第42話 枕

 夕食の片づけを終えると、アリアがあくびをして眠そうに目をこすっている。


「交代に仮眠を取ろうか。アリアが先にどうぞ」

「…うん…そうする……。お休みなさい。あ、花が咲いたら、絶対に起こしてね?」

「分かってるよ」


 アリアは髪を解いて横になり毛布にくるまると、すぐに寝息をたてはじめた。柔らかそうな大きな枕まで使っている。野営で枕を使う冒険者はいないだろうが、そこは伯爵令嬢だからなのだろうか。きっとテントの中でも使っていたに違いない。

 馬車の旅でノーマンと同じテントだった稜真だが、ノーマンは着替えの予備とタオルを重ねて枕代わりにしていたので、稜真もそれを真似て眠っていた。


(疲れが出たのかな。すぐに依頼を受けないで、休むべきだったかなぁ。町に戻ったら、1日お休みにしないか聞いてみようか)


 稜真は倒木にもたれて座り、その右隣でアリアは眠っていた。

 火がはぜる音が聞こえるだけの、静かな夜だ。そらは、いつものように索敵してくれており、時折飛び立つと、ひと回りして稜真の肩に戻ってくる。


「…んん」と、アリアが身じろぎした。

 見ると、「ん、ん…」と言いながら、頭の辺りをぱん、ぱん、と叩いている。横になったまま、手だけを毛布から出して叩く動作をしているのだ。


(なんだ? 寝ぼけているのか?)


 いつも寝る時は別なので、アリアが寝ぼけるたちなのか、稜真は知らない。目は閉じたまま、ずずっとずれては、ぱん、ぱん。ずずっとずれては、ぱんぱん。何かを探している風にも見える。


(もしかして、枕を探しているのかな?)


 枕が横にずれてしまっていた。直してやろうかと身を起こす前に、何度目かのぱん、ぱん、で手が稜真の太ももに当たった。

「…ん」

 ぱんぱん、と確認するように太ももを叩かれ、ずいっと体を起こしたアリアに太ももを抱え込まれた。


(何をしているんだか。普通は膝枕だよな、こういう時って……)


 寝ぼけているから仕方ないとはいえ、太ももを両腕で抱え込まれた上、全身が稜真の足に乗っかっている。なんというか抱き枕にされているのだ。にへら、っと、実に嬉しそうな顔をしている。

 足の下に回されている手は痛くないのだろうか。おまけに稜真の靴がアリアの体に当たっているのだ。抱き枕と化している稜真は気になって仕方がない。

 アリアを起こさないように、太ももと地面に隙間ができるようにじわじわと足を動かして、右足の靴を脱いだ。


(まるでコアラだな。本当に眠っているのか、これ?)


 むに、っと頬をつまんでも反応はない。


(…参った…。よく寝ているしなぁ…。仕方ない、このまま寝かしとくか)


 移動中に毛布が落ちてしまっていたので、引き寄せてアリアに掛けてやる。足にアリアの温もりが感じられた。この間に瑠璃に連絡を入れる事にした。


『瑠璃、聞こえる?』

 頭の中で瑠璃に呼びかけると、すぐに返事が返って来た。

『はい、聞こえておりますわ、あるじ。どうなさいました?』

『花々にまった朝露を集める依頼を受けたんだ。瑠璃の力を貸して欲しいんだけど、出来るかな?』

『簡単ですわ。今から行けばよろしいですか?』

『いや。まだ花も咲いていないし、夜明け前に呼ぶよ。準備しておいて』

『分かりました。お待ちしておりますわ』


(今呼ぶとケンカになるからな。アリアが起きてから呼ぼう)


 そんな稜真の左の手元には、そらがいる。アリアが稜真にしがみついているのが気に入らないのか、つつこうとしたので、体を撫でてなだめているのだ。

 右手では、アリアの髪を手ですいていた。横になる時にほどいた髪はサラサラで、手触りが心地いい。ただ髪に気を取られると、そらが文句を言うように鳴くので、楽しんでばかりはいられなかった。


 ぽん、と不思議な音が鳴った。


(なんだ?)


 ぽぽ、ぽん! 続けて音が聞こえた。


 音の聞こえて来た沼を見ると、いくつか花が開いていて、うっすらと青白く光を放っている。あれがロラクの花なのだろう。花の大きさは20センチ程、見た目はまるで蓮の花のようだ。

 その時。ぽんっ、の音と共に、目の前の花が咲き光を放つ。


(花が開く音だったのか。──さてと、どうやって起こすかな。このお嬢さん)


 いつものように、からかおうかとも思ったのだが、花が咲く所を早く見せてやりたいし、たまには普通に起こす事に決めた。

「アリア、花が咲き始めているよ。早く起きて」

 そう声をかけて背中を軽く叩いた。

「咲いた…の? …おはよ……うっ!?」


(あ、フリーズした)


「え…私、なんで…。え? え? もしかして私…今まで稜真様の足、抱えて寝てた……の?」

 どうにも状況が理解出来ていないアリアは、未だ稜真の脚を抱えたまま混乱している。

「寝ぼけて寄って来て、俺の足を抱えたんだよね。それからずっと、この状態。ふっ。寝ぼけているアリア、面白かったよ。携帯があったら、絶対に動画を録ったのに、ね?」

 ね、の辺りで笑いかければ、アリアの顔が真っ赤に染まって飛び起き、何故か正座した。

「はわあぁ~~っ! ごめんなさ~い!」

 からかわなくても充分な反応が見られ、稜真はくすっと笑って靴を履いた。


 ぽ、ぽん!


 花は次々に開いていく。

「いつまでも正座なんかしてないで、ほら見て。綺麗だよ」

 アリアがうつむいた顔を上げて沼を見た。順に咲き続けていた花は、沼のあちこちで淡い光を放っている。


 アリアは「うわぁ…」と声を上げて立ち上がった。

「音を出して咲くんだね! うわぁ…光ってる。すっごく綺麗…。不思議な花…」


 花が咲くにつれ、ランプが灯るように光が増えてゆく。水に浮かんでゆらりと揺れる花の形の光だ。

 空には満天の星が輝いている。


 この世界でしか見られない光景を、しばらく2人で堪能した。


 花がすべて咲き、目的の朝露が溜まるまでには、まだ時間がかかりそうだ。

「少し眠くなって来たな。アリア。今度は俺が仮眠をとってもいいかな?」

「ちょっと待って~」


 アリアはそそくさと移動し、倒木にもたれて足を延ばし、長時間の膝枕に楽な体勢をとった。

「どうぞ!」と、ぱんぱんと自分の膝を叩いている。

 稜真はどうしたものか少し迷ったが、ここは甘えさせて貰う事にした。

「ありがとう。夜明け前には起こして。──お休み」

「お休みなさ~い!」


 稜真が毛布にくるまり、アリアの膝を枕に横になると、すぐに寝息が聞こえ始めた。


(うわ…稜真って寝つき良いんだ…びっくり。まつ毛長いなぁ。うらやましい。あ、首元にほくろ発見~)


 アリアは稜真を観察しながら、そうっと髪を撫でてみる。思ったよりも柔らかい手触りに驚いた。もうすぐ結べそうなくらいに伸びている。

 稜真が膝で眠っている幸せに浸っていると、「クルゥゥ…」と声が聞こえた。


 見ると、そらが羽を開いて体をふくませ、アリアを威嚇しているのだ。

「そら、しーっ。稜真が起きちゃうでしょ? 髪の毛を触ってるだけなんだから、静かにしてよ」

 それでも威嚇を止めないそらに、嫌々髪から手を離した。そらの鳴き声は止まったが、羽をふくらませたまま、アリアをじいっと見張っている。

 アリアは仕方なく、膝の上の温もりを堪能することにして沼を眺めた。


 花を見ているより、稜真を見る方が楽しいけれど、見れば触らずにいる自信がなかった。


(膝の重さと温もりだけでも幸せだもんね。稜真様が私の膝枕で眠っている至福の時を、たっぷり堪能しなくっちゃ。──はぅ…寝息が聞こえて来る…。聞き洩らしたらもったいない)


 アリアは耳に全神経を集中させた。




 ──至福の時はあっという間に過ぎていった。


 アリアは夜明けが近い事を残念に思いながら、稜真を起こした。声をかけるとすぐに目を覚まし、体を起こして伸びをする。

「おはよう。…んっ、はぁ」


(はわわぁ!? ね、寝起きのかすれた声。伸びをして、もらした声の色気が、うわぁ~~!)


「アリア、どうして真っ赤になっているのかな?」

「な、なんでもないよ~」

「そう?」

 稜真が目を覚まして起きあがると、そらがすかさず肩に止まった。撫でてやりながら沼に近づいて花を確認すると、朝露も溜まっている。


「そろそろ、瑠璃を呼ぶね」

「OK。覚悟は出来たわ!」

 アリアは身構えた。

「覚悟って…。瑠璃、そろそろ来てくれるか?」


 稜真の声で瑠璃はすぐに現れたのだが、非常に不満げな顔をしている。

「……あるじ、呼んで頂いたのは嬉しいのですけど、沼ですの…」

「沼は駄目だった?」

「駄目ではないですが、嫌いなのですわ。これ、綺麗な水に変えてもよろしくて?」

「それは駄目。沼に咲く花が必要なんだ。環境を変えられて花が枯れたら皆が困るよ」

「仕方ありませんわね。──あの花の朝露を集めれば良いのですね」

「そうだよ。頼むね」


 瑠璃はふわり、と浮いて沼の中央へ向かった。

 青白い光を放つ花びらに溜まっている朝露は、きらきらと光っている。その光る朝露がすっと宙に浮かんだ。瑠璃は両の掌を上に向け、腕を広げて優雅に水の上に立っている。その手の間に朝露は集まって水の球になって行く。


 花から朝露が浮かび、渦を巻くように沼の中央に立つ瑠璃に集まって行く光景は、なんとも言えず幻想的で美しい。

 朝日が差し、宙の露達が一際ひときわ美しい輝きを放つ。

 そして、花々が静かに閉じた時には、瑠璃が持つ水の球はサッカーボールくらいの大きさになっていた。


 水の球を隣に浮かべ、瑠璃が戻って来る。

「ありがとう。この小瓶に入れてくれるかな」

 蓋を開けておいた20本の小瓶に、瑠璃は次々に水を入れる。しっかり蓋を閉めてアイテムボックスにしまったのだが、まだ水は残っている。

 何に入れるべきだろうか。稜真はアイテムボックスに入っているものを思い浮かべたのだが、入れられる容器は鍋くらいしか思いつかない。アリアも持っていなかった。

 結局鍋を使って、全部の水をアイテムボックスにしまう事が出来たのだった。




 依頼は想像以上に上手く行った。──が、約2名が険悪な雰囲気になっている。

「瑠璃ぃ。この間は、よくも変な味の果物、食べさせてくれたわねぇ?」

「あら、おかげで主と間接キス出来たでしょうに。お礼を言われても良いくらいですわ」

「出来たけど! それとこれとは別よ!」


 どうしたものかと見守りながらそらに触れていた稜真だが、言われて初めてあれが間接キスだったと気づいた。

「言われてみればそうなるね」


「「……」」

 アリアと瑠璃は無言で顔を合わせた。


「小娘、これは一筋縄ひとすじなわでは、行きませんわ」

「不本意だけど、同感」

 アリアと瑠璃は、そろってため息をついたのである。



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