メリークリスマス

 彼女は、自分のことを雪女だといった。それが本当かどうかはわからない。なぜなら、人生のなかで雪女と遭遇するのはこれがはじめてだったからだ。


 雪降る街のなか、僕はひとり、駅のまえで佇んでいた。クリスマスの夜だった。待ち合わせの時間を過ぎても恋人はあらわれない。マフラーから口元を出すと、白い息が夜の闇のなかに消えていった。

 街のなかは明るかった。駅前では、派手な装飾をされた大きなツリーが色とりどりなLEDの光を放ち、夜空をあざやかに彩っている。街灯もイルミネーションで飾られ、大通りを歩くカップルを祝福するように、光のアーチを描いている。

 そんななか、僕はひとり、立ち尽くしていた。さきほどから降りだした雪が、頭や肩に積もるたび、手で払っていたが、次第にめんどくさくなって、いまはもう、そのままにしてある。

 声をかけられたのは、冷える身体を温めるため、自動販売機でホットの缶コーヒーでも買いにいこうとしたときだった。

 ひとりの少女がいた。

 年齢は十五から十八くらいだろうか。すくなくとも、成人しているようには見えない。ショートカットの黒髪と、黒色のダウンジャケット。雪が降るほど気温が低いのに、ミニスカートを履いていて、しかし、彼女自身は寒さを感じているようには見えなかった。

 目が合った。真冬のなか、場違いなひまわりが咲いたような、ほがらかな笑顔がそこにあった。

「なんだ、雪だるまじゃなかったんだ」彼女はいった。

「雪だるま?」

「うん、そう。ずっと動かないから、新しい雪だるまのオブジェかと思ってた」

 僕は苦笑した。それから、頭や肩に積もった雪を、手で振り落とした。

「おにいさん、こんなところでなにしてるの」

「人を待っているんだ」

「ずっと?」

「ずっと」僕はこたえた。「そうだな、一時間くらいはいると思う」

 彼女が眉をひそめた。

「それって、すっぽかされたんじゃないの」

「どうだろう。さきほど連絡したときは、すぐに行くといってたけど」

「それって、どのくらいまえ?」

「三十分ほどかな」

「あきれた」彼女はいった。「おにいさん、それ、絶対ドタキャンだよ。相手の人は女性?」

「恋人なんだ」

「はじめてのクリスマス?」

 うなずいた。

「ふうん。まあ、それならずっと待ってる理由もわかるかな。でも、あきらめるのも大切だと思うよ。クリスマスの夜に一時間たってもやってこない恋人なんて、どう考えてもおかしいじゃない」

 大きなお世話だった。けれども、そのことを口にせず、べつのことをたずねた。

「きみのほうこそ、ひとりでなにをしているんだい」

「イルミネーションを見にきたの」

 彼女は弾んだ声でこたえ、駅前にある大きなツリーに目をやった。夜の闇のなか、そびえる木のまわりを、赤、青、緑、黄、と色あざやかに光が彩り、てっぺんにある星がひときわ大きく輝いている。

 色とりどりの光に照らされた横顔に、僕はたずねた。

「これを見るために、わざわざ?」

「そう」こちらに顔を向け、彼女はほほえんだ。「毎年、この時期だけ、このイルミネーションを見るために里からおりてくるの」

「里?」

「うん。雪女の里」彼女は自分を指さし、いった。「わたし、雪女なんだ」

 時間が停止した。いや、停止したのは僕の思考だ。ツリーはあいかわらずまぶしく輝いている。やがて、ゆっくりと、まるで古く錆びた機械が活動を再開するように、微笑む彼女の言葉が、頭のなかに染み込んでくる。

 僕は、自称、雪女の顔を凝視した。

 しばらくそうしていると、微笑が変化した。おだやかなカーブを描いていた眉毛が吊り上がったのだ。

 怒気をふくんだ声で彼女はいった。

「ちょっと、間抜けな顔で見つめないでくれる?」

「ああ、ごめん」

「そんなに雪女がめずらしいの?」

「めずらしい」僕はこたえた。「というか、雪女とはじめて会った。そういう存在がいることをはじめて知った」

「ふうん、そうなんだ」と彼女。「わたしたちって、そんなにマイナーな存在かな」

 うなずいた。

「サンタクロースより?」

「サンタクロースより」

 彼女が声をあげて笑った。そのとき、僕のズボンのポケットでかすかな振動があった。スマートフォンにメールが届いていた。恋人からだった。

 ごめんなさい。

 急用でいけなくなりました。

 たった二行のメールで、ふたりの関係が終わるのを感じた。しかも一方的に。いや、もしかしたら本気だったのは僕のほうだけで、彼女は遊びだったのかもしれない。なにもわからない。

 スマートフォンのディスプレイをながめ、呆然と立ち尽くす僕に、雪女が声をかけてきた。

「どうしたの?」

「きみのいうとおりだ」僕はこたえた。「いまメールがあったよ。ドタキャンされたらしい」

「あ、やっぱり」彼女はいった。「そうだと思ってたんだ。ところで、おにいさんはこれからどうするの?」

 スマートフォンをしまい、雪降る夜の空に目をやり、僕はいった。

「とりあえず、レストランにキャンセルの連絡をするよ」

「ふうん」

 彼女は、頭上にある大きなツリーに顔を向け、そのてっぺんの星を見つめ、やや考え込んだあと、こちらを向き、自分の顔を指さした。

「それさ、代わりに、わたしと一緒にいかない?」

「きみと?」

「そう。わたしと」

 彼女の顔を見返した。そこには、からかいや憐れみの感情が一切なく、ただ純粋さだけがある。まるで新雪のような、まじりけのない白い感情がある。

 僕は首をふった。

「わるいけど、断らせてもらうよ。そんな気分じゃないんだ。いまは家に帰って、熱いシャワーを浴びたい」

「そっか。残念」

 あっけらかんとした口調でほほえむと、彼女は肩をすくめた。

「それなら、べつの男性に声をかけようかな」

「きみは、ナンパしに里からおりてきたのかい」

「だって、クリスマスの夜に、ひとりでいるのは寂しいじゃない」

「それ、僕に対するいやみ?」

 声をあげて彼女が笑った。雪女であるはずなのに、まるで真夏に咲くひまわりのような明るい笑顔だった。いや、クリスマスの夜、たしかにそこに一輪の花が咲いていた。

「さよなら、おにいさん」彼女はいった。「風邪を引かないようにね。メリークリスマス」

「メリークリスマス」僕もいった。「きみに、いい出会いがあることを祈ってるよ」

 こうして、僕らはたがいに手をふり、あざやかなイルミネーションのした、それぞれの道を歩きはじめた。



 次の日の朝、テレビをつけると、女性のアナウンサーがニュースを伝えていた。

「きのう未明、ラブホテルの一室から氷漬けの男性の死体が発見され・・・・・・」

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