雨がやむまで

「傘って、進化を忘れたみたいね」

 テーブルの上に頬杖をついて彼女はいってきた。六月の喫茶店。外ではさきほどから降りだした雨が、強く激しいどしゃ降りではなく、断続的に細かい雨がいつまでも、まるで壊れた蛇口のように降り続いている。

 そんな景色を店内でながめながら、コーヒーにガムシロップをいれて彼女は続けた。

「私が子供のころからあのかたちで、いつまでたっても変わらない。まるでそれが最適の解答のように」

「そうなんじゃないの」僕はいった。「むかしから変化しないってことは、それで完成形なんだよ、きっと」

「でも、傘は上からの雨は防ぐけど、横殴りの雨には無力だわ。いつも、カバーしきれないところがびしょ濡れになるもの」

「それなら、ああすれば?」

 僕は窓の外に目をやった。

 そこでは、引率の先生のうしろを、幼稚園児の集団がならんで交差点を渡っている。黄色の傘に、黄色の雨カッパに、黄色の長靴。全身を黄色でコーティングした幼稚園児たちは、まるで川を泳ぐアヒルの子供の群れのように見えた。

 そんなほほえましい光景をながめておると、冷たい声がかけられた。

「あなた、大人になっても、あんな格好をしたいの」

 彼女の細い人差し指が、窓の外に向けられていた。

 首を横にふった。「いいや」

「でしょう?」

「でも、子供のころは、雨が降るのを楽しみにしていた時期があったよ」

「あ、それはわかるわ。私も、新しいレインコートを買ってもらったとき、はやく雨が降るようにお願いしていたもの、神様に」

「それなら、そのときの気持ちを思い出してレインコートを着てみたら?」

「そんなむかしのこと、忘却の彼方に追いやったわ」

 大げさな態度で彼女は肩をすくめた。それからなにかを閃いた顔を向けてきた。

「そうだ。政府が国家予算を使って、雨や雪が降らなくなる機械を開発すればいいのよ。そうすれば、ずっと快晴が続いて傘がいらなくなるわ」

「でも、そうなったら日照が続いて水不足になるだろうね」僕はいった。「海も干上がって、魚はいなくなって、地球は砂漠化して、やがて人類が滅亡してしまうかもしれない」

「・・・・・・」

 無言の沈黙がかえってきた。反論したいが言葉にできない曖昧な表情が、彼女の端正な顔のなかにあった。

 六月の雨は、やむことを忘れたかのように降り続いている。梅雨という楽器が、テレビのスノーノイズのような雨音を世界中で演奏しているかのように。

 彼女は、大きなため息をついたあと、コーヒーに何度か息を吹きかけて、カップに口をつけた。猫舌なのだ。

「ところで」と僕はたずねた。「きみはいつまで、ここにいるつもりだい?」

「雨がやむまでよ」

 そっぽを向いた横顔から、拗ねた声がかえってきて、おもわず苦笑がもれた。

 傘を忘れて帰れない彼女は、二時間も前からずっと、この喫茶店で雨がやむのを待ち続けているのだった。

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