第32話 行商の旅 1

 早朝。稜真は瑠璃に念話で連絡を取り、そらを連れて来て貰った。

「ありがとう、瑠璃。そら、長い間構ってあげられなくてごめんね。収穫祭も終わったし、アストンへ行くよ」

「クゥ!」

「そら、私の代わりにあるじをお願いしますわ。主、行ってらっしゃいませ」

 別れる前にしっかり魔力をおねだりした瑠璃は、満足して湖へ戻って行った。


 伯爵には行商の旅を護衛するので、今回はひと月よりも長くかかるかもしれないと伝えてある。アリアがギルド経由で手紙を出すと約束をして了承を貰った。──言わずに出かけていたこれまでを思えば格段の進歩だと、伯爵は悟った表情をしていた。






 さて、待ち合わせの場所に着くと、2人の人物が馬車の前で待っていた。

 大きな馬が1頭、その馬車に付けられている。馬車の荷台は長方形の箱型になっていた。幌は使われておらず、全面が木で作られている箱馬車で、後部には扉が付いていた。

 布の幌を使わない分、重量があるだろうが、馬は平気な顔をしている。


 カルロスと一緒にいるのは、20代後半の男だ。2頭の馬を引いている。


 待たせてしまったのだろうか。稜真は頭を下げた。

「お待たせして申し訳ありませんでした」

「いえいえ。私らも今来た所ですよ。この男はノーマン。王都に戻るまでの護衛を頼んでおります」

「よっ! ノーマンだ。ギルドランクはC。俺の相棒の代わりに申し訳ないが、アストンまでよろしく頼むぜ!」

 赤茶の髪で大柄な体格のノーマンは、快活な男だった。


「私はアリア。ギルドランクはノーマンさんと同じCよ。アリアって呼んで。カルロスさんもアリアでお願いね」

「分かりましたよ、アリアさん」


「俺は稜真、ギルドランクはEです。アリアの従者でもあります。まだ修行中ですが、どうぞよろしくお願いします。それと、この子がそら。索敵が出来るので、お役に立てると思います」

 いつも通り、町中では稜真の肩に乗っていたそらを紹介する。

「おや、リョウマ君は魔獣使いでしたか。索敵が出来るとは、ありがたいですなぁ。──さて、これが私の馬車ですよ。馬車を引く子がノル。護衛の方に乗って頂く子達はノアとノエです」

 カルロスは馬を可愛がっているのだろう。目を細めて自慢の子を紹介してくれた。


 馬車を引くノルは、体が1番大きな馬だった。

 こちらの馬はサラブレッドと比べると、足が太くがっしりとした体つきだ。稜真がこれまで見た屋敷の馬と比べても、ノルの大きさは抜きん出ている。鹿毛で、額に白い星がある。

 残りの2頭は、ノルに比べると線が細い印象を受ける。こちらは平均的な馬だろう。ノアは黒鹿毛、ノエは鹿毛の馬。3頭は共通して優しい目をしている。


「俺はいつもノエに乗っているから、どっちかがノアに乗ってくれるか?」

「は~い。稜真、乗馬は大丈夫?」

「それなんだけど…。ずっと忙しかっただろう? 基本を習っただけで、ほとんど練習出来てなくてね…」

 乗馬はオズワルドが教えてくれたが、収穫祭の準備の合間を縫っての指導だったので、触りをざっと教わっただけなのだ。


「基本が分かってんなら、移動しながら俺が教えてやるさ。町の近くでは、襲われる危険も少ないからな」

 ノーマンは、ノアの手綱を稜真に渡した。

「よろしくお願いします。ノアよろしくね」

 稜真が首を撫でると、ノアは嬉しそうにいなないた。


「それでは出発しますよ。今日中にキャボット村まで行き、そこで宿泊します」

 カルロスが言った。




 稜真はノーマンと共に、馬車の前を進んだ。アリアは御者をするカルロスの隣に座っている。

 危なげなく馬を歩かせる稜真に、ノーマンは指導する事はないと保証してくれた。

「後は慣れるだけだな。俺がこのまま先導するから、リョウマは馬車の後方を頼む」

「分かりました。そら、上から索敵してね。頼りにしているよ」

「クルル!」

 そらは、まかせといて!と言うように飛び立った。




 途中、昼食の為に休憩を取り、再び出発。稜真はアリアに交代するか聞かれたが、コツが掴めた所なのでこのまま行くと答える。

 そらは時折飛び立ち、ひと回りしては稜真の肩に戻る。


 何事もなく、夕方にキャボット村に到着した。小さな商店と宿屋がどちらも1軒だけの、小さな村だった。

 村に着くとカルロスは村長に挨拶に行き、翌日広場に店を広げる許可を貰っていた。


「稜真、1日馬に乗ってたけど、大丈夫だった?」

「ちょっと体が痛いかな」


(主に尻がと太ももが…。他にも体のあちこちで、今まで使ってなかった筋肉が悲鳴を上げているよ。やっぱりアリアと交代するべきだったかなぁ。明日が怖い…)


 慣れない乗馬で、変に力が入っていたのだろう。稜真はぐっと体を伸ばした。


「アリア。体をほぐすのに、剣の練習に付き合って貰える?」

「うん、いいよ~」

 稜真は宿の裏の空き地で、体をほぐそうと柔軟体操をした。そしていつも通り、木剣でアリアの剣戟を受け続ける。


 アリアの剣は重く、早く、鋭い。

 いつもながら、その小さな体に見合わない力強さだ。ひと息つく為に飛びずさっても、ぴたりとついて来られ、息つく暇もない。


 ──稜真が受け続けるのも、20分が限度だった。


「ここまでかな? お疲れさま~」

 稜真は息が荒く、すぐに返事を返せなかったが、なんとか呼吸を整えて答えた。

「今日もありがとう。お疲れさま」


 パンパンッ、と手を叩く音がした。ノーマンだ。

「すごいな、お前ら」

「すごいのはアリアだけですよ。俺は手加減された剣を受けるのがやっとです」

 稜真が言うと、ノーマンに呆れ顔をされた。


「なぁアリア。こいつ、自覚なさすぎじゃね?」

「ん~? 稜真はそこがいいの」

 手加減しているとはいえ、あれだけのスピードで放たれている剣戟を20分も受け続ける等、普通は無理なのだ。稜真の基準はアリアとスタンリーなので、一般の基準が全く分かっていないのである。


「なぁアリア。俺とも手合わせして貰えるか?」

「いいよ~」

「真剣で相手してくれ。あと、本気で頼む」

「……いいの?」

「同行者の力を知っておきたいからな」

「ふぅん、分かった。しっかり剣を構えててね~」

 アリアは木剣をアイテムボックスに片づけ、背の大剣を抜き軽く素振りをした。軽い仕草で振られた大剣はブオン、と空を切る。


 その動きを見て、ノーマンは表情を引き締めた。


 2人は剣を構えて相対する。空気がピンと張り詰めた。


「──行くわ」


 アリアが言った次の瞬間、ノーマンには姿が消えたように感じた。はっ、と思った時には、アリアは眼前に迫っていた。

「くっ!?」

 初撃を受け止めたノーマンは、その重みに驚愕した。余りにも軽々と大剣を操る姿からは、これ程の重みだと思わなかったのだ。


 その小さな体で大剣を振る姿は、舞うように美しい──が、ノーマンはそれどころではない。


 キンッ! カンッ!


 ノーマンは2度、3度とアリアの剣を受けるが、もう腕が限界に近い。体勢を立て直そうと距離を取る。息をはいて剣を持ち変える。その隙をアリアは見逃さない。


 ガキンッ!!と音がしたかと思うと、ノーマンの悲鳴があがる。


「うわっ!!」

 ノーマンは、2メートルは弾き飛ばされて木にぶつかった。

「痛って~!」


「大丈夫ですか、ノーマンさん!?」

 稜真は慌てて駆け寄った。

「おー、自分で言い出した事とはいえ、手加減して貰えば良かったよ。あいたた」

 ノーマンは背中をさすりながら、よろよろと立ち上がった。


「アリア。これで俺と同じCランクだと? お前、絶対ランク間違ってるって。早めに相応のランクに上げてくれよ」

「ん~、面倒くさいんだもん」

 アリアは緩く答える。


 痛みをこらえるノーマンに、冷ややかな声がかけられた。

「ノーマンさん。相方さんが怪我をして休んでいる時に、何をやっているのでしょうね。護衛代を減らしますよ?」

「あああっ!? すみません! アリア嬢が、ここまで強いとは予想外でして。護衛はしっかりこなしますから!」

 声の主はカルロスだ。いつから見られていたのやら。ノーマンは、ぺこぺこと頭を下げる。


「頼みますよ?」

「はい!」




 宿に風呂はないが、村には公衆浴場があった。

 小さな村では、自宅に風呂を持たない者がほとんどだ。その場合は村人全員が使えるように公衆浴場が作られる。宿だと時間帯で男女交互に使うが、公衆浴場は男女別に入れるように作られる

 もちろん公衆浴場も、領主から出る補助金で作られる。村人は無料で、宿の利用者は銅貨2枚で利用できる。


 夕食後、全員で入りに行った。


「痛てて……っと。あ~、体がほぐれるわ~」

 呻きながら湯に浸かるのはノーマンだ。


「本当ですなぁ。風呂で体を休める事が出来るとは、なんとも贅沢なものですわ。他の領地では、余程に大きな町でなくては、風呂など入れませんからなぁ」

「そうなんですか。俺も長距離の乗馬は初めてだったので、お風呂のありがたみが身に染みます」

 稜真は太ももの辺りを揉みほぐしながら、お湯に浸かっていた。


「ノーマンさん。背中に大きなあざが出来ていますけど、大丈夫ですか?」

「冒険者やってたら、これぐらいのあざ、怪我の内に入らねえよ。──と言いたい所だが、風呂あがったら薬塗ってくれるか? 背中じゃ、自分で塗れねぇからよ…」

「あはは、いいですよ」

 笑う稜真に対して、カルロスからは呆れた視線が注がれた。ノーマンは首をすくめた。




 カルロスは宿の部屋を3部屋取ってくれていた。アリアとカルロスが、それぞれ1人部屋。稜真とそら、ノーマンが同室である。


 風呂上がりに、稜真はアリアの部屋でいつものお手入れをしていた。


「さっきノーマンさんの背中に薬塗ったんだけど、すごく腫れあがって、大きなあざになっていたよ。明日は黒くなるんじゃないかな…。本当に手加減しなかったの?」

「少しはしたよ~。でも真剣にやらないと失礼だと感じたんだもん」

「薬塗る時に痛い痛いってさ。熱を持っていたよ。気の毒に」


「……薬塗る時は上半身脱いでるよね。ねぇ稜真、次に薬塗る時、見に行ってもいい~?」

 アリアは、何やら嬉しそうな声音で言う。ちょうど髪の手入れをしている所だった稜真は、そのまま頭をガシッとつかむと、指に力を込めた。


「ふ…ふふ…。アリアは何を考えているのかな…」

「な、何も考えてないよ。ホ、ホントナンダヨ?」

 途中から片言になるなど、怪しんでくれと言っているようなものだ。

「もう1度聞くね? な・に・を、考えたのかな?」

 稜真は指先の力を増した。


「ひっ!? あ…あはは…。あ、あのね…。ほら、稜真はノーマンさんと同室でしょ。稜真の貞操が危ないかも知れないじゃない? 変な雰囲気になってないか、確認しなくっちゃ! なんて思ったり、して…。えへ?」


 稜真は、更にその指に力を込めた。

「痛たたたっ! ごめんなさい! すいませんでした!!」

「すぐにBL方面に…頭を持って行かないで…ね?」

「はい! 気をつけます!! だから離して~」


 手を離してやった稜真だが、何度言っても懲りないアリアにため息が出る。


(気を付けると言っていても、しないと言わない所がなぁ。──それにしても、ピーターにはすぐに切れたくせに、ノーマンさんだとワクワクしているように感じるのは、何故?)


「せっかく褒めようと思っていたのにね」

「何なに!? 今からでも褒めて~」

「アリアって、さ。剣を振るっていると、すごく綺麗だよねって、思ったんだよ。凛としていて思わず見とれた。自分が相手をして貰っている時はそれどころじゃないから、ゆっくり見られないのが残念だなって」


「綺麗? 見とれる? うへへへ~。そっかぁ、稜真が見とれてくれるなら、いつも剣を振ってようかな~」

「いつも? 頼むから止めてくれる?」


 そんな危険物を世に放っては、自分が原因で歪みが酷くなるではないか。


「それなら稜真が私を見られるように、毎日ノーマンさんに相手して貰おうっと~」

「……せめて、あざが無くなるまでは止めてあげて」

「は~い!」


 ノーマンには気の毒だが、世界平和の為に尽力して貰おう、と稜真は思ったのだった。



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