第145話 調理依頼の準備

 あれだけ色々な事があったのに、まだ昼時とは驚きだ。

 ももを肩に乗せた稜真は、まずポーラの店に向かった。米を仕入れたのならば、もしかして調味料も仕入れてないかと思った。

 実は醤油の量が心許こころもとないのだ。材料を購入する時に頼まなかったのは、あるかないかがはっきりしなかったからである。


「こんにちは」

「あら、リョウマさん。こんにちは」

 ウィルをおんぶしたポーラが出迎えてくれた。

「米を仕入れたと聞きました。もしかして、醤油という調味料も仕入れてないでしょうか?」

「醤油? 黒い調味料の事かしら? 使い方が分からなくて、裏に置いたままなの。少し待っていて下さいね」

 ポーラは裏に行き、瓶に入った黒い調味料を持って来てくれた。稜真は少し味見させて貰った。


「間違いないです」

「リョウマさんが買ってくれるなら助かります。何しろ主人ったら、米も醤油も使い方を知らないで仕入れて来たんですもの!」


 少し怒ったようなポーラの声は、裏にいた夫のシドの元に届いたらしい。シドが慌ててやって来た。

「ポーラ!? 僕は、使い方は聞いて来たんだよ。ちゃんと紙に書いて貰って、ただ…」

「ただ、雨に濡れて読めなくなったのよね」

「と、突然の雨だったんだよ。商品は濡らさないように気配りしたし…」

「それで自分は風邪を引いて、おまけに懐に入れていた紙を読めなくしたのよね!」

「……そうだね」


「心配したのよ? 商品も大事だけれど、私にはあなたの方が大切だって事、覚えておいてくれなきゃ…」

「悪かった。気をつけるよ」

 2人は見つめあうと抱き合った。


 稜真は後ろを向いた。確かポーラは17才だとアリアに聞いた。ご主人は20代後半に見えるのだが、ポーラの方がしっかりしているようだ。

 店を出る訳にも、見続ける訳にも行かずに困っていると、むずかるウィルの声がした。ポーラとシドがあやす声が聞こえ、そろそろいいかと声をかけた。


「あの…。醤油を売って欲しいのですが、よろしいでしょうか?」

「ごめんなさい!! お客様をほったらかしにして!」

「申し訳ない!」

 ようやくこちらに意識を向けてくれ、稜真はほっとして振り返った。


「あなた。アリアの従者のリョウマさん」

「そうか君が。ポーラから話は聞いているよ。僕とは初対面だよね。僕はシド、この商店の主だよ」

 ははっ、とシドは笑った。


「稜真です。米はまだ残っているのですか?」

 元はと言えば、たくさんあって困っているという話だった。

「ギルドが何故か大量に買ってくれたので、少ししか残ってないよ。20キロくらいかな? 醤油の瓶は30本あるが、料理法もないものをどうやって売ればいいのか。アストンの町で流行っていると聞いて仕入れたんだけどね」

 米も醤油も、アストンの町では普通に商店に売っているそうだ。お世話になった宿のご夫婦は元気だろうか。流行り始めたのは、あの宿から、稜真はそんな気がした。


「俺で良ければ、いくつかレシピをお教えしますけど?」

「そう言えば、リョウマさんはお米を使った料理を知っているのよね。アリアが聞いて来ると言ってたのに忘れていたわ。──そうね。また仕入れるにしても、料理法を知っていたら売りやすいし…。教えて貰ってもいいかしら?」


「メモを取ります? それとも作ってみましょうか?」

「全く知らない食材ですもの。実際に作って貰えるならありがたいけれど、そこまで甘えてもいいのかしら?」

「アリアがお世話になりましたし、俺で力になれるのでしたら喜んで作りますよ」

「そうしてくれると僕も助かる。何しろ、売れると思って買い込んだ責任があるからね」

 シドが苦笑した。


「報酬は醤油でいいかしら? よろしくお願いします」

 ポーラはシドの背にウィルを移動させた。

「しっかり教えて貰って来るから、ウィルと店番お願いね」

「ああ、任せてくれ」


 稜真は、まず米の炊き方を教えた。炊けるのを待つ間に、醤油を使ったレシピを教える。

「茹でたほうれん草にかけるとか、そのままソースのように、薄味の食材にかけてもいいですけど、初めての時は受け入れにくいかも知れません」


 ポーラが昼食用に買ってあった鮭を使って、バター醤油焼きにする。

「まあ! 美味しいわ。バターと合うなんて」

「バター醤油味は、色々な食材に合いますよ。キノコとか肉でもいいですね」

 さすがに昆布や味噌は仕入れてなかったので、それ程の種類は作れないがポーラは料理上手だとアリアに聞いている。基本の使い方を知れば、きっとアレンジして美味しい料理を作るに違いない。


 米に関しては、元々洋風の料理とも合うのだから、炊き方さえ覚えればいい。


 稜真は炊いた米の半分を使い、炒飯を作った。

「残っている野菜や肉などを細かく刻んで炒め、炊いた米と一緒に炒めます。味付けは塩コショウだけでも美味しいですし、ここにも醤油を入れると香ばしくなります。具は汁気が多くなければ、なんでも合うと思いますよ」


「お米自体には味がないのね。炊けたご飯はもっちりとしていて、炒めたご飯は食感も変わる…面白い食材なのね」

「好きに使ってみればいいと思いますよ。俺の故郷では、米を粉にしてパンを焼いたりもしていましたから」

「米でパンを? 本当になんでも出来る食材なのね。料理も出来たし、早速食べてみたいわ。リョウマさんも一緒に食べて下さいね。──と言っても、ほとんど作ったのはリョウマさんですけれど。ふふっ、今日は昼食を作らずにすんで、得しちゃったわ」

 付け合わせのサラダを作りながら、ポーラは悪戯っぽく笑った。「ありがたく頂きます」と、稜真も笑った。


 店番をしていたシドを呼ぶ。眠ってしまったウィルをそっとベッドに寝かせ、3人で食卓についた。ももには、稜真が取り出した果物や木の実、野菜を盛り合わせ、足元に置いた。

「もも、作ったご飯は夜まで我慢してね」

 ももは軽くぴょんと跳ねた。



 バター醤油味の鮭は好評だった。炊いたご飯も炒めたご飯も、2人共美味しそうに食べてくれた。

「リョウマさんが教えてくれたレシピ、醤油と一緒にお客様に教えてもいいかしら?」

「俺は構いませんよ」

「米も美味しかったな。また仕入れて来るか」

「シドさん。今回ギルドが大量購入したのは特別な事なので、この町で受け入れられるまでは、控え目に仕入れた方がいいですよ」

 稜真は釘を刺した。

「ははっ、そうするよ」


 料理の講師料に、1リットル程の瓶に入った醤油を5本渡された。ほんの少し料理を教えただけなのに多すぎる、と稜真は代金を払おうとしたが、ポーラは受け取ってくれない。

「ギルドが買ってくれたのは、アリアとリョウマさんのお陰なのでしょう?」

「成り行きだったんですけど…。ありがとうございます」

 稜真は他に必要な物をいくつか購入して店を出た。道々食料品を買い込みながら、町の外へ向かった。





 町の外に出ると、きさらに念話を繋ぐ。

『きさら、何度も申し訳ないけど、今呼んでも大丈夫かな?』

『大丈夫! 新しいお手紙を貰った所!』

 空間を繋ぐと、きさらの隣でオズワルドが呆れた顔をしていた。何しろ、午前中に送ったばかりなのだ。稜真は軽く頭を下げる。

 やって来たきさらが持っていたのは、ギルド宛ての手紙が1通と、もう1通は稜真宛てだった。

 これ以後の報告は通常の方法にしなさい、と書かれていた。まさか伯爵も、手紙を書いてすぐに呼ぶとは、思ってもいなかったのだろう。ギルド宛の手紙も急ぎではないと書かれていたので、明後日に渡す事にする。


 ともあれ、すぐに稜真に呼んで貰ったきさらは上機嫌である。ももに胸元に入って貰い、手綱を付けてきさらに跨がった。

「湖の家まで頼むね」

 きさらの首をぽんと叩いてやると、「クォルル!」と嬉しそうにいなないて飛び立った。



『瑠璃、今話しても大丈夫?』

『はい、大丈夫ですわ』

『今からそっちに行くよ。大量に料理をする羽目になってね。瑠璃に手伝って欲しいんだ』

『分かりましたわ! お待ちしてます!』

 瑠璃は弾んだ声を上げる。



 余程待ち遠しかったのか、瑠璃は家の前で待っていた。

「お帰りなさいませ。あるじ

「ただいま、瑠璃」


 きさらの手綱を外し、抱っこと両手を上げている瑠璃を抱き上げる。

「実はね。マクドナフで仲間が増えたんだよ。もも」

 稜真が呼ぶと、胸元からぴょんと、ももが飛び出した。稜真の手の平でふるるん、と揺れる。

「スライムですね。仲間? 主がテイムしたんですの?」

「そう。仲良くしてくれる?」

「もも、私は瑠璃と言います。これからよろしくお願いしますね」

 ももは瑠璃の小さな手に移動して、ふるふるんと揺れた。


「シプレに話は聞いていましたけど、触ったのは初めてですわ」

「シプレに?」

「スライムは植物の中を棲みかにしているそうです。スライムは植物の中で休む事で身を守り、植物はスライムから栄養を貰うという関係だそうですよ」

 植物の精霊であるシプレとスライムは関係が深い。図鑑にも書かれていなかった情報である。


「共生関係か。知らなかったよ」

 ももはぴょんと稜真から降りて家の壁にくっつくと、すうっと消えた。少しすると壁から出て来て、稜真の肩に戻る。壁を見ると、ももが出てきた部分は艶が増している気がする。

「へぇ。それなら、ももは植物の中で休んだ方がいいのかな?」

「今まではどうしていたのですか?」

「俺の枕元で一緒に寝ていたよ」

「……ももったら…うらやましいですわ…」


 話しながら家の中へ入る。きさらが器用に鉤爪の汚れを拭き取って、稜真に確認してと見せる。

「うん、綺麗になっているよ」

 稜真の答えに喜んで、久しぶりに自分の部屋へ駆けて行った。稜真も瑠璃を降ろし、靴を脱いで家へ入る。不思議そうに、ももは居間をぴょんぴょんと跳ねている。


「もも。寝る時は、植物の中で眠った方がいいのかな?」

 ビクッと固まったももは、稜真の胸へ飛び込んで離れなくなった。

「うふふ。主と一緒がいいのですわ」

「そのようだね。今日も一緒に寝ようか。瑠璃と一緒にね」

 そう言うと、ようやく胸から離れて肩に移動し、ぽよんと揺れた。

『きさらも一緒がいい!!』

 話が聞こえたのだろう。きさらが慌てて部屋から飛び出して来た。

「──きさらも?」

 きさらの部屋では、瑠璃と自分は眠れない。だが何度も屋敷との行き来を、文句も言わずにやってくれていた、そんなきさらの望みは叶えてやりたい。

「そうだね、今晩は居間で寝ようか。皆で、ね」

 机を片付けて布団を敷けば、全員で眠れるだろう。




 稜真達がいない間、瑠璃は湖で眠っていた。料理の前にまずは掃除か、と人のいなかった家の窓を全て開け放った。だが家は空気も淀んでおらず、汚れた様子もない。不思議に思っていると、シプレが顔を出した。

「こんにちは、リョウマさん。どうかしましたか?」

「こんにちは。家を空けていたのに、汚れていないなぁと思いましてね」

 人のいない家は埃も積もる物だが、と不思議に思う稜真にシプレは笑った。

「この家は生きていますもの。汚れる筈がありませんわ。気になるのでしたら、スライム達が掃除してくれますよ」


 家の外には、姿は見えないがスライムがたくさん棲んでいるそうだ。先程からが床を転がっているのは、もしかして掃除をしてくれているのだろうか。

「もも、仲間を呼ぶ?」

 ぴょん、と跳ねて転がるスピードを上げたのは、呼ばなくてもいいと言っているのだろう。


「外の仲間は、呼ばなくてもよさそうですわね」

 ももが稜真がテイムしたスライムだと、シプレには一目で分かったようだ。マクドナフの町で購入した酒をお土産に渡すと、シプレは嬉しそうに抱え込んで帰って行った。

 部屋の掃除はももにまかせ、稜真と瑠璃は手分けして、テーブルとかまどを軽く拭いた。


 瑠璃がためらいがちに何か言おうとしては止める。

「どうかした? 瑠璃」

「あの…主。寝る時に子守歌を歌って欲しいのですけど…」

 アリアがいないのに、自分だけ聞いてもいい物だろうかと、言い出せずにいたらしい。ずっと1人で待っていてくれた、瑠璃の願いを断る訳がない。

「いいよ」

 ぱあっと瑠璃の表情が晴れる。

「童謡ではなくて、あの歌がいいのです」

 瑠璃が言うあの歌とは、稜真が最初にこの世界で歌った歌。瑠璃が冬に眠る時に歌ったあの歌だ。

「瑠璃はあの歌が好きだよね。分かった」


 ももが、どこか不思議そうに、体を伸ばして瑠璃の足をつついた。

「もも、主の歌を聞いた事はありますか?」

 ぷるぷるぷると小刻みに揺れた。

「ももの前では、歌った事はなかったな」

 瑠璃はももを手の平にすくい上げた。

「主の歌は、素晴らしいのです。一緒に聞きましょうね」


 そこまで言われる程ではないと思うが、瑠璃の心からの言葉に稜真は赤くなった。

「頬を染めた主は可愛いです」

「……可愛いって言わないでくれる? 瑠璃にまで言われると落ち込むから」

「何かあったんですの?」

「町でいろんな人に可愛いと言われてね…」

 瑠璃はちろりと稜真を見上げ、首をかしげた。


「……可愛い以外ですか? 主ほど優しい方はいませんわ。精霊である私や、従魔、ついでにアリア。皆を大切にしてくれますし、そんな主に仕えられる私は幸せですわ。主が大好きです。大好きな主の歌を聞くと、私は胸が温かくなるのです。とてもとても、幸せな気持ちになります。人間の美醜はよく分かりませんけれど、主を見るとドキドキしますの。主の黒い髪も黒い瞳も、とても綺麗です。それから──」


「待って、瑠璃! もういいから!!」

 瑠璃はきょとんとしている。可愛いと言わないで欲しいと言っただけで、まさか他の言葉で褒められ続けるとは思わなかった。稜真は熱を持った頬を手で冷やす。


「…料理を始めるから、手伝ってくれるかな」

「はい!」

 瑠璃は元気よく返事をした。



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