第207話 帰路 後編
「夕食の準備はありがたいけど、どうして皆でいなくなるんだろう?」
「……お説教の気配を感じたんだと思う…」
「お説教? するつもりないけど?」
「本当!?」
アリアが力一杯投げたらどうなるかとか、もう少し考えさせたかったのは事実だ。
稜真は水切りを始める前に、周辺に人の気配がないか、そらに探らせていた。空間を繋ぐ際に見られてはならないからだ。
その事をアリアには伝えていない。つまりは何の確認もせず、力一杯石を投げたのである。余りにも危険すぎるから、注意をしようと考えていた。
──きさらを屋敷に送る前までは。
「お説教は旦那様がして下さるだろうからね」
「どうしてお父様が?」
「あの熊。まず間違いなく、アリアが倒したと思われるだろう?」
「……あ」
「帰ったら倒し方を聞かれて、結果、お説教になるのが目に見えているよ。それがなければ、俺が注意するだけですませたのにね」
ふふっ、と稜真は笑った。
「しまった~!!」
解体して、肉だけお土産にすれば良かったとアリアは気付いた。
「と言う訳だから、旦那様からのお説教を覚悟しておこうね」
「ええ~っ! 稜真にお説教されました、ですませよう!」
「俺がお説教するよりも、旦那様にして貰った方が効果あるから」
「稜真のお説教も効果あるよぉ…」
「BL関係は、何度やっても全く効果ないよね?」
「そ、それは、その……」
そそくさと目をそらすアリアの様子からして、きっとまたやらかすだろう。
「…はぁ。それにしても、帰るって時にやらかすとは思わなかったよ。もっとも、村では何度も暴走していたけどさ」
「てへへ。なんの事かな~?」
「俺に薬塗ろうとして流血したり、大人向けの台本を作ったり、ドラゴンにケンカをふっかけたり」
「く、薬っ!?」
ボンッ、と音がしそうな程、アリアは一気に赤くなった。
「……タオルいる?」
「だ、大丈夫…。耐えられそう…」
「ま、そう言う訳だから、お説教はしないよ。ほら。皆と合流しようか」
「…は~い」
夕食の前にきさらから念話が届き、再び石笛で空間を繋いだ。
稜真はきさら用にウサギの丸焼きを作っており、ちょうど焼きあがった所だ。全員そろって夕食を食べてから、きさらが持ち帰った手紙を開いた。
伯爵からの手紙には、稜真に対する労いの言葉と、マーシャとイネスを連れて帰るのを、屋敷の者全員で心待ちにしていると書かれていた。
アリアは、自分宛ての手紙を読んで頭を抱えている。
「あぅ~。お説教確定~~」
翌朝。朝食の時に稜真がきさらのアクロバティック飛行の話をしたら、アリアがやってみたいと言い出した。
アリアなら大丈夫だろうが、他の面子は無理だ。2人乗りでは、さすがのきさらもアクロバティック飛行は出来ないだろうから、アリアときさらだけが行く事になった。
「川向こうと下流の調査を済ませてから、人気のない場所で始めるようにね。」
アリアはきさらの言葉は分からないが、なんとなく意志の疎通は出来ているし、心配いらないだろう。
「は~い! 行って来ます!」
『行って来ます!』
1人と1頭を見送り、残った者は周辺の調査と採取だ。
アリアが戻ればギルドがある村に向かうのだ。野営地を綺麗に片付け、馬車もアイテムボックスにしまっておいた。
稜真はシプレの祝福のお陰で採取場所が分かるが、次に活躍したのはメリッサだった。
メリッサが見つけてくれるのは、馬が好み、人も食べられる植物だ。メリッサが場所を教えて、イネスが採取した。どの部分を採ればいいのか分からない時は、稜真が呼ばれる。稜真が知らない植物の時は、図鑑を取り出して確認した。
マーシャも、村で採取していた植物を見つけては、瑠璃と一緒に採取した。
そらは索敵をしている。ももはと言うと、高い所に生えている木の芽を自分の体に取り込んで、稜真に渡してくれた。
この日採取した植物は、薬草類と食べられる植物、そして染物に使える植物だった。
採取が終わり野営地に戻って来た一行だが、アリアが戻るまで、まだ時間がかかるだろう。
「おやつにしようか」
稜真は敷物を敷いて、おやつを取り出した。メリッサにはニンジンだ。
「リョウマさん。俺、メリッサと乗馬の練習したいです」
おやつを食べ終えたイネスが言った。
イネスは馬車の扱いは上手いが、乗馬は余り得意ではない。メリッサも運動したそうなので、稜真は乗馬用の馬具を取り出してイネスに渡した。野営地はそれなりの広さがあるから、練習にはちょうどいいだろう。
「行っておいで」
「はい!」
『あるじー、おさんぽしてくる。さくてきもする』
「ああ。気をつけて」
瑠璃とマーシャは、おやつをつまみながら楽し気に話をしている。
温かい日差し。川面から流れて来る心地よい風に、稜真は眠気を誘われた。
ももは空気を吸って体をふくらませると、稜真の膝に飛び乗った。どうやら枕にして欲しいらしい。稜真が横になって頭を乗せると、ぷるぷると嬉しそうな感情が伝わってきた。
ぽにぽにしたももを枕にして、いつしか稜真は眠ってしまった。
気持ちよさそうに眠る稜真に気付いたマーシャは、そうっと懐に潜り込んだ。そして稜真の腕を枕にする。
「…マーシャったら…」
マーシャは不満げな瑠璃を手招きして、稜真と自分の間に引っ張り込んだ。稜真は全く起きる気配がない。
「マーシャ!?」
先ほどの稜真を真似て、マーシャは「しぃっ」と指をたてた。
「リョウマおにいちゃんとねると、あったかくて、きもちいい。おやすみ」
「あ、あったかいですけど! 気持ちいいですけど!」
反論しようとした瑠璃だったが、稜真とマーシャに挟まれ、その温もりに包まれていると、じんわりと眠気に襲われた。
「りょおぉ~まぁ~?」
不機嫌なアリアの声で稜真は意識が浮上し、腕に重みを感じた。
「ん?」
既視感に目を開けると、白と青の髪が見えた。胸元に瑠璃がいて、マーシャは稜真の腕を枕に眠っているのだ。
「いつの間に…」
稜真は、そらが索敵しているとはいえ、気を抜きすぎだと反省した。さて、ぷっくぷくにふくれているアリアの機嫌は、どうやって回復させればいいのだろうか。
稜真とアリアの会話で、瑠璃とマーシャも目を覚ました。
「お姉ちゃん、ごめんなさい」
アリアの目の前で抜け駆けしてしまった申し訳なさに、瑠璃は謝った。
「ごめんなさい、アリアさま」
マーシャはよく分かっていないが、アリアが悲しそうに見えたので謝った。
そんな2人にアリアは笑って見せた。
「謝らなくてもいいよ、気にしてないから。──あ、私、ちょっと川を見て来るね!」
そう言って、その場から離れて行った。
「──しまったな」
稜真は頭をかいた。いつもならば、怒ったアリアは手合わせしようと言い出す筈なのに、それすら言わないとは。
「リョウマおにいちゃん。つぎは、アリアさまといっしょに、ねればいい」
「マーシャ。そういう訳には行かないんだよ」
「どうして? アリアさま、リョウマおにいちゃんと、ねたがってる」
事あるごとに、同じ部屋で寝たがるのは事実だ。そろそろ諦めて欲しいものである。
「アリア位の年齢になったら、男と添い寝しちゃ駄目なんだよ。特にアリアは伯爵令嬢だろう? 本来なら、もっと慎みを持った行動を心掛けないといけないんだ」
「慎み…?」
瑠璃が首を傾げた。
「せめて王都へ行くまでには、もう少しおしとやかになって貰わないと」
「……おしとやか…?」
川での惨状を思い起こしているのだろう。瑠璃の首が更に傾いた。
「…瑠璃。俺も不安なんだから、突っ込まないでくれる? あれでもましになったんだよ…」
「確かに。私が初めて出会った時よりは…まし、でしょうか…」
「だからね、マーシャ。今後はアリアがうらやましがるから、俺との添い寝は禁止だよ」
「…はい…」
残念そうなマーシャに、「抱っこはいいからね」と言うと、こくこくと頷いた。
アリアをなだめるのに時間がかかるかも知れない。昼食の時間を過ぎる可能性もあるので、稜真は軽食を取り出しておく事にした。定番のサンドイッチとスープである。
従魔達とメリッサの食事も用意し、稜真は川へ向かった。
アリアとたっぷり運動して来たきさらは、早速おやつを食べ始めた。
アリアは上が平らになった大きな岩の上に立ち、ほけっと川面を眺めていた。
「マーシャに謝らせるなんて、私何してるんだろう。でも…いいなぁ…」
気にしてないなんて嘘だ。瑠璃とマーシャがうらやましくて仕方なかった。
シュリの山で同じベッドで寝るのを皆で押し切って以来、稜真は同じ部屋で寝るのを避けている。これが女性だと意識されているなら嬉しいが、伯爵への義理立てに他ならないだろう。自分は妹程度にしか思われていないと知っている。
(贅沢だよね…。稜真様に、生で読み聞かせして貰ってるんだもん。お手入れも…、半分お仕置き扱いだけど、耳が幸せだもんね…。あのお手入れをされるのは、私だけだもんね…。それなのに、どうしてだろう……)
アリアは岩の上で、ゴロンと大の字になった。陽に温められた岩は、硬いがじんわりと熱が伝わって来て気持ちいい。
見上げる青空がにじみかけて、アリアは目を閉じた。
じゃりっ、と河原の小石を踏む音がした。
「アリア」
稜真の困ったような声。今、目を開くと涙があふれそうだ。
「あ、あのね! 私気にしてないよ! 本当なんだよ!!」
目を閉じたままアリアは言い、こぼれかけた涙を両腕を目の前で組んで隠した。
「そう?」
「気にしてないけど……。でも、なんだか少しだけ…、稜真が取られた気がして、寂しいな…なんて、思っちゃったの…。腕枕…うらやましかったし……。私とは何度言っても、添い寝してくれないし…」
「恥じらいのなさを、自覚したんじゃなかったっけ?」
「それとこれとは別だもん! だから──」
「駄目だよ」
稜真はなだめるように言った。その口調に、子供扱いされていると感じたアリアは唇をかんだ。
「アリアに添い寝は無理。でもね」
「え? うわ…って、ええっ!?」
アリアが驚いて目を開けると、稜真が優しく見降ろしていた。稜真はアリアの頭を持ち上げて、自らの太ももに乗せたのだ。
「膝枕したのはアリアだけだよ」と、柔らかく微笑んだ。
「え…いつ……って、あ!?」
「ああ、正確には膝枕じゃなくて、足を抱き枕にされたんだったね。あの時は面白かったな」
稜真はくすっと笑った。
「面白っ!? ひどい~」
「だってな。寝ぼけながら移動して、人の足を抱え込むんだぞ?」
くすくすと笑う稜真の振動がアリアに伝わる。見降ろされているのが恥ずかしくて、頭を横に向けて川を見た。
「……私だけ?」
「そう、アリアだけだよ」
「……これからも?」
わがままかも知れないと思いながらも、言ってみた。
「これからもアリアだけ。約束するよ」
アリアは、横を向いた頬に稜真の体温を感じた。川面を渡って来る風が心地良い。
きさらとアクロバティック飛行を楽しんだであろうアリアの髪は、乱れて少しもつれていた。稜真は結んであった髪をほどくと、もつれを直すように手櫛で優しく髪を梳く。もつれが取れると、柔らかい髪はさらさらと指から零れ落ちる。
「ふっ。手合わせの覚悟をしたんだけどな」
「ん~? したかった?」
「鍛錬
「鍛錬
話している間も、稜真は優しくアリアの髪を梳いていた。次第に、アリアの目がとろんとして来た。
「……稜真、ごめんね」
「何が?」
「手合わせの事。…私、思いっきりやっちゃってたでしょ? 稜真と…お兄様くらい…なの…。私と打ち合い…続けてくれるの…。だから……、楽しくて…つい…やりすぎちゃう…」
「師匠は?」
「スタンリー…? 自分が教える事は…もうありませんからって、…相手して…くれないもん」
(手合わせの時、生き生きして打ち込んで来るのは、そのせいか…。師匠ならアリアの相手も出来るだろうに)
後日スタンリーに質問した所、「この年でお嬢様の相手はきついんだよ。年寄りに無理させるな」とぼやかれた。
「俺なら、いつでも相手になるよ。少し加減してくれると、ありがたいけどね。──まだ時間はあるし、少し眠ったら?」
「…うん…。ありがと。すこ、し…だけ…。お休み…なさい」
「お休み」
稜真は、アリアの髪の手触りが好きだった。もう、もつれは取れていたが、指の間を零れる感触を楽しむように、ゆっくりと髪を撫でる。
すーすー、と寝息が聞こえて来た。眠ってしまうと川風は冷たいかも知れない。稜真はマントをアイテムボックスから取り出して、アリアに掛けた。そっと川を向いている顔をのぞき込むと、幸せそうな顔で眠っていた。
(今回の旅は、マーシャだけじゃなくって、アリアと瑠璃にも良い経験になったかな。特にアリアは、楽しそうだったね。村の人との交流も出来たし)
同じ年頃の子よりも、年配の女性との交流が主だった気がするが、触れあいには違いない。アリアは実に生き生きとしていた。趣味に走りすぎた感はあり、困ったものだと思いはしたが、アリアに振り回されるのを楽しんでいる自分もいたのだ。
そろそろシュリの山へ向かわねばと思う。
きっと、シャリウとティヨルがやって来るだろう。
──次はどんな騒動が起こるのだろうか。
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