第259話 精霊の子 後編
稜真は気力を振り絞って立ち上がった。反論しなければ、シプレは間違いなく夫婦扱いを定着させるだろう。
「……シプレ。おばさんはともかくとして、俺と夫婦とはどういう意味でしょう?」
「稜真、ともかくって何!?」
すかさず上がるアリアの悲鳴は放置する。
「人族の子供のいる男女は、夫婦なのでしょう?」
シプレは唇に人差し指を当てて、くすくすと悪戯っぽく笑う。
「どういう理屈ですかっ!?」
子供がいても夫婦ではない可能性もあるが、問題点はそこではない。
再び脱力した稜真を癒そうと従魔達が寄り添ってくれたが、それを見たチプレがむぅ!と唇を尖らせた。アリアを蹴るようにして稜真の前に移動すると、稜真が胸に抱いていたそらとももをぺぺいっ!と投げ、稜真の首に腕を回してしがみついた。
「お父さんは、チプのお父さんなの!」
そらはパタパタと体勢を立て直し、きさらの頭の上に移動して困り顔をしている。ももは投げられた勢いのままに、ころころと床を転がって行く。
「チプレ!」
稜真の厳しい声に、チプレはビクッと身を竦めて瞳を潤ませた。
「……だって…お父さん…」
「リョウマさん。チプレは特殊な精霊です。本来精霊となるモノは、長い年月を経て、自然と知識と魔力を得てから精霊と化します。ですがチプレは知識を得ないまま精霊化しました。ですから見た目と同じ、精神が発達していない幼児なのです」とシプレが言った。
チプレの見た目は2~3歳くらいの幼女である。
ふぅ、と息を吐いた稜真は、チプレをしっかりと抱き直して目を合わせる。
「いいかチプレ。女神さんの加護で君が精霊化したなら、そらのお陰でもあるんだよ。そらも加護を持っているからね。それと、ももはこの家をいつも綺麗にしてくれて、時々家に栄養もあげていたんだよ」
「…栄養?」
チプレには、精霊化する前の記憶はほとんどない。
思い出せるのは、稜真の歌だ。優しく温かい歌、楽し気な歌を聞いている内に意識が芽生えたのである。それでも一生懸命に考えると、ピンク色の丸いものが床や壁を転がっていたのを思い出した。それがももだったのだと、今分かった。
自分の話をしているのに気づいたのだろう。ももが稜真の肩にぽいん、と飛び乗った。
「…もも?」
チプレが話しかけると、ももはふるふると揺れた。
「そらとももは、言うなれば君のお姉さんだね」
「お姉さん?」
「そう。そらとももがお姉さんなら、瑠璃ときさらだってお姉さんだよ」
チプレが部屋を見回すと、こちらを見る瑠璃と従魔達と目が合う。
「……お姉さん…」
(うう~。稜真ったら、そこにどうして私を入れてくれないの? このままだとおばさんが定着しちゃうじゃないの!?)
そう思ったアリアだが、この空気では口に出せない。
「チプレ。そらとももにごめんなさいは?」
「……もも…お姉ちゃん。ごめんなさい」
ももは気にするなとばかりに、ふるふると揺れた。
次いでチプレは稜真の胸から離れると、ふよふよとそらの前に移動した。
「そら…お姉ちゃん。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げられたそらは、「クゥ?」と首を傾げた。
『あるじー、そら、おねえちゃ?』
「そうだよ。そらはチプレのお姉ちゃんだよ」
『チプレ。そらは、いたくなかった。だいじょぶ』
幼くとも精霊だけあって、そらの言葉は理解出来るようだ。チプレはにぱっと笑った。
チプレは床の上をてとてとと歩いて、おずおずと稜真を見上げた。
「……お父さん。ごめんなさい…して来た」
「うん。チプレは偉いね」
稜真が笑うと、チプレは顔を輝かせて胸元にジャンプした。
「お父さん大好き!」
チプレが落ちないように抱き留めた稜真は、優しく頭を撫でてやった。
「あらあら。リョウマさんはすっかりお父さんですね」
「うっ」
お父さんを否定する前にお説教をしてしまった。こうなればチプレのお父さん呼びは受け入れるしかないだろう。稜真の頬は、ピクピクと引きつっていた。
「主らしいですわ」
瑠璃は肩をすくめた。
「リョウマさん。お父さんを受け入れたなら、夫婦も受け入れて下さるのでしょう?」
その問題が残っていた、と稜真はため息をついた。
「シプレはチプレにとってはお母さんでしょうが、だからと言って俺と夫婦にはなりません」
「あら、連れないですね」
シプレはあっさりと引いてくれた。
『主。きさらもお姉ちゃん?』
「そうだよ。仲良くしてあげて」
『は~い!』
チプレは稜真がお父さんと呼ばせてくれた事に満足し、従魔達と遊び始めた。
肉体を持ったチプレは、何もかもが物珍しいのだ。子守り慣れした従魔達と仲良く遊んでいる。
「そら、もも! きさらに乗ろ!」
チプレがきさらによじ登るのを、そらとももは後押しする。登り損ねて転がるのも楽しいらしい。「きゃっきゃ!」と歓声を上げる。すっかり仲良くなって、名前で呼ぶ事にしたようだ。
残った問題は部屋の隅でいじけているアリアだろうか。
(あっちは良い感じにおさまったけどさ。私のもやもやはどうしてくれるの? チプレの中では、私はおばさんで定着しちゃったかなぁ。あう~~)
『主、どうしますの?』
『どうしようか…』
稜真と瑠璃は念話で相談する。アリアをフォローするタイミングを逃してしまったのだ。
そこへ、従魔達と遊んでいたチプレが息を切らしてやって来た。
「お姉様もチプと遊ぼ!」
「わ、私がお姉様ですの!?」
瑠璃がぱちくりと目を瞬いた。それを聞いたアリアのいじけ具合が増した。とうとう床に、のの字を書き始める。
(あーあ。どんよりした空気を纏ってまぁ…)
稜真はアリアが落ち込む姿を見ていたくない。アリアはいつも元気いっぱいでなくては。
「チプレ」
稜真はチプレを呼ぶと耳打ちした。
「うん!」
元気よく返事をしたチプレは、てとてとと歩いて行く。そして、しゃがみ込んでいるアリアの顔を、体を斜めにしてのぞき込んだ。
(うっ! 稜真の事をお父さん扱いするのは気に入らないけど、小さくって可愛いよぉ~。これでおばさん呼びしないでくれたらなぁ…)
「ね、人間さん。姉様って呼んでもいい?」
「ふぇ!?」
「駄目?」
チプレはこてん、と首を傾げる。
(うぐぅ! あざと可愛い!! ──姉様かぁ。お姉様呼びも良いけど、姉様もいいね!)
「駄目じゃないよ。チプレ。これからよろしくね!」
「うん! よろしく姉様!」
『瑠璃の言った通りだね。姉様ですっかりご機嫌が直ってくれたよ』
『アリアには、何度も姉様って呼んでみない?と言われていましたの』
お姉ちゃん呼びも気恥ずかしい瑠璃にとって、姉様はハードルが高すぎた。
『ふふっ、そうだったんだ』
アリアと瑠璃は、眠る前に色々な話をしている。その時にでも言われたのだろう。
「さすがですね、リョウマさん」
シプレがにこやかに微笑んでいる。
「元はと言えば、シプレが
稜真はシプレを軽く睨んだ。
「お陰で皆さん、チプレを受け入れてくれました」
「そうですけどね…」
どこまでが作戦だったのかは知らないが、全員がチプレを受け入れたのは確かだ。それにしても、脱力しない方法を使って欲しいものだと思う稜真であった。
「お父さんもチプと遊ぼ!」
「……ははっ。俺のお父さん呼びは、やっぱり確定みたいだね」と言いつつ、稜真はチプレを抱き上げた。高い高いをして貰い、チプレは「きゃあ!」と大喜びだ。
そうして遊んでやる内に、チプレの目はとろんとなって来た。
「チプ…眠たい…」
「あなたには、まだまだ眠りが必要です。ゆっくりお休みなさい」
「…うん。分かった、お母さん…。またね、お父さん、お姉様達。そら…きさら…もも…。また遊んで…ね…」
目をこすりながら言い終えると、チプレはすぅっと姿を消した。
「精霊化したとはいえ、まだ幼いですから実体化する時間は短いのです。次に起きるのはいつでしょうね」
チプレが消えると、稜真は物寂しさを感じた。何しろチプレは、「きゃあきゃあ」とはしゃいで部屋中を駆け回っていたのだから。
「それでは私はリョウマさんにお子が出来た事を、ティヨル達に報せに行って来ますね」
「は?」
「仲間はずれにしては、皆様が寂しがるでしょうから」
シプレはふふっと笑みを残して姿を消した。
「シプレ!? 皆様って、どこまで知らせるつもりですっ!?」
すでに姿を消したシプレに、稜真の声が届く訳がない。
「そりゃあ当然、ソルおじいちゃんには言うよね~」
「ティヨル達と言っていましたし。
「シュリの所も行くのかな?」
「行きそうですわ…」
稜真は頭を抱えた。
そらはきさらの頭の上で、あらぬ方を見て首を傾げていたのだが、こっくりと頷いた。
『あるじー。グスターさまが、いわいのしな? は、なにがいいか、って』
「グスター様は何を仰っているんですかっ!?」
「きっと女神様がご覧になっていたのですわ」
「どんな風に聞いたんだろ?」
一部始終を見ていたルクレーシアが、面白がって事実を抜き出してグスターに伝えた。真面目なグスターは言葉通りに受け取ったのである。
「勘弁して…」
神の誤解はどう解けばいいのだろう。そらを介した念話では伝わらない気がする。次に会った時に説明するしかないだろう。
グスターは暴走しないだろうが、問題はソルを始めとした精霊とドラゴン達だ。
頭が割れるように痛む稜真だった。
(赤子ならばベビーベッドだろうか? 鍛冶で作れぬ事もないが…ふむ)
繊細なラインを描く、細い鉄を編んだようなデザインのベビーベッドを思い浮かべたが、どうにも稜真のイメージに合わない。稜真の優しくしなやかで温かいイメージに合うのは木製だろう。木でデザインを考えるとしっくりした。
鍛冶の神であるグスターは物づくりが趣味であり、木工にも長けている。そらからの返答がないが良い木材を手に入れて来よう、とグスターは町を出た。
(布団も欲しいな。布と綿…か)
グスターは、風と豊穣の神であるアレクサイトに協力を頼もうと決め、念話を繋いだ。手助けを持ち掛けたのはアレクサイトだけだが、当然のようにアレクシアも話に乗った。
──こうして。稜真の知らない所で、話が大きくなって行くのだった。
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