りんご
「りんごはありますか」
声をかけられたのは、モップで床を拭いているときだった。早朝のコンビニエンスストア。長距離トラックの運転手がたまにコーヒーを買いにくるだけで、それ以外の客はまず来店しない時間帯。そんなエアポケットのような時間にあらわれたのは、ひとりの少女だった。
年齢は中学生くらいか。ウェーブのかかった長い黒髪を赤いリボンで結いている。柔和で気品を感じさせる雰囲気だが、大きな瞳には強い意志の光があった。
「あの」
予想外の客にフリーズした僕に、彼女はもう一度、声をかけてきた。
「りんごはありますか」
「りんご、ですか」
「はい、そうです。あの赤くて丸いりんごです」
少女は両手の指でまるい円をつくった。年相応なかわいい表現だった。
「申し訳ありません」僕はいった。「当店では、赤くて丸いりんごを置いておりません」
「そんな・・・・・・。コンビニではなんでも手に入ると聞いていたのに」
彼女は顔をふせた。サンタクロースの正体が両親だと知ったときの態度だった。
「カットフルーツならありますが」僕はいった。
「カットフルーツ?」少女の目がしばたいた。
「こちらへ」
モップをしまい、デザートのコーナーへ彼女を案内した。
「こちらになります」
少女が白い腕をのばして棚から商品をひとつ手にとった。皮が剥かれたりんごが、六切れカットされてパックに入っているものだ。彼女は興味深そうにそれに目をやり、さまざまな角度から見つめ、そして、そっともとの場所にもどした。お気に召さなかったらしい。
「りんごはこれしかないの?」
「申し訳ありません」
「どこにいけば赤くて丸いりんごが手に入るかしら」
「ここから車で十分ほどのスーパーになら置いてあると思います」
「そう」
細くしなやかな白い指を自分のあごにおいて、少女は天井を見上げた。思考のその顔は次の一手を探す棋士の表情にも似ていた。
「あの」湧いてくる興味に勝てず僕はたずねた。「どうしてそこまで、赤くて丸いりんごをもとめているのですか?」
「そんなの決まってるじゃない」とびきり邪悪な笑みをうかべて彼女はいった。「世界で二番目に美しい継母さまにプレゼントするためよ」
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