第264話 一方のアリアは…

(うわ~ん! 稜真が怖かったんだよぉ!!)


 きさらに乗って屋敷に向かうアリアは、稜真の表情を思い出しながら、あうあうと怯えていた。


(そ、そりゃあね。今回はちょっぴり妄想が過ぎたかも…って思うけども…。だって、ついCDの出産シーンを思い出しちゃったんだもん。出産の痛みに耐えて迎えた生命の誕生! 感動で声が震える稜真様の演技力! 出産に立ち会っている恋人との愛の深さ! うんうん、思い出すなぁ。お2人の演技にドキドキしながら聞き入ったっけ。──って、思い出してる場合じゃないよ!? うう~、どんなお仕置きされるんだろう…。ドS様降臨は間違いないよね……。鞭でビシバシされちゃうかも…、ビシバシかぁ)


 執事服を着て眼鏡をかけた稜真が鞭を振るう姿を思い浮かべ、アリアはにへら、と笑った。


(いやいやいや!! 妄想してる場合じゃないって!)


「ねぇ、そら。帰ったら、稜真をなだめる手伝いして欲しいなぁ」

 アリアは隣を飛ぶそらにお願いしてみた。

『だめ。おねえちゃが、わるい。あるじに、おこられる』

「悪いのは自覚してるんだよ~。でもついついやっちゃうんだもん。お願い!」と、アリアは手綱から手を離して、そらに手を合わせた。

『だめ!』

「やっぱり駄目かぁ」


(帰った時は、まだグスターさんもいる筈だし、おじいちゃんもティヨルもいるもんね。すぐには怒られない…よね。それで~、皆が帰る頃には稜真の怒りも治まってると、いいなぁ。あ、はは…)


 そんな事を考えている間に、デルガドの町へ到着した。白いグリフォン等きさらしかいないのだから、上空から一気に屋敷へ向かっても良いが、いつも必ず門を通っている。今回も門を通り、歩いて屋敷へと向かった。


 町の様子に変わりなく、まだ黒いグリフォンとドラコンの情報が伝わっていないと分かる。町には、のんびりとした空気が漂っていた。


 屋敷に着いて、きさらを厩に連れて行くとスタンリーがやって来た。


「ん? お嬢様だけ…ですか?」

「そうよ」

「…そうですか。とうとうリョウマに逃げられたんですね」

「とうとうって何!? 逃げられてないもん!」


 スタンリーは、にやにやと笑っている。からかわれたと気づいたアリアは、唇を尖らせた。

「もう! そら、話が終わったら帰るから、きさらと待っていてくれる?」

『わかった!』

 アリアは稜真から預かっている、そらときさらのおやつを取り出して器に入れた。そして口をへの字にしながら、スタンリーを従えて執務室へと歩き出した。


「それでお嬢様、何かあったんですか?」

「…お父様にお話するわ」

「おやおや嫌われてしまいましたかね」

「ふんっだ!」

「はははっ!」




 アリアが執務室のドアをノックする前に、スタンリーがノックと同時に扉を開けた。

「スタンリー」

 中にいたオズワルドが睨むが、スタンリーに気にした様子はない。


「旦那様。お嬢様がお1人でお戻りになりました」

「1人?」

 伯爵が視線を上げてアリアと目を合わせた。稜真もおらず、従魔もいないのが見て取れる。

「…アリアヴィーテ、とうとうリョウマにも逃げられたのか」

「どうしてお父様まで、そんな事を言うのですか!?」


「お嬢様。リョウマが来るまで、何人の従者に逃げられたかお忘れですか?」

 スタンリーがにやりと笑って言う。

「多すぎて忘れた!」

 アリアはプイっとそっぽを向いた。忘れるほど短期間に逃げられ続けたのだ。


 伯爵はため息を付きながら、わざとらしく頭を振る。

「長く持った方だったが、お前に付き合うのは大変だっただろうな」

「弟子に逃げられた俺も辛いですよ」

 沈痛な表情を作って頷きあう主従。そんな2人を、書類を抱えたオズワルドが呆れ顔で見つめている。


「だから、逃げられてません!!」

「逃げられるような事は、しておらんのだな?」

「してない……とは…言い切れなかったり……、あれ?」


 伯爵の問いに、アリアはここ最近の出来事を思い返した。


 嫌がる稜真にステージ衣装を着せた。そのステージも、前世の記憶を目一杯取り入れたもの。1曲だけ歌って帰るつもりだった稜真は、成り行きで3曲も歌ってくれた。

 チプレの件でからかった。

 それより何より出掛けの出来事だ。ついつい稜真で妄想してしまった。アリアがBL関係で妄想するのはいつもの事だが、今回は常になく、稜真の怒りが深かった。お仕置きの心配ばかりしていたが、怒りの余りに見捨てられる可能性など、考えもしなかった。


 アリアは一気に血の気が引いた。

「お、お父様。…もし帰って…稜真がいなかったら、わ、私…どうしたら…」

 ポロポロと涙をこぼすアリアに、からかっていた主従は焦った。


「アリアヴィーテ!? 待て! 先程はああ言ったが、リョウマは責任感があるし、もしもいなくなるならば、私に挨拶をしてからだろう。勝手にいなくなる等、絶対にない!」

「そうです、お嬢様! リョウマはある意味頭が固いですからね! 何があってもお嬢様を見捨てる事はしません!」

「で、でも私、今回すごく稜真が嫌がる事を言ってしまったのです。稜真…いつになく怒りが深くて…も、もし…見切りをつけられていたら…、私…どうしたらいいのでしょう…? うっ…えっ……ひっく…」

 アリアは床にぺたんと座り込み、本格的に泣き出した。


「だ、旦那様! 私はきさらの世話に行って参ります!」

 スタンリーはそう言うと、そそくさと部屋を出て行った。

「スタンリー!? くっそ、あの野郎! 逃げやがったな!!」

「旦那様。言葉遣いが昔に戻られておいでですよ」

「うっ! あー、こほん。オズワルド。アリアヴィーテは何を言ったのだと思う?」

「あのリョウマをそこまで怒らせる事、ですか。想像もつきません」


 伯爵は床のアリアを抱きしめ、落ち着かせようと試みたが、アリアは泣きじゃくるばかりで何も言おうとしない。ふくれる娘の可愛い姿を見たさに、少しからかっただけのつもりが、困った事態になってしまった。


「オズワルド、何か泣き止ませる手立てを思い付かないか?」

「そう言われましても…。ここは、奥様におすがりするしかないと思われます」

「…クラウディアにか? 私は叱られるだろうな。──やむを得ん。今から行くと伝えてくれ」

「かしこまりました」


 オズワルドを見送った伯爵は、妻の部屋へ連れていく前に、もう1度チャレンジを試みた。

「アリアヴィーテ」

 伯爵は抱き上げたアリアの背中を優しく撫でる。だがアリアは何も言わず、ただ泣くばかりだ。


「先程も言ったが、リョウマがお前に何も言わずにいなくなる事はないよ。私が、お前を安心して任せられる、そう信じた男だ」

「…う…、ひっく…。でも、でも、…私いつもやらかして、稜真には嫌な思い…させて…るし……。も、もう、我慢の限界、が来てるかも、知れません…」

 自分で言いながら、自分の言葉にアリアは傷ついた。

「や、やっぱり…私、み、見捨てられてるかも…。…ひっく…うえぇ…」


 これは何を言っても納得しそうにない。やはり、ここは母親に任せた方が良さそうだ。伯爵はアリアを抱いて執務室を出た。


 ぱたた…と羽音がして振り向くと、そらがいた。

 そらはアリアの様子を見に来たのだが、いつにない姿に目を丸くしている。伯爵はそらに向かって、しっ、と人差し指を唇に当てて見せた。こくこくと頷いたそらは、伯爵の後ろからちょこちょこと歩いて着いて行くのだった。




 伯爵とアリアを出迎えたクラウディアは、優しく微笑んで迎え入れた。その微笑みには黒さが混じっている。

「話はオズワルドから聞きました。後でお話があります。スタンリーにも」

「……分かった」


 この部屋には、そら用の止まり木が用意されている。飛ぶと羽音がすると考えたそらは、止まり木の下まで歩いて行き、体を横にしながら、嘴と脚で止まり木の軸を器用に掴み、上までよじ登った。


「アリアはソファに座らせて下さい」

 部屋にいたメイド長は、アリアに柔らかいタオルを手渡すと、お茶の用意をして部屋を下がって行った。

 オズワルドは、アリアを座らせた後も成り行きを見ていたそうな伯爵に、そっと声をかけた。

「旦那様。ここは奥様にお任せしましょう」

「──そうだな」

 2人は静かに部屋を出て行った。



 クラウディアはアリアの隣にソファに腰かけると、泣き声をもらさぬようこらえている娘を、何も言わずに抱きしめた。母の胸に抱かれ、アリアは新たな涙がこぼれ出す。──どれ程の時間が経っただろうか。母に抱かれて頭と背を撫でられている内に、少しずつアリアも落ち着いて来た。


「お…母様…」

「何かしら?」

「わ、私。稜真が嫌がる…事、言ってしまった…の」

 嗚咽交じりに言葉を紡ぐアリアをせかすでもなく、クラウディアは静かに聞いてくれた。


「お客様、が、いたから、あんまり…お、怒られなかった…けど。…か、帰ったら怒られる…って、思ってたけど、み、見捨てられてるかも、知れない……。うっ、えっ…帰った…時、稜真がいなかったら…ど、どうしよ…。ふぇ、えっ…」

 話している内に、また泣けて来たらしい。


「今は声を我慢しなくとも良いですよ。吐き出してしまいなさい」

「ふっ…く。う…うわーん!」

 号泣するアリアをクラウディアは優しく抱きしめた。


 ──号泣は次第に嗚咽に変わり、ひっく、ひっく、とタオルに顔を埋めるアリアに、クラウディアは少し冷めた紅茶を渡した。

 アリアはもう1度顔を拭い、タオルを膝に置く。メイド長は、アリアの分には砂糖を多めに入れておいてくれた。ぬるくて甘い紅茶は、号泣して腫れた喉を優しく癒してくれる気がした。


「大丈夫よ。リョウマが何も言わずにいなくなるなんて事はないと、私が断言します」

「そう…かな?」

「リョウマの人となりは、私だけでなく、お父様も知っておいでですよ。だから、そんな事はあり得ないと分かった上であなたをからかったのです。困ったお父様は、後でお母様がお仕置きしておきます」

「お…父様、お仕置きされるの?」

「ええ。スタンリーもね。リョウマに聞いた正座とやらをさせようかしら? アリアは良くさせられているらしいわね」

「ふふっ…。稜真ったら、お母様にそんな事をお話したのですか?」

「ええ。編みぐるみを教えて貰った時に」

「そっか…。お父様…お仕置きされちゃうんだ…。うふふ…」

 アリアは力なく微笑んだ。


「アリア。心から謝れば、リョウマも許してくれるわ」

「そう…思う? お母様…」

「ええ。あなた達の絆は、お父様が焼く程ですもの」

「…そうだと、いいなぁ」


 紅茶を飲み終えたアリアは、泣き疲れて眠ってしまった。クラウディアは、ソファにアリアを横たえて立ち上がった。


「そら」

「クゥ?」

「そらは私の言っている事が分かる?」

 そらはこっくりと頷いた。

「リョウマと念話も出来るの?」

 もう1度こっくりと頷く。

「今夜はリョウマの所へ帰らないで、屋敷に泊まりなさい。でもリョウマには、私に引き留められたとだけ伝えて欲しいの。あの状態のアリアを帰せないのは事実だから、嘘ではないでしょう?」


 そらは首を傾げている。

「アリアはリョウマに謝りたいのよ。自分の口で謝らせてあげて」

 そらはアリアとクラウディアを交互に見ながら首を傾げていたが、「クゥ!」と小さく鳴いて、力強く頷いた。

「ありがとう。本当にリョウマの従魔は、賢くて良い子揃いね」

 そらは自慢げに胸を張ったのだった。




 ちょうどその頃、稜真は湖の家に戻っていた。

 そこで見たものは、玄関横に作られた石畳の広場と、その上で正座させられているシュリとシャリウの姿だった。チプレが楽しそうに双方の肩やら背中の上を、行ったり来たり跳ね回って遊んでいる。


「チ、チプレよ。上で跳ねるのを止めてくれぬか?」

 痺れた足に響くのだ。引きつった顔のシャリウは、息も絶え絶えである。

「だってチプは、グスター様に頼まれたんだもん。おじちゃんと、おばちゃんの上で跳ねて来てくれって。だからこれは、チプのお仕事なの!」


「くっ…おじちゃん呼びとは、こうも心にこたえるものなのか…」

「……我が…おばちゃん…?」


 呆然とするドラゴン達に、稜真は笑いが零れた。どうしてくれようかと思っていたが、これは稜真は何もしなくても良さそうだ。


「あ、お父さん! お帰りなさい!」

「ただいまチプレ」

 稜真は勢いよく飛んで来たチプレを抱き止めた。


「チプね! お仕事してたんだよ!」

「そうか。お仕事頑張ってね」

「うん、頑張る!」


「「リョウマ!?」」

 止めてくれないのか、とばかりの悲鳴が2者分上がる

「俺がいた町に急使が来ましたよ。ドラゴンが暴れているとね。しっかり反省して下さい。──もも。チプレを手伝ってあげてくれ」

 ももは了解、とばかりにふるるんと揺れ、シュリとシャリウの頭上を飛び跳ねだした。


 仕事仲間が増えたチプレは、「きゃっきゃっ」と喜び、張り切って飛び跳ねる。


「や、止めてくれー!」

「ひっ!?」


 シャリウはともかく、シュリの悲鳴とは珍しいものを聞いた。稜真は笑いながら家へ入り、扉を開めたのだった。



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