第2話 女神様に無茶振りされました

「……て」


「…まさん、目を覚まして」


「起きて下さい…」


 優しい声が、稜真りょうまに語りかけている。慈愛に満ちたその声は、まるで女神のようだ。



(……同僚に…こんな声の奴…いたっけ…?)



如月きさらぎ稜真さん、わたくしはあなたの同僚ではありません。そろそろ目を開けてみませんか?」




 稜真がゆっくりと目を開けると、そこは月夜の草原だった。煌煌こうこうと輝く大きな月が空に浮かぶ。建物も木々も何もない。そんな草原に立っていた。

 目の前には、その月と同じ輝きをまとう女性がいる。青みがかった銀色の髪に青い瞳の女神。


 ──そう。女神だろう、この神々しさは。


 訳が分からないままに、稜真は女神の足元にひざまずいた。


(俺は今、どうしていた?)


 跪きながらも、稜真は混乱していた。

 意識が覚醒する前の自分がどうしていたのかが理解出来なかった。水面に手を触れてからの記憶が曖昧だ。


 ──噴水。水面。唖然と見下ろす自分。そして、下へと落ちる感覚。


 水に落ちた筈だが、体は濡れていない。

 落ちていたのに、気がついた自分が立っていたのが理解出来ない。

 頭が鈍くずっしりと重い。戸惑ったまま、懸命に記憶を探っていた。




「稜真さん、顔を上げて下さい。戸惑うのも無理はありません。実は、あなたにお願いがあってお呼びしたのです。どうか、私の頼みを聞いて下さいませんか?」


 女神が手を振ると、テーブルに椅子、ティーセットが現れた。うながされるままに、稜真はテーブルに着いた。

 女神手ずから入れてくれたのは、爽やかな花の香りのお茶だった。

 稜真は酒のせいなのか、夢を見ているのか、疑問がありすぎて現実味のないまま、お茶を飲む。



「私の名は、ルクレーシアと申します。この世界、リーヴヌィの創造神です」

 女神の愁いを帯びた表情と月の光が相まって、この世のものとは思えない光景だ。

 稜真は未だに現実感が乏しく、目の前の光景はTVの画面を見ているように感じている。


(──この世界? 流行りの異世界だとでも言うのだろうか?)


 仕事柄、そういった作品に関わった事もあるが、なんの力もない自分に力を貸して欲しいとは訳が分からない。ともあれ、例え夢だとしても理由を聞こうと思った。


「創造神様が私に頼みとは、一体何でしょう。とても私がお力になれるとは思えません」

「私の事は、ルクレーシアと呼んで下さい。稜真さんには世界の歪みを正して欲しいのです。いえ、正すまで行かなくとも良いのです。せめて、歪みの行動をセーブして欲しいのです」

「世界の歪み?」

「──全ては私が招いてしまった事。あなたに背負ってもらうのは、間違っていると分かっています。ですが、もう私はどうすれば良いのか…」


 ルクレーシアは苦悩の表情を露わにしていた。何が神を嘆かせているのだろうか。

「ルクレーシア様。世界の歪みをと言われても、私はただの一般人です。何度も言うようですが、何の力もありませんし、若くもない。人選をお間違えではありませんか?」

 その言葉に、ルクレーシアはそっと首を横に振る。

「歪みに対することができるのは、あなたしかいないのです。あなたの言葉なら聞いてくれるはずです。……多分」

「……多分?」


 微妙な言葉に思わずルクレーシアの顔を見つめる。稜真から目線をそらした女神が話したのは、ひと息ついて和らいだ頭痛を悪化させるのに充分な内容だった。





 この世界を創造したのは、ルクレーシアだ。


 いつの頃からか意識が芽生え、虚空にただ1柱存在したルクレーシアは、まず6柱の子供達を産み出した。

 その子供達の為に、大地を、海を作った。


 天地に生き物を、植物を。


 人族はいさかいを起こし、国ができては滅びる。

 そのサイクルもうまく行っていた。繁栄しすぎず、衰退しすぎない。

 豊かな自然と地にあふれる生き物達。



 成長した子供達に全てを任せ、ルクレーシアが力を振るう事も無くなって行った。何もする気にならず、つまらない日々が続く。


 そんな時、ほんの気まぐれで、他の世界をのぞいてみたのだ。そして見つけた、いわゆるサブカルチャーにはまってしまったのである。

 暇さえあれば、というか暇ばかりなので、ネット小説を読み漁った。そんな中、特にはまったのが乙女ゲームの転生もの。一般人が、主人公や悪役令嬢に転生する物語。

 片っ端から読みふけった。そうして読み漁っている内に思いついたのだ。


(小説を読むよりも、実際に見てみたら面白そう…ですよね。わたくしになら、出来ない事はないですし……)


 そして、自分の世界に取り入れてみたのだと言うのである。


 協力者の力を借りて見つけた乙女ゲームは、全てがルクレーシアの希望通りではなかったが、比較的自分の世界と似通った世界観だった。協力者が、それはそれは熱く面白いと勧めてくれたゲームだ。

 自分の世界に戻ったルクレーシアは、そのゲームを元に世界を改変した。


 時が流れる。ルクレーシアは、舞台がスタートするのを楽しみにしていた。


 ──そんなある時、イレギュラーに気づいた。


 導入した時に、地球世界から1人巻き込んでしまったようなのだ。


 ルクレーシアは異世界人を巻き込むつもりはなかった。ただただ、その世界を現実にしたらどうなるか見てみたかった。舞台を作っただけで、以後干渉するつもりもなく、選択は登場人物たちに任せ、見ているだけのつもりだったのである。この世界に転生者を呼ぶつもりもなかった。それなのに…。


「池○で乙女ゲームを探している時に、意気投合した女性がいたのですけど、その後すぐに事故で亡くなってしまったのです。その魂が私に引っかかっていたみたいで。私…全く気付かなくて…。力を流した時、一緒に世界に流してしまったみたいで…」

 先ほどの神々しさはどこに消えたのか、しょんぼりとしたルクレーシアがいた。


(これはやっぱり夢かなぁ…。こんなうっかり女神さんがいるなんて、信じたくない)

 稜真は思わず月を見上げた。


「うっかりだなんて、ひどいです。誰にでもミスはあります」

「心を読まないで頂けますか? それで世界の歪みとは?」




 女性が亡くなったのは、稜真の時間で今から1年前の事。

 その女性は、登場人物に転生こそしなかったが、舞台となる国に転生していた。そして物心ついた頃から乙女ゲームの世界であると気づき、舞台の学園に入学するために暴走しているのだそうだ。


 早い内に記憶を封じれば良かったのだが、主要な登場人物の成長を見る事に集中するあまり、転生に気付くのが遅れた。創造神といえど、時間に干渉する事は基本タブーである。

 そもそも今回の世界改変だけでも、子供達から散々お説教されたのだ。

 世界を改変した事で、子供達に叱られたルクレーシアは、12年間世界を渡る事を禁じられていた。世界の変化を鑑賞する楽しみもあるし、それまでに買い込んであった小説やゲーム、その他諸々があったので、不満はあるが我慢できた。



「ちょっと待って下さい。亡くなったのが1年前で、ルクレーシア様は12年間世界を渡っていなかった? 時系列が分かりません」

「あら、ごめんなさい」


 ルクレーシアの説明によると、ゲーム世界を流したのが12年前。女性は現在12歳。

 子供達に禁じられた為、ルクレーシアはこの世界と向こうの世界を行き来しなくなり、繋がりは断たれていた。

 稜真への助力を頼もうと世界を繋いだら、女性が亡くなってから1年後に繋がった。今は繋げたままなので、時の流れは同じだそうだ。


「こちらでは12年経っているが、あちらでは1年しか経っていない。そういう事ですか」

「はい」


 未だ世界に悪影響は出ていないが、その女性の暴走っぷりが不安になった。もうそろそろ異世界に行かせて貰えると思っていたのに、女性の事が知られれば、また禁じられてしまうだろう。ルクレーシアは子供達に見つかる前に、こっそり稜真を頼ろうと考えたのだ。

「ですから。そこで、どうして私なのでしょうか?」

「彼女、あなたの大ファンなのです」


 稜真は思わずテーブルに突っ伏した。そんな理由で異世界に来た話など、聞いた事がない。


 草原にそよそよと風が吹く。


「あ、それと! この世界に導入した乙女ゲームは、稜真さんの出演作です」

 ルクレーシアに追い討ちをかけられ、稜真は頭を抱えて現実逃避を始めた。


(夢…これは夢。目を覚ませば、アパートの布団で寝ている。きっとそうに違いない。自分の出演したゲーム世界? ないわぁ…)



「あの…、そろそろ戻って来て下さい…」

 そんな稜真を、容赦なく女神が呼ぶ。

「──頭が割れるように痛いのですよ」

「そのお茶は頭痛にも効くので飲んで下さいね」

 にっこりと笑う女神を白い目で見ながら、稜真はお茶を飲みほした。確かに頭痛はすうっ、と消えていった。


 稜真は、渋々会話を再開する。


「……それにしても、12年も気づかないものですか?」

「彼女が生まれたのは、国でも僻地で…。しかも全く登場人物に関わらない土地でしたから……」

「もう1つ。普通の日本人女性が転生して、歪みと言われる程の影響が出るものですか?」

「それはその…、2人で盛り上がった時に手を握り合ったのですけど、その時うっかり、思いっきり加護を与えてしまったみたいで…。地球で暮らしていたなら、多少運が良かった程度で済んだのですが、この世界では、あの…、その…」


「運がいい? その方は事故で亡くなったのですよね?」

「ですから、本当に少し幸運になるくらいで、運命に影響を与える程の力ではなかったのです」

「その女性が何をやらかしたのか、気になりますが…。この世界は、どんな乙女ゲームの世界なのですか?」


「タイトルは『白き聖女と五玉のロマンス』です」

「──と言われましても。自慢ではないのですが、乙女ゲームには結構出演していたので、正直タイトルだけではピンと来ません」


「いわゆる剣と魔法の世界ですよ」

 ルクレーシアは愛らしく小首を傾げる。

「はぁ…。どのようなストーリーか、お教え願えますか?」

「あの、えっと…」

 おろおろと口ごもる女神を、じっと見つめる。

「……ネタバレしたくなかったので、詳しい内容は知らないのです。登場人物とあらすじくらいしか分からなくて、ゲームと設定資料集も飾ったままですし…」

「ネタバレって……。それで良く世界を変えられましたね」


「舞台設定の確認をして、極力内容を読まないようにゲームの力を流したのです。びっくりするほど上手く行きました!」

 あからさまに嬉しそうな表情のルクレーシアを、稜真は無言で見つめる。


「う…。そ、そうです! ストーリーは、彼女が知っていると思います。何しろ導入したゲームを選んでくれたのは、彼女ですもの。その時に、稜真さんの事を熱く語られたのですから!」


 稜真が記憶をたどって思い出せたのは、2年ほど前に出演した作品だった事くらいだ。内容は全く出て来ない。

 もう何年も運動等していない。剣と魔法の世界なら、戦いが必須だろう。どう考えても自分には荷が重い。武術経験もなく、辛うじて中高の授業で柔道を習った程度なのだ。インドアな声優に何をさせようと言うのやら。 

「とても私が力になれるとは思えません。元の世界に返して頂けませんか?」


 すっと、ルクレーシアが立ち上がった。緩かった雰囲気が消え、神々しさが戻る。


「それは出来ません。あなたをこの世界に招くとき、2つに分けました。あなたはあなたのまま、元の世界に存在しているのです。今ここにいるあなたは、この世界に適応したあなた。あなたは私の希望なのです。無理は言いません。彼女の暴走が和らぐだけでもいいのです。──あなたには戦う力と身を守る力。そして、私の加護を授けましょう」

 ここまで一息に言い放つと、女神は微笑んだ。


 反論をしようとした稜真の足元が消え、闇の中に落とされる。



「ちょ! ま!? 無理しか言ってない~~っ!!」



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