第191話 川で水浴び

 バシャーン!

 水しぶきを上げて、泥だらけのきさらが川に飛び込んだ。


 水に土が溶けて流れる。もちろん、それだけで綺麗になる訳がなく。きさらは川の中で転がったり、自分の前脚で体をこすって泥を落とす。


 稜真はその間に、そらとももを洗う。そらは稜真が、ももはイネスが担当する。

「リョウマさん…。ももはどこを洗えばいいのでしょう?」

 水をかけただけで、艶々のぷるんぷるんなのである。

「そっと擦ってやってくれ。…汚れてなくても」

「了解です」


 どちらもすぐに洗い終わり、稜真は生活魔法で順に乾かしてやる。

「きさらを洗うのに時間がかかるから、遊んでおいで」

 そらとももは、じゃれ合いながら河原で遊び始めた。


 澄んだ川の水が、きらきらと輝いている。一部の流れは、きさらが汚しているが。


(暖かい日で良かったな)


「さて、イネス。大物を洗うぞ」

「はい!」

「きさら、おいで!」

『は~い』


 きさらは河原に上がって来た。

 稜真とイネスの2人がかりで、きさらの全身を石鹸で泡立てる。川で流し、一見綺麗になったきさらだが、毛に入り込んだ土は取れていなかった。

 泡はすぐさま茶色くなる。


 以前は、水辺で石鹸を使うのに抵抗のあった稜真だが、錬金術製の石鹸は環境を壊さず、すぐに分解するとアリアが教えてくれた。安価で大量に供給されているので、錬金術師のいない田舎のメルヴィル領でも入って来るのだ。


 イネスが桶で水をかけてくれ、稜真はきさらの毛に指を入れながら泡を流してやる。

「きさら、翼広げて」

『は~い』

 稜真にかまって貰えて、きさらはご機嫌である。

 すっかり綺麗になったきさらを乾かしてやる。イネスがいてくれて良かったと思う。1人だったら、まだ終わらなかっただろう。



「──よし、皆綺麗になったね」

「リョウマさん、俺達はどうしましょう?」

 元々土で汚れていたが、今は2人共泡だらけでびしょびしょだ。

「…イネス…着替えは持って来て…ないよな」

「ないです」

「服のまま川に入って、ざっと土を流そうか。そのまま俺が乾かすから、村に帰ったら着替えを持ってお風呂に行こう」


 脱いで洗う事も考えたのだが、アリアのにやつく顔がちらつき止めておいた。どうせお風呂に行くのだ。簡単に水で流せばいいだろう。


「リョウマさん。頭の後ろにも付いてますよ」

「あー、そんな所にもついたか。って、イネスも付いてるぞ」

 稜真は川に頭を突っ込んで、がしがしと流す。イネスも真似をした。


「イネス、背中を流すぞ」

「はい」

 川の水をかけて汚れを落とし、固まった土がついている場所は、手でほぐして洗い合う。


 水を掛け合う様子を見ていたきさらが、『主、楽しそう! きさらもやる!』と、大きな水しぶきを上げて、川に飛び込んで来た。

「うわっ、きさらっ!?」

 せっかく乾いたきさらは、また水浸しである。きさらが飛び込んだ勢いで、水は川岸にまで跳ね、そらが濡れ鼠になっていた。


 ぶるぶるっと体を震わせて水を払ったそらが、きさらの背に飛び乗った。体をふくらませて怒りながら、きさらの頭をつつく。

『痛~い!』

 きさらが悲鳴を上げた。


 稜真は苦笑しつつ、濡れた顔を手で拭った。きさらは何故そらに怒られているのか、分からない様子で首をすくめている。イネスはきさらが飛び込んだ時の水の流れでバランスを崩し、川の中で尻もちをついている。


(……あれ、ももは?)


 ももの姿が見えない。慌てて探すと、ぷか~と川面に浮かび、流されて行くのが見えた。

「ももっ!?」

 川は浅瀬で流れも緩い。稜真は頭から川に飛び込むようにして、なんとかももを捕まえた。

「はぁ…」

 ももを掴んだ稜真は川の中にへたり込んだ。


「ぷっ、ははっ」

 尻もちをついて、ぽかんとしているイネス。そして同じ格好の自分の間抜けさに笑いがこみ上げた。

「ははははっ!」

 稜真が笑ったので、ようやくそらもつつくのをやめた。

「あ~あ。リョウマさん、楽しそうに笑っちゃって。──ははっ」

 楽しそうな稜真に、イネスもつられる。


 2人でしばし、大笑いしたのである。




 河原に上がり、イネスに大きめのタオルを渡した。

「先に体を拭いておいてくれ。その間にきさら達を乾かすから」

「はい」


 きさらの体をタオルでざっと拭ってから、生活魔法で乾かす。魔力を操作して、両手から暖かい空気を出して乾かすのだ。意識すると、手を添えていなくとも温風の移動は出来る。きさらの体を乾かし終え、稜真は正面に回りきさらと視線を合わせた。

 その雰囲気に怯えたきさらは目を反らそうとするが、稜真は許さない。両手できさらの顔を挟み、しっかりと視線を合わせる。


「きさら。せっかく乾かしたのに、川に入ったら駄目だ」

 稜真が叱ると、きさらはようやく自分が悪い事をしたと自覚したのか、大きな目を潤ませる。

『…ごめんなさい』

 きさらは、お座りしてうつむいた。しばらくそのまま反省させておく。



「そら、おいで」

「クルル?」

「そらは、従魔の中ではお姉さんだね。頼りになるよ」

『そら、おねえさん?』

 生まれた年月から言ったら、きさらの方が年上だろう。だが精神的な成熟で言うと、そらが上だ。まだ体が湿っているそらに、そっと手を添わせて乾かしてやる。

『そら、きょうは、やくにたてなかった、よ?』


(……やっぱり気にしていたのか)


「そらは体が小さいんだから、今日は仕方ないよ。応援してくれて、きさらを叱ってくれただろう? 俺は従魔の中で、そらを1番頼りにしているんだよ」

『いちばん? きさらと、ももよりも?』

「そうだよ。きさらとももよりも、お姉さんのそらを頼りにしている」

「クゥ!」

 そらは稜真の胸に飛び込み、体を擦りつける。まだ濡れていた稜真にくっついたせいで濡れてしまった。

「ちょっと待ってて」


 稜真はそらを腕に乗せ、その腕以外の全身に魔力を循環させて体を乾かした。次いで、湿ったそらをもう1度乾かして撫でてやる。


 そらの気持ちも回復したようだ。稜真の足元で待っているももは、濡れたようには思えないが、こちらも温かい風を送って撫でてやる。

「ももも、今日はお疲れ様。助かったよ」

 ぷるるんと揺れるももとそらを肩に乗せた。



「さて、イネスお待たせ。──もう少し、髪の水気は取った方がいいかな…。かがんでくれ」

 水気が少ない方が早く乾く。自分を乾かす時は手抜きして、多めに魔力を使ったが、人に使う時は調整が難しい。

「あ、はい」

 稜真よりも背の高いイネスが、かがんで頭を突き出した。その頭をタオルでくしゃくしゃと拭いてから、髪を整えながら乾かす。そのまま、全身に魔力を流して乾かしてやる。


 イネスは、気持ち良さげに目を閉じている。

「リョウマさんって──」

「ん?」

「強くて、優しくて、頼りがいがあって…。理想の兄みたいです」

 イネスが恥ずかしそうに言った。


「理想の兄? イネスには兄弟がいるだろうに。お兄さんも何人もいたよな?」

「4人います。でも俺、年の離れた兄とは、あまり話す事もなかったんです。2番目の兄はリョウマさんと同い年ですけど、店の手伝いで忙しくて、弟に構っている暇はなかったですし。年の近い兄達は…その…、俺の方が背が高いせいか、何故か俺が面倒を見ていたんです」

 改めてイネスの家族構成を聞くと、18歳の兄を筆頭に、16歳の兄、14歳の双子の兄、10歳と8歳の弟がいるのだと言う。


「双子の兄達は悪戯好きで、近所でも有名でした。親は店で忙しいから、俺が兄の悪戯を謝りに行って、俺に罪をなすりつけて逃げるから、また謝って…」

「…そうか」

「兄達と歩いていても、俺が『お兄ちゃん』だと思われるんです。親もたまに俺を上だと間違えて、『お兄ちゃんなら、我慢しなさい!』って…。ははっ…」

 体が大きくてしっかり者、兄弟の真ん中に当たるイネスは苦労したのだろう。


 力なく笑い、目を潤ませたイネスの頭に手を伸ばし、くしゃっと撫でた。

「可愛くないのは身長だけだよ。俺にとって、イネスは充分に子供らしいさ」

 イネスはくすぐったそうに笑った。その笑顔は子供らしく、あどけないものだった。


「悪かったな。前に冗談でも、お兄ちゃんなんて言ってしまって」

「リョウマさんに言われたのは、気にしてないですよ? 可愛くて驚きましたけど!」

「だから可愛いって言うなと……」

「あの…その……。おあいこって事で!」

「おあいこ、か。ははっ! 確かにな」




 そろそろ宿へ戻ろうか、そう考えた所へ、きさらがおずおずとやって来た。

『主…ごめんなさい。気をつける…』

「約束だよ?」

『うん』


 稜真は反省したきさらを撫でてやる。

「今日はきさらのお陰で、マーシャが喜んでいたよね。たくさん土を掘ってくれて、ありがとな。明日も頼むね」

 稜真に言われたきさらは、尾をピンと伸ばした。

『頑張る! 明日はマーシャの大事な物、出してあげるの!』

 張り切ってぴょんぴょん跳ねたきさらだが、すぐに力なく座り込んだ。


『主…、あのね…。お腹空いた…』

「ははっ! 帰る前に、おやつにしようか」

 おやつの言葉に、そらとももが稜真の肩に飛び乗った。

「イネス悪い。きさらがお腹空いたんだってさ」

「言われてみれば、俺もお腹空きました…」

 力仕事をしていたのだから、当然かも知れない。稜真も小腹が空いていた。


「甘い物と甘くない物、どっちがいい?」

「俺は甘くない物がいいです」

「了解。ちょっと待っててくれ」


 お腹を空かせたきさらには、生肉と野菜を積み上げた。

 そらの皿には、サンドイッチをほぐして食べやすくする。ももの皿には、そのまま入れてやった。もちろん、きさら用のサンドイッチも用意してある。喜んで食べ始める従魔達の隣に敷物を敷いた。


 お茶を入れ、自分達用に丸パンのサンドイッチを取り出す。

「これも、リョウマさんが?」

「そう。瑠璃と作ったんだよ」

「ルリちゃんが!? 小さいのに料理上手ですね。──うん、美味しいです!」


 サンドイッチを食べ終えたイネスが、ぽつりと言った。

「リョウマさん。俺、アリア様のお屋敷でお世話になろうと思います」


 イネスは料理長から、「お嬢様とリョウマのお眼鏡にかなったお前なら、是非来て欲しい」と言われていた。だが伯爵家に気後れしており、決意できずにいたのだ。旅の間にゆっくり考えるといいと料理長は言ってくれた。決断出来たのはここまでの旅のお陰、特に稜真の存在が大きい。


「いいのか? 旦那様にお願いして、王都で修行先を探す事も出来ると思うよ?」

「リョウマさんに、もっと色々と教わりたいんです」

 料理だけじゃなくて、とイネスははにかんだ表情を見せる。

「俺は、いつも屋敷にいる訳じゃないぞ?」


「リョウマさんが忙しいのは分かってます。でも俺、決めたんです!──貴族様のお屋敷と思うと、気が引けるけど…。料理長のお話も勉強になりました。お米の料理も、もっと知りたいです。王都よりも、お屋敷でお世話になった方が勉強になると思うんです」


「そうか」

「それに、リョウマさんとアリア様を見ていると、お屋敷の方々の人柄が分かる気がします。俺でも、やっていけると思います」


「イネスなら大丈夫。歓迎するよ」



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