第202話 大人向け
瑠璃は無言で、はむはむごっくんと満面の笑みを浮かべて食べている。
さっくりときつね色に揚がった小さなカツと、衣に香草が混じった平べったいカツ。マーシャが小さなカツをひと口噛むと、サクッと噛み切れた。中からはとろりとしたチーズがあふれ出る。
大きなカツをひと口サイズに切って口に入れると、香草の香りが爽やかに香った。少し濃い目の味は、サラダとぴったりだ。
白っぽいスープには肉団子が浮かび、キャベツの緑と人参の赤が食欲をそそる。
「リョウマおにいちゃん、ぜんぶおいしい」
肉がワイバーン肉と聞いたマーシャは驚いていた。固くて苦手だったのだ。
「そう? ありがとう」
気に入ってくれて何よりである。
せっかくなので、稜真とイネスも一緒に昼食をとる事にした。申し訳ないが、ももには部屋に戻るまで待って貰う。骨を食べ、試食もしていたから文句はなく、稜真の膝の上で気持ちよさそうにふるふるしている。
昼食後は従魔達に食事を食べさせて、今日も村長の家へ向かう。色々な料理を作り、ワイバーン肉も食べ、大満足な稜真だった。
村長の家には、子供達と大人達が集まっていた。昨日よりも、若い女性や年配の女性が増えている。アリアが絵本の山の上にそっと本を乗せた。
稜真がその本を手に取ると、アリアと女性達の期待に満ちた視線が注がれた。
ペーパーバックのようなその本は、紙質が悪く薄い。こんな本もあるのか、と稜真は驚いたが問題はそこではない。パラパラと目を通したが、明らかに子供向けではないロマンス小説だったのだ。
「はぁ…」とため息をつき、稜真はその本を絵本の山から外した。
「ええ!? 稜真、その本読んでくれないの?」
「駄目。子供向けじゃないから」
ざっと見たが、ラブシーンが多かった。キスはともかく、それ以上もほのめかしているのだ。アリアが上目遣いでうるうると見上げて来たので、ピシッとデコピンしてやった。
「あう~、どうしても駄目?」
「絵本と違って長すぎるし、何よりも内容がこれじゃ…。昨日、アリアがお母様方に呼ばれてたのは、この本の件で?」
「そう。稜真の声で、ジークフリード様のセリフが聞きたいって言われたの。本を貸りて読んだけど、面白かったから私も聞きたくなって~」
ジークフリードは、この本のヒーローの騎士の名だ。
「借りた本って、この本だったのか…。元々、絵本を読んで欲しいっていうのは、マーシャのお願いなんだよ。だから大人向けは駄目」
そして後方の女性達に向かって、「俺は、子供達に読み聞かせる為に来ているんですからね。子供向けではない本は読みません!」と、きっぱり言った。
「「「え~っ!?」」」と、女性達の悲鳴が上がった。
「ねぇリョウマ兄ちゃん、母さん達はほっといてさ。早く読んでよ!」
子供を代表してジェドが言った。悲鳴を上げた女性達に、村長夫人も混じっていたのである。
稜真はジェドの頭をくしゃりと撫でた。下読みする時間がなかったが、なんとかなるだろう。立ち上がった稜真は絵本を開いた。
アリアと瑠璃に約束した通り、今日は1冊増やして2冊の絵本を読んだ。相変わらず男の登場人物が多い絵本だ。ある意味偏った内容だが、子供達が喜んだので良しとする。
初めは不満そうだったアリアと女性達だが、稜真が読み始めると、途端にうっとりとした表情になる。
(……アリアが増えた。布教は禁じた筈なのに、どうしてこうなった…)
子供達が向ける熱とは、全く違った視線。その手の視線に慣れている稜真だが、こちらの世界では少々居心地が悪かった。
読み聞かせ後は、村長夫人が子供達にお菓子を出してくれ、部屋は楽し気な空気に包まれた。稜真は子供達に旅の話をせがまれる。そらと
部屋の隅で、アリアが女性達に囲まれているのが少し気になったが、布教は禁止と釘を刺してあるので大丈夫だろう。
──アリアと女性達の表情は暗い。
雨が降り出してもう2日。明日は雨だろうが、明後日はそろそろ晴れそうなのだ。晴れれば朗読会はおしまいだ。
「アリア様、なんとかなりませんか? 1度でいいから、従者様の声でジークフリード様のセリフを聞きたいです」
「今日の騎士様も良かったけど、あのお声で『愛してる』って聞いてみたいです」
「はぁ…」と女性達のため息が揃った。
「あの本のジークフリード様は、格好良かったもんね。私も聞きたいしなぁ。稜真を釣る方法…か。ねぇ、皆。ワイバーンの料理法って、知ってる?」
「そりゃあ知ってますよ」
「安くて保存がきくお肉ですもの」
「それが何か?」
「ワイバーンの料理を教えるって言えば、釣れると思うんだ~」
「でもアリア様。今日のお昼に食堂で出された料理は、従者様が作られたと聞きました。私が作った食事をそっちのけで食べに行った主人が、美味しくて驚いたと。そんな方が、田舎料理など知りたいでしょうか?」
「食べた事のない料理なら、絶対釣れると思うんだな~。この辺りの郷土料理も含めて、皆で書き出してくれない? それを報酬に、稜真を釣ってみるから」
こそこそと打ち合わせは続けられた。
翌朝も雨は降り続いていた。
今日、イネスは食堂を手伝って、この辺りの料理を教わるそうだ。ワイバーンの料理も、ご主人と一緒に考えてみたいのだと言う。
瑠璃とマーシャは、お互いに髪を結ぶ練習。そして目の下の隈が薄れたアリアは、何やらやりたい事があると口を濁した。
稜真は厩にやって来た。
今日はきさらをたっぷり構ってやろうと思う。きさらだけが朗読会にも行けないからだ。
今朝も厨房を借りて、きさらの好きな、大きくて甘い蒸しパンを作って来た。匂いに気づいたきさらがウキウキしている。
稜真が丸ごと渡すと、両手で抱えてかぶりついた。甘い物が大好きなメリッサも、蒸しパンのおすそ分けを貰ってご機嫌である。
昨日、瑠璃とマーシャにブラッシングされた2頭は艶々だが、やはりスキンシップと言えばこれだろう。稜真が鼻歌交じりにブラシをかけていると、瑠璃とマーシャがやって来た。
「あれ、アリアは?」
「アリアさまは、おべんきょうしてる」
「…アリアが自分から勉強?」
冒険者活動中は、絶対に勉強はしないのに、どういう風の吹き回しだろうか。
「にやにやしながら書き物をしていました。…気持ち悪かったですわ」
「ははっ…、何を書いているのやら…」
稜真はアリアが作っていた、スキルリストを思い出した。
(リストに書き込みでもしているのかねぇ)
──集中しているアリアは、瑠璃とマーシャが出て行った事にも気づいていなかった。
『初めての出会いは外せないわ』
『そうそう! 姫君が乗った馬が暴れて、あわやという時に助けて下さる所よね。素敵だった』
『後半に、身分差に苦悩するジークフリード様も良かった…』
『何よりも2人が結ばれる所は外せないでしょう!』
(え~っと、ヒロインとの出会い。身分差に苦悩して、結ばれるっと。ふむふむ)
昼食の時も、アリアはどこか上の空だ。読み聞かせの間だけは、いつものように稜真の声に集中していたが、その後は部屋の隅で女性陣に囲まれていた。
そして夕食も上の空である。
「リョウマおにいちゃん。アリアさま、どうしたのかな?」
「どうしたんだろうね。体調が悪い訳ではなさそうだし、放っておこうか」
「気持ち悪いですわ…」
瑠璃の言葉に全員が頷いた。ぶつぶつ言っていたかと思うと、にまぁと笑うのだ。これが続くようなら問い詰めようと思う稜真だが、今晩は様子見だ。
その夜。アリアは夜更かし宣言をした。
(うふふふ。やっぱり書き物は夜の方が捗る~~!)
翌朝、やり切った顔のアリアがいた。
イネスにはアリアの部屋へ行って貰い、今は稜真の部屋に2人きりである。
「稜真、はい!」
アリアが紐で綴った紙束を稜真に渡した。
「…何これ…」
「あの本、長すぎるって言ったでしょ? だからシーンを抜き出してみたの~」
稜真はぺらり、ぺらりと紙束をめくる。
「…抜き出せばいいってもんじゃないだろう。ラブシーン満載じゃないか。子供の前では読めないよ」
「うん。だから、大人のお茶会を開くから、そこで読んで欲しいって依頼なの!」
「依頼なんだ…」
「子供向けじゃないから読めないって言ったでしょ~。だから、大人のお茶会で朗読して貰ったらどうかなって、考えたの!」
ドヤ顔のアリアに、ため息しか出ない稜真である。
「報酬は、ワイバーン料理と郷土料理のレシピだよ!」
稜真がピクリと反応した。
「お茶会は男性と子供禁制にして、いつもの部屋を借りてあるの。村長さんの奥さんが張り切ってた」
「つまり、村長は自宅を追い出されるんだね…」
「オルガとジェドは、こっちに来て遊ぶ予定」
「準備のよろしい事で…」
「どうかな、稜真。あの本ね。村のご婦人方で回し読みしてる、シリーズ物の本なんだって。ヒーローのジークフリード様のセリフを、稜真の声で聞きたいって、皆すっごい熱意だったの。私はその気持ちが良く分かるから、聞きたいシーンを抜き出して、独り語りの台本にしてみたの」
改めて稜真は手書きの紙束を読む。
それはヒロインに向かってジークフリードが語りかける内容で、まるでシチュエーションCDの台本のようだった。
「なんと言うか…。その手のCDを聞き倒したであろう経験が、生きているよね…」
「でしょう! 数々のシチュエーションCDを聞いて来た私の手腕、褒めて欲しいな! 台本書きながら、思い出して妄想しちゃった!」
台本をめくっていた稜真の手が、ぴたりと止まった。
「──どのシチュエーションCDを参考にしたのかな? 内容が成人向けだね?」
にっこりと微笑む稜真の目は笑っていない。
「あ、えっと、その…」
「ベッドシーンまで、書いてあるね?」
「それは、その…、妄想が暴走しちゃって…」
「次に旦那様に報告する時、これも添付しようか」
「げっ!?」
アリアは慌てて、稜真から台本を奪い取ると、ベッドシーン部分を抜いた。
「な、なかった事にして下さい!!」
「一応、仮にも、12歳の伯爵令嬢なんだからさ。もう少し慎みを持とうか」
「はい~~」
「もう1つ、アリアが約束してくれるなら、この依頼受けるよ」
「本当!? なんでもやるから言って!!」
「言ったね?」
にいっと笑った稜真に、アリアは背筋がぞくっとした。
「言ったけど……。何をすれば…いいの?」
稜真はアリアのあごをくいっと持ち上げた。
(な、何~っ!? 萌えるシチュエーションだけど、稜真の表情が怖いの! 私、何やらされるの!?)
「…目の下の隈が濃くなっていますね。お嬢様、昨日は何時にお休みでしたか?」
「き、昨日というか、朝方に少し…寝ました」
「ほほう、朝方に…ね。確か、前々日も余り眠っていなかった筈ですね?」
「あれは稜真が心配だったせいだし…」
「お肌が荒れていらっしゃいます。今夜大人しくお手入れさせてくれるのなら、依頼を受けてもいいですよ」
「それは…稜真がやってくれるの…かし…ら?」
「ここまで荒れていては、プロの手を借りるしかないでしょう?」
「プロって、あれ?」
「そう、あれ」
(うう~。シンでやられると、精神が削られる。でも、この台本を読んで貰えるなら、お手入れの拷問にも耐えられる気がする…。生の稜真様のシチュエーションボイスだもんね。よし!!)
「お手入れされます! だからお願いします!」
稜真は口の端を上げて笑った。
「分かった。受けるよ」
「やった!! 楽しみ! あ、10時からだから、そろそろ行かないと!」
アリアは喜々として、稜真の手を引っぱった。
「アリア」
「何~?」
「大人のお茶会だから、アリアは留守番だよ」
「へ?」
「子供は立ち入り禁止なんだろう?」
「ええっ!?」
「それじゃ、行ってくるから」
「えええっっ!?」
稜真は部屋を出ると、アリアを見て笑いドアを閉めた。
「えええええ~~っっ!?」
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