第10話 アリアのたどってきた道

 忙しい日々を過ごしていた稜真が、もう1つ仕事を増やしてしまった所に人の良さが表れている。その仕事とは──。




 オズワルドに教育を受けている稜真は、伯爵の執務室に行く事が多い。

「ふぅ」

 伯爵はため息をついて、こめかみを揉んでいる。見れば目の下にクマが出来ていた。


「旦那様、お疲れのようですね。良かったらマッサージを致しましょうか?」

「マッサージとはなんだ?」

「体を揉みほぐして、楽にするのです。肩がこっていらっしゃるのではありませんか?」

「肩がこる? 確かに書類仕事は疲れるが…。こうも次々に決裁する事案が増えては、中々追いつかんのだよ」

 外国の人は肩こりの自覚がないと聞いた事がある。異世界でもそうなのだろうか。


「旦那様、ひと休みなさってはいかがでしょう。リョウマが心配するのも無理はありません。最近は、特にお疲れがひどいように見受けられます。奥様も心配なさっておいでですよ。そのマッサージとやら、試されてはいかがでしょう」

 伯爵の隣に控えているオズワルドが言った。

「妻に心配をかけるとは、私もまだまだだな。では、リョウマ。頼む」

「かしこまりました。──椅子に座ったままで大丈夫です。背中も押しますので、椅子の背から体を離して下さい。はい結構です。それでは失礼致します」


 伯爵の肩は、思った通りガチガチだった。首の付け根から、肩、肩甲骨辺りにかけて、ゆっくりと揉みほぐしていく。

「力加減はいかがでしょう?」

「ちょうど良い。いや、もう少し強くても…。これは…なんとも気持ちの良いものだな。リョウマは、どこでこのような技術を覚えたのだ?」


「私の母は肩こりがひどい人でした。放っておくと頭痛もして来るので、幼い頃からマッサージをさせられていたのです。押す場所が違うと叱られる事もありました。そのお陰でツボの位置も覚えましたし、毎日やらされたお陰で上達出来ました。自己流ですが勉強もしました」

「そうか。今、母君はどうされているのだ?」


「…もう、会えなくなりました」

 稜真の脳裏に懐かしい顔が浮かぶ。たまには帰省して親孝行すれば良かったと後悔するが、向こうの自分に期待するしかない。

「──すまなかったな」

「いいえ。お気になさらず」

 伯爵は母が亡くなったと判断したようだが、説明する訳にもいかない。


「アリアヴィーテは、随分とお前を気に入っているようだな。先日も言ったが、そばで仕えさせたいと自分から言ったのは、お前が初めてだ。これまで何人か私が選んだ者をつけたが、ことごとく逃げられてしまった。冒険者のアリアには、到底ついて行けんとな。──リョウマ、あの子をよろしく頼む」


「私の力の及ぶ限り」

 伯爵の肩は、少しほぐれたようだ。

「旦那様。1度にやりすぎるのも良くないので、今日はこのくらいに致しましょう。肩の具合はいかがですか?」

「これは…肩が軽くなったな。ありがたい、頭まですっきりしている。マッサージとは、すごいものだな」


 少し顔色が良くなった伯爵は、改めて稜真に向き直った。

「さてリョウマ。お前にアリアヴィーテの事を話しておこうと思う。少し長くなるが座りなさい」




 ──伯爵は、アリアの過去を話し始めた。


 アリアは物心がつく頃から、急に体を鍛え始めたそうだ。だが、何を目的にしているのか、決して教えてはくれなかった。


 本人は隠しているが、どうやら神の加護を持っているらしい。スタンリーが教える事の全てを、易々と吸収して行く。5歳上のアリアの兄は、あっという間に追い越されてしまった。その兄もアリアをうらやむ事もなく、今でも仲の良い兄妹だそうだ。


 伯爵領は北方を山脈が走り、他国と領地を隔てている。

 荒野や森が多く、耕作地が少ない。山脈には多くの魔物が棲み、広さだけはあるものの収入になる物が少なく、貧乏な領地だ。

 その為、王都の学園に通わせるのは、長男だけの予定だった。


 だがアリアは、自分でお金を貯めるから学園に行かせて欲しいと言い出した。伯爵は、貯められるのならば許可しようと答えた。子供が大金を貯められる訳がないと思ったのだ。


「そう答えた事を、今では後悔しているよ」




 アリアが7歳の時だ。

 それまでにも天候の不順で不作の年が続き、領地は徐々に荒廃して行った。荒れた大地には魔物が来る。住居を追われ、飢える領民が増えていた。


 その姿を見て自分に出来る事がないか、アリアは考えたのだろう。考えて思いついたのが、魔物を退治する事だった。

 殺される人を減らす為にと、屋敷を抜け出しては小さな体で戦い始めたのだ。


 誰から聞いたのか、魔物の体がお金になるのを知ったのだろう。素材を換金しては領民の為に使う。魔物は素材になる上に、魔獣肉は食料になる。無駄な所は1つもなかった。骨も焼いて畑に巻き、肥料にした。


 1人の力でどこまで出来るものかと、初めの頃は領民も馬鹿にしていた。だが、小さな体で必死に戦うアリアの姿を見て、徐々に共に戦う者が出始めた。

 アリアの討伐数には及ばずとも、自ら動く事を始める流れが出来たのだ。


「私達家族は止める事も出来ず、見ていただけだったよ」


 もちろん何もしなかった訳ではない。

 アリアが討伐した物は、まずギルドに納品される。登録前の年齢でも売るのは可能だった。

 領地の全てに不公平がないよう、困窮している場所へは多く、戦える者が多い地には少なく。その一部は他領へ持ち込んで金に変え、食料を購入する。ギルドからの報告をまとめ、物資を手配したのは伯爵だ。

 それでも伯爵にとっては、アリアの働きに比べて微々たるものにしか思えなかった。


 ──少しずつ、少しずつ餓死者も減っていった。




 アリアは8歳でギルドに登録した。

 それからは更に張り切って、屋敷を抜け出しては領地のあちらこちらを回って戦う。


「私達は帰って来ない娘を心配した。その居場所を知るのは、ギルドからの報告書だけだった」


 報告書で居場所の見当をつけ、捕獲に走っていたのだという。

 アリアは貰った報酬で入学金を貯め始めたが、依頼以外に倒す魔物の数の方が多かった。依頼以外の分は、領民の為に回したのだ。それがなければ、入学金などもう貯まっていただろう。


 領地に隣接する山脈には、人が入る事はほとんどない。アリアはそこに分け入って、素材に高値がつく魔物を狩り、食料になる魔獣を狩った。

 特に、素材と肉になる魔獣狩りに力を入れていた。


 やがて、魔物がアリアを恐れるまでになった。

 半年前には、小柄な個体だったもののドラゴンを単独で狩り、ドラゴンキラーの称号を手に入れた。



 伯爵は素材を換金した金で、畑や水路を整備した。

 神殿に併設した孤児院を作った。親を亡くし、孤児になった子供が多かったからである。そして教育の為に学問所を作った。


「孤児院も学問所もアリアヴィーテが言い出したのだ。孤児院はともかく、まだ他に金をかけねばならない部分が多く、私は反対した。だが、『子供の将来は領地の未来です。子供が幸せで教育がされていれば、自然と領地も幸せになれます』、そう言われたよ。元々アリアヴィーテのお陰で出来た金だ。それ以上、反対など出来る筈がなかった」



 メルヴィル領ではいい素材が手に入ると噂が広がり、ドワーフの鍛冶師がやって来た。そうした鍛冶師達が鉱脈を見つけた。ここならば鉱石も採れるし、素材も手に入ると、ドワーフ達が町を作る事に決まった。

 伯爵が忙しいのは、その手配に追われているからだ。


 やがては、その町で武器を手に入れようと、商人が、冒険者達がやって来るだろう。領地に人の流れが出来る。


 今ではもう、民が飢える事はない。

 生活にゆとりが生まれるまでには至っていないが、それもまもなくだと、領民の目には見えていた。将来に夢を見る事がなかった人々が、夢を語るまでになった。


 アリアが稼いだ金は、すべて領民の為に使っていたので、屋敷に手を回す余裕はない。だから、ここはまだボロ屋敷なのだ。

 だが、領地の発展は凄まじいものだった。アリアがいなければ、寂れたままだったに違いない。




「これだけの事をやってのけたのに、あの子はな…。頑張ったのは自分の為だと言うのだ。周りの人が不幸な顔をしている。その人達の前で楽しい夢を見ようとしても、楽しめない。だから、心置きなく自分が楽しむ為に頑張ったのだと、そう言うのだ」


 ギルド登録から4年、まだ12才の少女が領地を変えた。


「末恐ろしいものだが、家族は皆、あの子を愛している。領民もだ。幸せになって欲しい。それが私達の願いなのだよ」

「お嬢様は言っておられました。大好きな家族だと」

「──そうか」




 1人の少女が領地の未来を変えた。

 このまま力の限り行動されたらどうなるか、ルクレーシアが焦ったのも無理はないか、と稜真は思う。


(それにしても、その原動力が乙女ゲームのイベントを見る為、っていう所が、なんとも言えないよなぁ……)




 ──こうして、稜真の日課に伯爵のマッサージが追加されたのだった。



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