春夏秋冬
うだるような暑さだった。
三月のなかば。まだ春だというのに、空の真上から太陽がさんさんと照りつけ、熱をもったコンクリートの地面からかげろうがもやもやと立ち昇っている。交差点を行き交う人々は、コートを脱ぎ、腕をまくり、顔に汗を光らせながら歩いている。まるで夏のような光景だった。異常気象といってもいいだろう。道路にぽつりぽつりとある桜の花びらがなければ、季節を勘違いしているところだ。
「いやあ、暑いね」
シャッターが閉められている商店街のひとつ、ささき文具、という看板のある店の軒下、日光が当たらない日陰の場所で、私はとなりにいる少女に問いかけた。
「きみはそんな格好で、暑くないの」
少女が首をふった。
十五、六歳くらいの若い娘だった。いまではめずらしい黒髪のおかっぱで、長袖のセーラー服を着ている。まるで昭和の女学生のようだ。彼女は胸もとで結んである赤いスカーフを指にからませ、くるくると巻きつけては、ほどくという行為をくり返していた。
「それにしても、本当に暑い」
手のひらを頭上にかかげ、まるで真夏のような陽射しを遮ってみたが、指のあいだからもれる眩しい光に目を細め、私はさきほどと同じことを口にした。
「本当に暑くないの?」
「しつこい」
少女がぎろりとにらみつけてきた。
「何度おなじことをいっても、なにも変わらないよ。文句があるなら、直接いいにいけば?」
苦笑をうかべた。「私がいっても、聞く耳持たず、かな。知ってるでしょう。あの子はわがままだから」
「それなら、我慢することね」
「もしくは、きみのほうからいってもらう、という選択肢もある」
彼女がため息をつき、肩をすくめてみせた。
「どうして私が。そんなことをしなくても、私の季節はやってくるもの」
「冬はいいねえ。雪が降るとかならずやってくるから。私なんて、最近、存在そのものがなくなりつつあるのに」
「でもあなた、国民の祝日になってるじゃない。私なんてそんなの、なにもないのに」
「夏もそうでしょう」
「海の日ってのがあるわ。あれ、夏の祝日でしょう。私だけが仲間はずれ」
彼女がつまらなそうにそっぽを向いた。拗ねた横顔に苦笑いをかえし、私は交差点に目を向けた。
過ぎ行く人たちが、ハンカチや、袖をまくった前腕でひたいの汗をぬぐい、それでも足早に歩いている。ふと、その前進が止まった。信号が赤になったのだ。停止していた車が静かなエンジン音を響かせ、ゆっくりと発車する。信号機の下にデジタル表示されている温度は、28となっていた。
私はいった。
「あと二度で真夏日だ。三月の記録更新かな」
「あしたの新聞の見出しは決まりね」皮肉げに少女はいった。「異常気象、三月で三十度超え。そんなところかな。まったく、あの子はなにしてんのよ。自分の季節くらいちゃんと管理しなさいよ。そもそもどこにいったわけ?」
「さっきまで喧嘩してたけど、負けて、ふてくされてコンビニでアイス食べてるわ」
「なにそれ」
あきれたように、彼女はぽかんと口を開けた。
「まあ、しばらくすれば機嫌も治るでしょう。そのころには、彼女も飽きて席を譲るだろうし」
「そのあいだに、桜が散らないといいけど」
すこし沈んだ声に、私はすぐに反応した。
「あら、めずらしい。あなたもそんなこと思うのね」
「春にしか咲かない花だからね。いつも綺麗だと思って、見にいってる」
「冬の夜には、ピンク色のイルミネーションで擬似的に桜を表現しているみたいだけど?」
「あんなの、にせものよ。人工的な美しさでは、本物を真似することはできない」
「ふうん」と私はいった。「まあ、感性はそれぞれか。私は、あれもきらいじゃないけどね」
とりとめのない会話をしていると、微風がふいて、火照ったほほをなでていった。
「お、そろそろ、涼しくなりそうね」
私の言葉に、少女は肩をすくめ、それから待ちくたびれたかのように、大きくのびをした。
「やっとか。これでお花見ができるわ」
「一緒にいってもいいかしら?」
ちらりとこちらに目をやり、ぽつりと答えた。「好きにしたら」
ふたりで軒下をでて、公園に向かって歩きはじめた。
夏のような陽射しの春のなか、風にふかれた桜の花びらがひらひらと舞い落ちていた。
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