第190話 果樹園

『お手紙貰った! ご飯も食べたよ!』


 稜真はきさらからの念話で起こされた。まだ早朝だ。昨夜、伯爵は寝たのだろうかと心配になる。イネスを起こさないように、そっとベッドから降りた。


 仕込み中の宿の主人に声をかけ、村の外に向かう。


 村の囲いは、交代で村人が見張っている。稜真がアリアの従者である事は知られているので、不審に思われはしなかったが、不思議そうには見られた。挨拶を交わして説明する。

「配達を頼んでいたグリフォンから念話が来まして、迎えに行って来ます」

「早朝から大変ですね。行ってらっしゃい」


 村からある程度離れた場所に着くと石笛を吹いた。空間が繋がり、きさらは機嫌良くこちらに来る。

「おはようきさら」

『主、おはよう!』


 他の川に異常は見られないから、マーシャを優先するように、と伯爵からの手紙に書かれていた。


 すぐに戻っては、先程の村人に不思議に思われるだろう。宿に戻る前に、きさらと約束していたブラッシングをしてやった。たっぷりと稜真と触れ合え、艶々ふかふかになったきさらは、大満足である。

 散歩がてら、のんびりと村まで歩いて戻った。


 宿に戻ると、ちょうど皆が起きた所だった。今朝も宿の食堂で朝食を取る。従魔も一緒にどうぞ、と言って貰えたので、そらとももも一緒だ。


「…おはよう…ございます」と、マーシャが宿の夫婦に挨拶をし、微かに微笑んだ。

 マーシャが微笑んで張り切った宿の主人が、朝食をたっぷり出してくれた。


 ジャムが添えられたパンケーキ。スクランブルエッグ、鳥肉をほぐして乗せたサラダ、柑橘系の果物を絞ったジュース、山羊のミルク、山羊のチーズ。焼いたハムとソーセージ、焼きたてのパン。テーブル一杯に並べられた料理に、マーシャは目を丸くしている。


 稜真は、取り出したそらとももの食器に、欲しがる食べ物を乗せてやる。


 商隊では食料の制限をされていて、満足に食べられなかったとイネスが教えてくれた。マーシャの食が細くなったのは、事件のショックだけではなかったようだ。この旅の間に、徐々に食べる量は増えて来たが、まだこの年頃の子供にしては少ない。


「うふふふふ…。もうちょっと、締めておくべきだったよね…」

 話を聞いたアリアが言う。同じ思いの稜真だが、量は食べれなくても美味しく食べさせたい。不穏な空気を漂わせるアリアにデコピンを入れた。


「あう!? ──え~っと、マーシャは何が好き?」

 おでこを押さえたアリアが聞いた。

「パンケーキ、すき。ジャムもすき。いろいろたべたいけど、こんなに、たべられない…」

「残ったら私が食べますから、マーシャが好きな物を食べれば良いのですわ」

「ルリは、いっぱいたべれて、うらやましい」

「だって美味しいのですもの。1番はリョウマお兄ちゃんのお料理ですけど、ここのお料理も美味しいのです」


 そう言うと瑠璃は、パンケーキにジャムを塗ってマーシャに手渡す。

「たくさん食べられなくても、美味しく食べればいいのですわ。マーシャ、頂きましょう!」


 瑠璃はもう1枚パンケーキを手に取ると、ジャムを塗ってかぶりついた。

「焼きたてで、ふんわりと甘くて美味しいです!」

 同じようにマーシャもかぶりつく。

「うん、おいしい」

 マーシャの頬に笑みが浮かんだ。


 旅の間に少しずつ表情が出てきたマーシャだが、昨夜から一段と豊かになって来たようだ。お姉さんらしく、瑠璃の口に付いたジャムを拭いてやっている。


 1番に山羊のミルクに手を伸ばした稜真は、アリアと目があった。その手にも山羊のミルクが入ったグラスがある。目が笑っているアリアに何も言わず、稜真はミルクを飲み干した。




 朝食後、マーシャは自宅のあった場所へ案内してくれた。


 川の上流にあたるこの村の標高は高い。作物を作り、山羊の放牧をして生活している村なのだ。

 マーシャの家は、畑を縮小して果樹の苗を購入した。村の家々から離れた山側に果樹園を作り、家もそちらに引っ越した。

 新たな生活が落ち着いた時、土砂崩れが起こった。マーシャは友達と遊んでいたし、両親は他の家の畑を手伝っていた為、命は助かった。


「きょねん、きをうえるとき、おとうさんがりんごをくれた。このりんごが、なるんだよって…。あまくて、おいしかった。おとうさん、ことしはみがなるよ…って、わらってたのに…」

 マーシャは周りを見回して、ある場所で立ち止まった。

「ここに、いえがあったの。マーシャのようふくとか、だいじなもの…みんな、なくなっちゃった」


 土は湿って重たい。これを退かすのは、大変な作業だろう。広範囲に渡って埋まっているマーシャの家と果樹園は、誰も手を着けずそのままだ。



 突然、きさらが土を掘り始めた。

 ドババババッ!! と、ものすごい勢いだ。稜真は、瑠璃とマーシャを抱えて後ろに下がったが間に合わず、少し土がかかってしまった。


「うぺぺっ!?」

「うわ!?」

 アリアとイネスは頭から土を被った。


「きさら!?」

 稜真の声にもきさらは手を止めず、念話で答える。

『マーシャの大事なものがここにあるの。きさらが出してあげる!』


 土砂崩れの跡地だ。二次災害の恐れはないだろうか? 土は湿り気を帯びて重く、掘っているきさらが埋もれてしまわないか、心配になる。


『…主。右手の土の影をそっと見て下さい』

 瑠璃からの念話だ。稜真が言われた方に視線をやると、小人が顔を出して手を振り、すぐに姿を消した。

『土の精霊です。大地の精霊に言われ、きさらに力を貸してくれています』

『そうか。グリフォンとはいえ、掘る早さが尋常ではないと思ったよ』

『大地の精霊は、この辺りの土が崩れないように、守って下さっていますわ。この地が崩れる事はないでしょう』

『……どうして…』


『主が気に入ったと仰っていますわ』

『瑠璃。ありがとうございますと、伝えて欲しい。何かお礼がしたいけど…』

『──今、お伝えしました。お礼は、先日の歌で充分だと仰っていますわ。──もう! シプレったら!!』

『シプレさんもいるの?』

 姿は隠しているが、側にいるらしい。稜真は頬に触れた手を感じ、瑠璃がぷっくりとふくれた。

『……まだ帰っていなかったようです。お礼はお酒でいいと言っています。それは、シプレの欲しい物でしょう!?』


『ははっ! 今は人目があるから、夜に渡すと伝えて欲しいな』

『分かりましたわ』


 例の酒の他にも何本か買ってある。石釜を頼む為、お酒を見かけるとシプレ用に購入していたのだ。


「リョウマおにいちゃん。きさらはどうしたの?」

 稜真に抱かれたままのマーシャが、穴を掘るきさらを呆然と眺めている。

「マーシャの大事な物が埋まっているから、きさらが出してあげるって言っているよ」


 瑠璃経由で土の精霊に家の様子を聞いたが、土砂が流れ込んだ部分が半分、潰れた部分が4分の1、残りは空間が残っているそうだ。

 マーシャの持ち物や両親との思い出の品物を、少しでも手に入れてやりたいと稜真も思う。


「きさら…」

 マーシャは稜真の肩に顔を埋めて、泣いた。

「うぇ…ひっく、うう…。うれしい…」

 瑠璃がそっとマーシャの頭を撫でる。


『マーシャ、泣いてる!?』

 泣き声を聞きつけたきさらが、掘るのを止めて駆け付けた。

『主、マーシャ、痛い? 悲しい? どうしよう!?』

「マーシャ。きさらが心配しているよ」


「リョウマおにいちゃん。おりる。──きさら。マーシャは、だいじょうぶ。いたくない、よ」

 きさらはマーシャを前脚で抱き上げて、痛い所がないか確認している。怪我がない事に安心して、マーシャをそっと抱きしめ、頭を擦りつけた。

「あーあー」

 稜真は額に手をやった。今のきさらは泥だらけなのである。乾いた土が、マーシャの目と喉に入った。


「けほっ、こほこほっ!」

 目から涙を流し、咳き込むマーシャにきさらは慌てふためいた。

『主! マーシャ、病気!!』

 おろおろするきさらをなだめ、稜真はマーシャを受け取る。マーシャの髪や頬にも土がつき、泥だらけだ。タオルを取り出した稜真は水で濡らし、そっと拭いてやる。涙で目に入った土は流れたようだ。


 涙が止まったマーシャは、泥だらけなのも気にせず、きさらをぎゅっと抱きしめた。

「きさら、だいすき!」

 まだ心配そうなきさらの背を、稜真はポン、と叩いた。

「きさら、マーシャは嬉しくて泣いたんだよ。心配ない」

 安心したきさらは、ドババババッ!と、再び土を掘り始める。


「マーシャも、やりたい」

「ちょっと待って。アリア、何か道具を持っているか?」

 稜真が持っているのは、採取用の小さなスコップだけだ。

「あるよ~」と、アリアは次々とシャベルを取り出した。

「マーシャの分と、私と稜真、イネスの分で、4本でいいかな? 瑠璃には大きすぎるもんね」

「どれだけ持っているんだよ…」

「魔物から村を守るために、柵を作ったり、溝を掘った事があったの。これもいるかな?」


 アリアは手押し車を取り出した。確かに、土を運ぶのに必要だろう。

 きさらの掘った土がどんどん溜まっているのだ。

 イネスがシャベルを使って、手押し車に土を乗せる。マーシャも真似をするが、大きなシャベルに土を乗せて持ち上げ、手押し車に乗せるのは大変そうだ。


 ももが何か言いたげに、ぴょんぴょんと跳ねた。そらが通訳してくれた。

『あるじー。ももが、からだに、つちをのせて、って』

「体に?」

 稜真が見ていると、ももは体を薄く風呂敷のように伸ばした。

「マーシャ、ももの上に土を乗せてくれる?」

「うん」

 足元のももになら、マーシャでも簡単に土を乗せられた。


 瑠璃にシャベルは大きすぎたので、採取用のスコップを渡してある。瑠璃とマーシャは協力して、ももに土を乗せる。

『それくらいで、いいって』

 そらの合図で乗せるのを止めた。


 土を体で包み込んだももは、まん丸になって転がって行き、土を出す。そして元の大きさに戻ったももは、ぴょんぴょん跳ねて戻って来た。

「リョウマおにいちゃん…。もも…すごいね…」

「俺もびっくりしたよ」


 アリアは村長の所に、土を運ぶ場所を聞きに行った。

 きさらが掘り出した土を、稜真とイネスが手押し車に乗せる。


『あるじ…。そら、おてつだい、できない…』

 そらが寂しそうに言う。きさらとももが手伝っているだけに、役に立ちたいのだろう。だが、雪と違って土ではどうしようもない。

「そらには応援を頼みたいな」

『おうえん? やる! そら、おうえん、する!』


 そらは『がんばれー!』と声をあげたり、おしりふりふり踊ったり、歌を歌ったり応援を始めた。その可愛らしい姿に、一同の顔に笑みが浮かぶ。



 土は果樹園だった場所の一角に集めると決まった。

 今回は家を掘り出すだけだ。果樹園を全て掘り返すには時間が足りないし、この場所に畑や家をつくるのは、当分先になるだろう。この土は、山から流れてきた腐葉土混じりの肥沃な土だ。少しずつ村の畑に使う予定だという。


 ふと見ると、土の運び手が増えていた。子供達だ。目を丸くするマーシャに手を振り、作業を始める。

 一緒に作業をする内に自然と会話が始まる。


 アリアと村長が相談し、シャベルと手押し車持参で子供達を集めたのだ。大人の手も貸そうと村長が提案したが、アリアは断った。

 マーシャを案じる気持ちは村人共通なのは分かっていたが、村はまだ復興途中なのだ。大人にはそちらを優先して欲しいし、大勢の人はマーシャの負担になりかねない。この地の精霊が力を貸してくれているから、子供だけでも心配はいらないと言って説得した。




 昼食は村人が差し入れてくれた。

 瑠璃とマーシャを囲み、子供達が輪を作って食事をする。マーシャも次第に子供達と話すようになり、時折笑顔も漏れる。イネスも同じ輪に加わり、楽しげに話をしていた。


 差し入れを運んで来た大人達も、離れた場所で昼食だ。稜真とアリアはこちらで食べる事にした。

 従魔達は稜真の隣で食事をしており、きさらとももが食べる量に村人は目を丸くした。


「手伝って貰えるのはありがたいけれど、子供とはいえ、働き手をこちらに割いていいのかしら?」

 アリアは村長に尋ねた。

「復旧の作業自体は大人で足りています。子供達には山羊の放牧を任せたいのですが、ワイバーンが現れましてね。子供達に任せる訳にも行かず、山羊も山の美味しい草を食べられず、機嫌が悪くて困っています。ギルドに依頼は出してありますので、冒険者が討伐に来てくれるのを待っているのですよ」


「あ…忘れてた」

 アリアが言った。

「すみません、その依頼を受けたのは俺達です」

 稜真もうっかりしていた。


「アリア様達が受けて下さったのですか。いや、川を優先して下さったのは当然ですし、マーシャの事も気がかりでしたから、仕方ありません」

「こちらは子供達に任せても大丈夫そうですね。明日、ワイバーンの討伐に向かいます」

「うん。サクッと片付けて来るわ」

「よろしくお願いします」




 休憩を交えながら、夕方近くまで作業を続けた。すっかり全身が土まみれになった子供達は、瑠璃とマーシャと一緒に共同浴場に行く。子供に大人気のアリアも引っ張って行かれた。


 稜真はそらとももを連れ、きさらにまたがった。

「あれ? リョウマさんは?」

 イネスが聞く。

「きさらを川で洗ってやろうと思ってね。泥だらけだからさ」

 従魔達をお風呂には連れて行けない。土は毛や羽の間に入り込み、拭いただけでは取れそうにない。

「俺も手伝います!」

「泥だらけのきさらに乗ってもいいなら、手伝ってくれ」

「はい!」


 イネスは喜々として、稜真の後ろにまたがった。

「しっかり掴まっていろよ」

「はいっ!」

 きさらは助走をつけて飛び上がった。一気に上空へと駆け登る。


「うわぁ! すごいです! 俺、空を飛んでるんですね! うわぁ!!」

 稜真は、初めてきさらに乗った時の事を思い出した。イネスの少年らしい喜び方に、笑みがこぼれる。


 移動する途中で、にまにました表情で見上げているアリアと目が合った。ぎろりと睨みつけると、途端におろおろと挙動不審になる。


『主…? アリアはまたやりましたの?』

 瑠璃から念話が届いた。アリアの周りは子供でいっぱいで、瑠璃からは姿が見えなかったが、何かを察したようだ。

『ああ。懲りないお嬢様だよね』

『対抗策は考えました。明日から決行しますわ!』

『頼もしいよ』

 稜真はふっ、と笑った。きさらに触れている手から、パラパラと乾いた土が落ちる。早く洗ってやらねばなるまい。


「──イネス、スピードを上げるぞ!」

「はいっ!!」



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