第229話 蜜蜂の女王
『おや? 蜂蜜は配り終えた筈じゃが、どうしたのじゃろうな?』
長老は、話し合いの為に閉めてあった窓を開いた。
窓から入って来たのは、槍を持った蜜蜂が10匹。その中央には、人の姿をした小さな女性がいた。頭に蜂の触覚が生え、蜂の羽で飛んでいる。裾を絞ったふんわりとしたズボンを履き、金色の髪が緩やかに腰に届いている。美しい大人の女性だ。
『これは女王陛下。こちらまで来られるとは珍しい』
『長老。こちらに神の加護を頂いた方がおられるでしょう? 尽力を頂いたお礼をせねばと、急ぎ飛んでまいりました』
羽の生えた女性は、リザードマンの言葉で答えた。どうやら彼女は、蜜蜂の女王らしい。
『神の加護…ですか?』
長老とバルの視線がアリアを向いた。ガルディだけは、ジッと稜真を見る。
稜真もアリアも加護については身に覚えがあるが、尽力した覚えはない。お互いに首を振り、違うと合図し合った。
『精霊を従えていらっしゃる、あなた様ですね?』
女王は稜真の前に飛んで来た。
「…どうしてバレた……?」
稜真の顔がピクリとひきつった。尽力に心当たりはないが、加護を貰っているのには違いない。出来れば言わずにすませたかった。
「あら、私の事もバレてしまいましたわ」
瑠璃はふわりと浮かぶと、女王の前で一礼した。
「瑠璃と申します」
『これはご丁寧に。蜜蜂の女王、メルティアと申します』
女王も優雅に宙で一礼した。
『何々!? その子、精霊だったの!? なんの精霊!? どうして人のふりしてたの!?』
『お前は黙っていろ』
騒ぐロビンをバルが羽交い絞めにして、口を塞いだ。
今更隠しても無駄だと稜真は覚悟を決めた。
『確かに加護は頂いています』
稜真は名乗り、アリアとそらを紹介した。
『長老。創世樹の木の実の事も含め、加護についても黙っていて貰えませんか?』
『分かっておりますよ。お前達も、他の者に話してはならんぞ』
バルとガルディは頷いた。
バルから逃れたロビンはそれに答えず、興味深そうに女王のスケッチを始めた。一同の視線がロビンに集まる。
『ん? 吹聴する気はないよ。こう見えて口は固いから、安心してよ』
『隠されていたのですか…。それは申し訳ない事を致しました』
『仕方ありません。ですが、俺は確かに加護を頂いていますけれど、何も尽力していませんよ?』
『集落の──いえもっと広範囲ですね。この辺りの振動がなくなったのです。土の精霊が言っておりました。神の加護を得ている方が集落にいて、その方の為に結界を張ったのだと』
「主」と、瑠璃が稜真の袖を引いた。
「先程主は、鉱山の振動が伝わらなければいいと、仰ったでしょう? それを聞いた土の精霊が、何やらやっていましたわ」
「それでか…」
「さっすが稜真~。精霊ホイホイだよね~」
「アリア…。それやめてくれる?」
瑠璃はくすくすっと笑った。
「主の周りには、いつも姿を隠した精霊がいるのです。特に土の精霊は、たくさんおりますわ」
「知らなかったよ…」
女王は、人には感じられない微細な振動も、蜜蜂には負担だったと話してくれた。
地面から、空中から振動を感じるのだ。四六時中ではない事から我慢していたが、いつ始まるか分からない振動は不安を誘い、徐々に営みにも支障が出始めていたと言う。
長年住み慣れたこの地から、離れようかと考え始めていたそうだ。
『本当にありがとうございます』と、女王は稜真に向かって、深々と一礼した。
自分がやった事でもないのに礼を言われ、稜真は困惑する。
精霊達は蜜蜂の巣の辺りに集まっていると、瑠璃は言う。話を聞きに行きたいと思った稜真だが、蜜蜂の巣の周辺の立ち入りは禁じられているそうだ。
だが女王は、神の加護を得ている方ならかまわないと言った。
『よし! 行こうリョウマ!!』
真っ先に向かおうとしたのはロビンだ。女王は眉をひそめた。
『私は加護を持っておられる方、そう言いました。あなたは駄目です』
『ええっ、なんで!?』
『以前許可なく近づき、巣の一部を破壊してくれましたね』
『そんな昔の事で!?』
『先月を昔とは、あなたの感覚はどうなっているのですか』
厳しい女王の声にも、ロビンは動じない。
『新しい調合を試す材料に、巣材が欲しかったんだよ』と、あっけらかんと言った。許可が貰えなかったので、こっそり取りに行ったらしい。
『……長老? 本当に人選に間違いないのですか?』
研究熱心にも程があるだろう。稜真は不安でならなかった。
『研究の為なら、手段を選ばぬ所があってのぅ。だが、あそこまで頭と口が回る奴は、他におらんのじゃ』
『確かに口達者ですが、性格に問題がありすぎでしょう。──ロビン。おとなしくしないと、他の方を捜しますよ?』
『すみませんでした!!』
『それと。早くしないと、木の実を調べる時間がなくなるのではありませんか?』
『ああ!? そうだったね! それじゃ明日!!』
ロビンは長老の家を飛び出して行った。
『ふむ。リョウマなら、あやつの手綱を取れそうじゃな』
『ですから俺は、この件にかかりきりになれませんって…』
結局残った全員で蜜蜂の巣へ行く事になった。加護がなくても、ロビン以外なら構わないと女王は笑った。
巣は集落の西端にあった。遠目でも分かる巨木。その
『女王様のような姿をしている蜂は、他にいるのですか?』
『メルティアと呼び捨てでお願いします。女王になる者は、この姿で産まれます。後は、夫になる者だけですね』
女王の言葉を長老が補足してくれた。
通常の蜜蜂と違い、ここの蜜蜂は妖精種にあたる。どうやら普通の蜜蜂はあちらと同じサイズで、女王蜂も人の姿ではないらしい。
妖精種の蜂蜜は微量の魔力を含み、食べて美味しく、薬の材料にもなり、高値で取引されるそうだ。集落をここに移転した際、先住していた女王に蜜になる薬草の提供を持ち掛け、それ以来共存しているのだ。
興味津々で稜真が巣に近づくと、ちまちました土の精霊に囲まれた。
「リョウマだ!」
「リョウマ、リョウマ!」
稜真は膝をついて土の精霊に話しかけた。
「君達が振動を止めてくれたのかい?」
「そう!」
「リョウマが言ってた!」
「止まればいいって、言ってた!」
稜真が可愛らしい土の精霊を見て思わず和んでいると、「ねぇ、私も手伝ったの!」と、髪を引っ張る者がいた。
宙を飛んで稜真の髪を引っ張ったのは、小人である土の精霊と同じ大きさの、蝶の羽が生えた女の子だった。稜真の肩にいたそらが「クゥ?」と首を傾げ、髪を掴んだ手をつついた。
その子は、「きゃっ!」と悲鳴を上げて離れた。他にも何人か、蜜蜂に混じって飛んでいる姿が見える。風の精霊だと、瑠璃が教えてくれた。よく見ると背に生えている羽は様々だ。蝶の羽をもつ者もいれば、トンボの羽をもつ者、鳥の翼を持つ者もいた。
稜真は精霊達に向かって言った。
「皆、俺が呟いた事を、かなえてくれなくてもいいんだよ」
「…そうなの…?」
「…迷惑だったの?」
精霊達がうるうると半泣きになった。稜真は順に頭を優しく撫でる。
「迷惑じゃない。今回は助かったよ。ありがとう」
お陰で集落と町の問題が、1つ減ったのだから。稜真に礼を言われ、精霊達の表情が輝いた。
「リョウマ! 歌!」
「歌って!」
「歌!」
進んで稜真の言葉をかなえたのは、お礼目当てだったようだ。マーシャの村で手を貸してくれた精霊が混じっていたようだ。その子達の話を聞き、他の精霊達も歌目当てに頑張ってくれたらしい。
「…歌、ね」
稜真は背後から熱い視線を感じていた。言わずと知れた、アリアと瑠璃である。他にも興味津々な視線を感じる。
「来月、主さんの…レッドドラゴンの山で歌うから、その時においで」
アリア達にも聞こえるように言った。どうせ来月は歌わねばならないのだ。稜真としては、極力回数を減らしたかった。
「行く!」
「楽しみ!」
精霊たちはくるくると踊り出した。アリアと瑠璃も残念そうだが、納得したようだ。
「今回のお礼は、これでいいかな?」
稜真はクッキーを取り出した。屋敷で焼いておいた物だ。クッキーをしっかりと抱え持ち、土の精霊達は嬉しそうだ。
「それと、君達にお願いがあるんだ」
「リョウマのお願い?」
「何?」
「何、何?」
「俺達が女神さんの加護持ちだって事は、内緒にしてくれないかな?」
「内緒?」
「内緒、内緒!」
「分かった!!」
内緒、内緒と口々に歌いながら、精霊達は消えて行った。
「稜真。言わない方が良かった気がしない?」
「そんな気がして来たよ…」
「主。ソル様にお願いしておきますわ」
大地の精霊の言う事なら、聞いてくれるだろう。
「…頼んだよ、瑠璃」
「はい、お任せ下さい」
まだ少し残っているクッキーは、クッキーから目を離さない蜜蜂の女王に提供した。
「主。土の精霊達は、集落を囲うように結界を作ったようですわ。半永久的に持つでしょう。魔物も入って来ません」
それを聞いて喜んだのは長老だ。
『ありがたい話じゃが、リョウマには借りばかり増えるのう』
『今回の事は不可抗力ですから。気にしないで下さい』
『そうは言ってもの』
『長老。俺はアリアに借りを返したい。アリアの家で働こうと思う』
リザードマン語で言ったバルは、同じ事をアリアにも言った。
「へ? バル、うちに来るの?」
「元々、集落が落ち着いたら行く予定だった。下働きでも護衛でも、なんでもやる」
「お父様に聞いてみる。人手が足りないから助かるけど、私はいつも家にいないよ?」
「そんな事は昔から知っている」
バルはアリアと一緒にいた頃、捕獲される姿を何度も見ていた。
「でしたね~」
アリアは、てへっと笑った。
『バルよ。お前には、人族の言葉の教師になって貰いたかったのじゃがな』
長老はため息をついた。
『俺は教師にも向かん。教えるのは、長老のような人物が向いている』
『ロビンも教師には向かんな。どうすればいいのか…』
逡巡した稜真だが、毒を食らわば皿までであろう。そっと、長老に創世樹の木の実を渡した。
『まだ持っておったのか』
『これっきりですよ』
自分はこれに頼る必要はなく、惜しいとは思わない。
ここまでのやり取りを、考え深げに聞いていた女王が微笑んだ。
『私からの礼を思いつきました。私の娘を、バルが行く家にやりましょう。人の町に暮らす者がいても面白そうです』
『娘さん?』
つまり、屋敷に蜜蜂の群れをよこすと言っているのだ。バルは下働きと蜂の巣の世話をすればいいと、女王は言う。
「アリア…。どうしようか」
稜真は女王の言葉を伝えた。
「ふぇぇ!? お父様に確認しないと~」
「リザードマンと町の交渉に加えて、バルと妖精種の蜜蜂の件…か」
「稜真に報告書任せるね!」
任せると言われても、なんと報告するべきか…。ありのまま報告するしかないが、事案がありすぎだ。呆れ顔の伯爵とオズワルドが目に浮かぶ。
屋敷を出た時、先が思いやられる出発だとは思ったが、まさかここまでとは…。まだ何かが起こりそうで、頭が痛い稜真だった。
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