第189話 報告とマーシャ
きさらから見る眼下の景色は、平穏で美しい。茶色く濁っていた大河は水量も回復して見える。下流の水も、徐々に澄んだ流れへと変わって行くだろう。
こてん、とアリアが稜真にもたれた。
「稜真のお陰で領地が救われたわ。ありがとう」
「どうしたのかな、改まって」
「だって、ホントは嫌だったのに歌ってくれたでしょ?」
「そりゃ嫌だったけど、俺だって領地を救いたい気持ちは同じだよ。何より、俺にはその手立てがあるんだからね」
「私はなんにも出来なかったなぁ…」
「……ティヨルに俺の情報を流したりしただろうに」
「地道な布教活動は大事だも~ん」
「…布教活動…?」
「ティヨルはミーリャさんと一緒で、純粋なファン心理があふれてるって分かったんだもん。ちゃ~んと人を選んで布教するから安心してね!」
「安心出来るか!」
手綱を持っている稜真は、アリアに突っ込みが入れづらい。瑠璃がいるから、いつもの仕返しもしづらい。今度たっぷりお返ししようと心に決めた。
「──ともあれ、水害が起こりかけた事は、村にも旦那様にも報告しないといけないね」
「どうやって防いだか聞かれるよね。どうしよっか」
「他でも起こっている可能性もあるし、ある程度正直に言おう。淵に住む
「稜真がいたんだし、お父様も納得するかな」
「そこはアリアがいたから、納得なさるんじゃないのか?」
「お父様も稜真の事を分かって来てるからね~」
伯爵の前ではやらかしていないが、グリフォンとスライムの件で呆れられた覚えはある。
「私と稜真が調査に行って、淵の主に力を借りたとだけ言っとこう。後は、聞いた人の判断に任せればいいよ」
村長にはアリアが報告し、その間に稜真が伯爵への報告書を書き、きさらに運んで貰う事にした。
村に戻る前に、河原に降りた。
すでに昼をだいぶん過ぎている。村へ戻る前に昼食を食べておく事にしたのだ。作り置きの料理だったが、瑠璃は思う存分食べる事が出来て満足そうだ。
きさらも料理と野菜を山盛り食べた。食後におはぎが食べたいと言うので、稜真は口に入れてやる。おはぎだと、稜真が口に入れてくれるので、きさらの好物のひとつになっていた。もちろん、欲しがったのはきさらだけではないので、全員分出した。
「きさら、後でお屋敷に手紙の配達頼むよ」
『分かった!』
伯爵からの返事も貰いたいから、受け取るまで向こうで待機して欲しいと伝えると表情が曇った。村で滞在中は、どうしても稜真と離れる時間が長くなる。
「今度甘いのを焼いてあげるから、ね?」
そう言われても寂しいのか、きさらは稜真に頭をすり付けた。
『…主。おはぎ、もう1個食べたい』
「いいよ。ほら、あーんして」
『あーん』と大きく口を開けた中に、おはぎを入れてやる。
もぐもぐ食べてから、稜真にすり寄ってくるきさらを、がしがしと撫でてやった。
「帰ったらブラッシングしようか」
『たくさん?』
「ああ、たくさんしてあげる」
この約束でようやく機嫌が治った。
あまりゆっくりはしていられない。食後、すぐに村へ戻った。アリアは村長宅へ、稜真は瑠璃ときさらと一緒に宿へ向かう。
「ただいま」
稜真と瑠璃が部屋へ入ると、マーシャとイネスは、物語集を開いて文字の勉強中だった。短い話を選んで、マーシャがイネスに読んでいたのだ。
「お帰りなさい。早かったですね!」
「おかえりなさい」
そらとももは、争うように稜真の肩へ飛び乗った。稜真は笑いながら、2匹を撫でてやる。
「調査結果はどうでした?」
イネスが尋ねた。
「ああ。上流の川が土砂と木でせき止められていて、今にも大量の水があふれ出しそうになっていたよ」
「ええ!?」
イネスは驚きの声を上げ、マーシャは真っ青になる。瑠璃はマーシャの手をぎゅっと握った。
「解決したから大丈夫だよ」
稜真はそう言って微笑んだ。
「かいけつ?」
「川の近くに淵があってね。そこの
「主、ですか?」
「白い大きなドラゴンだったな」
「「ドラゴン!?」」
マーシャとイネスの声が揃った。
「リョウマおにいちゃん、ドラゴンにあったの?」
「会ったよ」
「すごい…」
「リョウマさん! ドラゴンって、どんなです!? 絵本の絵みたいに大きいですか? 話が出来るんですか? 怖くなかったですか!?」
マーシャ以上に、イネスが食いついた。そして、2人揃って尊敬の視線で見つめて来るのだ。
精霊関係は伏せた方が無難そうだ。
「旦那様に急いで報告しないといけないから、手紙を書いて出して来るよ。その後にドラゴンの話をしようか」
稜真はそらとももを残し、隣の部屋へ移動する。瑠璃は物語集を開くマーシャの隣に行った。マーシャは新しい話を読み始めた。
稜真は手早く手紙を書き終えると、きさらを連れて村を出た。きさら用の鞄は2つある。屋敷の厩に下げられている物と、稜真が持っている物だ。鞄に手紙を入れて、きさらの首に下げた。
きさらには、返事を貰ったら念話するように言ってある。返事を待つのは、機動力のあるきさらがいるから、何か頼まれるかも知れないと考えての事だ。
「頼んだよ、きさら。それと、鐘を鳴らすのは3回だけだからね」
『3回。うん、覚えてる!』
きさらは元気良く頷いた。稜真はきさらをひと撫でして、石笛で空間を繋いだ。
稜真が宿へ戻ると、アリアは村長への報告を終えて宿にいた。村長へドラゴンに手助けして貰ったと報告したら、「さすがはアリア様」とあっさり納得されたらしい。
稜真を待ちかねていたマーシャが、袖を引っ張った。
「リョウマおにいちゃん。ドラゴンのおはなし、ききたい」
アリアも瑠璃も、稜真が戻るまでドラゴンの話はしなかったのだ。
瑠璃は精霊としてのボロが出てしまわないか心配だったし、アリアは魔女扱いが気に入らないので、シャリウの事を悪く言いそうな自覚があった。稜真もシャリウに対して思う所は山ほどあるが、まだこの中では無難な事を言える──かも知れない。話は姿かたちだけでいいだろう。
「白い体に金色の目のドラゴンだったよ。宙に浮かぶ姿は見上げる程に巨大だった。そうだね、イネスの絵本みたいな大きさだったな」
それを聞いたイネスは、自分の部屋の荷物に入れてある絵本を取りに行った。そして、勇者とドラゴンが対峙している箇所を開いて、マーシャに見せた。
ドラゴンに比べると、勇者が豆粒くらいに見える。
「こんなにおおきいんだ…。ルリもみたの?」
「見ましたわ。淵にすまう
「そうだね。この絵は、前に会った赤いドラゴンに似てる。今日会った白いドラゴンは、もう少し体が細長かったよ」
「リョウマさん、他にもドラゴンに会ってるんですか!?」
イネスが稜真に詰め寄った。
「アリアと一緒に、ね」
マーシャとイネスの目が輝いている。ドラゴンは、恐怖の対象でもあるが、憧れの存在なのだろう。
「ふふ~ん。シャリウはこんな感じだったよね~」
やけに静かだと思ったら、アリアはシャリウの絵を描いていたのだ。描き上げた絵をかかげて、皆に見せてくれたのだが、なんと表現すればいいだろうか。
「か、形は…面影がある……かな?」
稜真は言った。正直ミミズかと思ったとは口に出せない。アリアの絵を見て、そらは首を傾げているし、ももはぷるぷる小刻みに揺れている。
「アリアお姉ちゃんが残念なのは、料理だけじゃなかったのですね…」
「え!? 私の絵、残念なの!?」
(自覚がないのか…)
刺繍をする時は下絵があった。この先、下絵なしで刺繍をする日が来たらどうなるのだろう。稜真に不安がよぎった。
マーシャとイネスはアリアと目を合わせない。絵に関して何も言わないのは、2人の優しさなのだろう。
稜真は新しい紙を取り出した。
「シャリウは、もっと…こんな感じじゃなかったかな?」
「リョウマお兄ちゃん、ここは、こうではありませんでした?」
稜真と瑠璃が協力して描き上げた絵は、優美なシャリウの姿を上手く表していた。
「きれいな、ドラゴン」
「ドラゴンも色々なんですね」
イネスは絵本の絵と見比べた。
マーシャとイネスが興味を持ったので、稜真は魔獣図鑑を取り出して、ドラゴンのページを開いて見せた。2人は目を輝かせて見入っている。図鑑の文字はマーシャにも難しいらしく、稜真は文字を読み上げた。
「私だって見ながら描けば、ちゃんと描けるんだもん…」
アリアはぶつぶつ言いながら、再び紙に向かっている。
「出来た!」
「……クゥ?」
その紙を見せられたそらが、首を傾げている。
「そらを描いたんだよ!」
「クルル!?」
「アリアお姉ちゃん?
『あるじー、そら、あんなの? おねえちゃのえ、こわい…。そらも、こわい?』
「そらはあんなのじゃないよ。もっと可愛いから、安心していいよ」
可哀想に、と稜真はそらを腕に抱いて慰める。
「あ、あんなのって…。稜真もそらも、ひどい! 私だって、ももなら描けるもん!」
「ももは丸が描ければ誰にでも……って、アリア…」
アリアが描いたももの絵を見て、稜真は言葉をなくした。
(このスライムは、違う世界のスライムだと思う…。不定形の、補食するタイプのスライムだよ。口には出せないけど…)
「お姉ちゃん。このスライムは、別の世界のスライムだと思います!」
瑠璃がきっぱりと言った。
「うぐっ!?」
瑠璃にとどめを刺されたアリアは、テーブルに突っ伏した。
アリアの絵で落ち込んだそらを慰めようと、マーシャがそらを見ながら絵を描いた。ちゃんと鳥に見える、可愛らしい絵だ。そらはご満悦である。──並べるとアリアの絵の残念さが際立った。
「そら。今度こそちゃんと描くから、ここにいて!」
唐突に、皆でそらの写生会が始まった。閉じこもっていたマーシャの気分転換になりそうだ。
稜真はお茶でも入れる事にした。ふと、ももはどこに行ったんだろう、と足元を見て吹き出した。
「ぷっ、ははっ! アリア、ごめん。その絵、ももにそっくりだよ! あははは!」
「リョウマさん、どうしたんです!?」
「稜真お兄ちゃん!?」
「リョウマ…おにいちゃん…」
あの絵をそっくりと言うなんて。イネスと瑠璃とマーシャが心配そうに稜真を見る。
稜真はお腹を抱えて笑いながら、床のももを指差した。
「うわ、絵にそっくりだ!」
イネスが驚きの声を上げた。
「うう…。ももったら、その気遣いは…嬉しくないよぉ…」
ももはアリアの絵にそっくりの、不定形の姿を真似ているのだ。うにょうにょと、怪しい動きまでしてみせる。
部屋に皆の笑い声が響く。
くすくすっ、と新たな笑い声がした。
「…アリアさま、もも、おかしいの。ふふ、ふ…。くすくすっ」
マーシャが満面の笑顔で、声を出して笑っているのだ。
「──アリアの絵のお手柄だね」
稜真がぽん、とアリアの頭に手を置いた。
「嬉しくない…けど、嬉しい!」
アリアはマーシャを抱きしめた。
夕食の時間になるまで、休憩をはさみつつ、皆でお絵かきをした。ちなみに、1番絵が上手いのはマーシャだった。
「ところでアリア。学園って、芸術関係の授業はあるのかな?」
「……あったら…どうしよう…」
「今度ユーリ様に聞いてみような」
勉強はともかく、この絵を上達させる術は、全く思いつかない稜真であった。
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