第9話 忙しい日々
ここで稜真は、そらの話をまだしていなかった事に気づいた。
「旦那様。実は私には連れがおりまして、飼育の許可を頂けますか」
「連れ?」
「そう言えば、馬車の中では魔鳥が肩に乗っていましたね。今はどこに?」
伯爵の疑問の声に、オズワルドもそらの事を思い出したようだ。
「お屋敷内に連れて入っても良いのかが分からなかったので、外で待たせております」
伯爵が頷いてくれたので、稜真は窓を開けた。
「そら!」
稜真の声で、近くで待っていたそらが飛んで来た。
「クルルゥ」
そらは稜真が伸ばした手に止まり、よじよじと肩に移動した。
「そらという名です」
「魔鳥か。まだ幼いな。リョウマは魔獣使いなのか?」
「実は今朝、偶然使役する事になったばかりでして、そらに何が出来るのかまだ分かっておりません。剣の使い方も教わりたいと思っております」
「ならば、そのように計らおう。我が家には武術指南役がいる。彼に教わるといい。そらの飼育も許可しよう」
「ありがとうございます」
「クルルゥ」
「お父様! 剣なら私が教え──」
言いかけたアリアの言葉を、伯爵が身振りで遮る。
「アリアヴィーテ。お前にそんな暇はない」
父に言われたアリアは、ふくれながらも渋々引き下がった。
「さてアリアヴィーテ、夕食までに身だしなみを整えて来なさい。その姿ではクラウディアが目を回してしまう」
「はい、お父様」
誰だろうと思った稜真に気づいたのか、アリアが母だと教えてくれた。
「エルシー、この娘の身支度だが、来月までになんとかなるか?」
「お任せ下さい。私が責任を持って、アリアヴィーテ様を磨き上げてみせましょう。腕が鳴ります」
「うわぁん、嫌だよぉ」
「さあ、参りましょうか。お嬢様」
アリアは、にこやかに微笑むエルシーに、引きずられるようにして連れて行かれた。
「それでは旦那様。リョウマを案内して参ります」
「頼む」
稜真は一礼すると、オズワルドと共に部屋を出た。
まず、使用人用の食堂に案内された。食事をしている4人の男の内、2人には見覚えがある。
「彼は今日からお嬢様にお仕えする事になった、リョウマ・キサラギです。スタンリー、明日から彼に剣の指導をして下さい。私は旦那様の所に戻りますので、誰かリョウマの案内をお願いします」
オズワルドは立ち去った。
「よろしくお願いします。皆さん、お食事中にすみません。俺の事は、リョウマと呼んで下さい」
「よっ! さっき会ったよな。俺、ラリー。よろしく!」
「…マイケルだ」
この2人はアリアを捕獲した時にいた。アリアを芋虫にしたラリーが庭師、マイケルは御者だそうだ。
「ははっ。お嬢様にお仕えするとはなぁ。俺はスタンリーだ、よろしく」
スタンリーは武術指南役だそうだ。
「俺は料理長をしているライダルだ。よろしく。そんな戸口にいないで、中へ入ったらどうだ?」
「そら…この鳥の名前ですが、食堂に連れて入ってもいいのかが、分からなくて…」
「鳥か、厨房に入らなければいいぞ」
全員頷いて笑ってくれたので、安心して食堂に入った。
稜真も夕食を出して貰い、皆と一緒に食べた。そらは稜真の足元で、出された木の実や刻んだ果物を喜んでつついていた。
夕食後、稜真が使う事になる小さな部屋に案内された。
余りの荷物の少なさに驚かれ、スタンリーが明日買い物に付き合ってくれる事になった。何しろ着替えすらないのだ。
「俺…お金を持ってないんですけど…」
「ははっ! 給料が出るまで貸しといてやるよ」
仕方ねぇなぁ、と笑われ、頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。なんとなく子供扱いされている気がする。
「スタンリーさん。俺はいくつに見えています?」
「年齢か? お嬢様と同じ12歳くらいだろ?」
「…15歳です…」
「15!? あー、明日からもっと食え」
「……はい」
3つ下に見られるくらい大した事はない、と稜真は自分に言い聞かせる。あちらでは、10歳以上年下に見られるのはザラだったのだから。
稜真はスタンリーに連れられ、風呂へ行った。
使用人用の風呂は、銭湯くらいの大きさがあり、男女交代で入るそうだ。例え貴族の家でも、使用人用にここまで立派な設備はないのだが、アリアがこだわって作ったのだそうだ。
着替えはスタンリーの物を借りた。袖も裾も何度も折る羽目になった。下着はスタンリーが予備に持っていた新品を貰った。
「何から何まで、すみません」
「いいってことよ! お前の指導を頼まれたって事は、お前は俺の弟子だ。弟子の面倒くらいはみるさ」
「では、師匠ですね。今後とも、よろしくお願いします」
「おうよ!」
それからの日々、稜真はほとんどアリアに会う事はなかった。時おり顔を合わせるエルシーに聞いた話では、色々と大変らしい。
今回作るのは日常着るドレスで、華美ではないし、時間もかからないだろうと思っていたアリアも、予想外に時間がかかりげんなりしているそうだ。
採寸から始まり、生地選びにデザイン決め。いかに見栄え良く、予算を抑えるかが大変なのだとエルシーが言う。特に大事な点は予算だ。
そして1番時間がかかっているのは、アリア自身。
何しろ2か月間、何も手入れをしていなかったのだ。肌も髪も傷みがひどく時間がかかると、エルシーはため息をついた。
それに加えマナーレッスンだ。今の所は真面目に取り組んでいるが、いつ抜け出すか気が気ではないらしい。
──そして稜真は、と言うと。
朝はランニングに始まり、剣の稽古。
以前、自分の
その後、みっちりと従者教育が入る。
やはりオズワルドは厳しく、文字通り叩き込まれていた。
この国『オルブライト』の歴史に地理、その他諸々の勉強も毎日組み込まれている。
体のスペックが上がると同時に記憶力も上がっているのか、稜真は自分でも驚くほどの速さで吸収出来ていた。
(世界の常識を知らないので、ありがたく思うけど。覚えれば覚えただけ、喜々として宿題まで出されるのは…正直しんどいなぁ…)
あちらで学校を卒業した後は、勉強から遠ざかっていた。仕事前に台本を読み込んで役作りはしていたが、それと勉強とは訳が違う。辛うじて数学はついていけるが、他は文字通り、いちから覚えねばならないのだ。
エルシーには、アリアの身支度を教わっていた。
髪の手入れに爪の手入れにお肌の手入れ。ドレスの着付けや髪の結い方まで、ひと通り覚えて欲しいと言われている。
(……どこまで俺がやらなきゃいけないんだろうか?)
今回もそうだが、冒険から帰ってきたアリアの状態を戻すのに、非常に苦労しているのだそうだ。是非とも覚えて欲しいと頭を下げられては、やるしかない。
そのうち、ダンスレッスンも入ると言われた。
従者がどうして、と稜真は反論してみたが、『いついかなる時でも、お嬢様のお側に控える事が従者の心得ですよ』とオズワルドに微笑まれては、何も言える訳がなかった。
(こんなに詰め込まれて、逃げずに頑張っている自分が信じられない……)
そんな毎日を送っている稜真の癒しは、ライム・パロットの『そら』だった。
ある日の素振り中、突然スタンリーが「ぶふっ」と吹き出した。
「どうしたんですか? 師匠」
「後ろを見てみろ」
「後ろ?」
稜真は振り返り、「ぶはっ!」と同じく吹き出した。そらがどこからか持って来た枝をくわえて、懸命に上下に振っているのだ。
「か、可愛い! あれ、俺の真似ですよね」
そらは見ている2人に気付き、首を
そうかと思えば、「ク・ル・ル・ルー」と鳴きながら、木の葉を追いかけて、地面をとてとてと走っている。そんな愛嬌のあるそらは、屋敷の人間に可愛がられていた。
時々姿が見えない時もあるが、稜真が呼べばすぐにやって来るし、休憩時間には必ず稜真の側にいる。稜真はそらの好きなおやつを用意して、休憩の時に食べさせるのが、忙しい毎日の唯一の楽しみだった。
その日もおやつを食べさせながら、そらの喉元をくすぐっていると、疲れた様子のアリアがやって来た。
「いいなぁ…。稜真とそら、ラブラブだぁ…」
「アリア久しぶり。なんだか暗いね」
「疲れたんだもん。稜真に剣を教えるのは、私がやりたかったのにスタンリーに取られたし、その他の時間もずっとオズワルドと一緒だし、ちょっと時間があるとお父様の所に行くし。私だけ会えてない…。稜真様成分が足りないのよぉ~~!」
アリアはぶーぶーと文句を言う。
エルシーの苦労が実り、アリアの赤みがかった金髪は艶々と光っている。傷んだ部分を切り揃えたのだろう。背にかかる程の長さになっていた。肌もぷるぷるに見える。着ている服も白いフリルのついた茶色いドレスだ。
この姿なら、貴族のご令嬢というのも納得できると稜真は思った。出会った時のワイルドさは、全く見られない。
「──って、俺が足りないって何?」
「だってね。転生前は、通勤中ずっと携帯プレーヤーで稜真様の歌聞いてたでしょ。寝る時はイヤホンでドラマCD聞いてたし、暇があればゲームしてるかアニメ見てたし。そんな生活が出来なくなって、12年もよく我慢出来てたなぁ、私。うんうん、自分で偉いと思う。──それでね。12年ぶりに声が聞けるようになったら、なんかもう聞けないのが辛くってたまらないの。稜真様の声が聞きたくて聞きたくて、禁断症状が出ちゃうのよ~」
「……」
「携帯プレーヤーのデータは、稜真様でいっぱいだったなぁ。あれが、今あればなぁ」
「………」
稜真は終始無言で口元を押さえている。頬がほんのり赤く染まっていた。
「り、稜真様、もしかして引いてる? 私引かれちゃった? でもでも、仕事で疲れた時も、人間関係が辛かった時も、稜真様の声が私を癒してくれたんだよ? だから引かないで~~~」
「………『様』。誰かに聞かれたら、まずいだろ。あと、引いている訳じゃないよ。そこまで思ってくれたのは、声優
アリアは幸せそうに笑った。
「えへへ。あのね、如月稜真の可愛い役も恰好いい役も病んでる役も、全部全部大好きだったの。CDをイヤホンで聞くと耳元でささやかれるみたいで、ドキドキした。ささやく時の低くて優しくて、どこか色っぽい声。疲れた時は、そんな声ばっかり聞いてたんだ。それに比べたら今の私、贅沢だよね。本人に会えて、一緒に生活出来て、素の声が聞けてるもの」
「作っていない俺の声でもいいんだ」
「うん! でも声だけじゃないよ。私の話を聞いてくれて、ご飯作ってくれて。今は稜真の全部が好き」
「ふふ。この間はプロポーズで、今度は告白なんだ」
「大好きだもん」
にっこり笑顔で返された。
(うわ、照れる…。からかったつもりが、まっすぐ返されるとは思わなかった。この返しは想定外…)
「はは…、ありがとな」
手入れされた髪を撫でると、その柔らかな手触りに驚いた。
「俺も頑張っているよ。知らない事がありすぎてね。お祖母様が帰られたら、スキルの確認を一緒にしてくれるんだろ? こればっかりは、アリアじゃないと出来ない事だし、ね?」
「スキルの確認なら、私も稜真の役に立てるよね! うん頑張る!」
「ほら、お迎えが来たみたいだよ。俺もそろそろ休憩おしまい」
エルシーがアリアを探す姿が見えた。
「うん、行って来るね!」
「あ、ちょっと待ってアリア」
稜真はアリアを呼び止めると、低めの声でささやくように言った。
「アリアお嬢様。その髪、とても美しいですね。しっとりと艶めいて輝いています」
そう言いながら、稜真はそっと髪に触れ、頬に触れた。
「お肌に触れると手に吸いつくようです。とてもお綺麗ですよ。見違えました。来月までに、どこまで美しくなられるのでしょうか? 楽しみです。──俺を誉めてくれたお返し。これで少しは俺成分、補充出来た?」
アリアの顔は真っ赤になっている。
「はわぁ~。で、で、出来ました! ばっちり! が、頑張って来る~!」
アリアはふらつきながらエルシーの方へ歩いて行った。
「お嬢様、どうなさったんです? 大丈夫ですか?」
「大丈夫~。エルシー、私頑張るから~」
ふらふらして真っ赤な顔のアリアは、エルシーに熱を計られていた。
(うん。現実に恥ずかしいセリフを言うのも、慣れて来たかな。何よりもアリアの反応が面白い。さてと! 俺も頑張るとするか)
稜真も久しぶりにアリアと話し、気分転換が出来た。本人は気づいていないが、その口元には笑みが浮かんでいた。
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