30 ご注文はラーメンですか?
☆
「で、材料集めるんでしょ? 食材はいいとして調味料系はなんとかなりそうなの?」
「しれっと正気に戻ってるんじゃねえよお前は」
さっきまでぎゃんぎゃん泣いていたすみれを連れて、俺は商店のあるエリアまで来ていた。
エルフ娘は奥さんの小屋に残り、今まで作った刺繍(売らずに手元に残った品々)を鑑賞させてもらっている。こっちに来ても役には立たないのでそれでいい。
「かん水は……用意できなかったら灰汁使うのが一番現実的だと思うけど。それか全粒粉じゃなくて精製分離した小麦粉使うか」
すみれも昔のラーメンを完璧再現するのは、現段階では不可能だと悟ったらしく、俺が考えたような代用案を提示してくる。
「それも一つの手だけどな。俺にもう一つ考えがある。それにはお前の舌が必要だ、働いてもらうぜ」
「え? ま、まあそのつもりだけど。アンタがはっきり自分の限界認めるって、らしくないわね」
俺の態度に釈然としないすみれを連れ、俺たちは買い物客(ドワーフ多数)で賑わっている市の中に飛び込んだ。
☆
目当ての店があった。
「いらっしゃい、ここは塩や香辛料、調味料をを扱ってる店だよ。異界の若いお客さんは珍しいねえ。ゆっくり見て行ってよ」
愛想のいいドワーフのおばちゃん(お姉さんかもしれない)に応対され、俺は商品が陳列されている前に立つ。
「あ、岩塩がいっぱい……」
すみれが並んでいる商品を見て楽しそうな笑顔を浮かべる。
そう、刺繍のご婦人が住んでいる小屋は山深いドワーフ村落の片隅にあり、ここら一帯では海水塩があまり手に入らない代わりに、内陸部の湖沼や山岳から採取される岩塩の量や種類が豊富なのだ。
ドワーフたちの自活経済を支え、彼らの技術向上や生活水準の安定を成し遂げた大きな要因として、俺はこの岩塩の存在が大きいのではないかと思っている。
彼らが俺たち人間と似たような食性を持っている以上、塩は必需品、命綱だ。
しかし海岸部を抑えているエルフや獣人たちに塩の権益を独占されたままでは、彼らの経済的自立や向上と言うのはもっと困難だったに違いない。
彼らドワーフがバリバリ働いてモリモリ飯を食うことができたのも、豊富な内陸産の岩塩があったからこそ、だと俺は想像する。
「こん中によ、中国や内モンゴルの岩塩に似た味の塩があるんじゃねえかな。本場のかん水ってもともとは岩塩に含まれるアルカリ成分だろ?」
「……なるほど! そうね、もともとはアルカリ塩を麺に混ぜ込んでコシと香りをつけたのが中華めんの元祖だし、いくつか試してみれば昔ながらのラーメンの味や食感に近いものはできるかも!」
すみれの言ったとおり、もともと中華めんと言うのは海水塩ではなく内陸の岩塩に含まれるアルカリ成分で、独特のコシ、香りや食感を獲得した歴史を持つ。
ドワーフたちが住むこの内陸部にも、ひょっとしたら中華めんの故郷と似た成分の岩塩が存在するかもしれないのだ。
俺自身、かん水臭いラーメンを再現することにもともと積極的でなかったこと。
それに加えて何種類もの岩塩を組み合わせてその微妙な味や香りの加減を探るほどの味覚や嗅覚に自信がないので、俺一人では到底なしえない作業だ。
しかし人間離れした味覚と嗅覚をもつすみれがいるなら、短時間でそれが成し遂げられる可能性はある。
「おねーさん、ここにある塩を全種類! あ、代金はこいつが払うから」
「あら~毎度ありい。すごいいっぱい買ってくれるんだねえ、お店でも開くの?」
「えへへー、それもいいかもねー」
けっこうな額の精算を済ませて、俺たちは店を出た。
☆
その後、小麦粉やスープ材料を何種類か買い求め、すみれには「昔ながらの中華めん」を再現するために先に小屋に戻ってもらった。
同時進行である程度スープも煮込んでもらうために。
俺はその間に他に足りないものをいくつか買い込む。
メンマは作り置きがあるからなんとかなるだろう。
醤油は俺の手持ちの残りと、すみれが考案した即席メイラード醤油、あとは奥さんの小屋に味噌とたまりが少しあったのでそれを組み合わせてなんとかしてみるか。
「お兄さん、ずいぶんたくさん買い込んでるがなにを始めるんだい」
見知らぬ通行ドワーフから珍しそうに声をかけられる。
俺は簡単にいきさつを説明した。
「ああ、外れのところに住んでる異界の刺繍屋さんか。あの人はいい腕だ、今まで本当に頑張ってくれたよ」
「旅だった先でも安らかに過ごしてほしいもんだな」
「そうだそうだ、姿かたちは俺たちドワーフと違っても、あの姐さんは立派な職人で、俺たちの仲間だよ」
知らない間に野次馬が集まってきている。
なんだかこの空気も懐かしいな。ドワーフのエリアに戻ってきた実感がわいてきた。
「せめてみんなで賑やかに送り出そうや」
「メシはこの細い兄ちゃんが作ってくれるんだろう。俺は酒を持って行くよ」
「じゃあ俺は賭け用の札と盤を」
「飾り花もたくさん持って行こうぜ」
なんだかわけのわからないうちにドワーフが集まってきて、わけのわからないうちにこいつらも最後の晩餐に加わる話になってしまった。
☆
「あらあらまあまあ、こんなにたくさんのお客さまが。狭い小屋ですので座るところがあるかしら」
ぞろぞろ引き連れて帰った俺を、ご婦人は口では困ったように、それでも笑顔で楽しそうに出迎えてくれた。
「ああ構わん構わん、外の地べたになんか敷いて座るから」
「こっちはこっちで勝手に始めてるでな。兄ちゃん、メシができたら声かけてくれや」
勝手なことばかり言って、本当にドワーフ連中は庭先に座り込み、酒を飲んだり賭け事を始めたりと盛り上がり始めた。
「お、エルフのお嬢ちゃん、なかなかいい剣を持ってるじゃねえか。どうだ、俺は金工師なんだがそこにカッコイイ彫り物入れてみねえか。安くしとくぜ」
「む、彫刻か……悪くない。どのような柄でも彫れるのか?」
エルフ娘も絡まれてる。あいつもずいぶんドワーフの距離感に慣れて来たみたいだな。
「なんだかすみません、騒がしくなっちまって」
「いいええ、こんなにお客さんが来たのははじめてで楽しいですよ。二郎さんたちが来てくれて、本当に良かったです」
俺の謝罪に、あくまでも朗らかに穏やかに返答するご婦人。
俺も心ゆくまで仕事をしきったら、こんなに穏やかな気持ちで死を迎えることができるんだろうか。
「麺の方はどうだ? なんとかなりそうか?」
厨房で先に作業に戻っていたすみれの様子を見る。
「塩の組み合わせと、あと灰汁も使っていくつか作ってみたわ。どれで行くかはアンタが決めて。アタシだって当時の麺がどんな味だったかはさすがにはっきりわかんないし」
すみれはコシの強い麺から弱い麺、独特の癖が強い麺、弱い麺と段階的に10種類ほど分けて作っていた。どんだけ細かい調整作業が得意なんだこいつは。
「うーん、さすがにくせえな少し」
もともとかん水臭いラーメンに否定的な俺には、どの麺も抵抗のある臭さだ。
しかしラーメンってのはスープやタレ、具と麺の調和だ。
一杯の丼として完成したときに、それぞれの要素がお互いを活かし合い高め合っていれば、独特のクセも大きな武器に変貌する。
「スープやタレ、チャーシューを作りながら、どの麺がふさわしいか地道に探っていくか」
ただ美味しいだけではなく、ご婦人の楽しかった記憶を呼び覚ますような一杯を。
懐かしさ、温かさ、優しさ、それらすべてが詰まった一杯を。
「はいはい。時間かかるって奥様に言ってくるわ。今夜は寝られそうにないわねー」
そう言ったすみれも別に嫌そうなそぶりはない。なんだかんだラーメン作ってれば幸せな奴なのだ。俺もだがな。
☆
スープを煮込み、チャーシューを仕込み、折を見て一杯試作し、これは違うなと放棄する。
もっとも、試作段階の失敗したラーメンは、外で騒いでいるドワーフたちが勝手に匂いを嗅ぎつけてつまみ食いして処理してくれたので無駄にはならなかった。
失敗したラーメンを食わせるのは心苦しいものもあるが、捨てるよりマシだな。
酒を飲んで騒いでいるドワーフは、眠い時に寝て起きたいときに起きて、勝手気ままに喋ったり賭け事を再開している。
人んちの庭で自由すぎだ。その神経が羨ましいわ。
「佐野……これは、なかなか、イイと思……ZZZ」
すみれが試作したスープ、タレを合わせた一杯を差し出しながら舟をこぎ出した。
「お前、体力ないんだから少し寝とけ。これで行く、って決まったらたたき起こして全員分の作るから、そん時は戦争だぜ。休むなら今のうちだ」
「眠くないっすよ。アタシ眠くさせたら大したもんっすよ……くかー」
力尽きたようだ。意志に体が追い付いてない。
「スミレ、どうした! この男に何かされたのか!」
「……えへへへ~、どうだ佐野ぉ~。アタシの店の方が売り上げ多いぞ~、むにゃむにゃ」
突っ伏して幸せな夢を見ているらしきすみれのもとに、エルフ娘が血相変えて飛んできた。刃物をしまえ。
眠ったすみれをエルフ娘に任せ、俺はすみれがリタイアする直前に作ったスープとタレの味を見る。
正直、美味い。
懐かしの東京ラーメンであり、いわゆる中華そばの王道的な味にまとまっている。
それでいて古臭さや物足りなさはない。
と言うのも、昔ながらの中華そばと言うのは記憶の中で美化されがちな味になるので、当時の味を文字通り完全再現するとたいてい物足りない味のラーメンになる。
本当はそのレシピ、その味なのに「こんな味じゃない」と美化された記憶上の味覚と、大きな誤差を生じるのだ。
その誤差分を埋めるために「当時と同じ方向性でありながら、当時を超える美味さ」を実現しなくては、昔ながらのラーメンを美味しく作ることはできないのだ。
加えてご婦人の場合、楽しかった旦那さんとのデートの記憶に重なっている。
そのとき食べたラーメンに雑味があっても記憶の中で消去されるだろうし、旨味を感じていたら記憶の中でそれが増幅されているはずなのだ。
しかしその難しい仕事をすみれはやってのけた。
70年前の東京について詳しいことを知らない俺でも、きっとこのスープとタレならご婦人の楽しかった記憶を呼び覚まし、なおかつ美味しいと満足してもらえる味に仕上がっているのではないか。
「つくづくこいつは天才だな。池袋の親父さん、泣いてるだろうな。こいつがいなくなって」
すみれに同情できる立場ではないが、素直にそう思う。
すみれは自分の仕事を果たして寝た。
あとは俺が具や麺とこのスープを仲良くさせるだけだ。
チャーシューは日本のラーメン屋風煮豚ではなく、おそらく中華風に寄せた焼き豚。
香りが強く、脂身が少なく歯ごたえがギュッとして、食べごたえのあるやつだ。これは今までの作業で準備しておいた。
メンマは昔ながらの素朴な製法でこの世界に来てから定期的に作り置きしている。ネギもある。これらは問題なくクリア。
そしてバリエーションごとに作り分けられた10種類の麺。
「どの麺が正解なんだ……?」
少しずつ茹でては味や食感を確かめ、ああでもないこうでもないを繰り返す俺。
そのとき、幻覚なのかそうでないのか、並んでいる麺のうち二種類だけ、ぼんやりと光った。
確かに、麺が光ったんだ。気の迷い、錯覚かも知れない。しかし俺の目には確実に、麺のうち二種類だけが光ったように映った。
『お前さんの仕事は、食べてくれる相手を祝福する仕事だ~。いや、相手だけではなく、食材となった命にも最高の輝きを与えようとする仕事なんだ~。そんなお前さんの仕事を、精霊である俺は祝福するぞ~』
幻視の次は幻聴か。いや、これはついさっきも聞いた声だな。
「また半精霊のおっさんか。今度はなんだ? この光はあんたの仕業か?」
『そうだぞぉ~。今回は特別に力を貸してやる~。お前さんが食べて欲しいと願っている相手は、残された時間が少ないようだからなあ~。さあ、早くお前の務めを果たすんだあ~……果たすんだあ~……』
微妙にエコーかかったウザい音声でフェイドアウトした。
なんなんだ一体。しかし、ダメでもともと。やってみるしかない。
「光ったのは、二種類……」
一方は全粒粉、岩塩を多めに混ぜ込んでコシを強くしてあるがその分香りのクセも強い麺。麺自体の塩気も当然強い。
そしてもう一方は薄力粉を用いて、灰汁をわずかだけ使ってコシを補強した麺。こっちはクセが少なく、食べやすい麺になっている。
どちらの麺も加水率は低くスープに絡みやすい。
細麺の割には歯ごたえがある、という特徴があった。
「この中間ってことか……?」
俺はすみれから聞かされていた麺のレシピを思い出しながら、岩塩と灰汁を併用して両者の中間的な性格を持った麺を作り直した。
その麺を茹で、すみれが作ったスープと合わせ、用意した具材を盛りつける。
「なんだ、こりゃあ」
完成した瞬間、丼に盛られたラーメンがまばゆいばかりの光を放った。
「くん、くん」
そのとき、寝ぼけ眼のすみれが鼻をきかせながら厨房に戻ってきた。
「すみれ、起きたのか。こ、これ、なんなんだ……?」
「お、できたの? なんかそれっぽくなってるじゃん。味見していい?」
「あ、ああ。いいけどよ。お前、このラーメン見ておかしいと思わんのか?」
こんなに光ってるんだぞ。おまえんちの親父の頭みたいに。
「ん? 別におかしいことはないっていうか。まあ強いて言うなら佐野が作るラーメンにしては伝統保守っていうか、懐古的すぎるかなっていうか。アンタもうちょっと見た目派手なラーメン好きじゃん」
こいつの目には、光って見えてるわけじゃないのか……。
すみれがずず、とスープをすする。自分が作ったスープなので確認するようにうなずくだけで、特に驚いてはいない。
そして、ちゅるるりん、と麺を口に滑り込ませる。
一口ですみれの動きが止まった。
「この麺、アタシこんなの作ってない……」
「ああそれな。二つの麺の中間みたいなのを作り直してよ」
すみれなら微妙な違いに気付くだろうな。よくわかるもんだ、といちいち感心するのも疲れた。
すみれがぶるぶるぶると肩を震わせ、目からボロボロと大粒の涙を流す。
「こっちの方が全然美味しい! アタシが用意した全部の麺よりこれが一番! なんで!? なんでこんな完璧な答えにたどり着いたの!? スープと具との相性も最高! ねえ! どんな魔法使ったの!! 教えてよ! なんでもするから!!」
ん? 今なんでもするって言ったよな?
それはともかく。
「あー、あれだ、なんだ。長年の経験と勘っつうか、インスピレーションっつうか」
ゲロ臭いおっさんの幻聴でその麺にたどり着いた、なんて正直に言っても信じないだろうからな。
インスピレーションと言っておけばそれほど遠くもないだろう。
「……ずるいよ、経験とか勘とか、アタシだって子供のときからラーメンに囲まれてるのに、こんなにあっさり悩んだ答えにたどり着くなんて、一度もないのに。アタシがちょっと寝てる間に、こんなに、あっさり」
うなだれるすみれを前にして、俺はもちろん誇らしい気分になれない。
なにせ、俺の実力とはっきり言えない力を借りたようなものだから。
「こんなのチートだよ……アタシと佐野、なにがここまで違うのよ……」
まばゆいばかりに光るラーメンは、青葉すみれと言う女の心に強い陰を落とすほどの完成度になってしまった。
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