」
「三か月くらいかな。そういえば、店長は会ったことなかったね」
「ま、狭い町でも、誰も彼もが知り合いなんて話はとっくの昔のもんだよ。アンタはちゃんと行ったんだろ、葬式に。アタシみたいな会ったことないやつが行くとこじゃないからね。そんなんでいいのさ世の中」
三か月前、ひとりの人間が死んだ。否、正確に言えば殺された。
それは蜂須賀時子の実の兄。時子よりみっつ年上のその男は、周りの人間にとっては良い人間だった。しかしすなわちそれつまり。誰かにとって良いことは、誰かにとっては悪いことである。殺された理由はそれほどにわかりやすく、明白であった。
いまだ殺した犯人は捕まっておらず、犯人像も定かではない。さらに事件のあらゆる部分が隠蔽されており、どんな風に死んだかさえもわからない。
葬式では遺体がない状態で行われたほどに、すべてが謎に包まれている。
「—―元気注入!」
頭から体ごと発射するかの如く虚空を睨み続ける上葉の背中が、店長によってカツを入れられる。ドンッと思いっきり、曲がりそうな背筋を物理的に真っすぐにさせられる。
「アンタまで沈んでどうすんだい。同じ悲しみを持ってるもの同士ってのは、悲しんでる時は一緒に悲しんでやるもんだけどねぇ、一緒に沈んでたんじゃ心中と一緒さ。上葉、アンタはまだ踏ん張ってな」
そして後ろから手を回し、上葉を優しく抱きしめる。
アゴを肩の上に置くが、お互いの顔色は窺わない、それが昔からの暗黙の了解。
上葉は懐かしさを感じる。小さいときは何かあったときはいつも正面からではなかった。笑顔同士なら向き合ってだが、悲しいときは顔を隠す。なぜかいつも小さいときは、上葉だけでなく彼女も悲しんでいた。ような記憶がある。だが、曖昧でハッキリとは覚えていない。
「いいかい。女の子のためなら何してもいいけど、やりすぎず、ほどほどにやりな。男が女のために振るう暴力は絶対的正義。でも、まあ後悔しないように考えてやりなさいよ」
「大丈夫だよ店長。いまは何もする気はないから」
彼女が言いたいことはわかる。小さいころから上葉のことを知っているのだ。それは上葉も同じ。だがいまは店長が考えているようなことは起こらないだろう。いまの上葉には別件が先に予約済みである。それはしばらく終わりそうにない。
「ほーん。する気はないの、ねぇ?……」
上葉の顔に少し柔らかさが戻ったのを真横から見届けると、腕の角度をゆっくりと変え、段々と締め上げる力を上げていく。
「……店長?……店長!おっぱいの感触はもうわかったから離してくれます!?」
「アンタ、最近大学行ってないんだってねぇ?時子がとーっても心配そうに話してきたよ。する気ないってのは大学行く気もないってかい?誰が学費払ってると思ってんの!」
もはや抱きしめるというよりは万力でプレスするかのように力を増し、そのまま上葉の体が宙に浮く。はたから見ると店前でプロレスをやっているようにしか見えない。
「学費出してくれてるの店長じゃないじゃん!叔父さんたちだろ!」
「そうだよ!でもねぇアンタの母さんはアンタが小学生の時から遠くで忙しくやってるし、アンタの叔父さんたちも忙しくてアンタの面倒見てるヒマないからね!アンタの母さんには世話になったんだ。だから代わりに私がいまからドラゴンスリーパーをキメるのさ!」
「この体制からどうやって!?」
試行錯誤を繰り返し技をキメようとするが、世の中なかなかうまくいかないものである。そしてすぐに疲れたという至極真っ当な理由で釈放される。
「じゃ、じゃあ俺、夕飯作らないとだから」
時刻はすでに後半中盤近く、太陽が夕日に変わろうとしていた。
「おや。アンタのカワイイ彼女さんとやらは、お風呂でする?ベッドでする?それともアタシでする?みたいなことしてくれないのかい?」
「肝心のご飯が抜けてるし、いろいろ違うし。……そもそもアイツ……その手が、シュレッダーだから……離乳食みたいになるから……」
「ハッハッハッ。じゃあアンタが奥さんになるしかないね」
井戸端会議ならぬ喫茶店端茶番劇もほどほどに、上葉は夕飯の買い出しのために商店街へと向かう。
二人目の背を見送りながら、その後ろ姿を見つめながら、昔のことを思い出す。
「ホント……似てきたね。母さんは心配だよ……」
突拍子に出た自分の言葉を鼻で笑いながら、腹部をさすり、眺める。
「……母親じゃない、ってか」
ポンッと腹を叩くと、縮こまっていたものすべて伸ばすかの如く大きく伸びをする。
「さーって、と。トイレトイレ~」
お腹をさすりながら店の中へと戻った刹那。背後のドアが開き、店内に鉄琴で出来たチャイムの音が鳴り響いた。
忘れ物でもしたのかと振り返ると、そこにいたのは上葉でも時子でもなく、見慣れないあの二人と同年代くらいの男だった。
「失礼。もう閉店でしたか」
男の堅苦しい言葉づかいに少々不信感を抱きながらも、店へ入れるため道を開ける。
「いいえ、まだやっていますよ。どうぞお好きな席へ」
そうですか。と軽く返すと店内を少し見まわし、即座にカウンターへ狙いを定め向かっていく。
その後ろに続くような形で店長もカウンターの中へと入る。
カウンターに座る前からメニューを手に取り眺めるその動きは、まさに無駄が嫌いとでも言いたげな性格がにじみ出ていた。
「コーヒーを、ブラックで……それとレモンティーを」
「? お連れさまがまだなようですが、どちらをお先に?」
「いえ、俺が両方とも飲むので。一緒で頼みます。順番はレモンティーを後で」
そう言うと彼の左肩が少しビクッと動いたが、即座に彼は左肩にデコピンを食らわす。
ますます変な客に思えてきたが、特に気にする必要はない。
オカルトと都市伝説まみれのこの町では、変なことなどなにひとつない。
「この町では、飲みたくもねぇレモンティーを飲むハメになりますから。いや、いまのは失礼。別に嫌いじゃありませんよ、レモンティーは」
そう、変なことなどありふれすぎていて、おかしいことなど何ひとつ起こってなどいない。それが普通なのだから。
この裏海では、なおさらのこと。
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