第193話 ワイバーン討伐 前編
水浴びと休憩を終えた稜真達は、急いで村に戻った。
夕食の時間が迫っていたのだ。宿の厩に従魔達を預け、稜真とイネスは共同浴場で入浴をすませた。
今夜は食堂で夕食だ。まだ、大人に対してはおずおずとした様子のマーシャだが、自分から食堂で食べると言った。良い傾向だろう。
いつも酒を飲む男達が騒がしいが、今夜は比較的静かだった。マーシャに気遣ってくれたのだ。お陰でマーシャも、臆する事なく食事をすませられた。
明日も忙しい。今夜は早く寝ようと決めた。
稜真は少しだけ勉強し、絵本を読んでイネスを寝かせる。疲れたのだろう。イネスはすぐに眠りについた。
稜真はそっと部屋を出て、
「こんばんは、リョウマさん」
シプレがどこからともなく姿を見せた。
「こんばんは。今日もお手伝い頂いたみたいで助かりました」
「あら。今日は何もしておりませんよ。ティヨルに頼まれて、リョウマさんの様子を見に来たのです。──大地の精霊ならお力になれるかもと思い、お話はしましたけど」
「でしたらやはり、シプレさんのお陰で、無事に作業が出来ているのです。ありがとうございます」
シプレは、にこにこ、にこにこと稜真を見つめる。稜真はお待ちかねのお酒を取り出した。
「どうぞ。大地の精霊の分も預けます。ありがとうございます、とお伝え下さい」
「はい。ちゃんとお渡ししますわ。飲むのが楽しみです。──ふふ、お休みなさい」
「なっ!?」
シプレは稜真の頬に口づけたのだ。酒瓶を抱えたシプレは、そそくさと消えていった。
こういう所をアリアは見逃さない。──と言うよりも、アリアに気づいたシプレが悪戯したのだろう。稜真も遅ればせながら、アリアに気づいた。
「稜真ぁ…。こんな所で…シプレと2人っきりで、何してたのぉ…?」
アリアが稜真の裾を掴む。
「いや…その。今日は精霊が助けてくれただろう? そのお礼を…ね」
「お礼で…どうして稜真がキスされてるのぉ…」
「さぁ?」
「さぁ?じゃないの! 気をつけてって、あれだけ言ったのに!!」
「アリア、夜だから静かに、ね? ほら、明日はワイバーンの討伐だろ? 早く寝ような」
稜真はぽんぽん、とアリアの頭を叩いた。子ども扱いに、アリアの頬がますますふくらむ。
「……帰ったら…手合わせ…」
「帰ったら果樹園に行かないとな」
「…手合わせ…」
「はぁ…。全部終わって、時間があれば…ね」
「…お休みのキス…」
「しません!」
稜真はアリアを部屋の前まで送る。アリアは膨れっ面のまま、稜真の服から手を離さない。
(お嬢様はご機嫌斜めだね。──お休みのキス、か)
にっと笑った稜真は、アリアの耳元で「お休みなさいませ、お嬢様」と艶っぽくささやき、おまけで「チュッ」とリップ音を出した。
「はにゃあ!?」
アリアはへたり込んだ。くすくす笑う稜真が自分の部屋へ入っても、腰が抜けて立ち上がれずにいた。
(き、気を抜いてた所に~~! 稜真の意地悪っ!!)
今朝も天気が良い。たっぷり朝食を食べ、全員で果樹園へ向かう。朝早くから、子供達も集まってくれた。
稜真とアリアがワイバーン討伐に行く話は伝えてある。
『何事もないと思うけど、この場は任せるね』
念話で瑠璃に頼む。精霊と従魔との意志疎通が出来るのは、瑠璃だけだ。任せはしたが、表立って話さないように注意もした。
『はい。お任せ下さい』
張り切っているきさらと、土運びに重宝するももは残す。そらを連れて、稜真とアリアは村長の家へ向かう。
スケア村では山羊を育てている。乳を搾り、チーズを作っているのだ。レンドル村にも山羊はいたが、ここスケア村の山羊は毛足が長い。その毛を刈り、冬は編み物をする。
山羊の放牧は子供達の仕事で、何人かで連れ立って村中の山羊を山へ連れて行き、草を食べさせる。
放牧へ行く子供達には、大きな犬が2頭付き添う。
賢く大きな犬は山羊を誘導し、魔物の接近を教えてくれる。犬の様子がおかしければ、すぐに下山。もしくは出発を取り止め、狩人が魔物退治するまで放牧は中止していた。
ワイバーンに最初に襲われた時は、犬が吠えたかと思うと、あっと言う間もなく山羊がさらわれた。放牧を中止し、日を開けて、そろそろ大丈夫だろうと山へ行くと、決まってワイバーンが現れる。
空からではどうしても犬の反応が遅くなるし、村の狩人ではワイバーンに対処出来ない。幸い被害は山羊だけだが、いつ被害が子供になるか、いつ村を襲いに来るかと気が気ではない。
今はずっと放牧を取り止めている。
とにかく放牧が出来ないのが痛い。山の草を食べさせねば乳の量が減り、品質が下がる。村にとっては死活問題だ。
ワイバーンは1頭。山羊を連れて山へ行くと、飛んで来るのだと村長は言う。
「囮にしたいから、山羊を何頭か貸して貰えるかしら。もちろん、襲わせはしないわ」
「はい。うちの山羊をお連れ下さい」
村長が飼っている山羊は5頭だ。
「ある程度数がいないと、襲いに来ないかも知れないわね。全部借りていいかしら」
「アリア。5頭もまとめておけるかな?」
「犬をお連れ下さい。この所、山に行っていないので、使って下されば喜びます。それに、今ではワイバーンの気配に敏感になっていますから、きっとお役に立てるでしょう。──ただ、村の者以外に懐かない犬なので、誰か同行させます」
「犬だけでいいわ。稜真がいるから」
「……また無茶ぶりを…」
稜真はぼやいた。
普通に人が住めるくらいの大きさの犬小屋は、村のほぼ中央にあった。特に囲いもなく、犬達は村の中を自由に歩き、村全体の番犬も兼ねているのだ。稜真達が村に着いた時は、アリア様に失礼のないように、と村人が押さえていたそうだ。
人の気配で、小屋から2頭の犬が出て来た。小屋に見合った大きさの犬だ。体長は1メートルを超える。ピレネー犬のような、真っ白で毛がもふもふした犬だった。
稜真を見て、ふさふさした尾をぶんぶんと振っている。
可愛いな、と稜真が思わず微笑んだ途端、2頭に飛びかかられた。
「うわっ!」
慌てる村長が犬を止めようとするが、アリアが大丈夫だと制止する。2頭は稜真にのしかかり、競うようにぺろぺろと顔中を舐めている。
犬の勢いで弾き飛ばされたそらが、体をふくらませて攻撃体勢に入った。そらがブレスを放とうとしている事に気づいた稜真が、舐められながら声をかける。
「そら、大丈夫…っぷ! だから…」
稜真に言われ、そらは渋々ブレスを止め、アリアの肩に移動した。
犬達は、稜真に対して好意全開なのである。
「初対面の人間に…」
村長はあんぐりと口を開けた。
「おお~。積極的~」
犬に押し倒される稜真を、アリアはニマニマと見つめた。
ひとしきり舐めて満足したのか、犬は稜真の前でお座りした。尾は千切れそうなくらい振られている。
「はい、稜真!」
「…ありがとう」
体を起こした稜真は、アリアが渡してくれた濡れタオルで顔を拭いた。何かひと言言ってやりたいが、今は我慢する。
「……リョウマさんはすごいですね。さすがはグリフォンをテイムなさっておられる方だ」
村長は雄がクリフ、雌はフラウだと紹介してくれた。
「クリフ、フラウ。今日はよろしくね!」
アリアが声をかけると、2頭はビシッとお座りした。
「……なんか、私には態度が違わない?」
尾はピクリとも動かず、全身緊張でガチガチに固まっているのである。
「まぁ、アリア様ですからな…」
少々むっとしたアリアは、クリフの頬を両手でむにっ、と容赦なく引っ張った。
「おお~。すっごく伸びる~」
ひゅ~ん、ひゅ~ん、とクリフが鳴き声を上げた。稜真はペシッ、とアリアの頭を叩く。
「いじめたら可哀相だろ!」
「スキンシップだも~ん」
アリアを止めた稜真に、2頭と村長の尊敬のまなざしが注がれた。
「山羊はこの子達の言う事を聞きます。山を下りろと指示すれば、山羊を連れて村まで戻るでしょう」
「分かりました。それではお借りします」
稜真とアリアとそら。このメンバーでの討伐は久しぶりだ。
クリフが先導し、のんびり歩く山羊が道から外れないように、フラウが後ろから行く。クリフとフラウは、最初に稜真を涎まみれにした後は、大人しく言う事を聞いてくれた。
山羊達は、久しぶりの山に嬉しそうな様子だ。
前日に稜真は、ワイバーンについて図鑑で確認していた。
個体差はあるが、翼を広げると約8メートル。ドラゴンに似た姿でブレスは吐かない。肉食で山奥に生息し、人里近くに来る事はほとんどないらしい。飼い慣らしてその背に乗る事も可能であると書かれていた。
「なぁ、アリアはワイバーンを倒した事、ある?」
「あるよ~。よっぽどの事がなければ、槍投げるだけで片づくよ。さっさと終わらせて、果樹園に行かないとね!」
「そうだな」
「手合わせもしなくっちゃだしね!」
「……そこは同意出来ないよ」
稜真はスタンリーに投げナイフを教わり、命中率も上がっているが、ワイバーンにダメージを与えられるかは微妙だ。ここはアリアに任せて、補助に徹しようと決めた。試してみたい事はあるが、またの機会にしようと思う。
「それに、いざとなったら、稜真のスキルがあるもんね~」
アリアがどのスキルを言っているのかは、丸分かりである。
「祝詞が長くて使えないだろう…」
「へへ~」
そらは索敵に飛んでは、クリフかフラウの背に戻る。初対面で怒っていたそらだが、稜真を好きな気持ちが分かり、仲良くなれたようだ。
今のところ異常はない。
そうして歩いていると開けた草原に出た。山羊がいつも登るのはこの辺りなのだろう。進むのを止め、草をはみ始めた。
のんびりと時が過ぎる。稜真がそらと触れ合っていると、期待した表情で、クリフとフラウがこちらをちらちらと見ている。
「おいで」と呼ぶと、喜び勇んでやって来た。きさらのように、少し荒っぽく撫でられるのを喜ぶ。
最初はフラウだ。仕事中なのを忘れず、1頭ずつやって来るのには感心する。
「私も撫でたい!」
そう言ったアリアにびくついたフラウが稜真の背後に隠れ、クリフが悲壮な気配を漂わせ、アリアの前で腹を見せ横たわった。
「…何かが違う…」
眉をしかめたアリアだが、目の前のもふもふには勝てず、クリフの腹に顔を埋めた。その隙にフラウは、なるべくアリアから離れた位置にいる山羊の後方に移動する。
稜真は笑いをかみ殺した。
──突然クリフが飛び起き、うなり声を上げた。フラウは山羊を集めにかかる。
『あるじ、きた!』
そらが教えてくれた。索敵に関しては、稜真とアリアよりもそらが上だ。そらが教えてくれた方角、山の向こうに黒い点が2つ見える。
「2つ?」
「村長は1頭だって言ってたのにね~」
「味をしめて、仲間を連れて来たのかも知れないね」
小柄な稜真とアリアは侮られたのか、2頭のワイバーンは平然と向かって来る。
ワイバーンは稜真の予想よりも大きく思えたが、それ程脅威を感じる存在ではなかった。2頭に別行動されるよりは、まとめてこちらに来させた方がいいだろう。
稜真は、クリフとフラウが集めた山羊を落ち着かせる。恐慌状態に陥りかけた山羊は、あっさりと大人しくなった。クリフとフラウも、稜真とアリアの存在で安心している。それでも山羊を守り、ワイバーンに視線を向け、うなり声を上げている。
そらは邪魔にならないように山羊の背に移動した。
2頭の内、小柄な方のワイバーンが、スピードを上げて急降下した。
アリアはアイテムボックスから取り出した槍を、ひょいっと投げた。槍は気軽に投げたとは思えない勢いで飛び、ワイバーンに突き刺さる。
「ギュアァーッ!!」と悲鳴を上げ、ワイバーンは落ちた。
大剣を抜き、風のようにあっという間に近づいたアリアは、落ちたワイバーンの首を落とした。
ワイバーンは、つがいだったのかもしれない。もう1頭のワイバーンは、落ちた仲間の上で旋回し、悲痛な鳴き声を上げた。
怒り狂って襲って来るかと思いきや、アリアを警戒して降りて来ない。
(……これならいけるかな?)
「アリア、あのワイバーンは俺に任せて貰っていい?」
「どうするの?」
「ちょっと試したい事があるんだよ。そんなに時間はかからないと思う。そらと待っていてくれるかな」
「うん? いいけど…」
「それじゃ、行って来る」
「行ってくる?」
稜真は両腕を前に差し出し、球を描くように動かした。
『闇よ。我が意のままに界を隔てよ。次元結界!』
稜真は自分とワイバーンだけを対象にして、次元結界を発動させた。稜真とワイバーンの姿が消える。
「ええっ! 待っていてって、そういう事なの!?」
『あるじー!?』
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