第228話 蜜蜂と交渉の人材

(……うっ…頭が痛い…)


 朝、目が覚めた稜真は額を押さえた。完全に二日酔いである。

 昨夜の宴で、ガルディが飲めないならお前が飲めと、次々に酒を注がれたのだ。自分のペースで飲めば酒量も分かるが、今回は配分を間違えた。


 もう1つ飲みすぎた理由は、手合わせをしよう、手合わせをしようと絡まれたからである。門番の男ネルが酒の肴にと、門で稜真に槍を止められた話をしたのだ。それを聞いた男達が、是非手合わせしたいと言い出したのである。

 なんとか断ったが、合間合間に酒を注がれて飲みすぎてしまった。


 部屋にガルディの姿はない。

 従魔達はムーとミーと眠ったので別の部屋だ。ムーがももを、ミーがそらを抱えて離さなかった。おまけにきさらまで連れて行った。ルーテシア夫婦も同じ部屋で狭いからと稜真は止めたが、2人共言う事を聞かなかったのだ。

 ルーテシアは、夫は広場で夜明かしするに決まっているから、構わないと笑っていた。




『おはようございます』

『おはようリョウマ。昨夜は飲み過ぎたようだね』


 ルーテシアは小鍋で煎じていた液体を器に注ぎ、稜真にくれた。

『二日酔いの薬さ』

『ありがとうございます』

 ふぅふぅと息を吹きかけながら、ゆっくりと飲む。とろりとした液体は、苦みのある緑茶のような味だ。飲み干す頃には頭痛は消えていた。

『よく効く薬ですね』

『あたしゃこれでも、腕のいい薬師だからね!』


 リザードマンの作る薬は効能が高いと、人族の間でも評判なのだとルーテシアが言う。

 それならば、リザードマン製の増血剤と栄養剤をガルディに飲ませたい。在庫があるか聞こうとした所で、ぶんぶん、と羽音がしたかと思うと、開いた窓から蜂が入って来た。

 モルモット大の蜂に思わず身構えた稜真だが、ルーテシアは落ち着いている。蜂はルーテシアの前で8の字を描いて飛ぶと、外へ出て行った。


『蜂蜜を持って来たって、知らせだよ』

『──と言う事は、あれは蜜蜂ですか?』

『ああそうさ』

『あの大きさで蜜を?』

『魔力を使って蜜を集め、花を受粉させるんだ。蜂蜜は料理にも使うし、薬の調合にも使う。なくてはならない存在だね』


 蜜蜂の巣は集落のすぐ側にある。

 集落では花の咲く薬草を育て、その蜜を集める蜜蜂を守り、蜂蜜を分けて貰う。採取するのではなく、文字通り分けて貰うのだから驚きだ。


 ルーテシアが蜂蜜を入れる壺を持って外へ出ると、蜜蜂が集まって来た。その手には小さな壷を抱えている。

 何匹もの蜜蜂が交代に、ルーテシアが持つ壺へ蜂蜜を注ぐ。見れば集落の家の前には、同じように蜜を受け取っているリザードマンの姿が見えた。


 蜜蜂は丸っこいフォルムで、体全体に短い金色の毛が生えていて、首の回りにはもふっとした長めの毛が生えていた。目は複眼なのだろうか? パッと見には真ん丸の黒目にしか見えない。

 虫というよりも小動物っぽい感じだ。もふっとした可愛らしい蜜蜂が懸命に働く姿に和まされる。


 ぶんぶん、と稜真の周囲を何匹かの蜜蜂が飛び交う。


『あるじー。いれもの、だしてって、いってる』

 そらが教えてくれた。稜真は保存用の瓶を取り出して、蓋を開けた。すると、たちまち蜜蜂が集まり、瓶を蜂蜜でいっぱいにしてくれた。

「ありがとう」

 稜真は瓶の縁に付いた蜂蜜をなめた。薬草の蜜だからだろうか。どこか爽やかさを感じる甘味だった。



「おはよう~」

「おはようございます」

 起きて来たアリアと瑠璃が、目を丸くして蜜蜂を見た。

「おはよう」


 アリアは稜真が持っている瓶に気づき、垂れている蜜を指ですくって舐めた。

「甘~い!」

「お行儀が悪いですよ。お嬢様」

「稜真だってやってたじゃない」

 見られていたか、と稜真は肩をすくめた。もの言いたげに見上げて来る瑠璃に、指ですくった蜜を舐めさせてやる。瑠璃は稜真の指をくわえ、目を輝かせた。


「稜真! 私にも!」

 アリアがぱかっと口を開く。稜真はアリアに瓶を渡した。

「ご自分でどうぞ」

「瑠璃だけずるい~!」


 ──と、蜜蜂の動きがおかしくなった。不安げに辺りを飛び、巣に戻って行く。


「どうしたのかな?」

 人族の言葉で呟いた稜真だが、何を言ったのか見当がついたのだろう。ルーテシアが答えてくれた。

『このところ多いんだよ。あたしらには分からないが、鉱山で地中を掘る振動が原因じゃないかって、長老は言っている。蜜も減っているんだ。これも人族を警戒していた原因だね』

『そうなんですか…』


 稜真は鉱山の掘削に、爆発物を使う事もあると聞いている。

『蜜蜂が振動に慣れてくれればねぇ』

 余りに環境が変われば巣を替える事もあるそうだ。爆発物はいつも使われる訳ではないだろう。開かれて間もない鉱山だから、回数が多いのかも知れない。


「鉱山の振動が、ここまで伝わって来なければいいのにね」

「この蜂蜜、美味しいもんね~。町との取引にも使えそう」とアリアが言う。

 蜜蜂達は集落の周りだけで蜜を集める訳ではないが、巣にさえ振動が来なければ落ち着くだろうに。


 しばらくすると、ガルディが疲れた顔で家に戻って来た。稜真と手合わせさせろと詰め掛けた男共を、追い返してくれていたのだ。

『悪いな』

『……いや』

 何か言いたげなガルディだが、瑠璃と目が合って言葉を飲み込んだ。


 朝食は蜂蜜を食べたがった従魔達の為に、稜真がホットケーキを焼いた。バターと蜂蜜がかかったホットケーキは、家主一家にも大好評だ。

 一家の主は先程戻り、二日酔いの薬を飲んでから寝室へ行った。この分だと、二日酔いの者が続出していそうだ。



 朝食後、稜真達はガルディの案内で長老の家へ向かった。従魔達はムーとミーに捕まったままだが、そらだけは稜真について来た。達観した表情のガルディの肩には、瑠璃が乗っている。

 長老の家ではバルが待っていた。


 昨夜の宴で、長老は集落の意見をまとめたらしい。

 『アリア様』と稜真の影響、そしてガルディが冒険者に助けられた事から、あっさりと人族に対する忌避感はなくなっていた。長老は町との共存の為、代表者と話し合いたいと言う。

 今現在、代表者と言えばギルバートだろう。


『話し合いの席を設ける事は出来ますよ』

『リョウマが話してくれる訳にはいかんかのう?』

『俺はあの町に住んでいませんし、集落についても知りません。やはり集落の人を代表にしませんと──』


「バルがいるなら、町と話し合いも出来たでしょ? どうして行かなかったの?」

 アリアが首を傾げた。

「オークキングだ。それと、山におかしな空気を感じていたからな」

「そっかぁ」

 今は落ち着いているが、まだ安心は出来ないと、バルは集落から離れないようにしていたのだ。


 あの時。オークキングが現れたのを、集落では早くから察知していた。もし人族の町が襲われそうになれば知らせに行くつもりだったが、その前に殲滅されたのだ。


「白いグリフォンを連れた冒険者達が倒してくれたと聞いた。リョウマか?」

「うん! 私は町でサイクロプス倒してたもん」

「…相変わらずだな」


 話の間、ガルディはアリアとバルの話を聞いていた。少しでも人族の言葉を覚えようとしているのだ。




 薬草地の事、蜜蜂の問題等、話し合わねばならない事は山のようにある。その上、町で働いてみたいと言う者まで現れた。

『冒険者になりたいと言い出した者も増えてのぅ』と長老が言う。

 これまで奇異の目で見られていたガルディは、複雑な表情だ。


 アリアと長老の言葉は、稜真がその都度通訳している。

 宴の間も稜真はスキルの練習をしていた。深く意識を切り替えず、浅く、言葉だけを。そう意識する事で、アリアとガルディが同時に話しても理解出来るようになっていた。


『あるじー。グスターさまが、こうぼうに、ひとでがほしい、って。かんげいする、って』

 そらが稜真に伝えてくれた。

「あー、こちらの状況が分かっておられるのね」

 ありがたくも申し訳ない気持ちになる。


『長老。知り合いの方が、鍛冶の工房に人手が欲しいと言っていました。新しい町は、何かと人手がいります。この距離なら通えない事もないでしょう』

『そうか…。どちらにせよ、町と交渉せねばならんな。人族の言葉が堪能なのは、バルだけじゃ。バルよ』

『無理だ。俺は口が上手くないから、交渉に向かん』

『他に人族の言葉を話せる者がおらんのじゃ』

 ガルディのように、進んで勉強していた者が珍しいのだ。


『勉強しようとする者が増えたが、交渉が出来るほど上達するのはいつになるか…。教えられるのもバルだけではのぅ』

 長老の目が稜真に向いた。言葉が話せるのは隠したいが、協力はするべきだろう。

『通訳は出来ますが、交渉には時間がかかるでしょう。申し訳ありませんが、かかりっきりにはなれません。やはり誰か交渉できる人材が欲しいですね』


 長老は嘆息した。

『どうしたものか…』

 せっかく交渉しようと言うムードになったのだ。この流れをつぶしたくない。一同は頭を悩ませる。


『あるじー。きのみを、つかえばいい、って』

 再びグスターが助言をくれたようだ。

「木の実って、あれか」

 そらが稜真とアリアと話したいと願った、ルクレーシアからの突っ込みの木の実。シプレは新たな可能性を目覚めさせる、創世樹の実だと言っていた。


『長老。交渉できる人材を1人選んで頂けますか? 言葉はなんとか出来ると思います』

 稜真は創世樹の木の実を持っている事を話した。

『そんな物を──。そうですな。1人心当たりがあります』


 その人は、とかく研究や調合に時間を割く変わり者だそうだ。頭は切れるので、交渉に意識を向ける事さえ出来れば、最適な人物だと長老は言った。


『あいつか…』

 バルの口調に、稜真に不安がよぎる。

『引きずり出して連れて来る』

 そう言いおいて、バルは出て行った。




『ガルディ! 傷を負ったって聞いたけど、どんな傷だった? 位置は? 出血の量は? 見た所、元気そうだよね? 薬で癒やしたって、本当なの!?』

 バルが連れて来た男は、いきなりガルディに詰め寄った

 細身のリザードマンだ。ベストを着て、腰にはウエストポーチを付けている。眼鏡のリザードマンを見たのは、集落に来て初めてである。


 詰め寄られたガルディは、たじたじだ。ガルディが言っていた薬馬鹿とは、この人の事かと稜真は得心がいった。


『──傷はこの辺りだった。リョウマが薬を使って癒してくれた』

『リョウマって誰だい?』

 ガルディは稜真に視線を送った。そこで初めて、人族がいるのに気づいたようだ。

『へぇ。この集落に人族って、珍しい』


 どうやらこの男は、昨日の騒動も何も知らないらしい。バルはガルディを癒やした薬の話で、この男を釣って来たのだ。


『──それで、ガルディ!! どんな薬だった!? 色は!? 匂いはあった? 使った時に痛みはあった? 塗ったの? それとも飲んだのかい!?』

『詳しくはリョウマに聞いてくれ』

『だって人族だろう? 言葉が──』

『言葉は分かります。薬はこれくらいのガラスの小瓶に入った液状の薬で、塗って使います。色は透明でした。痛みは…どうでしょうね。使った時は意識がなかったので』

 稜真が使われた本人だが、全く記憶がないのだ。


『言葉が分かるなんて珍しいね! その薬、持ってない?』

『1本しか持っていませんでした』

『手に入らないかな?』

『売ってくれた商人に聞かないと分かりません。今は王都にいるので、すぐに連絡がつきません』

『あー、残念だなぁ』

 男はウエストポーチから紙とペンを取り出すと、メモを取り始めた。


『ねえねえ! さらっとしてるの? とろみはあった? じわじわと治るのかい? それとも一瞬で? あー、聞きたいことがありすぎだよ! 長老!? どうしてもっと早く、僕を呼んでくれなかったのさ!!』

『……宴に来いと声をかけたのに、来なかったのはお前じゃ』

『そりゃそうだけどさぁ…』

 長老に文句を言った男は、稜真に向き直った。


『それでリョウマ! 薬を手に入れた経緯は?』

『お前は少し黙っておれ。アリア様、リョウマ、失礼したのぅ。これはロビンと言う。こんなじゃが頭は良いのじゃ』

『アリア様ってあの!? あなたの話も聞きたい!』

『落ち着け』

 バルがロビンの頭に拳骨を入れた。


『痛い…。うう…。それで長老、僕を呼んだ理由は? 研究ネタの提供って訳じゃないみたいだね』

 痛みで少し落ち着いたようだ。ロビンは座ってお茶を飲んだ。


『お前には人族の町へ交渉に行って貰いたいのじゃ』

『僕が? 人族の言葉が話せるバルが行くべきじゃないの?』

『バルにも行かせるが、交渉は出来んからの』

『僕は人族の言葉が分からないよ?』

『リョウマに手立てがある』


『これを』

 稜真はロビンに創世樹の実を見せた。

『人族の言葉が分かるように、と念じて食べて下さい』

『ええっ!? 念じて食べてって事は、これってもしや伝説の!?』

『創世樹の実です』

『食べるなんてもったいない事出来ないよ! 資料にして保存しなきゃ!!』


『……長老?』

『リョウマの言いたい事は分かるが、これでも口は堅く頭が回る。興味を引いたモノに熱が入りすぎるだけなのじゃ』


 稜真は疲れた声で、ここまでをアリアに通訳した。

「稜真って、この手の人に縁があるよね~。どこぞの鍛冶師といい、ミーリャさんといい」

「筆頭はアリアだろうに…」

「てへへ」


 稜真は深々と息を吐くと、ロビンに言った。

『ロビン、食べないなら他の方を探します』

『ああっ!? それは止めて!! せめて、せめてひと晩だけでも飾らせてよ!! 詳細な資料も作りたいし!! 頼むよ! 君の事はバラさないし、交渉もちゃんとやるから!!』

『約束ですよ?』


『もちろんだよ! それで!? 入手場所は!? 創世樹を見たの!? 木の形状は!? 葉の色は!? 形は!?』

 マシンガンのように言葉が続く。比較的細身な男だが、大きなリザードマンに覆いかぶさるように詰め寄られ、稜真はたじたじである。

『頂き物ですから。それ以上詮索するなら、他の方に──』

『あああああっ!? すみません、すみません!!』


 ロビンは創世樹の実を受け取ると、布で厳重に包み、腰につけたポーチにしまった。




 ──そこへ、蜂の羽音が聞こえて来た。


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