第45話 休日の過ごし方・稜真 前編
今日はお互いに自由行動の休日だ。
鼻歌交じりでご機嫌なアリアは、可愛らしい白のワンピースを着ており、いかにもお嬢様らしく見える。
「あのね! 今日はツインテールにして、これを付けて欲しいの!」
アリアは綺麗な宝石箱から、黄色いリボンを取り出した。稜真がプレゼントしたリボンだ。依頼の時に無くしたり、汚したりするのが嫌だから、大切にしまっておいたのだと言う。
「綺麗な箱だね」
「何年か前の誕生日に、お父様がブローチを入れて下さったの。リボンをしまう入れ物が欲しかったから、ブローチは出しちゃった」
「両方入るだろうに…」
「だって、稜真のプレゼントだけを入れたかったんだもん!」
(…なんだか旦那様に申し訳ない。今度…リボン用の箱を買って来よう…)
稜真はそう心に刻む。
準備が整ったアリアは、楽しそうに出かけて行った。
稜真も今日は、シャツとズボンだけの身軽な服装だ。
「そらはどうする? 俺は料理をする予定だけど、その間は暇だよね。せっかくのお休みだし、そらも湖に行く?」
「ルルゥ?」
そらは首を傾げて考えていたが、頷いた。
アリアによると、思念での会話は念話と言うらしい。魔獣使いは、自分が従えるランクの高い従魔と会話する事が出来る。念話スキルを持った者同士なら、遠くから会話する事も可能だそうだ。
稜真が瑠璃と会話出来るのも、この念話なのだろう。
部屋の水差しに水が入っている事を確認し、念話で瑠璃を呼んだ。
瑠璃は嬉しそうに現れた。
「今回はお早いお呼びですわね、
嬉しそうにふわふわと部屋の中を漂い、背後から稜真に抱きついた。稜真の背中に柔らかい感触が伝わるが、意識しないようにする。
それはともかく、瑠璃には収穫祭の時も、そらを連れて湖に転移して貰った。人間も運べるのだろうか。ふと気になった稜真は瑠璃に尋ねた。
「人ですか? 人は無理ですわ」
質量的には、あの時運んだ果物と野菜の方が遥かに多い。だが植物は中の水分が瑠璃を助ける。人間にも水分は含まれているが、魔力が邪魔をするのだと瑠璃は説明してくれた。
そらは魔力も体も小さいので大丈夫なのだと言う。
「けれど、主なら運べるかも知れませんわ。試してみます?」
瑠璃は稜真に回した腕に、きゅっと力をいれる。
「……いや。俺1人で移動しても仕方ないから、遠慮するよ」
「残念ですわ」
ようやく瑠璃は稜真から腕をほどいた。
「それで主。小娘のいない時に呼んで頂けるなんて、どんなご用でしょう?」
「そらを今日1日、湖で遊ばせて欲しいんだ」
「……それだけですの?」
「そう、だけど?」
にこやかだった瑠璃の顔が、むすっとした表情に変わった。稜真は思わず顔が引きつり、じりっと後退った。
(アリアと違って、美女のむくれた顔は迫力があるから、勘弁して欲しい…)
「お駄賃下さいませ、主。魔力がいいですわ」
「……口からじゃなければ、いい…けど」
「ふふっ。『いい』と、おっしゃいましたね?」
(うわっ!? ちょっと、そりゃ『いい』と言ったけどさぁ!)
瑠璃は少し屈むようにして、正面から稜真に抱き着いた。体がぴったりと密着し、魔力が瑠璃に流れて行くのを感じる。
「クゥ!」と、そらまでくっついて来た。
瑠璃が稜真の右肩辺りに顔をうずめているので、左肩に乗って頭を
背後からの感触も危なかったが、正面からの攻撃力も破壊的だ。
「もうそろそろ…離してくれない、かな…」
「口からでなければ効率が悪いと言いましたわ。もう少し時間がかかりますの」
「確かに言っていたけど…」
(柔らかい……いい香りがする……。胸が当たっている…。ドキドキするから…ホント勘弁して…)
例え意識していない人物相手でも、稜真とて男性である。何も感じない訳がない。頬が熱を持つのを感じる。
しばらくして、やっと離れた瑠璃は、ぺろりと自らの唇を舐めた。
「このくらいにしておきます。主の真っ赤な顔が堪能出来ましたわ」
(──アリアをからかっていた罰が当たったか? なんか…負けた気分だ…)
瑠璃とそらを見送った稜真は気を取り直し、市場でもぶらつこうかと、鍵を預ける為に宿の受付に向かった。だがカウンターに女将の姿がない。宿の用事をしているのか、声をかけようとしたその時。
「デリラ、大丈夫か!?」
慌てた男性の声が聞こえた。
稜真が声の方へ走ると宿の女将デリラが倒れており、男性が抱き起こした所だった。男性はデリラの夫のマシュー。前回、厨房を借りた時に挨拶した人だ。
稜真は慌てて駆け寄った。
「女将さん、どうしたんですか!?」
「…あ、ああ。…なんでもないんだよ、お客さん。…ちょいとね…ふらついた…だけさ」
答える声に力がない。
「なんでもないって、お前…」
体を支えるマシューは、おろおろするばかりだ。
「失礼しますね」
断ってから、稜真はデリラの額に手を当てた。
「熱があります。お医者さんは…」
「よ、呼んで来る!」
マシューは外へ飛び出して行った。抱き起していた支えがなくなり、倒れかけるデリラを稜真は慌てて支えた。
「「………」」
稜真は、デリラと顔を見合わせた。
「…全く。あの人は…せっかちなんだから」
「女将さん、部屋で休みましょう。頼りないでしょうけど、肩を貸しますから」
デリラは稜真よりも背が高くどっしりしている。成長途中の稜真では支えとして不安定だが、熱でふらつくデリラにはそれでも助けになった。
「…悪いねぇ。お客さんなのに…さ」
「困った時はお互い様ですよ。気にしないで下さい」
部屋は1階の奥だったので、それほど歩かずにすんだ。
ベッドに横になったデリラの顔は赤く、息も荒い。
「女将さん。水を入れて来ますので、待っていて下さいね」
「……ありがとよ」
先日厨房を借りたので、水差しとコップの場所は分かる。洗面器とタオルもすぐに見つかった。水差しと洗面器に入れた水は、どちらも生活魔法で冷やす。
「お待たせしました。どうぞ」
稜真はコップに水を入れて、デリラに差し出した。
「…ありがとう。はぁ…冷たくて美味しいね」
「横になって下さい。頭を冷やしましょう」
稜真に言われるままに横になったデリラの額に、絞ったタオルを乗せる。
そこへマシューが戻って来た。一緒に来たのは薬師のイルゲだった。この町に医者はいない。町の人間は、病になるとイルゲを頼るのだ。
「おや、リョウマじゃないかい。いつからここの息子になった?」
「俺はこの宿に泊まっていて、たまたま女将さんが倒れた時に居合わせだけですよ」
「…ははっ。…リョウマみたいな息子なら、…欲しかったねぇ。…あ、ごめんよ…お客さんに」
「稜真でいいですよ。それよりイルゲさん、女将さんの具合は?」
「ふん、風邪だろうね。水分の補給は大丈夫。頭も冷やしている。リョウマが準備したのかい? やるじゃないか。亭主よりよっぽど役に立つやね。この男は、なんの説明もなく人を連れ出すんだから!」
「……ごめんよイルゲ。…うちの人が…迷惑かけて」
「病人はそんな事を気にしなくていいのさ! 栄養のある物を食べて、1日ゆっくり休めばケロッとするよ。薬を出しとくから、食後に飲ませてやりな」
イルゲは持っていた黒い鞄から薬を取り出して、小袋に詰める。
『栄養のある物食べて』の辺りで部屋を飛び出したマシューの代わりに、稜真が薬を受け取った。
「……仕事が、あるんだよ。…休んでなんか…いられないのさ」
体を起こそうとしたデリラの胸を、イルゲはとんっと軽く突いて寝かせる。
「あんたの娘には連絡済みだ。昼過ぎには子供を預けてすっ飛んで来るとさ。だからあんたは大人しく寝てな」
「…昼過ぎじゃ…駄目なのさ。…食堂の営業が…あるんだよ。…食材も、仕入れてあるし…休む訳には、行かないのさ」
「今無理したら、長引くよ」
「でも…」
「女将さん。俺で良かったら手伝います。給仕なら出来ますし、料理も下拵えならお手伝い出来ると思います」
「…でもね、お客さんに…そこまでして貰っちゃ…申し訳なさすぎる…よ」
「今日は1日暇なんです。また厨房をお借りしようと思っていたくらいですよ。お手伝いさせて下さい」
「……体が言う事きかないし…。お願いしようか。…あの人が良いって…言えばね」
「そうしな。それじゃ、あたしは帰るよ。デリラ。薬飲むのを忘れるんじゃないよ」
「……分かったよ。ありがとう…イルゲ」
「ありがとうございました」
デリラに寝ているように言い、稜真は姿が見えないマシューを探しに部屋を出た。
「……マシューさん。何を作っているんですか?」
マシューは厨房にいた。
鍋やフライパンを火にかけて、次々に料理を作っているのだ。
辺りには油っこい匂いが漂っている。
「イルゲが栄養のある物を食べさせろ、と言っていただろう。たくさん食べて、早く元気になって貰わにゃ」
「気持ちは分かりますが、体調の悪い時にその料理は、食べられないと思いますよ?」
確かに栄養はありそうだが、分厚い肉のソテー、油でてかてかした炒め物等、見るからにこってりした料理だ。
しかも、1人の為に作ったとは思えない量である。この短い時間に良く作ったものだと感心する。
「……食べられない?」
「もっと味の薄い、病人用の料理が良いのではないかと」
「病人用の料理……。すまん。どんな物がいいのか、俺には分からん」
マシューはうつむいた。
デリラはこれまで体調を崩した事がなかったらしい。娘が病気になった時はデリラが料理を作って、看病もしていた。自分が幼い頃は親に看病された経験はあるが、昔すぎて何を食べさせて貰ったかすら覚えていないそうだ。
(それで余計に慌てたのか。お
「厨房をお借りしてもいいですか?」
「あ、ああ」
「素人の家庭料理ですけど。手早く作るのに、持っているスープストック使いますね」
稜真はスープストックを小鍋に入れて火にかけた。マシューは稜真に断って味の確認をする。次は自分で作りたいのだろう。料理長が作って入れたスープストックは、骨や野菜を長時間煮込んで、丁寧に灰汁を取って濾した物だ。時間はかかるが難しい料理ではないし、食堂の料理にも応用出来るだろう。
人参とネギを細かく刻んで鍋に入れる。脂身を避けた鳥肉を少し。これも細かく刻んだ。塩で味を整えて、溶き卵を入れれば完成だ。
「こんな感じでしょうか」
マシューは小皿によそって味見する。
「…薄味だな」
「体調の悪い時は、消化が良くて味の薄い料理じゃないと、喉を通らないと思いますよ」
「そうか、そういうものなのか…。よし、夜は俺が作ってみる。悪いがリョウマ、その時は味見して貰えないか?」
「はい、任せて下さい。あ、それと。食堂の手伝いをさせて貰っていいですか? 俺でも、下拵えと給仕なら出来ますし」
「──食堂の営業なんて、すっかり忘れていたよ。客なのに悪いな、頼む」
2人でデリラにスープを持って行くと、美味しそうに食べてくれた。
「…美味しいねぇ。…あんたが何を作るか…ドキドキしたよ。…病人用の料理も…作れたんだねぇ」
「それは…」
稜真が作った、と言い掛けるのを目で止める。
「マシューさんが了解してくれたので、食堂を手伝いますね。女将さんは薬を飲んで、ゆっくり休んで下さい」
食堂は11時からの営業だ。メニューは定食が1種類のみ。
「さっき作っちまった料理を少しずつ付けるから、いつもより豪華になる。今日の客は運がいい」
定食の料金はいつもと変わらず銅貨5枚。木のトレイにスープ、パン、おかずの盛り合わせを乗せるのだ。これなら給仕は久しぶりでも、なんとかなるだろう。
稜真は女将さんのエプロンを貸りた。
次はスープの仕込みだ。稜真はマシューが使う野菜の下拵えを手伝う。
「ほう。手つきが良いな」
「祖父が料理人で、店の手伝いをしていたんです」
「俺にも息子がいたら手伝ってくれたのかねぇ」
マシューは出汁を取った鍋に、稜真が切った野菜を入れて煮込む。肉に下味をつけ、後は焼くばかりに準備をする。稜真は付け合わせの野菜を大量に洗う。
「この皿に、野菜をこんな感じに盛り付けてくれ。俺が料理を乗せる。配膳と金の受け取り、テーブルの片付けも頼めるか? 手がすけば手伝うが、ピーク時は料理で手一杯になる」
「久しぶりなので手間取るかもしれませんが、頑張ります」
(動きやすい服を着ていて良かったな。さて、準備は出来たし頑張ろう)
稜真の休日は、こうして始まったのである。
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