22 カレーが受けてどうすんだ
※ 前回に続きすみれ視点
☆ ☆ ☆
翌日の港。青葉すみれが屋台開店予定地として構えた作業場にて。
彼女がエルフ親父やドワーフ親方を食事に招いた約束の時間が近づいていた。
「ふふふんふんふんふんるーるるっ♪ らららんららららーらーるー♪」
色々な権利問題がありそうなので歌詞を表記することのできないカリーの唄(仮)を陽気に口ずさみながら、青葉すみれは自己流異世界カレーの調理にいそしんでいた。
類まれな嗅覚や味覚を持っているすみれ。
しかし再三にわたって表現したように、聞くものすべてを不安にさせる特殊な歌声を持っているため、歌唱による集客効果はゼロ。
むしろマイナスであった。
ただ、数種のスパイスと食材が混ざり合って放たれる蠱惑的な香りが、遠巻きに見ている通行人の興味を惹き付ける。
なにか美味そうなものを煮込んでいるらしい。
しかし不用意に近づいてあの歌声に精神を汚染されるのはまっぴらごめんこうむる。
そんな群衆の心の声が聞こえてきそうだった。
「ちょ、調子はどうですかな。いやあいい香りだ。実に、うん、香りは……」
勇気を出してその歌声の中に飛び込んで行ったのは、前日から泊まりでこの港町を観光していたエルフ親父であった。
彼は自らの太ももを固くつねる痛みで、なんとか精神の均衡を保っていた。
この世界に住むエルフと言う種族は芸術に対する感受性が高く、歌や絵画などの美的鑑賞物に対する感情の動きが大きい。
その分、人の気持ちを不安にさせる前衛的すぎる芸術(?)に対して、ダイレクトに精神を揺さぶられる傾向にあるようだ。
「おはようございます! スパイス揃えるのが大変でどうなることか心配でしたけど、なんとかなりそうです。おいしい~♪ カレぇ~が♪ できあ~がぁるっ♪」
「うぐっ、そ、そうですか。それはなにより……」
エルフ親父はひきつった笑顔を浮かべる。脂汗が半端ない。
「先ほどから貴女が行っているのは料理を美味にするための念呪の一種であるか」
そこに、もう一人の約束の相手であるドワーフの職人、通称親方も到着した。
「ね、ねんじゅ? いえ、単なる鼻歌ですけど……」
作業中の(本人にとっては)他愛ない労働歌にツッコミが入り、少し気恥ずかしそうなすみれ。
「まことに面妖なしらべで、言霊の力でも借りているかと思ったのである。ジローも仕事中に歌を口ずさむことはあったが、やつはもっと耳触りの良いものを歌っていた。貴女とは念呪の流派が違うのかと思った次第である」
至極真面目な口調であったが、親方の物言いが自分の歌唱に対する明確なダメ出しだと悟ったすみれは、哀れにもそれっきり黙って調理を続けることになった。
当然、港にいた通行人たちの精神も平安を取り戻し、すみれの鍋が放つ芳香に一人、また一人と野次馬が寄って来た。
自分が鼻歌をやめた途端に人が増えたことに気づき、さらにすみれは心に陰を落としてしまった。
☆ ☆ ☆
「……ど、どうぞ。まずは前菜とジュースを。お代わりいくらでもありますので」
歌にダメ出しをされて軽く心に傷を負ったすみれが出したのは、色とりどりの刻んだ果物をヨーグルトソースであえたもの、そして柑橘類を絞ったジュースである。
二郎がそうしたように、エルフに好まれるような鮮やかな色彩のメニューを今回は取り入れた。
味も爽やかな甘味と酸味、ヨーグルトのコクが合わさり、これから始まる食事が華やかで楽しいものになる、と言う布石の役割を大きく果たしている。
メインとなるカレーは辛い料理である。
そのインパクトを高めるための演出でもあり、お代わり自由と言うのもカレーの辛さに対する骨休めとして活用して欲しい、とすみれは考えたのだ。
ヨーグルト自体はこの世界、エルフもドワーフも好んで食しているので入手はたやすかった。
特に、日本人であるすみれが普段食べることの少ない、乳脂肪分の割合が高く舌触りが濃厚なヨーグルトも商店には出回っていた。
おそらくは乳を採っている動物からして違うのであろう。
「おお、白、赤、黄色と、これは目の覚めるような色合いだ。味も爽やかさと濃厚さを併せ持つ、見事な調和」
呪いの歌声に精神を侵されかかっていたエルフ親父もすっかりご満悦。
「むう。この発酵乳はどこで手に入れたのであるか。われらの工房より腕のいい職人が作ったに違いないのである。食品加工に身を捧げる者として、忸怩たる思いである」
親方は変に職人のプライドを燃やしてしまったようだ。
彼が村に帰った暁には、これまで以上の努力と研鑽を工房の仲間たちに押し付けるのであろう。
どこにでも職人気質な心の持ち主はいるんだな、とすみれはおかしくなった。
☆ ☆ ☆
「とりあえずここで食おう、なっ!?」
見知らぬ太った猪男が来店。
「せっかくだから俺はこの茶色いメシを食うぜ!」
高い声のトカゲ男が重ねて来店。
「右に同じく、これを食べたいです。この料理、私、気になります!」
髪の長いエルフなど、その他続々来店。
周囲で興味深げに眺めていた通行人も、摩訶不思議な香りを放つ料理を求めて多数、屋台に集まって来た。
カレーや窯焼き鶏といったメイン料理も客席にどんどん供出される。
その中の客であるドワーフ(おそらく女性)が何気なく、言った。
「イモが大きな形で残ってるから、火が通ってなくて固いのかと思ったけど。しっかり火も通ってるし、ねっとりとした歯ごたえで美味しいわあ」
「えへへぇ、そう? ありがとう、きれいなおねえさん♪」
内陸部の村から用事があって港町まで来ているドワーフのようだった。
すみれにはドワーフの外見、細かな差異から若年か壮年か、不思議と判別できるようである。
「私は煮込み料理ならイモがどろどろに溶けてしまうのも好きだけど、こういうのも食べ応えあっていいわねえ。煮崩れしない工夫とかあるのかしら?」
ドワーフの女性は多くの場合、村の中で炊事や針仕事に従事して男たちの生産労働を支えている。
そうした境遇から、腕のいい料理人で、かつ女性であるすみれにシンパシーを感じ、気安く質問してきたのだろう。
もっとも、見知らぬ他者に対しても気安い態度をとるのは、多くのドワーフが持っている性質であるが。
「これはイモを一度、素揚げしてから鍋に入れてるんですよ。表面だけ少し固くなって、煮込んでも崩れにくく……」
説明しながらすみれは、実家の父親と母親のことを思い出してしまった。
料理の腕も舌の感覚も、おおよそすべての面で自分の師である偉大な父親が以前、家庭の食卓で放った言葉。
「俺は野菜がどろっどろに溶けて形がなくなってるカレーが好きなんだ」
個人的な好き嫌いを言えば、すみれは野菜や肉の食感をそれぞれ楽しみながら調和するカレーが好きだった。
食材同士は各々しっかり個性を保ちつつ、それでいてカレーと言う大きな宇宙の中に包容されている、そんなカレーがすみれの好みであり理想だ。
そのためイモやニンジンの形は明確に残し、肉も歯ごたえと脂身のぷりぷり感を楽しめるように豚バラ肉の角切り、あるいは鶏モモ肉を使っていた。
しかし、すみれの父親は煮込まれてボロボロのフニャフニャになった細切れ豚肩肉と、溶けた野菜の水分や甘味でスパイシーさが大幅に抑えられたルウの、家庭的なカレーを好んで食べた。
それが青葉家の食卓に上るカレーだったから。
すみれの母であり、すみれの父親にとっては最愛の妻その人が作る、唯一無二のカレーだったからだ。
すみれの父は幼いころに親を失った孤児である。
青年時代にすみれの母となる女性と出会い、蜜月を重ねて結婚し、すみれが誕生した。
仕事場では厳格で偉大なラーメン将軍として生きている父も、家庭に戻れば笑顔で妻の作った素朴なカレーを頬張る愛妻家であった。
客のいる手前、すみれは目に溢れてくるものをなんとかこらえ、押し止めようとした。
しかし遠く離れた両親を思うと、自然に頬が濡れた。
「お父さん、お母さん。アタシ頑張るから。負けないから……」
自分に言い聞かせ、次の瞬間には笑って客に向き合った。
☆ ☆ ☆
材料が尽きるまですみれは客にカレーを提供し、慌ただしさにもようやく一区切りついた。
「辛さを追加するための後追い調味料まで用意しているのが素晴らしい気配りなのである。われらドワーフは辛い料理に飢えているゆえ、あの調味料の配合をぜひ教授願いたいのである」
親方がすみれにねぎらいと称賛を述べた。
卓上に用意していた自己流ミックススパイスに親方は感心したようだ。
親方とすみれは食材の加工、共有についていくつか情報を交換して別れた。
続いてエルフ親父が満足げな表情で挨拶に来る。
「いやはや、ジローどのに勝るとも劣らない素晴らしい料理をありがとう。辛いカレーの間に挟む果物の甘味がまさに至福でしたな。いや、ジローどのより若い分、あなたの方が上と言うのは娘の見立て通りかもしれん。はっはっは」
すみれのカレーは珍しい物が好きなエルフ親父の要望にもしっかり応えられたようだ。
「光栄です。まだまだ経験不足ですけど……」
「ふむ。あなたたち異界の『ニホンジン』には私も何人かお会いしたが、総じて謙虚な性質のようですな。ジローどのも我は強いが饗応する相手を第一にと考える性格のようであるし。いや、少し前に例外がいたか……」
エルフ親父は何かを思い出すように、首をひねって思案にふけった。
すみれはその様子を見て、昔この港から海を渡った異界の人間がいた、という笛吹きエルフの言葉を思い出した。
「五十年前この港に、私たちの世界から来た人がいたらしいんですけど、その人についてなにかご存知じゃないですか?」
「ああ、たしかにいた。その者も料理人だったはずだ。ラーメンやカレーについて私が知っていたのも、彼から聞いていたからなのだよ。豊富な料理の知識を持っていたが、偏屈で傲慢な男だった。ラーメンもカレーも、取るに足らない、くだらない料理だと言っていた。そんなことはないではないか。十分に美味しいではないか。全く騙された気分だ」
「く、くだらないって!」
すみれは名も知らぬその人物に憤慨した。
五十年前と言えばテレビ、ラジオCMの影響や、戦後の食の西洋化が進み、日本国内でカレーがヒット商品になったころ。
言わばカレーブームが日本に到来した時代である。
一方ラーメンに関してはインスタントラーメンの登場や、戦後におけるラーメン屋台の興隆によって、やはり人気食品としての地位を築きつつある過渡期だった。
「いくら昔の人だからって、日本人にとってどれだけラーメンとカレーが切って離せない料理になるか! 料理に関わってた人間なら予想がつくはずなのに! それをくだらない料理って!!」
ラーメンやカレーをバカにされると多くの日本人は不愉快なものであるが、同じ日本から来た料理人がそのような見解を持つことにすみれは血管が切れそうであった。
「そう興奮しないことだ。彼の名前はなんと言ったか。確か……」
「ふん、そんな人のことどうでもいいですよ。どうせ大した腕の料理人じゃないに決まってる。ラーメンの良さがわからないなんて」
「……思い出した。彼は『アオバ・イップウ』と名乗っていたよ」
すみれの時間が止まった。
エルフ親父が口にした名前が、自分にとって聞き覚えのある、いや忘れようもない名前だったからだ。
父からは、数十年前に死んだと聞かされた人物。
「青葉一風。アタシの、お爺ちゃん……!?」
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