第258話 精霊の子 前編
状況が理解出来ない稜真は、流されるまま女の子を抱いて頭を撫でていた。
すっかりご機嫌になった女の子は「お父さん、お父さん」と、稜真の胸に頭をすり寄せている。肩に乗ったままのももが、戸惑ってぷにぷにと揺れているのを感じた。
懐いてくれる女の子は可愛いが、何故自分をお父さんだと思い込んだのだろうか。考え込む稜真の背後から人の気配に頭が痛くなる。
「……稜真?」
「…主?」
稜真が恐る恐る振り返ると、こちらをじっとりと睨む2人と目が合った。
「…その子…もしかして…稜真とシプレの子供…なの? いつの間に……」
「そんな訳あるか!!」と稜真は叫んだが、アリアと瑠璃はこちらを見ながら、ひそひそ、ひそひそと話をし出した。碌な内容ではなさそうだ。
そうこうしている内に、騒ぎに気付いたそらときさらが起きて来た。
状況が分からないからだろう。きょときょとと居間にいる人達を眺めて、首を傾げている。揃って頭を傾ける様子が愛らしいが、稜真はそれ所ではない。
稜真の否定の言葉を聞いた女の子のすり寄り方が、すりすりからごりごりへと変わっている。地味に痛いのだ。困惑顔で女の子に視線をやると、ぷっくぷくに頬をふくらませている。
「……人間さんがお父さん、でしょ?」
「違うよ。俺は君のお父さんじゃない」
女の子は「むぅ」と唇を尖らせると、ふよふよと宙に浮いてシプレの胸に移動した。
「ねぇ、お母さん。あの人間さん、お父さんなんでしょ? ね? そうだよね?」
「お父さん…とは、少し違うかしら」
問われたシプレは小首を傾げた。
「シプレ!? 少しじゃありませんよ! きっちりと否定して下さい!!」
「そう言われましても、リョウマさんの存在で精霊としての生を受けた事に変わりないのですから。あながち間違ってはいないのです」
「へ?」
稜真は思わず間抜けな顔で口を開けた。
「稜真ったら、いつの間にそんな事したのよ!?」
アリアが稜真に詰め寄った。
「そんな事ってなんだ!? 俺は記憶にないからな!!」
「大体稜真はシプレと抱き合ったり、キスしかけたり、私に対する態度と大違いなんだもん!」
「それはアリアがやらかしてばかりなせいだろう!? それに、俺がシプレと知り合ってから、そんなに月日がたってないだろうが! あの子は3歳くらいだし、あり得ないからな!!」
「主。精霊は生まれてからの月日と見かけは、比例しませんのよ?」
「瑠璃まで!? …くっ、ここに俺の味方はいないのか」
シプレはにこにこと微笑んでいるだけで、弁明してくれそうにない。稜真はがっくりとうなだれた。もっとも、瑠璃の表情は悪戯っぽいものだったので、本気ではないのだろう。
そんな稜真を見て、そらときさらが慌てて側に飛んで来た。稜真は癒しを求めてきさらを抱きしめ、柔らかな羽毛に顔を埋めた。
『あるじー! そらは、しんじてる。そらは、あるじのみかた!』
そらはきさらの背に乗り、稜真の顔をのぞき込むようにして、たどたどしく慰めてくれた。
『きさらも!』
ももも、と言わんばかりにぽにぽに、ぽにぽにと頬に触れてくれる。やはりこの子達は癒やしだと、心から思う稜真であった。
「シプレ~。稜真で遊ぶのはそのくらいにして、いい加減に説明してよね~」
少々気力が回復した稜真の耳に、聞き捨てならない言葉が聞こえた。
「…アリア? 俺で遊ぶって、どういう意味かな?」
稜真が顔を上げると、アリアは「てへっ」と笑ってそっぽを向いた。瑠璃も稜真から顔をそらして、目を合わせないようにしている。
「…つまり…アリアも俺で遊んでいたって訳?」
「と、途中からだよ?」
「………レース編みは例の執事で教えるからな」
「うげ!?」
「瑠璃も…当分玉子焼は作らないから」
湖の家に滞在する時は、瑠璃の好物である玉子焼を毎日のように作っていたのだ。
「ええ!? …そんな…主の玉子焼が食べられないなんて…」
がっくりと落ち込む2人をよそに、改めて稜真はシプレに向き直った。
くすくすと楽しげに笑う木の精霊は、胸に抱いた女の子の頭を優しく撫でている。女の子はきょとんとした顔で、シプレを見上げていた。
「リョウマさん。この子は、この家の精霊です」
「家の精霊ですか?」
「はい。この家を作る時に、少々力を籠めすぎたのですね。本来精霊化には長い時がかかるのですが。──女神様の加護を持つ方々が住まわれた事、高位の精霊が訪ねて来られた事も影響したかも知れません。家の存在が安定化したので姿を現したのでしょう」
色々な植物を組み合わせて作った家だが、それぞれの植物ではなく、集合体としての『家』が精霊化したのだとシプレは言う。
「もしかして、時々排水口から蔓が伸びて物を引きずり込んでいたのも、精霊化の影響でしたか?」
稜真は聞こう聞こうと思いながら、ずっと聞き忘れていたのだ。
「そんな事があったのですか。きっとその頃から、この家に意識が生まれていたのでしょう」
(やっと謎が解けたよ。それにしても力を籠めすぎたって…。さすがはうっかり女神さんが作った世界の精霊。同じ事をやっているね……)
稜真がそう考えた時、シプレの微笑みに怖いものが混じった。
「リョウマさん? 何か失礼な事を考えていませんか?」
稜真は視線をそらした。
「あー、シプレ。この子の名前は?」
「名前…そうですね…。私の子なので、チプレにしましょうか」
「お母さん、私のお名前チプレ?」
「そうよ。チプレ。これからもリョウマさん達の力になってあげてね」
「はーい!」
チプレは元気良く手を上げた。
「ん? 女神様の加護のお陰で精霊化したなら、私がお母さんでもいいんじゃない? 稜真がお父さんで、私がお母さん。うふ、うふふふ」
落ち込みから復活したアリアがほくそ笑む。
「人間さんはお母さんじゃないよ? チプのお母さんは──」
チプレはシプレの胸に触れ、頬をすり寄せる。
「チプのお母さんはふかふかなの!」
「ぐっ! お母さんじゃない理由がそこなの!?」
「あ、はは…」
とばっちりが来ませんように、そう願って稜真は視線をそらした。今日はこればっかりだと思いながら。
「いいじゃないのよぉ。私だって女神様の加護を持ってるんだし、チプレの精霊化に尽力したと思うのよ~」
チプレはふよふよとアリアの前に移動した。そして考え深げにアリアの全身を眺めているかと思ったら、おもむろにアリアの胸を両手でわしづかみにした。──むにゅっと。
「んにゃあ!?」
アリアは硬直し、チプレを目で追ってしまっていた稜真は、慌ててもう1度目をそらす。
しばらくもにもにと手を動かしていたチプレは、首を傾げるとアリアに抱きついて、胸にすりすりと頬をすり寄せた。
「んん~? 人間さんもお父さん?」
「どういう意味っ!? さすがに稜真よりはあるもん!!」
(俺と比べてどうするんだ……)
そう思ったものの、とばっちりが来てはたまらないので口には出さない。
「チプレ。お父さんとは男の方に言うのです。アリアさんは女の方ですよ。そうですね…、確かにアリアさんも、チプレの精霊化の力にはなっていますね。──お母さん以外の女性の呼び方。人間はなんと言っていたかしら。確か…」
シプレは軽く考え込む仕草をすると、にっこり笑った。
「そうそう。おばさんと言うのですよね?」
「分かった。この人間さんは、おばさんって呼ぶ」
チプレは真面目な顔で頷いた。
「おばさん!? シプレ! 分かってて言ってるよね!?」
アリアが悲鳴を上げてシプレに詰め寄った。13歳でおばさん扱いはあんまりだ。
「あら。私とリョウマさんはこれで夫婦になった訳ですし、関係性は正しくチプレに教えなくてはならないでしょう?」
シプレがふんわりと微笑んだ。
「はあっ!? ちょっとシプレ! 突然何を言い出すんですか!?」
稜真が叫んでシプレに詰め寄った。
「あらあら。リョウマさんとアリアさんの反応は同じですね。仲のよろしい事」
全力でからかって来るのは止めてくれないだろうか。稜真とアリアは、揃ってがっくりと膝を付いた。
──シプレには敵わない。そう思い知らされたのである。
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