羞恥心の限界に挑まされている
山口はな
第1章 出会いとスキル
第1話 プロローグ
その日は、月が綺麗な夜だった。
男は出演していたアニメ番組の打ち上げの帰り、終電を降りアパートへ向かっていた。
(今日は結構飲んだな。そろそろ無茶は出来なくなったか…)
少しふらつく足元に、体の衰えを感じ始める年齢かと、自嘲する。
容姿は、ごく一般的な日本人男性。良くもなく、悪くもなく、中肉中背撫で肩。強いて特徴をあげろと言われれば、童顔、と言った所だろうか。とても30を越えているようには見えない。
その表情には、どことなく人の良さがにじみ出ていた。
稜真はデビュー当時、バイトをしなくては食べていけなかった。仕事が順調になり、声優の仕事だけで食べていける現在を、ありがたく感じている。
友人も多く充実した毎日を送っているが、彼女いない歴が長くなるにつれ、寂しさを感じるようになっていた。
(いかんいかん。せっかく気持ちよく飲んで来たんだ。今夜は暗い事は考えないぞ)
明日は久しぶりに布団を干して、部屋の掃除もしよう、洗濯物も溜まっていたな、そう考えながら公園の脇を通りかかった。
ここは木々が多く植えられた広い公園で、中央には噴水がある。昼間は子供連れ、夕方にはカップルの姿が多く見られる。さすがにこの時間、
──稜真はふと、青く感じる月の光に魅かれた。
秋の冴えた空気。深呼吸すると、酒に火照った熱を冷ましてくれている。
ただ真っすぐ帰るのもつまらない。なんとなく、水に映る月が見てみたい、と風流な気持ちになった。
木々がさざめく音を聞きながら、のんびりと公園の中央へ歩いて行く。
(ん? 水の音がしない…。噴水、止まっているのか?)
いつもなら、この辺りまでくれば水の音が聞こえるのだ。稜真は残念に思ったが、せっかくだからと噴水まで歩く事にした。
「…なんだ、これ?」
夢を見ているのだろうか? 稜真は自分の目を疑った。
水が止まっている。
出ていないのではない。噴水の中央から上がった水が、空中で止まっていた。水しぶきが宙に浮いているのだ。
そのまま時間が止まったのであれば、水が落ちる水面は波立ったまま止まっているだろうが、不思議なことに水面は鏡のようだった。冴え冴えとした大きな月。その光を反射し、宙に浮いたしぶきがきらきらと輝く。
「……幻覚か? そこまで飲んだ覚えは…ない、んだけどなぁ…」
余りにも現実感のない光景だった。稜真は不思議に思いながらも、空に光る月よりも、水面に映る月の輝きに魅せられた。
水面は硬質なのだろうか、それとも柔らかいのだろうか。
月に触れてみたい。そんな衝動に駆られ、そっと水面に手を伸ばして月に触れた瞬間──。
ぐるり、と。
視界が。
入れ替わった。
稜真は水の中から自分を見上げている。
水面を見下ろしている自分がいる。
その自分と、目が。
合った気がした。
下へ、下へと落ちる。
不思議と身体に水は感じなかった。
ゆっくりと、ゆっくりと。
月の光に包まれて。
──落ちて行った。
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