29 ノーラーメン・ノーライフ


「鶏ダシが効いててネギ気持ち多め、麺は全粒粉の中細ストレート、多分卵は入ってないわね。具はチャーシューとメンマだけのシンプルな中華そば醤油味、って感じかな。奥様がリクエストしてる、当時の南京そばって」

 こめかみに指を当てて記憶や知識のデータベースから、70年前のラーメンを引っ張り出そうとぶつぶつつぶやく青葉すみれ。

 その隣で俺も、ただそれだけでいいのか、俺たちなりに再現できる戦前の醤油ラーメンを作って食べてもらうだけでいいのか、そんなところに思案を巡らせていた。

 今ある知識と材料で完璧に再現するのはどだい無理な話だ。そこはわかっている。

 だからと言って手を抜く仕事はできない。どんな時も一杯入魂が俺の信じるラーメン道だからな。

 しかし、なにかが引っかかる。とても大事な何かを俺は置き去りにしている気がする。


 待てよ、すみれは「全粒粉を使う」と言ったか。

 小麦の全粒粉は分離精製された薄力粉や強力粉なんかに比べてビタミンやミネラルなんかの栄養価が高い。

 しかしその分たんぱく質やでんぷんの割合が低くてラーメン独特のシコシコした食感にはならないはずだ。

 そんな俺のモヤモヤを払しょくする呟きが、すみれの口からこぼれ出た。


「全粒粉だとコシが出ないから今のラーメンよりかん水は若干強めよね……しかも戦前戦後のかん水って水酸化ナトリウム、せっけんや洗剤用の苛性ソーダとか使ってたんじゃないかな……? 今は普通使わないし、まさかこの世界のせっけんを麺に入れるわけにもいかないし……」


 そ、れ、だ。

 もともと「ラーメンにかん水は必要ではない」と思っている俺にとって、そもそも食い物とは言えないそんなものをラーメンに入れるのは激しい抵抗がある。

 しかし、食い物とは言えないそれら強アルカリ物質の厄介なところは、強烈な味と匂いのせいで「人の記憶に強烈に残る」ところにある。

 強アルカリ物質と言うのは不快な味や臭いを持っているものが多いが、その不快さはごく微量、少量なら「強烈な個性」「独特な癖」として存在感を放ちうる。

 これは納豆の匂いを不快に思う人と、あの臭いがあるから納豆らしくていいんじゃないかと思う人の両方いることがいい例だ。

 アンモニアも代表的なアルカリ物質だからな。

 一般的な野菜のような弱アルカリ性食品はまた別の話だと思うが。

 ただ、野菜が苦くて子供は苦手というのも、野菜に含まれるマグネシウムやナトリウム、カリウムと言った微量のアルカリ物質がまったく無関係とは言えないだろう。

 ま、その辺の考察は元の世界の研究家先生方に任せよう。


 奥さんがその味、香りと言った個性に郷愁を抱き、まさにそれを求めているのなら。

 俺の勝手なポリシーはひとまず置いておき、その再現を目指すべきなのか……?

 ううむ、わからん。ラーメン屋として、料理人としてここはどうしたらいいものか、パッと答えが出ないぞ。

「あ、塩を電気分解すれば水酸化ナトリウムは簡単に、って、電気どこから引っ張って来るのよって話ね」

 俺の懊悩を知りもしないすみれが頓珍漢な独り言を放って自分にダメ出ししている。中学生の理科の実験かよ。


 しかし、電気ねえ。

 確かにこっちの世界に来て、電気機器がないのは不便に感じたもんだ。

 俺は料理人だから鍋と刃物と火があれば仕事できるんでまだマシだが、IT企業のビジネスマンやネット廃人のニートがこの世界に飛ばされたりしたら大変だろうな。


 ええい、今はそんなことはどうでもいい。

 昔ながらの重曹臭いラーメンを、この世界で可能な限り再現するのか。そのためにおおよそ食い物と言えないものを材料の中に入れるべきか。

 灰汁(藁を燃やして水に混ぜた上澄み)くらいなら、かん水の代わりに麺に混ぜ込むアルカリ物質としては特に抵抗なく使える、かな。

 元々料理に使うものだし。沖縄そばなんかは確か灰汁を普通に使ってるはずだ。主成分は水酸化ナトリウムではなく炭酸カリウムである。

 ただ、それだといわゆる昔ながらの中華そば的なクセのある香りを再現できないんだが……。


 ☆


 悩みに悩んで考えあぐねた俺は、気分転換に着替えることにした。

 ここの奥さんにもらった勝負服、龍と鳳凰の中華エプロンを着ることで、ゲンを担ぐわけではないが、なにかしらの力がもらえないものかと思ったのだ。

「お前の作るラーメンでここの女性が満足しなかった場合、その服を私にくれるというのはどうだろう」

 わけのわからないことを言うエルフ娘がいる。誰かつまみ出してくれ。邪魔だ。そんな取引をして俺になんの意味やメリットがあるんだ。

 引っ掻き回した荷物の中から、ころりと小さな石が落ちる。

 俺の加護をしてくれるという、たまに役に立つ黄色い精霊石だ。

 半透明で、ビールのようなさわやかな色をしていた。

「ああ、佐野の石ってのはそれなのね。けっこうキレイじゃん」

 すみれが俺の手元を覗き込む。

 そう言えばここの奥さんも精霊石の加護を受けていたんだったな。

「長い年月よく働き、満足のいくまで仕事ができ、その使命を負えて安らかにあの世に旅立てる、か。皮肉抜きでありがたすぎるご加護だな」

 俺はなんとなく呟いたが、それを聞いてすみれは浮かない顔をしている。

「……最後のお願いでラーメン作って、美味しいって思ってもらうのはいいわよ、作る側としても本望だと思うわ。でも食べて満足したら、あのお婆さん、きっと、もう」

 その後を言葉にすることができず、すみれは涙ぐむ。

「余計なこと考えてんじゃねえよ。俺たちはラーメン屋だ。客が食べたいって言ってんだぞ。俺たちにお願いしてまでそう言ってくれてんだぞ。それをかなえられないんだったら、俺はいつでもこんな商売廃業してやらあ。そんなラーメン屋にはなりたくねえ。俺は、食べて欲しいし、喜んでほしくてラーメン屋やってるんだからな」

 自分に言い聞かせるように強い口調で言った。

 そうだ、迷うな。

 俺にできる最高の仕事を、相手に喜んでもらうために。

 

 気を取り直してそう宣言したとき、俺の手にある精霊石が小さい光を放った。

 そして、この場にいる誰のものでもない声が、俺の頭の中に直接響いた。


 ☆


『おお~、おめえは自分の仕事や役割がはっきりさだまったみてえだな~。いいことだぞ~』

 頭の中に響いた声は、酔っ払ったオッサンのようでもあった。

 せめて美しく澄んだ女の声であってほしかった。

「なんだ、誰だ、どこにいる!?」

 小屋の中を見回すが、ここにはダミ声を発するようなおっさんはいない。刺繍のご婦人、すみれ、そしておまけの騎士かぶれエルフ娘だけだ。

「なにを一人でわめいている。とうとう錯乱したか」

 戸惑い騒いでいる俺を冷ややかな目で見ながらエルフ娘が言った。

 特に相手にはしない。

 頭の中にはまだ謎のおっさんの声が響いているので、それどころではない。

『忘れたのかぁ~? その石をくれてやったろうがあ~。恩知らずな奴だな~』

 石をくれた相手、精霊の石……。

「まさか、ゲロ吐いてこの石を出した半精霊のおっさんか?」

 すげえ懐かしいはずだが、よっぱらいのゲロオヤジに頭の中で話しかけられても全く嬉しくない!

「佐野! 元の世界に帰れなくてツラいのはわかるけど、気をしっかり持ちなよ!」

 べちーん。

 俺の有様を見て泣き出したすみれに全力ビンタされた。超いてえ。

『そうだぞお~。元気そうだなあ~。俺はもうここら辺の土地と一体化しちまった存在で、実体は無くなっちまったからこうしておめえさんの意識に直接、話しかけてるんだあ~。半端モノだった俺だけど、あのあとめでたくちゃんとした精霊になれたんだぁ~』

 なんか土地神とかそんな有り難いモノのように聞こえるが、全くありがたみが伝わって来ねえ。

「で、その精霊様がなんだってんだよ」

「わああああん! 佐野が、佐野がとうとうおかしくなっちゃったあ~~!! もともとおかしなやつだったけど、少しは日本語の意思疎通ができる奴だったのに~~~!!! びぇぇぇえええ!」

 すみれがとうとうガチ泣き。しかし放置。

「スミレ、泣くな。私がついている。あの男が目障りなら奴を始末してすべて忘れ、海沿いに小さな店を構えて一緒に暮らして行こう」

 エルフ娘はどさくさに紛れて俺を殺そうとするなよ。

 俺が脳内でゲロオヤジと話している間、女二人がカオスだ、まったく。泣きたいのはこっちだっつうの。

『自分の技を極めたい、この世界にある美味しいものを知りたい、そこから作り出された料理で相手に喜んでもらいたい。そのために一生をささげる覚悟が、お前さんにはあるんだなあ~? その意志を精霊である俺が祝福するぞ~』

 半精霊のおっさんはこの状況に動じることなく、精霊とやらの言い分を述べる。

「祝福してもらうのは結構だが、それで何がどう変わるんだよ。今までの俺と基本的には変わらんはずだが」

『その意志を自分自身で裏切った時、お前さんは死ぬことになるなあ~。この世界での役目は終わったと、天の神さまがお前の居場所をこの世界から奪うからなあ~』

 へべれけ口調でとんでもないことを言われた。

 納得して満足して安らかに死ぬだけでなく、諦めて嫌になっても死ぬわけね。

 もちろん、考えるまでもなく俺は即答していた。

「勝手にしてくれ。俺は俺だ。ラーメンに生き、ラーメンに死ぬ佐野二郎さまだ。向こうにいるときからそうしてきた。こっちでも変わらねえよ」

 いまさら言われるまでもない。

『そうかあ~。よくわかったぞ~。お前さんの仕事に幸多からんことを~』

 そう言ったきり、脳内の音声は響かなくなった。

「あらあら、どうかされましたか? なんの騒ぎでしょう」

 食卓で待ってもらっていた刺繍のご婦人も、心配になったのか厨房にいる俺たちの様子を見に来た。

「えぅっ、佐野が、佐野がぁ~~……」

 すみれが泣きながら俺の名前を連呼するが、要領を得ない。

 俺がレイプ未遂でもしでかしたのかと思われるシチュエーションになりかねないからやめてくれ。

「いえ、なんでもありません。これから材料集めと調理に取り掛かりますんで、奥さんはごゆっくり」

 そう言い残して俺は鶏肉や豚肉を調達するために小屋の外に出た。


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