第195話 手当て

 稜真が上半身裸になると、斜めに赤く腫れ上がった傷が現れた。左のあばら骨の下辺りから右肩まで走る傷だ。アリアとそらは稜真が倒れた事件を思い出したのだろう。先程よりも目が潤み、今にも涙がこぼれそうだ。

 そらは「クゥ…」と鳴いて、稜真の足に体を擦り寄せた。


「えっと…。良い軽鎧を買ったから、この程度ですんだのかな。アリアのお陰だよ…ね」

「そんな事言っても、置いて行った穴埋めにはならないんだからね!」

「ははは…」

 アリアは頬をふくらませながら、アイテムボックスから手のひらに乗るくらいの容器を取り出した。


「これ。ばあちゃんの薬だから、良く効くの」

「イルゲさんの? それなら効きそうだね」

 口に栄養剤の味が蘇り、稜真は身震いした。


 アリアが薬の容器を開けると、そらは匂いに顔をしかめた。慌てて、匂いの届かない位置まで離れる。

 薬はねっとりとした白い薬で、ミントのような匂いがした。アリアは薬を指ですくい、稜真の傷口に塗った。

「っ!」

「ごめん! 痛かった?」

「痛いと言うか、ちょっと冷たかっただけだよ」

 塗られた時は冷たかったが、スッと清涼感のある薬で、じんわりと温かくなる。


「冷たい、かぁ」

 にまっと笑ったアリアは、薬を左の手のひらに、こんもりと盛り上げた。

「……何をしているのかな?」

「えへへ~。冷たくないように、手で温めてから塗ればいいかなって、思ったの!」

 アリアは薬の容器をしまうと、おもむろに右手と左手をすり合わせ始める。


「………アリア?」

「いっぺんに塗った方が痛くないでしょ~」

「違う意図を感じるんだけど…」

「大丈夫~。痛くないよ~」

 アリアは、にへ、っと笑いながら、薬でねちゃっとする手をわきわきとさせる。心配させられたお返しに、ちょっぴり痛い目にあって貰おうと思ったのだ。


「変態チックだぞ」

「乙女に向かって、なんて事言うの~!?」

「だってなぁ」

 アリアの意図は読めたが、ここは甘んじて受けるしかないと諦めた。


 ねちゃねちゃする手をわきわきとさせたアリアは、足を延ばして座っている稜真の隣に移動し、膝立ちになった。

 いざ薬を塗ろうとした傷口は、先程よりも腫れて来ているように見える。痛々しくて目をそらすと、綺麗な鎖骨のラインが目に入り、恥ずかしくなって思わず視線を下にやる。


 下はもっと危険だった。


 稜真は片膝を曲げ、ゆったりと座っている。患部が熱を持って来たせいか、少し気だるげな雰囲気だ。鍛えて引き締まった筋肉、割れた腹筋、腰の辺りのラインがセクシーだ。少年から大人に変わる境目の、危うい色気が感じられる。

 アリアの脳裏に稜真が怪我をして、意識がなかった時の事が蘇った。素肌ではなかったが、その胸に顔を埋めたのだ。──そこで、ようやく気付いた。


(…こ、この手で直接…稜真の肌に…さわ…る?)


「アリア、早く塗ってくれる?」

 稜真は固まったアリアに言う。明るい草原で上半身裸なのは、微妙に恥ずかしいのだ。

「う…うん」

 突然頬を染めておたつくアリアに、稜真の悪戯心がくすぐられる。


「よ、よし!」

 いつまでもこうしてはいられない、とアリアは意を決して稜真に触れた。


「…んぅ」と、稜真は吐息交じりの声を上げた。

「ふえぇっ!? り、稜真ったら、なんて声を出すのよぉ!」

 稜真の笑いをこらえるかのような表情に、からかわれたと気づいたアリアは、気を取り直してもう1度稜真に触れる。

「あっ…ん」

「そんな声出されたら、塗れないじゃないの!」

「そんな声って、どんな声かな?」

 しれっと真顔で言う稜真に言葉が詰まる。

「ど、どんなって~」


 以前、マクドナフの宿で、同じような声を聞いた。稜真と迅雷が離れていた夜の事だ。あの時の稜真は無意識だった。今は意図して声を出しており、艶っぽさが2割どころか、5割増しなのだ。


「もう! さっさと塗って終わらせるもん!」

 アリアは思い切って、両手で触れた。

「…や。は…あっ。んぅ」

 一段と色気をこめられ、アリアは真っ赤に染まった頬に、思わず手を当てた。

「──ふみゃあっ!?」

「馬鹿!!」


「うわ~ん! 稜真ぁ、しみるよ~!!」

 清涼感のある薬が目元に付けばどうなるか、そんな事は言わずもがなである。慌ててその場所を手でこするが、もちろんその手にも薬が付いている。

「ひにゃ~っ!!」


「あーあ。アリア、ほら落ち着いて」

 稜真はタオルを濡らし、生活魔法で温めた。そっと薬の付いた場所を拭い、アリアの目をふさぐように当てた。アリアの手を取り、タオルを押さえさせる。薬が付かないように、手の甲で押さえて貰う。

「しばらくそのまま当てていて」

「うん」


 目を閉じて、温かいタオルを当てていれば、薬はしみない。

「アリア、タオルは片手で押さえて、空いた手を貸して」

「うん…っ!? り、り、りょ、稜真!? な、な、何してるのぉ!?」

 アリアが、うわずった声を上げる。

「ん? 薬がもったいないから、塗っているんだけど?」

「それ、あの、うええっ!?」


 稜真はアリアの手を使って、薬を塗っているのである。


(私の手から薬を取って塗ればいいじゃないの! どうして私の手を使うの!? あ、温かい。うわぁ! 引き締まった筋肉の手触りが! ひいっ!? い、今触ったのってもしかして!? あわわわわ、あわわわ……。ふえぇ? 何? あ、はい。次は反対の手ね。タオルを持つ手を入れ替えろと。──っていうか、今の私って目隠しして、好きな人の体を撫で回してるんだよね。わぁ~ん! 本当に変態みたいじゃないの~っ!!)


 タオルの端からのぞくアリアの肌は、真っ赤である。


 稜真は薬を塗り終わると、アリアの手を別の濡れタオルで丁寧に拭った。

「まだ目を閉じていてね」

 稜真は目元のタオルを外し、もう片方の手も綺麗に拭う。

「いいよ」と言うと、アリアはゆっくりと目を開けた。


 まだすぅっとするが、我慢出来ない程ではない。超が付く程の至近距離に、心配そうな稜真の顔があった。

 恥ずかしさに視線を下げると、未だ服を着ていない稜真の胸が眼に入る。薬でテカっている胸元。自分が触れたであろう肌──。


「…あ」

「……アリア……」

 再び稜真が差し出したタオルは、赤く染まった。


 のぼせたアリアはしばらく動けず、服と軽鎧を身につけた稜真は、そらとたっぷりスキンシップを取ったのだった。




 アリアが復活したので村へ歩き出す。たっぷりかまって貰ったそらは上機嫌で、稜真の肩で歌を口ずさんでいる。


「怪我の事は内緒にしてくれるかな。瑠璃には後で話すから」

 稜真は口止めを頼んだ。

「分かった」

「そらも頼むね」

『ないしょ? わかった!』



 村の入り口では、クリフとフラウが待ちかまえていた。

 尾をぶんぶんと振り回した2頭が、稜真を見て喜びの余り飛びかかる。出会った時と同じく、稜真を押し倒して顔中を舐め始めた。


 アリアとそらが焦って止めようとするが、稜真は大丈夫だと手を上げた。クリフとフラウを見た瞬間に、飛びかかられる予測がついたので、受け身を取ったのだ。


 しばらくすると薬の匂いに気づいたのか、「きゅ~ん、きゅ~ん」と鳴き、胸元の匂いを嗅ぎ始めた。申し訳なさそうにするクリフとフラウに、「大丈夫だよ」と言って頭を撫でてやる。

 クリフとフラウは、最後に稜真の頬をひと舐めして、自分の家に戻って行った。

 飛びかかられた時に弾き飛ばされたそらが、稜真の肩に戻る。稜真は顔を濡れタオルで拭いてから、村長へ報告に向かった。




「2頭も現れたのですか!? アリア様が受けて下さって良かった。ありがとうございました」

 村長は深々と頭を下げ、依頼書にサインをしてくれた。


 ワイバーンは村に寄付する事にした。皮は色々と加工出来るし、肉は食用になる。少しでも村の助けになるだろう。

 村長は依頼料も安かったのに、それでは申し訳ないと恐縮しきりだったが、こちらとしても1頭分の肉が欲しい。村長には解体を頼むのだからと説得した。

 今の村にとって、依頼料だけでも負担だっただろう事が分かっていた。その依頼料は、依頼を受けたギルドで支払われる為、帰りに寄る予定だ。


 早速解体の手筈に動く村長は、手すきの村人を呼びに行くと言う。村には解体場があるので、そこまで一緒に行き、ワイバーンを出した。

 稜真が倒した方は、通常よりも大きな個体だったらしく、村長が驚いていた。




 果樹園では、ちょうど昼食を食べている所だった。


『主! お帰りなさい!!』

 きさらがこちらに向かって駆けてくる。いつもの調子で突っ込んで来るきさらに、稜真の顔が引きつった。今の稜真に、きさらの突進を受け止める余裕はない。おまけに作業をしやすいように軽鎧を脱いでいるので、防御力が弱まっている。


 ひょいっと稜真の前に出たアリアが、「え~い」と気の抜けた掛け声で、きさらを投げ飛ばした。

「クォン!?」

 きさらは、ごろんごろんと転がって行った。


「ふぃ~」と、ひと仕事やり終えたアリアは、額を拭うポーズをした。周囲からは尊敬のまなざしと共に、拍手が送られた。

 冬の遊びの成果である。最初、アリアは体格差があるから無理だろうと、遊びには参加しなかったのだが、物は試しと挑戦したら、あっさりと出来てしまった。


 柔らかい土の上だからダメージは無いが、きさらは目を白黒させて、転がった先でお座りしている。苦笑しながら近づいた稜真は、きさらに「ただいま」と声をかけた。

 分けて貰った昼食では足りなかっただろうと、野菜をきさらの皿に積み上げると、稜真に飛びつこうとした事は忘れ、野菜を食べ始めた。


 稜真達に気づいたマーシャとイネスが、昼食を置いてこちらに来ようとしたが、食べていていいと視線でうながす。


 瑠璃だけがやって来て、じいっと稜真を見上げた。

「…ただいま…瑠璃」

「お帰りなさい。お兄ちゃん、抱っこして下さい」

 言われるがまま、稜真は瑠璃を抱き上げる。瑠璃は稜真の顔を、目を細めて見つめる。アリアとそらは瑠璃に問い詰められない内にと、逃げるようにマーシャ達と合流した。


「…大丈夫でしたの?」

「ああ。無事に討伐は終わらせて来たよ」

 むう、と口をへの字にした瑠璃が、とんっ、と稜真の胸を突いた。的確に傷を突かれたのだ。

 稜真は何事もなかったかのように、「瑠璃、どうかしたのかな?」と聞いたが、瑠璃は誤魔化されなかった。


『主、冷や汗が出ていますわ。怪我をしていますね?』

 瑠璃は念話で突っ込んだ。

『少し…ね』

『胸の所、ですの?』

『そうです…』


 瑠璃は稜真をキッと睨む。

『私に隠そうとするなんて!』

『ごめん…。マーシャ達には知られたくなかったんだ』


 にっこりと笑う瑠璃の小さな両手が、稜真の頬を挟んだ。

『主、大きな姿とこの姿、口からの回復はどちらがよろしいですか?』

『口からは駄目だって言っただろう?』

『だって! 私のいない所で怪我をして、隠そうとするのですもの!』

『それは…』

『ですから、どちらがよろしいですか?』

『瑠璃はありのままの姿が1番だけど…。後でちゃんと、説明するつもりだったんだよ。だから口からは止めてね』

『幼女が好み…』

『違うからね!?』

『冗談ですわ』


 回復の魔力を流しながら、瑠璃は稜真の胸に顔をうずめた。端からは瑠璃が甘えているようにしか見えない。


『主…。私、この間から何度回復しているとお思いですか…』

『ごめん』

『気をつけて下さいませ。でないと、今度は問答無用で口から回復します』

『それだけは勘弁して下さい…』


 どうにも瑠璃には頭の上がらない稜真であった。



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