28 あの日食べたラーメンの味を僕たちはまだ知らない

 ☆


「さて、これからどうしたもんかな」

 正直な気持ちが口を突いて出た。

 すみれが作ってくれたラーメンを食って気力体力が持ち直したものの、俺は次の方針が定まらずに途方に暮れていた。


 俺たちは獣人や黒エルフ、出稼ぎドワーフたちが行き来する諸島のひとつ、岳兎(ガクト)の島の港にいる。

 もともとこの島に俺は仕事(会議、宴会の食事作り)で呼ばれたのだが、なんやかんやと混乱がありその仕事が全うできたとは言い難い。

 しかし俺に仕事を依頼したウサギの役人は問題を起こして左遷されてしまっており、ここにはいない。

 肝心の会議自体も不調ということで後日に仕切り直すそうだ。

 要するに俺は今、やることがない状態なのである。

「この島で屋台でも引きながら考えるかな」

 そんな俺のつぶやきに、後任のウサギ役人メガネが間髪入れずに答える。

「この島は行政府としての機能に特化していますので、商店を開業するのは手続きが面倒ですよ。まずは入札に参加して落札して指定業者になっていただかないと」

 うぜえ。屋台くらい好きにひかせろ。ここは千代田区か。

「うちらの島に来たらいいじゃん。ジローなら父ちゃんの顔パスで好きに商売させたげるよ」

 黒エルフがそう提案するが、こいつの親父に借りを作ってはいけないと俺のゴーストが囁いているのでひとまず保留。


 そんなこともあり、旅の鉄則として俺は酒場で情報を集めることにした。


 ☆


「あれ、ジローじゃんか。今はこの島にいるのか」

 ウサギ島の港にある酒場に入ると、男のドワーフから話しかけられた。

「どこかで会ったかな」

 顔の区別がつかないのでそう答えるしかない俺。

「俺だよ俺俺。あんなに一緒にいたのに忘れるとかひでーな」

「あいにくと振り込め詐欺の被害者になれるほど俺に財産はないぞ」

 まだ日本では振り込め詐欺とか流行ってるのかね。さすがにもう絶滅したと思いたいが……。

「わけのわかんねーこと言ってんなよ。エルフの森のずっと向こうにある山の中から海辺まで一緒に旅した仲じゃないか。ヒトってのは薄情な生きもんだなあ」

 ああ、猫舌くんだったか。

 彼は俺が異世界に流れ着いて最初に暮らした村の住人で、熱い食べ物が苦手な若いドワーフだ。

 今は出稼ぎで海を渡り、あちこちの島で職人修行兼、現場作業補助をしているはず。

 見習いの分際でたくさん稼いでいるのか、卓上に酒や料理が所狭しと並べられている。

「景気がよさそうで何よりだ。少し貰うぞ。店員さん、こっちにも酒」

「うちもー」

 勝手に隣に座って並んでいる食い物に手を出す俺と黒いの。

 ラーメン一杯食ったら食欲出て来たからな。なにを言ってるのか自分でもわからんが、そういうこともあるんだ。

「ひさしぶりー、お仕事大変?」

 すみれはちゃんと猫舌君の顔を覚えていて識別できるので、同じ卓に座り世間話に花を咲かせる。

 白い方のエルフはすみれの隣に座り、無言で水を飲んでいる。酒は飲まないとか言ってたからな。

「そう言えばジロー、刺繍の姐さんを覚えてるか?」

「もちろん」

 俺と同じく、地球、日本国からこっちに飛ばされてきた大先輩だ。前に会って味噌を分けてもらったりした。

 ラーメンの申し子たる俺が、うどんを食って泣いちまったくらいだからな。あの日のことは一生忘れることはないだろう。彼女の作る味噌仕立て鍋は絶品だ。そこに入れたうどんを打ったのは俺なんだが。

「あの姐さんが住んでいるあたりからも何人かのドワーフが出稼ぎに来てるんだけどさ、どうやらもう永くないらしいってことをその連中が言ってたぜ」

「マジか。元気そうに見えたのにな」

 と言っても彼女は90歳を超えているはずで、現代日本人の常識から言うと、いつなにがあってもおかしくはない年齢である。

「ジローはイイよな。カッコイイ刺繍の付いた服貰えたんだろ? あの技が失われるのは悲しいよなあ。ドワーフ同士なら死ぬ前にいくらか継承できるのに……」

 職能や技芸がまさに生きざまというドワーフ的感覚からか、猫舌くんは彼女の刺繍の腕が失われることを嘆いているようだ。

 って、なにかおかしなこと言わなかったかこいつ。

「ドワーフ同士なら、ってのはなんだ?」

「ああ、ジローはよそから来た『ヒト』だから知らないか。俺たちドワーフはさ、腕のいい職人が年老いて死ぬ時、その血をまだこれからも生きる若いドワーフたちが飲むんだよ。そうすることである程度の技術や職能が若い世代に継承されるんだ。ある程度でしかないから、生きてる間はまだまだ修行が続くんだけど」

 なにそれ凄い。カニバルラーニングと名付けよう。

 そう言えば英海軍のネルソンが死んだとき、軍人たちはネルソンの遺体を酒樽に入れてその酒を飲んで名提督にあやかろうとした、なんてエピソードがあるらしいな。

 うんちく好きなバーテンダーがそんな話をしてた気がする。

「……その継承特性があるおかげで、長い間エルフに従属する立場だったドワーフが、経済力、技術力を高めてエルフと同等まで自分たちの立場を向上させたのだ」

 無言だった白エルフが付け加える。勤勉は尊いな。 

 しかし、ドワーフが元気に働いて自分たちの権利を拡大するのはもちろん素晴らしいことだろうが、そのうち「エルフより俺たちの方が偉いんだ」なんて動きが出て両者の衝突なんてことが起こらなければいいが。


 ☆


 刺繍のご婦人が永くないという情報を手に入れた俺は、まだ間に合うことを願って一旦、大陸側に戻ることにした。

 俺の素晴らしき勝負服、龍と鳳凰の中華風刺繍入りエプロン、貰った時は本当に感動した。これを着てすみれとの大一番に臨み、見事に勝利も得た。

 もう一度会わないままお別れというのは、ラーメンのことばかり考えていて人情とか人道というものにあまり興味がない俺でも流石にすわり心地が悪い。

 黒い方のエルフはいったん自分の島に帰る、と言うか基本的に大陸側には立ち入らないのでしばしの別れ。

「日本から来た先輩ならアタシも会いたいな。美味しいもの作ってあげたい」

 そんな理由ですみれも同行することになった、が。

「なんでお前まで来るんだってばよ」

 白い方がくっついてきた。

「お前はクズだが、お前が持っている衣服の刺繍は素晴らしい。作り手に会えるものなら会っておきたいからな」

「お前は島の方で母ちゃんを殺した奴の手がかり探すんじゃなかったのか」

「時間はたっぷりあるさ。エルフの寿命は長いからな」

 ああ言えばこういう。親の顔が見たいわ。見たけど。

 お前の寿命が長くても、殺したやつの寿命が長いかどうかはわからねえだろっての。

 そう言えば俺の刺繍入りエプロンにはこの白娘もずいぶんご執心だったな。いつ盗まれるかとひやひやしながら荷物を管理していたもんだよ。


 ☆


 振り返ってみればあっという間だが、実際はそれなりの長い旅路を経て、俺とすみれと白エルフ娘は、刺繍のご婦人が暮らす山あいの小屋にたどり着いた。

 途中、すみれと白エルフが川で水浴びをしている場面を偶然にも目撃したり、雑魚寝している最中に二人の寝相が悪くて俺が真ん中に挟まれるような格好になったり、と言うイベントはなかった。

 なかったんだよ!! クソッ!! 異世界にラッキースケベの神はいないのか!!

 黒いのがいなくなったとはいえ、男一人に女二人の旅路なのに、何一つ色っぽいことがありゃしねえ。

「スミレは髪形を変えたりはしないのか?」

「んー、面倒臭いからなー。邪魔にならないように後ろでまとまってればそれでいいやって感じ」

「勿体ないな、こんなに艶やかな、美しい髪をしているのに」

「えー、そっちこそ金髪超綺麗で羨ましくて嫌味に聞こえるんだけど~♪」

 女同士でいちゃついてるんじゃねえよ。なんだこの空間。

「お嬢さんがた、目的地に着いたんですがねえ」

 すっかりただの案内役と化した自称主人公の俺。喋り方もすっかり卑屈になってしまった。

 深呼吸で緊張を振り払い、扉を開ける。

「あら、二郎さんに、もう二人……? まさかそちらも日本の方?」

 思いのほか元気でかくしゃくとしたご婦人がそこにいた。


 ☆


「ええと、なんと言っていいものか。とにかくお元気そうで何よりです」

 そう言うしかなかった。

「はじめまして、アタシ、青葉すみれと言います。池袋でラーメン屋やってました。今はこっちでお店開こうと思ってます」

 至極まともな自己紹介をしながら俺に肘鉄を入れるすみれ。

「いてえな、なんだよ」

「永くないってなによ。すごく元気そうじゃない」

 小声で話す俺たち。

 そんな俺たちを無視して、一歩前に出て白エルフ娘がご婦人の前に立った。

「失礼ですが、精霊石をお持ちですか?」

 夫人は一瞬目を見開き、そして少し寂しそうに笑って言った。

「ええ、ございます。嫌だわ、うわさが広まってしまったのですね。若い方に心配をかけてしまったみたいで。こんなところまで来ていただいて」

 なんのことやら俺とすみれにはわからず、ぽかんとしたり、首をひねったり。

 

 婦人が懐から小さな石を出した。

 どこかで見覚えがある、黄色い石だ。

 あ、俺も似たようなの持ってるぞ。確か土地の精霊から加護を得た印だかなんだか。変な小さいおっちゃんにもらったわ。この人も持ってたんだな。

 この世界での身分証代わりになる、たまに役に立つ便利アイテムくらいにしか思っていなかったものだが。

「……なるほど。今までよく務め上げました。来世への旅路も、幸多からんことを」

「ありがとうございます。悔いのない人生でした」

 その石を見てなにか納得したように優しい声で言葉をかける白娘。

「なんだよ、なにがどうなってるんだよ。ちゃんとわかるように説明しろ」

「ねえ、来世って……」

 俺とすみれの疑問に対して、白娘はいつも通り感情の見えにくい淡々とした口調で、言った。

「この婦人の天命がもうじき尽きるのは確かなようだ。精霊石の光がそう告げている。この精霊石の加護は『天職を全うする』ことにある。逆に言えば、それができなくなったときが、この方の寿命と言うことだ。あるいは、一生のうちの最高の仕事を十分に成し遂げた、と本人が自覚したとき……」

 さっぱり意味が分からんぞ。

 こんなに元気な、90過ぎて立って歩いて客を迎える彼女が、もうすぐ死ぬって?

「なんの冗談だよ。言っていいことと悪いことってもんがあるぞ」

「こちらの世界に来て日が浅いお前にわからないのは無理もない。しかしこれは天命だ。天命には何者も逆らえない」

 俺の反駁にあくまでも態度を崩さず応える白娘。

 どうやら冗談ではないらしい。

「二郎さん、わざわざ気にかけてお越しいただいてありがとうございます。でもしんみりしたのはやめてくださいね。私もこの世界で、たくさんのドワーフの方を同じようにお見送りしました。皆さん、天職を、天寿を全うして、晴れやかなお顔で旅立って行かれました。私もそのお仲間になるだけなの。なにも寂しくはないのですよ」

 ご婦人と白エルフ娘の話によると、どうやらこの世界は「そういうふうになっている」らしかった。

 さまざまな精霊がいて、様々な加護を与える。

 ことに、ドワーフたちが根城にするエリアの精霊は、死ぬ寸前まで最高のポテンシャルを発揮して仕事を全うできる、そんな加護を与える力があるらしい。

 土地が違えば精霊も加護の効力もまた違うのだろうが、とにかくそういうことになっているらしい。

「なるほど」

「なにがなるほどなのよ! こんな、まだまだ元気なのに、こんな理不尽ってないじゃない!」

 俺がしたり顔で納得したら、すみれが怒鳴った。

 それに対し俺は俺なりの見解を述べる。

「考えてもみろよ。俺やお前だったら、死ぬ寸前まで最高のラーメンを追い求められるんだぜ。歳を取ったらこの仕事もきつくなるだろうな、なんてこといちいち心配する必要ないんだぜ。それって最高じゃねえか」

「あ……」

 ご婦人は、自分の刺繍の仕事に納得し、満足したんだな。

 十分にやった、悔いはない、そう思えるまで今まで一生懸命に針と糸を手にして頑張ってきたんだ。

「ご苦労様でした。これからはゆっくり休んでください」

「ええ、そうさせていただきます。でもあっちに行く前に、二郎さんに一つだけお願い、いいかしら」

「どうぞどうぞ。って言っても俺ラーメン作るくらいしか能がないですが」

 あとはブーメラン空手を少々。

「まだむこうにいたとき、主人が一度だけ東京の日本橋に連れて行ってくれたことがあるんです。と言ってもそのあと主人は出征して、それっきり一緒に出掛けたことはないのですけれど。そこで食べた南京そばがもう一度食べたいの。作れるかしら?」

 南京そばってのは中華めん、ラーメンの古称だな。

「おいすみれ、70年以上前の東京のラーメンって再現できるか……?」

 なにせ戦中戦前だからな。資料もレシピもあったもんじゃないぞ。もちろん食った経験もない。

「日本橋のラーメン屋ってあれでしょ、現存最古のラーメン店ってやつ。今の味はわかるけど、当時のはちょっと……」


 邪気のない難題を振られて、途方に暮れる俺とすみれ。

 しかしここでヘタレるわけにはいかない。なにせご婦人の新しい門出のお祝い、はなむけなのだ。

 文字通り、俺の全身全霊を尽くす必要がある。


 この日に作る一杯が、俺がこの世界で生きる指針になろうとは、この時の俺はまだ知る由もなかった。

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