第192話 水浴びの裏側で

「稜真達、遅いね~」

 アリアが手を休めて立ち上がり、窓の外を眺める。


 3人は暇つぶしにお絵かきをしていた。

 絵の上達を図りたいアリアが始めたのだが、瑠璃とマーシャの視線がどんどん優しくなるのに気づき、途中から刺繍の練習に切り替えた。道具一式は、母に無理矢理持たされたのだ。冒険者活動中にやるつもりはなかったが、これ以上恥の上塗りをするよりはましだ。


「お姉ちゃん、お腹が空きました」

 唐突に瑠璃が言った。

「ご飯まで時間があるし、テーブルを片付けておやつにしようか~」

「マーシャがかたづける!」


 マーシャは、絵の道具を片付け始めた。瑠璃がアリアに、そっと耳打ちした。


(アリア、あるじから連絡です。きさらがやらかして、せっかく洗って乾かしたのにやり直したとか。お腹が空いたと言い出したので、おやつを食べさせてから戻るそうですわ)

(…あらら。こっちもおやつ食べて待ってようか)


 アリアのアイテムボックスには、稜真が作ってくれたおやつや、料理が入っている。稜真がいない時でも食べられるようにと、持たされているのだ。

 温かい紅茶が入ったポットも入っている。だが、お湯や茶葉は持たされていない。食材も生で食べられる物だけ待たされるという念の入れようだった。

 もし別行動した場合、被害者を増やさない為の稜真の配慮である。


(私だって、お茶くらい入れられると思うんだけどなぁ)


 アリアは細かな魔力調整が苦手なので、生活魔法が使えない。お茶を入れる場合、宿の厨房で沸かして貰う必要があるから、持たせてくれてありがたいとは思う。思うのだが、少々不満だった。

 マーシャがまとめてくれた道具を、アイテムボックスにしまった。そしてカップを3つ取り出し、ポットから紅茶を注ごうとしたら、瑠璃に止められた。


「お姉ちゃん、マーシャに入れて貰いましょう」

「へ? マーシャだと、テーブルの高さの問題で、入れにくいでしょ?」

「椅子に乗れば良いのですわ。私では椅子に乗っても届きませんもの。マーシャ、お願いします」

「? わかった」

 マーシャは不思議そうに頷いた。


「そ、注ぐくらいで味は変わらないと思うの!」

「不安要素は無くしておくべきですわ」

「…アリアさま。マーシャはおしごとしたい。だめ?」

「うっ…」

 洋服を買って貰ったマーシャは、まだまだお返しし足りないと思っており、なんでもお手伝いをしたがる。その気持ちが分かっているアリアは、それ以上言えない。

「……ポット、熱いから気をつけてね」

「うん」


 アリアが心配そうに見守る中、マーシャは椅子に乗り、危なげなく紅茶を注いだ。ポットに入っている紅茶には、甘味を付けたと聞いている。正に至れり尽くせり、と言うかアリアに信用がない。

 甘さは控えめにしたと聞いているので、甘いお菓子と食べるのちょうどいいだろう。


「おやつはクッキーでいいかな~」

 アリアがアイテムボックスから取り出したクッキーは、形も色も様々だ。ジャムを乗せた物、プレーンとチョコで市松模様になった物、木の実が乗った物、香草を練り込んだ物など、色々な種類がある。大雨で外に出られなかった間、稜真が屋敷で作っておいたものだ。


「クッキー? アリアさま。これも、リョウマおにいちゃんが、つくったの?」

「もちろん! 屋敷でエルシー、あ、うちのメイドね。に教わって、練習がてら、たくさん作ったんだって。あ、そうそう、これも食べちゃおうか!」

 アリアの体調が悪かった時、稜真がお土産に買ってきてくれたお菓子を取り出した。アリサと食べるつもりだったが、瑠璃は食べた事がないだろう。案の定、目が輝く。

 アイテムボックスの中に入っていたので、まだ温かい。


 さっそく手を伸ばした瑠璃が1つ食べた。

「カリッとしているのに、中は柔らかいのですね。美味しいですわ!」

 次々に口に入れる瑠璃をよそに、マーシャはクッキーを見て、どれから食べようか迷っていた。迷った末に、ジャムが乗った物を選ぶ。サクッとひと口食べて、顔をほころばせる。

「おいしい」

「でしょ!」

 アリアは自慢げに笑い、自らもクッキーを食べ始めた。



 ひと通りおやつを食べて紅茶を飲んだマーシャは、じっと瑠璃を見た。

「どうしました?」

 保護者と森に住んでいる瑠璃から、両親の話を聞いた事がない。盗賊に殺されたマーシャを気遣っているのかと思っていたが、どうも違うようだ。

 自分の事で精いっぱいだったマーシャは、ようやく他人に目を向けた。

「あのね。…ルリの、おとうさんと、おかあさん…は?」

「いませんわ」

「いない、の?」


 どう説明すればいいのか瑠璃は迷う。ここに稜真がいれば、念話でアドバイスして貰うのだが。精霊である瑠璃は、ここではない世界の、精霊界の水から生まれたのだ。元から両親はいない。考え考え、瑠璃は答える。

「生まれた時にはいなかったのです」

「さいしょから、いなかったの…?」

「はい。家族とは、どんなものなのでしょうか?」


 瑠璃は仲間と共に育ち、年を経た精霊が時折世話をしてくれたが、知識を持って生まれた精霊に基本世話は必要ない。仲間意識は分かるが、家族としての繋がりは知らないのだ。


「マーシャさえ良ければ、家族の話を聞かせて欲しいです」

「かぞく…」

 家族の話をさせるのは、まだ早かっただろうか?

「…辛ければ話さなくていいですよ?」

「はなしたい。おとうさんと、おかあさんのこと。きいて、ほしい」

 マーシャは、ぽつりぽつりと話し始めた。


「おかあさんは…わたしとおなじかみと、めで、やさしくて、きれいだった。おとうさんは、おおきくて、ちからがつよくて…」

 マーシャの目に涙が浮かぶ。


「かぞくは、あったかい、の。おとうさんはおしごと、マーシャにもてつだわせてくれた。おかあさんもいっしょに、てつだって…。さんにんで、かじゅえん、つくってたの」


「おかあさんに、おりょうりおしえてもらって、おとうさんと、もりのなかあるいて、まじゅうのこときいて」


「たべられるしょくぶつ、おそわったり──」


 マーシャが、両親との思い出を話してくれた。ぽろぽろと泣きながら、思いついた出来事をありったけ話してくれた。

 アリアはそっとタオルを差し出した。マーシャはタオルに顔を埋めた。嗚咽が漏れる。


「私が生まれた時の事は、良く覚えていません」

 瑠璃は自分の事を話し始めた。

「気がついたら仲間と暮らしていました。女性ばかりの中で、年齢を重ねた者が色々と教えてくれたのです」

 問題はないだろうか、と瑠璃がアリアに視線をやると、大丈夫だと頷いてくれた。


「突然そこから離される事になったのです。初めは1人で怖くて、寂しくて──。稜真お兄ちゃんがいてくれたから、今の私がありますの。森で一緒に住んでいる人が、お兄ちゃん達の知り合いなのです。時々呼んで貰えるし、お兄ちゃん達が泊まりに来てくれるのが楽しみですの。こうして一緒に旅が出来るのは初めてで、とても嬉しいのですわ」

 シプレを連れてきたのは瑠璃だが、嘘は言っていない。


「そう…なんだ…」

「私にとっての家族は、稜真お兄ちゃんとアリア…お姉ちゃんになるのかも知れません。──シプレも家族なのかしら…」

 最後はボソッと呟いた。シプレに関しては、複雑な瑠璃なのである。


 マーシャは以前、アリアが他の国の話をした時に、世界は広いのだと初めて感じた。両親の思い出を話して、ようやく自分の将来に向き合えた。

「アリアさま。マーシャはこれから、どうなるの? むらに、のこるの?」

 アリアは、マーシャの気持ちの変化に気づいた。


「マーシャの意志に任せるよ。王都の親戚を探すなら手伝う。村に残ってもいい。ご両親のお墓がある、バインズの町にある孤児院に入ってもいいし、うちでメイド見習いになってもいい。お父様に了解は貰ってあるの。でも、選ぶのはマーシャだよ」

 アリアは伯爵に、屋敷に引き取る場合の条件を聞いていた。メイドの手が足りない。見習いとして雇い、勉強しながら働いて貰っても良いと許可を貰っていたのだ。


「メイド? マーシャにできる?」

「見習いだもの。少しずつ覚えればいいよ。屋敷からお墓のある町はそんなに遠くないから、お休みの日にはお墓参りも出来ると思う。ただし、屋敷にはマーシャくらいの年齢の子はいないし、私も稜真もいつも屋敷にはいない。大人ばかりなの」

「ルリは?」

「私は森で暮らしていますから、お姉ちゃんの屋敷には行けないのです」

 ずっと屋敷で暮らせば、精霊とバレるかも知れない。それに湖の家を守る役目もある。


「マーシャ。まだ帰るまでに時間はあるよ。ゆっくり考えればいいって。イネスに相談してもいいんじゃないかな」

 アリアは言った。

「むらにはのこりたくない。しらないしんせきのところも、いや。──こじいんか、アリアさまのおやしきか、かんがえてみる」

「村に残らないなら、帰りも一緒ですわね」

 瑠璃が嬉しそうに言った。


「うん。ね、ルリ。さっき、どうしてアリアさまが、こうちゃをいれるのを、とめたの?」

「あう~。瑠璃は考え過ぎなんだよ~」

「いいですか、マーシャ。何があっても、お姉ちゃんに料理をさせては駄目なのです。稜真お兄ちゃんに聞きましたが、お姉ちゃんの料理で被害者が続出したのですって。ももが食べた時、体が分裂するかと思ったそうです」

「ぶんれつ?」

「ももったら、そんな事言ったの!? ひどい!」

「るり、もものはなし、わかる?」

「マーシャも分かるのではありませんか?」

「うん。だいたいわかる」


 なんとなく感情が分かるのだそうだ。もしかしたら魔獣使いの適性があるのだろうか。もっとも、ももは身振りで感情を表すのが得意だから、そのお陰かも知れない。

 瑠璃が分かるのは精霊の力だ。


 マーシャはアリアの手を握った。

「アリアさま、おりょうりだめ。マーシャがつくる。おかあさんにおそわった、おりょうりつくる」

「マーシャのお料理は楽しみだけど…、うう~」


(お茶を注ぐくらい大丈夫だもん! 今度稜真に確認して貰うんだから!)




 ──後日、アリアは稜真に紅茶を入れた。


 茶葉から入れたのではなく、ポットから注いだだけである。緊張したアリアは手を震わせていた。

「ど、どうかな、稜真?」

「ん? 普通の味だよ」

「ほら瑠璃! やっぱり注いだだけじゃ、味は変わらないんだよ!」

 ふふん、とアリアはどや顔になる。


『主、本当ですの?』

 瑠璃が念話で尋ねた。

『…飲めない味じゃないよ…』

『注いだだけで…やっぱり』

『今回は構えたからじゃないかな』

 稜真はカップの紅茶を飲み干した。


「アリア、もう一杯入れてくれる?」

「は~い」

 今度は手も震わせていない。稜真はアリアが嬉々として入れた紅茶を飲んだ。


『うん。今度は普通の味。料理をすると思って構えなければ、味は変わらないみたいだよ』

『……分かりました。でも、なるべく関わらせたくないです』

『ははっ。その気持ちは分かるけどね』


 ちなみにももは、そらと一緒になって、アリアに見つからないように床の隅で震えていた。



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