16 暁の水平線に醤油を垂らしなさい
☆
チャルメラの音色に導かれ、われを忘れたように夜の海辺を走るすみれ。
その行きついた先では、一人のエルフが木陰に腰を下ろして笛のような楽器を演奏していた。
「屋台じゃなかったな。この世界にもストリートミュージシャンがいるのか」
そのエルフが吹いていたのは、縦に吹く木管楽器だった。
サッカーの大会で有名になったアフリカのブブゼラにも似た、末広がりの楽器だな。ラッパに近いかもしれん。
もっとも、実際のブブゼラには音階の機能はない。それと違ってこの笛はいくつか穴が開いていて、それを指で押さえながら様々な音色を奏でている。
「あの、なにで取ったかわからないスープと中華系化学調味料と古くなった醤油や油をぶち込んだような屋台のラーメンが久しぶりに食べられると思ったのに……」
「全国の屋台の人に謝れ。そんなのばっかりじゃねえだろ」
落胆して失礼なことを言っているすみれに俺は呆れて突っ込んだ。
誰よりも鋭敏な舌を持っている割に、そういう料理もたまには食べたくなるタイプなのかな。気持ちはわからんでもないが。
と、そんなことよりも。
「楽器の兄さんよ。さっきの曲はどこで知った? エルフの間でもなじみのある曲なのか?」
俺が話しかけると、やっと俺たちに気付いたような様子で笛エルフが楽器から口を離した。
「……ん? おお、異界の者か。長生きはするものだ。こういう出会いが再びあるとは」
兄さん、と呼ぶほど若いエルフではなかったらしい。
どうもこいつらは全員若く見えて困るな。
「前にも俺たちの世界から来た人間に会ったことがあるような口ぶりだな」
「ああ、おそらく五十年ほど前になる。若い男が外から流されて来た。私はそのときも同じようにここで笛を吹いていた。その男が、外の世界の曲をいくつか教えてくれたよ。単純なものだけをな」
懐かしそうに語り、笛エルフは別の曲を演奏し始めた。
「……あ、ちょうちょだ」
すみれがメロディーに合わせて気持ちよさそうに口ずさんだ。
そう、子供のときに習うあの「ちょうちょ」と言う曲を。
ちなみに音痴だった。
エルフ娘も猫舌くんも、すみれが歌いだした途端に難しい顔になったくらいだ。
次に流れたのはカエルのうた。
確かに単純な曲ばかりだ。半音がない、あるいは少ない曲で、テンポもゆっくりだな。
「若い男だった。外の世界で子を成したばかりだというのに、こちらの世界に流れてきて父親らしいことはなに一つできないことを悔やんでいたよ」
「その人は、今どうしているかわかります? 五十年前ってことは、まだ生きているかも」
すみれの質問に、笛エルフは表情を曇らせた。
「海を渡り、ドラゴンを一目見ると言っていた。きみたちの世界では『リュウ』と呼ぶ伝説上の生き物なのだろう? ドラゴンを一目見ることはわれわれの世界でも人生の栄光だ。その男も、離れてしまったが父としてなにか大きなことを成し遂げて、子に恥ずかしくない生を全うしたいと言っていたからな。その後はわからん」
やることが極端だな。
エルフの時間間隔はあいまいだから、五十年とおおざっぱに言っていてもそれ以上かもしれないしそれ以下かもしれない。
そう考えると、海を渡ったその男が今も生きているかどうかは未知数だな。
「仮に五十年前に海を渡ったのなら、島の黒エルフと地龍の民が衝突を繰り返していた時期に重なるな」
エルフ娘が当時の歴史を簡単に解説してくれた。
力の弱い獣人族、ネズミ人間やウサギ人間たちの交易する船を、黒エルフたちが護衛する代わりに料金を徴収しようとした。
その航路はトカゲ人間が住む島に近接していて、トカゲ人間たちは黒エルフが船に乗っているなら港を使う際に手数料を二倍取る、と言い出した。
そうなるとウサギ人間やネズミ人間は、手数料負担が大きすぎて利益が少なくなるので、黒エルフたちの護衛を断ったのだが……。
「その後、彼らの商船が正体不明の海賊に被害を受けることが増えた。地龍の民は、犯人は島の黒エルフだと断定した。岳兎(ガクト)の民や樹鼠(ジュソ)の民を保護する名目で、武装した船を多数、海に出した」
黒エルフとトカゲの両者は全面戦争寸前の小競り合いを海上で繰り広げ、島同士の交易、そして陸と島々の交易がマヒしかかったという。
「最終的にはドワーフたちが地龍の民に味方する形で、地龍島の開発と技術支援に乗り出したから、黒エルフたちはひとまず大人しくなったんだ」
猫舌くんが事件の結末を少し誇らしげに言った。
その流れで猫舌くんたちは同盟相手のトカゲたちと仲良く経済交流をしているんだな。
「……エルフたちはそんな状況でも、黒エルフがらみのいさかいだから首を突っ込みたくないのか、ひたすら静観してたんだぜ」
小声で猫舌くんが付け加える。
エルフ娘は聞こえたのか聞こえなかったのか、視線を落として沈黙するだけだった。
☆
「決めた! アタシ、この港町で屋台引くことにする!」
朝になり、猫舌くんたちが船に乗り込んで出港する前。
すみれが突拍子もないことを言いだしたので、俺は尋ねた。
「そりゃまた思い切ったな。どうして屋台なんだ?」
「ここはいろんなお客さんの流れがあるでしょ。海から来る人、陸から行く人、種族っていうのもいろいろ違うみたいだし。交通の要所、文化の入り混じっている感じが、なんか池袋に似てるのよ。あそこも東京と埼玉の分岐点だし」
「池袋に海はねーだろ」
どちらかと言うと、東京のキー駅の中では「山へ向かうポイント」だと思うが。
「うるさいわね。そんな細かいことはどうでもいいのよ。あと、やっぱりお店を始めるなら最初から甘えてたくさんの投資とかしてもらうと、返せなかったら大変だし。なにより、一度は自分で屋台やってみたかったの。チャルメラ吹いて、冬の寒い夜にほっかほかのラーメンをお客さんに食べてもらいたいのよ」
エルフ娘は、すみれが店を開くなら親のコネでその準備を手伝うと言っていた。
しかしそれはそれですみれとしても申し訳なさすぎるという気持ちがあったんだろう。
港町で小さな屋台を引いて、ラーメンをひたすら作りまくるというのは、こいつにふさわしい着地点ではある。
今のところは、の話だが。
「すみれはここに残るわけだが、お嬢さまはどうすんだ」
エルフ娘に聞いてみる。
と言うのも、俺はこのまま猫舌くんたちに混ぜてもらって、船に乗るつもりでいたからだ。
なし崩しでエルフ娘を連れてここまで来てしまったが、すみれとエルフ娘が仲良くなり、すみれはここに残るという。
それならエルフ娘もここに少しの間とどまって、すみれの屋台開店を見届ければいいのではと思うのだ。
話を聞く限り、ドラゴンというのは黒エルフの領域に立ち入らないと会う可能性が低いらしい。
しかしエルフたちと黒エルフは犬猿の中で、世間知らずのお嬢さまがそこに乗り込んで行くというのは無謀で危険な旅になる。
若気の至りで熱にうかされた冒険気分は、そろそろお終いにするべき、いい潮時と思われた。
ちなみに俺はドラゴンそのものにそれほど興味はないが、海を渡った先に驚くような旨いものがあるかもしれない。
その予感次第で、とりあえず行けるところまで行くつもりでいた。
状況に応じて、黒エルフと言う連中の島もひょっとしたら行くかもしれない。
「私は……」
迷うように、エルフ娘がすみれの顔と、停泊している船を見比べた。
「私も、海を渡る」
意外な答えが返って来た。
「そんなにドラゴンってのに会いたいのかよ。言っとくが、向こうが物騒な土地なら俺はお前の面倒なんか見切れねえぞ。メシを作ってやるくらいのことはできるが、それ以上のことは期待すんなよ」
「構わん。自分の身は自分で守る」
理由はわからないが頑なだった。
「おいお前、武器の見立てを手伝ってくれ。飾りではなく、ちゃんと切れる剣を買いたいんだ。ドワーフなら刀剣の見立てくらい、多少の目は利くだろう」
「え、俺?」
猫舌くんを半ば強制的に使役し、近辺をうろついている商人を捕まえてエルフ娘は出航時間ぎりぎりまで刀剣の物色にいそしんだ。
今まで持っていた玩具の剣、あれは刃物を落とした見た目だけの剣だが、素材や装飾自体はいいものだったらしい。
それを引き取ってもらう代わりに別の剣を手に入れるようだ。
最終的にエルフ娘が選んだのは、刃渡りが片腕と同じ長さ程度の細剣だった。
鞘も無骨に直線的で飾り気はなく、持ち柄の部分が湾曲した鉄のツバで防御されている、あくまで実用的な剣だ。
俺たちの世界で言うレイピアに近い武器に見えるな。
「行っちゃうんだ。危ないところだっていう話なのに」
出発の準備をするエルフ娘に、すみれが寂しそうに声をかける。
「目的を果たしたらすぐにこの港に戻ってくる。スミレのヤタイというものが繁盛することを願っているよ」
なんだか恋人同士の別れのようないい雰囲気だった。
女同士でイチャついてんじゃねえ。爆ぜろ。もげろ。
俺たちは船に乗り海を渡った。
戻ってくるのはいつになるのか、そもそも戻ることになるのかすら、俺は決めていない。
☆
俺たちの乗った船は大型の貨物輸送と客船を兼ねた船だった。
目的地の地龍の島までは、片道で二、三日の航行という話だ。
船内には簡易的に煮炊きをするスペースがあり、船員がごく簡単な料理を客に有料で振る舞っている。
しかし俺は申し訳ないと思いながらも、その炊事場を使わせてもらい、あるものを作ろうとしていた。
「魚を汁ものにするのか? なんだこれ、魚臭いだけだ。味がついてない」
作業を覗いている猫舌くんが、つまみ食い的に汁を一口すすった。
俺は下処理した魚の身だけを釜の中で慎重に茹でている。
頭部や内臓を取り除いた魚肉を、沸騰させない温度の湯でじっくりと。
「残念だけど、これは今食う分じゃねえんだ」
腹を空かせているらしい猫舌くんとエルフ娘には、ひとまずこの煮汁でいつでも便利、即席めんを作って食べてもらった。
「ジロー、微妙に魚臭いよ。別にまずいわけじゃないけど、なんか違うよこれは。ジローのラーメンじゃないよ」
「……むぅ」
二人ともあまりいい評価ではなかった。
それも仕方がない。
今俺が湯を通している魚は、背中が青く光っている、いわゆる青魚、光り物だ。
長い時間をかけて湯に通したこの魚を、ひとまず冷ましてうろこや骨を丁寧に除去する。
「猫舌くん、いますぐの話じゃないんだが、帰ったらまた工房の親方に伝えてほしいことがある。これが完成したら内陸のドワーフたちの食事情が、まるで今までと別のものになるぜ」
「今作ってるこの煮魚が関係あるのかな。でも煮魚はさすがにドワーフの村まで運べないよ。塩漬けにするか乾燥させるかしないと」
そう、今回は乾燥させる。甲板に出て燻製にしたのちに天日干しにする。
しかしこれは食べるための魚ではない。
やっと、やっと作れるのだ。
カツオ節やサバ節やアジ節を!
俺が醤油ラーメンの構成要素として必須食材と思っている、青魚の削り節を!
☆
「お客さん、船の上で火を出されちゃ困るんだけど」
甲板に出てサバやカツオらしき異世界の青魚を燻製しようとしたら、当然のように船員らしきトカゲ男に注意された。
「いやいや、火は出ないように見張るから。いぶすだけだから。ね、頼むよ。天気がいいうちに天日干しまで持って行きたいんだよ」
必死に泣きつく俺と、なかなか納得しないトカゲ。
それよりもなによりも。
「船長、炊事場に腐った水か油みたいなもの置きっぱなしになってたんですけど、捨てちゃいますよ?」
炊事場担当のウサギ船員がそう言って甲板に持ってきたのは、俺の醤油だった。
「おう? なんじゃこりゃしょっぺえ! 飲めたもんじゃねえな、どこの誰の忘れもんだか」
そう言って、どうやら船長らしきトカゲ男が、俺秘伝の醤油の入った竹筒を、海原へ豪快に放り投げてしまった。
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