第8話 伯爵

 悲鳴を上げて座りこんだアリアは、耳まで真っ赤になっていた。


「ふっ。効き目たっぷりだね」

「からかったの!? うう~。腰が抜けたじゃないの。……耳は幸せだったけどさ」

「さっき、俺をからかってくれた仕返しだよ。ほら、お父さんが待っているんだろ。行くぞ」


 アリアは自分に手一杯で気づかなかったが、稜真はほんのり赤くなっていた。

 仕事でなら、どんなセリフを言うのも平気だが、やはり現実の女性相手に言うのはハードルが高かった。──彼女と別れてから、結構長い時が過ぎている稜真なのである。




 多少落ち着きを取り戻したアリアは屋敷に入ると、ある重厚な扉をノックする。

「お父様、ただいま戻りました」

「入りなさい」


 どうやらここは執務室らしい。

 大きな机に座っているのは、アリアと同じ髪色をした男だった。30代後半だろうか。厳格な印象を与えて来る男だ。部屋にはオズワルドとメイドの姿もあった。


「お帰り、アリアヴィーテ。2か月も戻らないのは、さすがにどうかと思うのだがな」

 男はそう言いながら立ち上がると、アリアを抱き上げた。そして髪を撫で、深々とため息をつく。

「元気そうで安心したが、この髪はいただけんな…」

 朝起きて髪をざっととかして結んだアリアだが、とかしても誤魔化せない程に髪が痛んでいるのだ。

 稜真は昨日のアリアを思い出す。髪につけていた葉っぱから想像するに、枝に髪を引っかけても構わずに駆け回っていたのではなかろうか。


「そんなにひどいですか?」

「髪の手入れもだが、せめてひと月に1度は帰宅しなさい。みなが心配する」

「ごめんなさい」

 

 伯爵はぎゅっとアリアを抱きしめてから、床に降ろした。


「急いでお前を捕獲したのは他でもない。来月、お祖母様がいらっしゃる事になった。お前のドレスを仕立てねばならないのだよ」

「…今あるドレスではダメなのですか?」

「手持ちは全て小さくなったと報告を受けている。侯爵夫人であるお祖母様にお会いするのだ。せめて2着はあつらえておかないと、顔向けが出来ん」

「え~、もったいないです」

「たまには可愛い娘が着飾る姿を見せておくれ」

「分かりました……」


「ところで後ろの少年は? 一体どこで拾ってきた?」

 ここでようやく、伯爵は稜真に目をやった。

「森で出会いました。私が学園に行く時に、彼を連れて行こうと思っています」

「学園へ? 共にか? えらく気に入ったものだな。どういう名目で連れて行くつもりだ?」

「──護衛でしょうか?」

「王族ならともかく、うちの家格では護衛は許されん。それに…、お前に護衛が必要か?」

 伯爵は呆れ果てたように言った。


「お父様ったら、ひどいです!」

「アリアヴィーテ。普段の自らの行動を、胸に手を当ててよく考えてみなさい」

「そこまで言わなくてもいいと思うのです…。では従者としてなら、いかがですか?」

「平民なのだろう? 従者として使い物になるのか?」

「それは…」


 ここまで、ただ黙って聞いていた稜真だったが、自分の事である。何も言わないままではいられなかった。

「失礼致します。発言をお許し願えますか?」

「言ってみなさい」

「私の名は、リョウマ・キサラギと申します。使い物になるかどうか、テストしては頂けませんか? 以前の勤務先では、奥様にお茶を入れる腕を誉めて頂いた事もございます」

「ほう。平民にしては、礼儀をわきまえているようだ。分かった。茶を入れてみなさい」

「かしこまりました」と、稜真は優雅に一礼してみせた。

「テストの為だ。オズワルドも席につきチェックしなさい。エルシー、リョウマを厨房へ案内してくれ」




 稜真はエルシーと呼ばれたメイドの案内で、厨房にやって来た。エルシーは、20代だろうか。青い髪で眼鏡をかけた女性である。

 まずは、やかんと茶器、そして茶葉を出して貰った。茶葉の香りからして、紅茶に間違いなさそうだ。『以前の勤務先』では、お茶の入れ方を各種教わっていたが、紅茶は特に叩き込まれていたので安心した。


「エルシーさん、突然お手をわずらわせてしまって、申し訳ないです」

「いいえ、気にしないで下さい。お嬢様に専属で仕えてくれる人がいると、私達も助かります。頑張って下さいね。応援しますから!」

 エルシーは、にこやかに微笑んだ。その言葉に力がこもっているのは、気のせいではないだろう。

「ありがとうございます。ご期待にそえるよう、頑張ってみます」


 お湯が沸いたので、ポットとカップを温め、紅茶と一緒に配膳用のワゴンに乗せて運ぶ。


「お待たせ致しました」

 3人の目が、稜真に注がれる。目線を気にしないように、紅茶を入れる事に専念する。


 用意されていた紅茶を確認すると、比較的大きな茶葉だった。紅茶の入れ方を教わった際、人数分を量る時は細かい茶葉は中盛りにし、大きい茶葉は大盛りにすると教わった。3人分の茶葉を計り、ポットに入れる。そしてお湯を高い位置からポットに注ぎ、蒸らしておく。

 待つ間に3人分の茶器をセットし、蒸らし終わった紅茶を、きっちり3人分に注ぎ切った。


 正直、本格的に紅茶を入れるのは久しぶりで緊張していた。『以前の勤務先』とは、声優の仕事で食べて行けるようになる前のバイト先の事なのだ。バイトを辞めてからは、ごくたまに紅茶を飲んでもティーパックかペットボトルだった。

 入れ方は体が覚えていてくれたのでなんとかなったが、異世界の紅茶を同じように入れて大丈夫なのかが分からない。

 不安に思う気持ちを押し隠し、あくまでも優雅に、伯爵の前に紅茶を入れたカップを置いた。


「どうぞ、旦那様」

 次いでアリアとオズワルドに。

「わぁ、いい香りね」

 アリアは砂糖を入れ、伯爵とオズワルドはそのまま飲む。3人は静かにお茶を楽しんだ。




「ふむ。オズワルド、お前から見て、彼はどうだ?」

 オズワルドは姿勢よく立っている稜真の姿を、もう1度確認するように厳しい目で見た。

「そうですね。所作は、まだまだ磨く余地がございます。ですが、叩き込む価値はありそうです。これならば、お嬢様の入学までに従者として使えるようになるでしょう」


「ふむ。お前のお眼鏡にかなったという事か。私もリョウマの茶の味は気に入った。よろしい、従者として雇おう」

「ありがとうございます。ですが、私の事を何も聞かないまま雇っても、よろしいのですか?」

 伯爵家なのに、調査はしないのだろうか? 聞かれたらどう答えるべきか何も考えていなかったが、聞かれないのも不安である。


「アリアヴィーテが側に置きたいと連れて来たのだ。資格など、それだけで充分だ。後で話せる事だけ、オズワルドに話しておきなさい。──私が雇った従者を何人か付けたが、この娘に付き合わされて続いた者はいないのだよ。自ら連れて来たリョウマなら期待出来そうだ」

 ため息混じりで話す伯爵の言葉に、稜真は思わずアリアを見た。てへへ、とアリアは顔をそらす。


「てへへ? お祖母様がおいでる前に、行儀作法のおさらいもせねばならんな。──リョウマ、お前が続いてくれるから、過去の詮索はしない。犯罪者ならともかくな。それとも、犯罪を犯した逃亡者なのか?」

「いいえ」

 真摯に答えた稜真と伯爵の目が合った。

「ならば良い」

 なんとも寛大な伯爵様である。稜真は一礼した。


「ただし、この娘の従者ならば、あらゆる事を考えて動ける人材が欲しい。お前がどこまで出来るかは分からんが、アリアヴィーテの行動をいさめ、止める事が出来る、そんな従者になって欲しいというのが私の希望だ」

 それは、ルクレーシアに言われた内容と似通っていた。

「かしこまりました。精一杯、努力させて頂きます」


 稜真は、しばらくは従者見習いとなる。給料は月に銀貨3枚だそうだ。働きによって昇給あり。今現在、一銭も持っていないので、給料が貰えるのはありがたい。

 何しろ稜真の持ち物は、身につけている物だけなのである。




「ねぇ稜真?」

 アリアがそっと、父親に聞こえないように尋ねる。

「以前の勤務先って?」

「売れない時、バイトしていた執事喫茶。演技の勉強になったし、店長が所作や紅茶の味にうるさくてね。覚えたら時給が上がるから頑張ったんだよ」

「じゃあ、奥様って?」

「オーナー。奥様呼びがばれたら、はっ倒されるわ……。それよりもアリア。オズワルドさんの、が気になって仕方ないんだけど?」

「うちの執事はスパルタだよ~。頑張って!」


 どこまで叩き込まれるのか、戦々恐々とする稜真であった。


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