第203話 大人のお茶会
稜真はアリアが遠耳スキルを使わないよう、瑠璃に見張りを頼んだ。
「ある…稜真お兄ちゃんはどちらへ?」
「大人のお茶会にお呼ばれ。朗読依頼付き」
「うらやましいです…」
「今日も絵本を読むから、我慢してね」
「はい」
そうして、稜真1人で村長の家へ向かった。
出迎えてくれたのは村長夫人だ。
「ようこそいらっしゃいました。あら、アリア様は?」
「大人のお茶会とお聞きしましたので留守番です」
「…そうでした。アリア様は、どうしても子供とは思えなくて、失礼しました。どうぞ中へ」
部屋には大きなテーブルが出され、すでに参加者は揃っているようだ。
白っぽい生地にジャムを塗って、くるりと巻いたお菓子が用意されていた。餅のような食感で、控え目な甘さはどこか和菓子に似ている。
「田舎菓子ですが、従者様には珍しいかと思いまして。レニという植物の根を秋に採取します。その根をすりおろし、水にさらし、乾燥させて保存しておくと、一年中食べられるのです。色んな料理法がありますが、今回はお菓子ですから、水と砂糖を混ぜて焼きました」
村長夫人が説明してくれた。
「へえ…」
(山芋みたいな根っこなのかな? どんな植物なんだろう。後で、図鑑で調べてみよう)
くすくす、とあちこちから笑いがこぼれた。
「従者様は本当に料理がお好きなんですね。アリア様が仰っていた通り。この粉を使った料理の作り方も書いてありますよ」
「従者様は止めて下さい」
稜真は顔をそらして赤く染まった頬を隠した。
渡された料理のレシピは、皆で書き出してくれたそうだ。内容はお菓子から惣菜まで、多岐に渡っている。
宿の主人が家庭ごとに違うと言っていた、干し肉の漬け汁も書いてある。丁寧に書かれて分かりやすい。興味深いという思いが、また顔に出ていたらしく、笑い声が上がる。照れ隠しに稜真は立ち上がった。
「──報酬も受け取りましたし、朗読の準備をしましょうか」
テーブルを片付けると女性達は床に座る。
普段は土足で生活しているが、村で会議をする時は車座になって話し合う。その為の敷物があるのだ。その敷物の上は土足厳禁である。
大事な時だけに使われるので、子供達の読み聞かせの時は使っていない。今回はその大事な時に含まれると、揃って力説された。
稜真は立ったまま台本に目を通す。
最初に『目を閉じて聞いて貰う事!』と注意書きがあった。絵本ではないのだから、その方が良さそうだ。その下には主人公の設定も書いてある。騎士で腕は立つが、一匹狼気質の俺様。なんとも簡潔な設定だ。
アリアの字と文章は読みやすく、下読みしなくとも初見で行けそうだ。稜真は頭の中で、ジークフリード像を作る。
「それでは皆様、目を閉じて。情景を想像しながらお聞き下さい」
『私の名はジークフリード。グランゼール王国の騎士だ。
この日私は、愛馬との気晴らしを楽しんでいた。爽やかな風に、柄になく心が浮かれる。何か良い事が起こるのではないか、そんな心持ちだった。
と、ただ事ではない、馬の嘶きが聞こえて来た。
「なんだ? …女性の悲鳴だと!?」
慌ててそちらに馬首を巡らせると、従者らしき人間が必死で押さえようとしていた馬が、その手を振り切り走り出す所だった。とにかく馬を止めねば、乗っている人間が危うい。
私は愛馬を駆って暴走馬に並べる。
「おい! こちらに手を伸ばせるか!?」
女性は余裕がないのだろう。首を振るばかりだ。私は暴走馬と同じ速さで併走し、女性の後ろに飛び乗った。手綱を掴んで馬を操ろうとするが、スピードは緩まったものの、どうしても止まろうとしない。何に苛立っているのか。
「やむを得ん。飛び降りるか。──そんな声を上げるな。私を信じて、しっかり捕まっていろ。行くぞ!」
馬にしがみついている手を外させ、女性を胸に抱きしめた。草地が見える、今だ!』
役作りをし、1人の人間を演じるのは久しぶりだった。稜真の演技に、次第に熱が籠る。
『「ああ? 言葉使いが荒くて、騎士らしくない? 余計なお世話だ。私は貴族の出ではないからな。うるさい上司に言われて、俺から私に変えたんだぞ。これでも進歩してるんだよ。──くそ! 笑うな」
変な女だと思った。姫君らしくないお転婆な女だ。だが、何故だろう。隣にいると居心地が良い。』
アリアは、聞きたいシーンを抜き出したと言っていた。
シーンが変わるたびに、ジークフリードの姫に対する愛情が深くなる。
『青い瞳が、私の心を震わせた。降参だ。もう思いを隠すのは止めよう。
「愛している」
そう言って、何度も軽く口づけた。彼女は私の腕の中で、びくっと身を震わせる。愛おしくてたまらなかった。
甘い唇を味わうように、次第に深く口づける。』
稜真は何度もリップ音を作り、甘くささやいた。
静まり返った室内では、ささやき声でもしっかりと女性達に届いていた。
甘く思いの籠もった声で言われる『愛している』に、女性達は身を震わせる。目を閉じていると、まるで自分が口づけられているようだ。
濡れた口づけの音、何度も繰り返される『愛している』の言葉。
『あなただけだ』
『離したくない』
甘い甘いささやきは、まるで麻薬のようだった。
女性達は、自分の呼吸音すら邪魔に感じ、ささやきに全神経を集中させ、至福のひとときに浸った。
「──ご静聴ありがとうございました」
稜真は挨拶を終えて顔を上げたが、女性達の反応がない。
不思議に思って見ると、全員が真っ赤になって固まっている。
「大丈夫ですか?」
稜真がそう問いかけたが、ふるふると首を振るばかりである。
(もしかして、やりすぎた…?)
『瑠璃聞こえる?』
稜真は瑠璃に念話を繋いだ。
『はい。どうなさいました』
『アリアはどうしているかな?』
『ふてくされて寝ていますわ』
『あ…はは。悪いけど、アリアにこっちに来るように伝えてくれるかな』
『アリアだけですか?』
『そう。急いでと伝えて欲しいな』
「どうしたの!?」
慌てて走って来てくれたアリアは、レインコートのフードが外れ、髪が濡れていた。稜真はコートを脱がせ、生活魔法で髪を乾かす。
「悪いけど、ご婦人方の手助けを頼めるかな」
アリアが室内を見ると、赤く頬を染め、腰砕けで立てない女性達の姿があった。呆れたアリアは、小声で詰め寄る。
(稜真、何やったの!?)
(台本の通りに読んだだけだよ。ただ、久しぶりの台本だったから、つい思いっきり…)
(稜真様の思いっきり!? うわぁ、納得…)
(納得なの?)
(こっちの人が、稜真様の声と演技に免疫ある訳ないでしょ!? CDとか聞き倒してた私だって、いつも腰砕けになるの、知ってるじゃないさ!!)
(ああなるのは、アリアだけだと思ったんだよ…)
(皆、読み聞かせでファンになってたんだもん。ジークフリード様のセリフを、稜真の声で聞きたいって言ってたでしょ! 稜真は自分の声の破壊力を自覚しようね!?)
(……破壊力、と言われてもなぁ。台本を書いたアリアにも、責任がある気がするぞ? 俺は、台本通りに演じただけだし)
(それは…その…。とりあえず介抱する~)
(昼食が作れないって、皆さん気にされているからね。俺は、お昼ご飯を作るよ。昨日作った、ワイバーンの料理でいいかな)
家族の昼食を作りに家へ帰らなくてはならないのに、腰が立たないと焦る面々に責任を感じ、料理をかって出た稜真である。
台所の使用許可は、よれよれの村長夫人に貰ってある。スープとチーズカツでいいかな、と稜真は料理を始めた。
「皆、大丈夫?」
「アリア様…。至福のひとときでした…」
「……リョウマさんのジークフリード様。…素敵でした…」
「もっと聞いていたかった…」
余韻に浸って半放心状態の皆に、アリアは水を配った。
「アリア様。私、主人にもあんなに愛しいと感情の籠った言葉、聞かせて貰った経験がありません」
村長夫人の言葉に、こくこくと皆が頷き、「ほぅ」っと熱いため息をこぼす。
「小説よりも、ぶっきらぼうで荒っぽいジークフリード様でしたけど、そこが良かったです」
「でも小説って、あそこまでラブシーンあったかしら?」
「少~し、創作したから~」
アリアが言った。そこが良かったと、皆が口々に褒めた。
「アリア様。素敵な台本を書いて頂いたのに、私達だけ堪能させて貰って、申し訳ありません」
村長夫人が言うと、きゃわきゃわと話をしていた女性達が真顔になり、アリアに頭を下げる。
「私は台本読めば、稜真の声で脳内再生出来るから、それで我慢するよ! そりゃあ、聞きたかったのは確かだけどね~」
聞けなかったのは心底残念だが、稜真好きの仲間が増えるのは嬉しいのだ。
「あら。アリア様は将来、リョウマさんに生で口説かれる可能性があるのでは?」
「そうですよ! 演技ではない愛の告白。いいなあ」
「へ!? あ、愛の告白!?」
「リョウマさんとアリア様は仲がよろしいし、可能性ありますわね」
「な、ないと思うよ!?」
「そんな事ありませんよ」
女性はいくつになっても、恋バナが好きなものだ。すっかり元気になった女性達にからかわれ、アリアは真っ赤になっていた。
稜真の事はすっかり忘れて盛り上がっていた女性達は、料理が出来たと稜真に声をかけられ、慌てふためいた。
稜真は、それぞれの家に持ち帰れるように、鍋と皿を取り出した。読み聞かせに来た時に返してくれればいいと言う。恐縮する女性達に別れを告げ、稜真とアリアは外へ出た。
──雨は上がっていた。雲と隙間から青空が見え、明日からは晴れそうだ。
「ところでアリア。ベッドシーン、まだあったぞ」
「あ、あれ? 全部抜いたつもりだったのに…」
「気が付いて飛ばしたけど、危うく台本通りに全部読むところだったよ」
もし読んでいたら、あれ以上の惨状になっていただろう。
「濃厚なのは外したけど、軽い奴も書いた気が…。そっか、他のシーンの合間だったから、抜きそびれたんだ…」
稜真に呆れかえった目で見られ、アリアの視線が泳いだ。
「えへへ。すっごく面白い小説だったよ。全10巻、一気読みしちゃった」
「そんなに出ているのか」
「うん! あの台本は、10冊分から抜き出したんだよ。1巻だけだと手も繋がないんだもん。結ばれるのは8巻!」
つまり、昨日読ませようとしていた本は、8巻だったのだろうか。子供の前で、欲望を前に出しすぎだろう。
「こっちに小説があったのにも驚いたけど、ラブシーンが結構濃厚で驚いたよ」
「………」
アリアが不自然に顔を反らした。
「──アリア?」
低い声の稜真の問いかけに、アリアはしどろもどろに答える。
「…創作だったりして……。原作では、そこまで濃厚じゃなくて、キスシーンもあっさりすませてあったり…して……」
稜真の冷たい視線が注がれ、アリアは引きつった。
「だって、その…つい…。稜真が読むって考えたら、妄想が暴走しちゃったんだもん!!」
「妄想が暴走したのは、出発前に聞いたけどね。自分がお子様だって自覚ある? 暴走するにも程度があるだろう」
「だって…」
「だってじゃない。そう言う知識があると、他の人に吹聴したようなものだぞ。もし突っ込まれたら、どうするつもりだ?」
次第に口調が冷たくなる稜真に、アリアは首をすくめる。
「……あの…えっと…、私…お子様だから、分かりません…」
「お子様が聞いて呆れる」
「な、何さ! そこまで言わなくてもいいじゃない! せっかく妄想したのに、結果が聞けないなんて、ひどいと思う!!」
「アリアが大人向けだと言ったんだぞ?」
「大人向けだけど私が書いたんだから、参加させてくれても良かったじゃない! 私だって聞きたかった! 稜真の声が、稜真が大好きなんだもん!」
(って!? わ、私、なんで愛の告白してるの!?)
「い、一生懸命書いたんだもん。そりゃ、暴走しちゃったけど、本当に…稜真の声で聞いてみたくって。……ひ、久しぶりに小説読んだから、色々思い出して…、懐かしくなっちゃって…。私、何言ってるんだろう…。…ううっ…」
「アリア。そこで泣くのはずるいよ」
「ごめ…止まらな…なんで…?」
(…思い出して…か)
「困ったお嬢様だね」
泣き出して立ちすくんだアリアを、稜真は抱き上げた。
「ふぇぇ!?」
「帰るよ」
稜真はそのまま歩き出す。
アリアは子供を抱くように抱えられている。恥ずかしさにうつむく顔を上げると、村長宅の窓からニマニマとこちらを見つめる女性達と目が合い、頬が更に赤く染まる。
「り、稜真! 読み聞かせ終わったら、手合わせしようね!」
「うげ…」
「雨続きでお互い体が鈍ってるもん! 力いっぱいやろ~」
「鈍っているから、そこそこの力加減がいいんじゃないかなぁ」
「それじゃ修行にならないって!」
「はぁ。今泣いたカラスさんが、元気になりすぎだよ…」
(泣いているよりはいいけど、ね。内容はともかく、頑張って書いたのは事実だし、少しだけ悪い事したかな…)
稜真はアリアを下ろす。
『ほら姫。仕方ないから、手合わせに付き合ってやるよ。さっさと帰るぞ』
声の質を変え、ぶっきらぼうに言った稜真に、アリアの目が輝いた。
「それがジークフリード様の声なの? もっと聞きたい!!」
『ああ!? 甘えるんじゃねぇよ。早く歩け! ったく!』
「う~ん。ちょっと荒っぽすぎるかも…」
『あんたが書いた台本だろうが! 何言ってやがる』
「だって~。騎士様らしくなさすぎ~」
『お嬢様らしくない、あんたに言われてもな』
「お嬢様の猫くらい、かぶれるもんね!」
『はっ! どうだかな』
「こほん! それでは参りましょう。ジークフリード様」
アリアは、精一杯しとやかに声を出してみた。
「…寒っ」と、稜真の素の声で言われ、アリアの頬がふくれる。
「ひどい! 寒って何さ!!」
「つい、心の声が漏れたんだよね」
「もっとひどい!」
「ははっ!」
楽しげな稜真を、アリアはおずおずと見上げた。
「あの…ね、稜真。さっき私が言った事、聞いてたよ…ね?」
「さっき?」
「ほら…、泣き出す前…」
「ああ、俺の声が大好きだって? 今更でしょ」
「……あれ?」
「瑠璃が心配しているだろうから、急ぐよ」
(稜真がって言い直したのに!!)
あっさり流されて良かった気持ちが半分、残念な気持ちが半分。複雑なアリアであった。
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