第257話 くさり編みと迷子

 何度もマナーレッスンを抜け出していたアリアも、なんとか合格をもぎ取った。鬱憤の発散をする為に、真面目に頑張ったのである。

 伯爵の許可も出て、無事に冒険者活動に出発した。


 まずは湖の家に来たのだが、アリアは力なくテーブルに突っ伏している。


「アリア。どうした?」

「うううっ。宿題が出たの~」

「宿題?」

「何かレース編みで作品を作って来なさいって」

「へえ、もうレース編みを教わったんだ」

「教わってないよぉ。稜真に基礎を教わって作って来なさいね、だって~」

 出掛けに奥様から「よろしくね」と言われたのは、このせいか、と稜真の口からため息がもれた。


「ちなみに前世で編み物の経験は?」

「ないよ~」

「奥様にかぎ針の持ち方くらいは習って──」

「ない!」

「ははっ。そこからなのか…」


(これは俺の宿題みたいなものじゃないか)


 稜真がもう1度ため息をもらすと、すかさずもふもち達が癒しに来る。そらが頬にすり寄り、ももは膝の上。きさらは右手側に座り、おとなしくもふられるのを待っている。

 そして瑠璃はお茶を入れてくれた。


 グダグダしていたアリアも、美味しいお茶とお菓子で気分も向上した。


 アリアは将来的に、ハンカチの周囲に縫い付けるレース飾りを編まねばならないらしい。取りあえず今回は、簡単なモチーフでも1つ作ればいいだろう。


「とりあえずは、くさり編みからかな」

「もうやるの~? ちょっとはのんびりしたいよ~」

「今のんびりしたじゃないか。今日はもう出かけないし、基礎の基礎をやるのにちょうどいいよ」


 アリアは渋々、アイテムボックスからレース編みセットを取り出した。


「まずは基礎練習からだから、こっちを使って」

 自分の編み物セットを出した稜真は、青い毛糸とかぎ針をアリアに渡した。

「あ、大きい!」

 レース用のかぎ針に比べれば、3倍以上の太さがある。毛糸も極太の毛糸だ。ちまちました作業が苦手なアリアでも、これなら自分でも編めるかも知れないと思えた。どんなに気が重くともやらねばならないのだ。


「あれ? 稜真はどうして毛糸を持ってるの?」

 編みぐるみ用に刺繍糸や編み針を持っているのはアリアも知っていたが、稜真の編み物セットが入っている籠には、各種サイズのかぎ針と棒針、青い毛糸は2~3玉入っているのだ。

「前年の毛糸が安売りしていてね。暇な時にセーターでも編もうと思って、買い込んだんだよ」

 毛糸はまだアイテムボックスにたくさん入っていたりする。


 町で編みぐるみ用の手芸用品を買った時の事。

 店主と話し込んでいたら、安くしとくよ、と裏から出して来てくれたのだ。編み物を極めるつもりはなかったが、深みのある青い色の毛糸を見ていたら、セーターが編みたくなってしまった。

 ちまちました編みぐるみばかり作っていたせいかも知れない。進められるままに毛糸を買い、道具も一式購入してしまったのだ。


「セーター!? 稜真ったら、これ以上女子力を上げてどうするの!?」

 ピクリと頬が引きつった稜真は、にこやかに微笑んだ。

「お嬢様。編み物の指導は誰にされたいですか?」

 稜真のドスの効いた低音に、アリアの背筋に寒気が走る。

「え? だ、誰って…ドS様は編み物なんて出来ない…よね?」

「ふっ。彼らの力を俺が使えるように、俺が出来る事は彼らも出来る。なんの問題もないよ」

「うげ!? 真面目にやるから、稜真のままで教えて下さい! お願いします!!」

 土下座せんばかりのアリアであった。


「それは残念」と、稜真はくすっと笑った。




「──左手にこう毛糸をかけて、こうやって輪を作って、かぎ針でこう糸を引っ掛けて出す。これを繰り返すだけだよ」

 稜真はアリアの隣に座って見本を見せた。アリアは言われた通りに、ぎこちなく真似をする。

「だけって軽く言うけど…ゆ、指がつりそう…」

「力が入りすぎなんだよ」

「だって~」

 糸をかけた左手の指。そしてかぎ針を待つ右手は、ぷるぷると震えている。


「そのうち慣れるから、続けて。引っ掛けて毛糸を出す。引っ掛けて出すを繰り返して」

「引っ掛けて……出す…。引っ…掛けて、出す」

「うん、そんな感じでいいよ」

「……引っ掛けて……出す。…引っ掛けて……出す…。引っ掛…けて……出す…」


 アリアはブツブツ言いながら、手を動かしている。その鬼気迫る様子を、瑠璃と従魔達は不思議そうに眺めていた。


 くさり編みはどんどん長くなっていった。くさりの大きさはバラバラで、お世辞にも綺麗とは言えないが、針と糸の持ち方の練習だからと、稜真は何も言わずに見守っていた。ある程度の長さになった所でアリアを止める。

「それくらいでいいよ」

 毛糸を切り、その毛糸を最後の輪に通した。キュッと引いた毛糸の端と編み初めの糸端を縛って輪にする。

「はい、出来上がり」


「やったぁ! ──って、これ何?」

「あやとりの紐」

「あやとりかぁ。小学生の時友達とやったっけ。あの時使ったのは毛糸を結んだだけの紐だったけど、編めるんだね~。はっ!? これで作品が出来た!!」

「アリア…。これを作品と言うのは無理があるよ。そもそもレース糸で編んでないし」

「うう~」

 唸るアリアだが、くさり編みは後半に行くほど揃っている。この調子で上達すればモチーフも作れるだろう。


「主、これは何に使うものですか?」

 瑠璃がくさり編みの紐を持って、不思議そうにしている。

「ああ。あやとりといって、両手の指を使って形を作るんだよ。こんな感じに──」

 稜真はささっとはしごの形を作って見せた。

「面白いです! 他にもありますか?」

「俺はあんまり詳しくないんだよね」

「私出来るよ!」


 アリアは川やほうき等を作って見せた。流れで瑠璃に2人あやとりのやり方を教え、2人で遊び出す。


 その間に稜真は夕食の仕込みだ。

 家の中は涼しいが、夏はさっぱりした物が食べたい。今夜のメニューは夏野菜をたっぷり使った煮込み料理とじゃがいもの冷製スープに決めた。

 しばらくアリアと瑠璃の遊びを見ていた従魔達だが、すぐに飽きて稜真を手伝いたがった。


「そうだなぁ。それじゃ、きさらは挽き肉作りを頼む。在庫がなくなって来たからね。ももはいつものゴミ処理をお願い。そらはスープが出来たら、冷たく冷やす係りをお願いしようかな」

『は~い!』

『がんばる!』

 きさらとそらは元気よく返事をし、ももは早速稜真の隣でスタンバイだ。


 ──この夜。従魔達のお手伝いのお陰で美味しく出来た夕食を、皆で堪能したのだった。



 湖の家で泊まる時は、アリアと瑠璃が同じ部屋で眠り、稜真はそらとももと眠る。きさらは自分の部屋だ。


「今夜は主と一緒がいいです…」

 珍しく瑠璃が稜真にくっついて来る。

 うるうると見上げて来る瑠璃に負けそうになったものの、朝食の準備もあるし、今回の宿題も大量なので勉強時間が欲しい。それに加えて今回は、アリアの指導もあるのだ。


「アリアが寂しがるよ?」

「そうだよ。私が寂しがるよ~。1人にしないで~~」

「もう! アリアったら、お姉ちゃんらしくはどうなったのですか!」

「だって~」

「私だって主に甘えたいのです!」


 森ではきさらに掛かりっきりだったし、その内屋敷に連れて行こうと思ってはいたが、今回はマーシャのお墓参りがあったので連れて行けなかった。瑠璃も寂しいのだろう。


「そうだなぁ。俺の宿題は早めに終わらせるよ。アリアの宿題が終わったら、屋敷へ戻る前に一緒に寝ようか」

「本当ですか? アリア、早く宿題が出来る程に上達して下さい!!」

「え~っ!? そんなに早く上達出来る訳ないよ。それに私に利益がないじゃないの~。稜真が私にも添い寝してくれるなら頑張るけどさ」

「アリアと添い寝はなし!」

「ぶーっ!! それじゃ頑張れないっ!」

「お姉ちゃんは、私の為に頑張ってくれないのですか?」


 滅多に呼んでくれない瑠璃のお姉ちゃん呼びに、アリアの心が揺らぐ。

「瑠璃の為に頑張りたいとは思うけどさ。今ひとつ意欲がわかないのよぉ。だってレース編みだよ? あんな細い糸と針で編む自信ないのよぉ」

 アリアはテーブルに突っ伏して、うだうだし始めた。全くもって、困ったお嬢様である。


「アリアの作品が仕上がったら、ご褒美に良い物をあげるよ」

「……良い物?」

「そう。良い物」

「何くれるの?」

「内緒」

 稜真が指を立てて自らの唇に触れると、アリアの頬が染まる。


「うぐぅ! また色気攻撃を!!」

「また始まった。声はともかく、俺自体に色気はないよ」

「稜真は自分が分かってない! 時々色気がだだ漏れになってるんだからね!」

「…はぁ。冗談はさて置いて、頑張る気になった?」

「冗談じゃないんだけど…。うん! やる気出てきたよ~。あ、でも宿題の作品は簡単な物にしてね?」

「分かっているよ」


「アリア! 編み物の特訓ですわ!」

「ええっ!? 今日はもうのんびりしたいなぁ」

「駄目です! 体が覚えている内に反復練習です!」


 そんな訳で、夕食後もくさり編みの練習をさせられるアリアなのであった。


 ちなみに瑠璃に毛糸とかぎ針を渡した所、あっさりと習得してしまった。最初から最後まで綺麗に揃ったくさり編みを披露され、アリアの落ち込みが増したのだった。




「──あ~ん、あ~ん! うぅ…ひっく…」

 どこからか子供の泣き声が聞こえ、稜真は目を覚ました。


(子供の泣き声? どこから聞こえるんだろう。近い…な。まさか、この家の中なのか?)


 そらはまだ眠っている。ももだけをお供に稜真が部屋から出ると、居間で子供が泣いていた。

「ひっく…ひっく…。お、お母さん。お母さん、どこ? うえぇ~ん!」


 泣いているのは濃緑の髪をおかっぱにした、瑠璃よりも幼い女の子だ。一体どこからやって来たのだろうか? とにかく泣き止ませないと、そう思った稜真はゆっくりと女の子に近づいて行った。


「君はどこから来たのかな?」

 稜真が話しかけると、びくん!と女の子が固まった。大きな琥珀色の目を見開いて、稜真を見上げている。稜真は女の子の前で膝をついて視線を合わせ、優しく話しかけた。

「どうしてここにいるのかな。お母さんと一緒に来たの?」

「わ、分かんない。起きたらここにいたの。お母さん…いないの。私が、やっと目が覚めたのに、いなかったの。うう…」


 稜真は、再び泣きそうになった女の子を抱き上げた。

「君のお母さん、俺と一緒に探しに行こうか」

「いいの? 人間さん、一緒に探してくれるの?」

「……人間さん?」

 よくよく見ると、女の子の色合いが誰かに似ている。──その時、扉を叩く音がした。

 女の子を抱いたまま玄関を開けると、シプレが立っていた。シプレは、濃緑で艶のあるまっすぐな髪と、琥珀色の切れ長の瞳の持ち主だ。


「あ! お母さんだ!」

 女の子がシプレに向かって腕を伸ばした。シプレは稜真から女の子を受け取るが、その表情には戸惑いが感じられた。

「あらあら、子供の精霊の気配を感じたと思ったら。驚きましたね」

 シプレは困ったように首を傾けた。


「シプレの子供…なんですか?」

「私の力を受けて生まれて来たので、私の子供に間違いありません。ですが、私にもいつ精霊化したのか分かりませんでした」

 では、この子は木の精霊なのだろう。


 稜真は木の精霊の生まれ方を知らない。

 グリフォンの森で半精霊化した植物は、本体の植物があっての事だ。この女の子も本体があるのだろう。シプレならば、本体の植物がいつ精霊化するかは把握していそうなものだ。


「少々無責任ではありませんか?」

「無責任、ですか」

 シプレはじっと稜真を見て、ふんわりと笑った。


「リョウマさんがいたから、この子は生まれて来たのですが、一緒に責任をとって下さいますか?」

「はいいっ!?」

 何を言われたのか理解出来ない稜真は悲鳴をあげた。


「うわぁ! 人間さんがお父さんなんだ!」

「お父さん!?」


 女の子はシプレの腕から抜け出すと、ふわりと宙に浮き、稜真の胸に飛び込んだのである。



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