第5話

 二十人を越える女生徒の血液を吸い尽くした『星からのもの』は教室いっぱいにその全体像を紅く浮かび上がらせていた。地球上の生物で似たものを探せばクラゲが最も近いのかもしれないが、やはりそれは地球上のいかなる生命体とも異質な存在だった。


 ブヨブヨとした本体から無数に伸びる触腕。全体を覆う腫瘍状の瘤。そこかしこに開き、忌まわしくも人間の哄笑に似た声を発するいくつもの口……アカネの支配下において自分の存在を無視し、あるいは一緒になって自分に危害を加えていた同級生たちが次々と奔放な悪夢の中にしか存在し得ない異界の生物に害される光景を、ユキは冷ややかに眺めていた。その隣では恐怖のあまりに血の気を完全に失ったアカネが、ガクガクと震えながら立ち尽くしている。見れば、太腿から足首へと湯気を立てる液体が流れ落ちて床に溜まっていた。失禁したらしい。


「な、なによ……何なのよ……」

「私が喚んだの『星からのもの』を」


 震えるアカネの声とは対照的に、ユキの声は冷静、いや、冷徹そのものだった。


「こ、こんなことって……赦されると思ってるの!? これは人殺しよ! 犯罪だわ! あ、あなたなんてお父様に言って一生刑務所に入れてやるんだから!」


 ユキは叫びながら掴みかかってくるアカネを軽くはね除ける。


「じゃあ、あなたが私にしてきたことは何なの? 暴力で傷つけたり、物を壊したり、男に襲わせたり……それって犯罪よね? それは赦されることなの?」

「そ、それは……そうよ! あなたが悪いのよ! あなたが私に逆らうから……!』


「そうなんだ」冷ややかな視線をアカネに向けながら、ユキは嗤う。


「じゃあ、それでもいいわ。でも、状況を考えたら方がいいんじゃない? 今は私に逆らう方が危険だと思うけど?」


 ドサリ、という音に振り返ったアカネは、すぐ近くに捻れた同級生の死体が投げ捨てられたことに気付いて悲鳴を上げた。気がつけばもう、教室の中で生きているのは彼女とユキの二人だけだ。


「お願い! 杉野さん! 赦して! 助けて!」


 床にへたり込んで、半狂乱になって泣き喚くアカネの正面に回り、ユキはしゃがみ込んでその顔を覗き込む。


「いいわよ、赦してあげる」

「え……ほ、ほんとに?」

「うん、その代わり条件が二つあるの……スマホ貸して」


 アカネは慌ててスカートのポケットからスマートフォンを取り出してユキに差し出した。


「この間、私を襲わせた男の連絡先って……あぁ、これね」


 SNSを開いて少し探せば、メッセージの履歴がキッチリと残っていた。他人に見られれば犯罪の証拠となり得るかなり危険なやり取りだというのに、まったく削除してしていないところを見ると何があっても簡単に揉み消せるという余裕があったのだろう。


「それと……服脱いで。全部」

「……は?」

「私にもさせたことあったでしょ? 全裸で、四つん這いになって三回まわってワン、ってやつ。あれ、やってよ」

「はぁ? な、なんで私がそんなこと……!」


 反射的に激昂しかけたアカネだったが、状況を思い出したのだろう。慌てて服を脱いで、ユキの言う通りにした。ついさっきまで『女王』として君臨していたはずの自分が犬の真似事をさせられ、それを自分のスマートフォンで録画されているという屈辱にアカネは悔し涙を流した。


「ふ〜ん、そんなもんなんだ」


 アカネの醜態を目の当たりにしながら、ユキはつまらなさそうに呟いた。自分に同じことをやらせながら、アカネは仲間たちとゲラゲラ笑っていたのだが、逆の立場になってみたところで面白くもなんともない。ただ馬鹿馬鹿しいだけだ。


「こ、これでいいんでしょ? 早く助けなさいよ!」


『おすわり』のポーズのまま、怒りと屈辱で顔を真っ赤にしながら怒鳴るアカネをユキは軽く蹴り倒した。バランスを崩したアカネの裸体が後ろに倒れる寸前、真紅の触腕に捉えられて空中へと持ち上げられる。


「ちょ……なによ! 約束が違うじゃない! 下ろして! 下ろしてよ!」


 ジタバタとみっともなく足掻く全裸のアカネの姿に、ユキはため息をついた。


「ねぇ、どうして私があなたなんかとの約束を守るなんて思ったの? バッカじゃない?」

「そんな……! ユ、ユキ……さん! ユキさま! お願い、助けて! たすけ……」


 アカネの懇願の声は、自らの骨が折れ砕ける音に掻き消され、消えた。



「おめでとう」


 夕方、ユキが廃ビルを訪れるとアイナが微笑で迎えてくれた。上流階級の子女が集う学校で発生した事件ということでマスコミも慎重になっているのだろうか『星からのもの』による殺戮はまだ、さほど大きくは報道されていない。それでも誰もが気軽に発信できるこの時代において情報を完全に抑えることなどできるはずもない。そして、アイナには断片的な情報さえあれば充分だった。


「十六世紀、不可視の魔物を使役したと言われているデュッセルドルフの魔術士、ルドウィク・プリン」


 話しながら、アイナはユキに近づいていく。


「魔女裁判で告発された彼は獄中で禁断の知識を識した書を執筆したの。それが『デ・ウェルミス・ミステリィス』……ユキ、貴女はプリンが使役した『星からのもの』を喚び出し、操ることができたのね。素晴らしい素質の持ち主だわ」

「アイナさん……」


 アイナの賞賛を受け、ユキの胸の中に熱いものが満ちていく。感極まったように立ち尽くすユキに歩み寄ったアイナは、その細い肩をギュッと抱きしめた。


「でも、まだこれからよ。貴女の怒りと憎悪を糧に『星からのもの』をもっと成長させなければ……あなたには期待しているわ、ユキ」

「はい……アイナさん」

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