第48話 回復薬
「クルルル」
目が覚めたそらは、稜真の頭の横に降りた。
目覚まし係のそらは、いつものごとく、稜真の髪をそっと引っ張った。
──稜真の反応はない。
そらは稜真を見つめて首を傾げた。いつもなら髪を軽く引っ張ると、すぐに起きて笑いかけてくれるのに。
「クゥ?」
右側からが駄目だったので、左側に移動してチャレンジしてみる。髪をつんつんと引っ張り、すりすりと頭を頬に擦りつけたが、稜真の反応はない。
「……クゥ」
つんつん、すりすり…。
つんつんつん、すりすりすり……。
つんつんつんつん、すりすりすりすり………。
何度試しても、稜真は起きてくれなかった。
「ん…朝か。あれ?」
いつもそらが起こしてくれるのに、今日はどうしたのだろう。不思議に思った稜真が体を起こして部屋を見回すと、部屋の隅の床でそらがうずくまっていた。
「そら、どうかした……もしかして体調が悪いのか!?」
慌ててベッドから飛び降りようとした稜真は、「うぐっ!」とうめいてその場にしゃがみ込んだ。
稜真が起きた事に気付いたそらが、飛びついて来た。──と言うか、ものすごい勢いで、頭からみぞおちに突っ込んで来たのだ。稜真は痛みで声も出ない。
「クゥ! クルゥ、クルルゥ!!」
そらは懸命に話している。痛みに耐えつつ、稜真はそらを抱いて床に座り込んだ。
「クルル?」
稜真に抱かれたそらは、首を傾げて顔を見上げる。その心配そうな顔を見た稜真は、ようやく気づいた。いつも起きる時間よりも遅い事に。
「……そら。もしかして俺、起こしてくれていたのに気づかなかったのかな?」
「クゥ!」
「そうか…。ごめんね、そら」
悪い事をしてしまった。ようやく痛みも引いて来たので、そらを撫でながら言い聞かせる。
「俺が悪かったよ。でも、今度から飛びつく場所は考えてくれるかな。ここは痛い所だからね?」
稜真はみぞおちを示して言った。またやられたら、たまったものではない。稜真は涙でにじんだ目を手で
「クルル? クゥ!」
どうやら分かってくれたようだ。
そらを外に出してやり、お皿に朝食を用意する。お詫びの印に、そらの大好きな果物を多めに入れた。
戻って来たそらは、嬉しそうに食べ始めた。
「食事に行って来るよ。戻ったら出発するから、少しだけ待っていてね」
そっと喉元をくすぐって部屋を出た。
いつもより遅くなったが、アリアを誘って朝食へ向かう。アリアも今日は寝坊したようだ。昨日遅くまで瑠璃と言い争っていたのだから無理もない。
食堂に入るとデリラが元気に働いている。
「おはようございます。女将さん、体調はどうですか?」
「リョウマのお陰でばっちりだよ。夜の営業も手伝ってくれたんだって? ありがとうよ!」
デリラの声を聴き、厨房からマシューが顔を出した。
「おお、リョウマ! 昨日はありがとうな。お陰で助かった。昨日は疲れただろう?」
「いえ、手伝い
(疲れたのは、それ以外の事が原因だからな…)
ちらりとアリアを見たが、稜真と目を合わせないようにしている。
マシューはいつもよりもボリュームのある朝食に加えて、お弁当まで2人分用意してくれた。
今夜は帰らないので、今日までの宿泊料金を払おうとしたのだが、どうしても受け取ってくれない。
「受け取れる訳ないじゃないか。あれだけの事して貰ってさ」
「でも、アリアの分もありますし…」
稜真は言ったのだが、
困った稜真にエレンが言う。
「父さんも母さんも、リョウマさんの事、息子みたいに思ってるのよ。今回は甘えてやってくれないかな? 手伝って貰ったバイト代とでも思ってさ、ね?」
「分かりました。今回は甘えさせて貰います。──今度また、食堂の手伝いさせて下さい」
「大歓迎だよ!」
デリラが心底嬉しそうに答えた。
その様子を、アリアはにこにこしながら見ていた。稜真が大事にされているのが嬉しいのだ。
「女将さん。依頼から帰って来たら、また泊まるね。行って来ま~す」
「ああ、待ってるよ。行って来な!」
2人はそらを連れて宿を出ると、イルゲの元へ向かった。朝露用の入れ物を受け取る為だ。
薬屋に着くと、そらには屋根の上で待つように言って中へ入った。
「いらっしゃいませ! あ、アリアさん、リョウマさん。おばあちゃん、待ってますよ。奥へどうぞ」
元気よく迎えてくれたジルにうながされて、奥の部屋へ入ると、イルゲがガラス瓶を机に並べていた。
「ばあちゃん来たよ!」
「イルゲさん、こんにちは」
「いらっしゃい。おや、リョウマは宿屋の息子に転職したのかと思っていたよ。デリラの具合はどうだい?」
「もうすっかり良いようです」
「そりゃあ良かった。さて、入れ物はこれだよ」
1本に1リットルは入りそうなガラス瓶が、20本用意されていた。
「これだけあれば足りるだろうよ。足りないよりは、多めにと思ってね。また鍋に入れて来なくてもいいようにさ」
「あはは…。お預かりします」
稜真はアリアと手分けして、アイテムボックスに入れていく。
「沼へ行くには、まだ早いだろう? お茶でも飲んでゆっくりして行きな」
イルゲは薬草茶を入れてくれた。熱々のお茶は、前回より美味しく感じられた。
調合室は奥にあるのだろう。この部屋には、薬を入れる容器や調合に使う薬草等が置いてあった。店に出す薬の在庫置き場にもなっているようだ。壁際にある棚には薬瓶が並べられていた。
薬瓶のラベルには、風邪薬・腹痛薬・胃薬・傷薬等々と書かれている。それを見ていた稜真は、以前アリアが言っていた事を思い出した。
「アリア。前にこの領地には、回復薬がないって言っていたよね。ほら、ピーターから買い物をした時に」
「うん」
「回復薬って、薬草では調合出来ないのかな?」
「リョウマは知らないのかい? 仕方ないねぇ。あたしが教えてあげるよ」
「うんうん。専門家に聞いた方がいいよ」
「お願いします」
「──薬草で調合するのは、傷薬や風邪薬なんかだね。あんた達に頼んだ、流行病の治療薬なんかも私ら薬師が調合する。回復する薬という意味では回復薬になるんだろうが、そうは呼ばないよ。アリアが言った回復薬は、どんな怪我にも効果のある魔法薬の事さ」
薬師が調合しているのは、それぞれの症状に合わせて作る薬。
回復薬として売られているのは、錬金術で作る魔法薬。
「王都では、薬屋でも売っているようだがね。大抵は冒険者ギルドで売るのさ。それも、この領地には錬金術師がいないから、入荷を待つしかない。ご領主様も何度も発注はしていると聞いちゃいるがね」
イルゲはアリアを見る。アリアが伯爵令嬢だと知っているのだ。
「なんせメルヴィル領は田舎だからねぇ。滅多に入荷しないのさ。だから、ここには回復薬がないんだよ」
もっと領地が発展すれば、錬金術師も移住して来て、普通に手に入るようになるかも知れない。
一般的に、庶民は効き目の薄い回復薬を買うくらいなら傷薬を使う。大怪我をしても、手当てをして自然治癒を待つ事が多い。その為、即効性のある回復薬を買うのは、怪我が多く命の危険がある冒険者だ。それもあって、冒険者ギルドで売られている。
ちなみに、効き目の薄い回復薬は王都では黄銀貨1枚だが、メルヴィル領では5倍になる。
「はぁ…。そういう訳なのか…」
回復薬も薬の一種だから、薬師が調合するものだと思っていた。ピーターから買った回復薬も、あの色彩センスのない、知り合いの錬金術師の作だったのだろうか。
「あのね。私が学園に行ったら、錬金術師を連れて来たいの。錬金術科に通う生徒と仲良くなって、卒業後にうちに来て貰えたら、ありがたいなってね。魔物被害が多かった時、回復薬があれば…って、どれだけ思ったか。悔しかったな…」
アリアの言葉にイルゲも頷いた。
「そうだったね。あの頃、到底傷薬では間に合わない怪我が多かった。その分、神殿の神官や巫女が頑張ってくれたけど、そっちも数が少なくてね。──大変な時代だったさ。最近では誰かさんが頑張ったお陰で、そこまで被害が出る事もなくなった。ありがたい話さ」
珍しくイルゲが微笑みを浮かべてアリアを見た。すぐにその笑みは消えてしまったが。
「学園に行ったら、稜真も一緒に候補者を探してね~」
「なんだい、リョウマも一緒に行くのかい? いい
「は?」
突然何を言い出すのだろうか、この人は。稜真は思わず、しげしげとイルゲの顔を見る。
「……やっぱり稜真は手伝わなくっていい…。私が探すもん…」
「アリア、この子を錬金術科に放り込めば、確実に何人か釣れるよ。領地の為だ、割り切りな」
大義の為なら多少の犠牲は付き物、とでも言いたげな雰囲気を出して、イルゲはアリアの肩を叩いた。むくれたアリアは、「……ヤダ」と更にふくれる。
「イルゲさん、からかわないで下さいよ。俺で釣れる訳がないでしょうに」
「釣れるよ」
「釣れない訳がないじゃないのよぉ…」
「2人して冗談言っていないで、そろそろ出発しよう。そらも待っているから」
イルゲに別れを告げ、2人と1羽は沼へと出発した。
(稜真はそろそろ、自分が人たらしだって自覚、持って欲しいの!)
アリアはまだふくれていた。
あの気難しいイルゲが、すぐに稜真をからかう程に気を許したのだ。宿の夫婦も、心底稜真を息子のように思っている。
(でも自覚持った稜真なんて、想像がつかないなぁ。複雑……)
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