19 二つが合わさり最強に見える

 ☆


「うわ、すげぇ真っ黒じゃんコレ。でもなんかいい臭いもするネ。食べていいの? どうやって食べるの?」

「金払えよ。こっちも商売だぞ」

 俺が真っ黒なラーメンを作り終えるなり、黒エルフ女が待ち切れないとばかりに身を乗り出してくる。

 前かがみになったその姿勢。

 当然のように深い谷間を持つ豊かな胸が、たゆん、たゆんと音が聞こえそうなくらい揺れ、ラーメンくらいタダであげちまおうかと気の迷いが生じる。

 かろうじて踏みとどまってきっちり代金をもらう程度に理性を保つ。

「結構いい値段とるね~。もう少し安くしてヨ」

「これでもかなり勉強してるんだ。俺に死ねと言うのか」 

 などと軽口をたたきながら、黒エルフが最初の一口をちゅるんとすする。

「あ、あっつ! 汁が跳ねたっ! あっつい! 水ちょうだい!」

 すすったラーメンの汁がピンポイントで胸に当たり、水を要求している。

 俺はその瞬間を見ていた。

 角度的に、貧乳なら当たることはなかった汁の軌道だった。

 大きいのは大きいので災難なこともあるもんだ。

「大丈夫かよ。慌てて食うからだろ」

 努めて冷静を装う俺。 

「うひー、こんなに熱いなんて思わなかった。あーもう、服、シミにならないかな……」

 俺が手渡した水で、胸や服についたラーメンの汁を無造作に冷やして流す黒エルフ女。

 薄布をグルグル巻いた構造になっているそいつの服が、水に濡れて体のラインになお一層くっきり貼り付き、かすかに透けた。

 濡れて、透けた。大事なことなのでじっくり観察して確認した。 

「ちくしょう、どうせ胸元に飛び跳ねるならこいつに白いスープの方を食ってもらえばよかった……!!」

 つい後悔の心が口に出てしまった。

 そうすれば褐色の肌に白濁した汁が垂れ、色々な意味で最強な光景が目の前に広がるはずだったんだ。

 毎日のように真面目にラーメンのことを考えて生きているんだ。たまにはそういうご褒美があってもいいと思う。

 最初は熱さに驚いていた黒エルフ娘だが、落ち着きを取り戻して俺の作ったラーメン、その黒い方をちゅるりんちゅるりんと食べ続ける。

 健康的な厚みを持った濃いピンク色の唇に、少量のイカスミを練り込んだ麺が、きわめて黒いスープを絡めながら吸い込まれていく。

 口の周りについた汁を小さな舌が拭い去る様子がとても艶めかしかった。

 ちゅっ。ちゅるっ。

 軽やかな音が鳴る。

「……ふぅ、んっ。はむっ。美味しっ」

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 つい敬語で感謝してしまうくらいに、いいものを見せてもらった。

 ラーメンの代金をもらっておいてなんだが、俺が金を払ったほうがいいんじゃないかな、というくらいに。

 他にも客はいるので、忙しくその対応をしながらも俺は黒エルフ女の様子をちらちら横目で見る。

 熱いスープをすすりながら、汗ばんで上気した顔からふーっと長い息を吐く。

 顎から首筋、鎖骨、そして胸元、谷間へと一筋の汗が光りながら落ちて消えて行く。

 たまらん。

 ありがとうありがとう。

 異世界でもラーメン作り続けてよかった。


 ちなみに今回のラーメンは、昆布と野菜の出汁を主体に、醤油の色とイカスミ麺、黒コショウ、そして少量だが入手できた岩海苔を用いた「黒潮ラーメン」である。

 もう、見るからに真っ黒なラーメンなわけだ。こんなラーメンを作ったのは俺としても初体験である。

 普通に考えれば磯臭くてラーメンとして賞味するには難しい代物だが、そこはネギやショウガなどの薬味系野菜に今まで以上に働いてもらい、臭みと旨味のバランスに腐心した。

「んん~、独特の変わった味だけど、美味しい! でも味が濃いからお酒が欲しくなるかも」

 黒エルフ女が場末のラーメン屋に来たおっさんのようなリクエストをする。

「なんだ、酒飲めるのか」

「そりゃ飲むヨ~。うちの島では食事中にお酒飲まないのは赤ん坊と妊婦くらいだし。怪我人も病人も老人も若い連中もみんな飲むって!」

 どうしようもねえな、こいつら。

 しかし、今回の黒潮ラーメンは意図的に醤油味を濃くしている。

 酒が欲しいと言われるのはむしろ願ったりかなったりで、そのために俺は麦酒をカメごと仕入れて近くの井戸で冷やしておいた。

「ほらよ。飲みすぎて暴れるのはごめんだぜ」

 俺が差し出すか差し出さないかと言うタイミングで、麦種の入ったカップを素早くひったくる黒エルフ女。

「んぐっ、んぐっ、ぷっはーーーーっ! このために生きてるって感じ! おかわり!」

 豪快に飲み干し、満面の笑みで二杯目を要求。

「お前の将来が心配だわ」

 こいつ、ラーメンの残った汁をアテにして酒を飲んでやがる。

 そのうち手の甲に塩だけ乗せて、それを舐めながら酒を飲むようになるんじゃねえかな。若いのに気の毒なことだ。

「はふー。食べたから少し服がキツくなってきたかなー」

 酒が入っていい気分になったのか、けだるい手つきで黒エルフ女が自分の胸に巻かれている布状の服、その結びの部分を、緩め始めた。

 しゅる、しゅる、とほどかれて行く帯状の衣服。

 締め付けられ圧迫されていた二つの大きく弾力性のある立派なものが、ぶるん、と跳ねるように踊って、解放されていく。

 み、見え……! もうちょっと……!


 ☆


「……どこを見て調理しているんだ。器からスープがだだ漏れになっているぞ」

 横から急に話しかけられ、手元の器に視線を落とすと、そこは黒の洪水。

「お、おわっ!? もったいねえ、ちくしょう……」

 こぼれた汁を処理して視線を戻すと、黒エルフ娘は衣服の締め付けを調整し終えた後だった。

 二重の意味で、もったいなかった。

 異世界には神も仏もないのか。

 悪魔のタイミングで現れた声の主は、平らな体で色気のない鎧を着ているエルフ娘だった。

「なんだ、戻って来てたんか……」

 あと一分遅く戻って来てくれれば。

「悪いか。ところで今回はずいぶん黒いのを作ったものだな」

 エルフ娘が俺の調理を見ながら怪訝そうな顔を浮かべる。

 こいつの心理状態を読むとすれば、うわあ味の濃そうな料理だ、と思っているところだろう。

「心配しなくても、黒いのに抵抗がある客へは別の白いラーメンを用意してるよ」

 そう言って俺は、もう一種類作っていた塩とんこつラーメンをエルフ娘に提供した。

 エルフ娘は少し安心したような、わずかに落胆したような、気の抜けた表情を返す。

 特に驚きも目新しさもないものが出てきた、と言う顔だった。

 エルフって連中は基本的に目新しいものや華やかなもの、あるいは自分たちを驚かせてくれるものに飢えているからな。

「スミレの作った料理にそっくりだ。まあ、あれは美味だったのでなんの問題もありはしないが」

 そう、すみれが作った白濁豚骨によく似たラーメンだ。麺ももちろんイカスミなんて練り込んでいないから白っぽい。

 実際あれはよくできたラーメンだった。

 芳醇な豚骨の旨味、醤油に頼りすぎない味のバランス、余計なトッピングを極力排したシンプルな組み立て。

 シンプルでありながら丁寧な仕事なので、広い価値観、多くの人に受け入れられる説得力を持った一杯だ。

 気が強くてラーメンに対して実直、それでいて性根は情の篤い、優しい性格をしている、実にすみれらしいラーメンだと思う。

 すみれと同じラーメンを作ってもあいつの鋭敏な舌がもたらすバランス感覚には到底勝てっこない。

 だから俺は味の重なりを加えるために少量の魚介出汁とキノコの出汁をここに加えている。カツオ(に似た魚)の荒節も使った。

 もちろん、それは見た目にはわからない。やや黄色みがかってはいるが、完成したのはほぼ白と言っていい外見の一杯だ。

「……ん。口いっぱいに広がる滋味とも言うべき柔らかな味わいではスミレの方が上だな」

 優しくないコメントを口にしつつも、満足している表情でエルフ娘は俺の作った白濁ラーメンを食べている。

 んなこた、作ってる本人が一番わかってんだよちくしょう。

「んあー? なに、白いのいたの? 自分の町に帰ったと思ってせいせいしてたのにさぁー」

 そこに酔っ払った黒い方が絡んできた。

 体が火照っているのか、胸の部分の布を軽く引っ張って隙間を作り、手でぱたぱたと風を送り込んでいる。

「泥酔して他の客に迷惑かけんなよ」

 注意しながらも俺は布と肌の間からなにか見えないかな、と期待。

「べっつにそんなことしないしィー。なに、そっちが食べてるの真っ白だね。食べても力が出なそう」

 酔っぱらいってホント、面倒臭えな。

「黙れ。貴様ら蛮族にはこういった繊細な味を楽しむ文化などないだろう。その真黒な汁の中に石炭が混じっていても、気付かずに平気で食べていそうだな」

 白い方も軽く受け流せばいいのに、物騒な差別的発言を返す。

 こいつ、いつか刺されると思う。

「あぁん!? なによケンカ売ってんの? うちらは別に昔のご先祖のイザコザなんてハッキリ言ってどーでもいーんだけどぉ、そっちがそういう態度でケンカ売って来るならどんどん買ってあげるよ!?」

「生憎と、貴様らごときに売るような安っぽい品物はなに一つ持ち合わせていない。血の気が余っているなら野良犬でも追いかけていろ」

 売り言葉に買い言葉で一触即発。

 黒いのは烈火の形相、白いのは冷たく見下すようにガンを飛ばし合っている。

 騒ぎが起こっている状況に驚いたのか、豚骨ラーメンを食べていたメガネのウサギ人間が慌てて寄ってきた。

 ウサギの顔で豚骨ラーメンをもぐもぐ食べているのはかなりシュールな光景で面白かった。

「ちょ、ちょっと困りますよ。ここで白の一族さんと黒の一族さんが問題起こしたりしたら、私の管理責任が問われるんですから。なんとかしてくださいよ。あなたのご身内でしょう?」

 こいつ見てると異世界に来たのか、日本人がウサギの着ぐるみかぶってるだけなのか、自分の認識に自信がなくなってくるわ。ラーメンも食ってるし。

「百歩譲って白い方が関係者だとしても、黒い方は今日知り合ったばかりの他人だ。知ったこっちゃねえよ。若いもんは多少ケンカして理解し合ったほうがいいんじゃねえのか。河原で殴り合えばダチって、俺の来た世界では常識だったぜ」

「そんな異世界の常識を持ち出されても知りませんよ!」

 ボケたつもりだが通用しなくてジローくんちょっとショック。

 ウサギ人間を見ていると少し意地悪したくなったのでこう言ったが、さすがに商売やってる横で喧嘩されるのは俺も本意じゃない。

 白いほうのエルフ娘は、おもちゃの剣を手放して本物の切れる剣を入手し直したんだ。

 万が一、大惨事にならないとも限らないしな。

 こうなったときの最後の手を用意しておいて正解だったぜ。

「あーあー諸君。俺のために争うのはやめるんだ。全く色男は罪だぜ」

「「死ね」」

 二人同時に同じ言葉で罵倒された。

「まあまあとりあえずこの一杯を食え。それで納得できなかったら河原でも海辺でも行って殴り合って来い。メシ作ってるときも食ってるときもケンカはご法度だ。メシは楽しく気持ちよく美味しく食うもんだ」

 そう言いながら、俺は白のスープと黒のスープ、白い麺と黒い麺を、同じ器に混ぜ入れて盛り付けた。

 そう、最初から俺はこのラーメンを作るつもりだったのだ。

 白エルフと黒エルフ。海と陸。異世界と俺らのいた世界。

 ラーメンスープのように、それらの価値観よ、渾然一体に混ざれ。

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