15 二十七歳のカルテ

 ☆


「海だーーーーッ!!!」

 お約束として、俺はとりあえず叫んでおいた。

「バカヤローーーーーッ!!」

 なぜかすみれも同じノリで叫んだ。

 俺に向けて言ったんじゃねえだろうな。

「俺も海なんて久しぶりだから叫んでおこう。嫁さん募集中ーーーーッ!!」

 猫舌くんがそれに続き。

「……鎧、潮風で錆びないだろうか」

 エルフ娘はどうでもいいことを気にしていた。


 短い滞在だったがいろいろあった町を出て、俺はエルフやドワーフたちの大陸が終わる海辺の港に来ているのだ。

 馬車で半日ほどの距離だった。辺りは夜だ。

 宿と多少の店があり、それ以外でも獲れたばかりの魚介類を漁師や商人、あるいは地元の住人たちが道端で直接取引をしている。

 そしてそれ以上に目を引くのが、常にせわしなく大きな荷物を積んだり降ろしたりしている大規模な船着場だ。

 木製の大型船、あるいはその外装に薄い金属を張りつけた鉄甲船とでも言うべき、ものものしい船。

 それに加えて小さなイカダやボートと言えるようなサイズの船まで、実に多種多数の船が人や荷物をひっきりなしに運ぶ拠点となっているようだ。

 もう夜も深くなりつつあるというのに、みんな一生懸命働いていた。

「こういう港が海辺には点在している。ここは主に荷役の港だから食材を探し求めるといった雰囲気ではないな。少し離れた入り江には、巨大な宿と市場が並立した歓楽街があるぞ」

 エルフ娘が周囲の情報を紹介してくれている。

「箱入り娘の割に詳しいじゃねえか」

「父や親戚と年に一回、海辺に旅行に来ているんだ」

 アットホームな話で気が抜ける。

「で、すみれはなんでここまでついて来たんだよ」

「アタシまだ自分探ししてるところだし。こっちの世界でもラーメン屋をやろうとは思うけど、どこでどう営業するのかってのはまだまだ決める材料も少ないし、先立つものもないからね」

 要するにプーなわけだ。

「スミレが店を開くなら、父に出資を頼めばなんとかなるとは思う。父は大きな町の中にもいくつか土地や建物を持っているから、すみれの希望に合う物件がきっとある」

「いやいや、うちの村の食堂に来てくれよ。お姉さんなら文句なしに大歓迎だぜ。きっと近隣の村からもラーメン目当てで遊びに来る連中が増えるよ」

「ん、ん、ん。すっごく魅力的なお話だけど、まだちょっと考えさせて。でもホント、ありがとね二人とも」

 エルフ娘からも猫舌くんからも熱烈なスカウトを受け、まんざらでもなさそうにすみれは笑った。

 こいつの行く末はともかく、俺は自分自身のことを考えないとな。

「海を渡るべきか渡らざるべきか。それが問題だ」

 少しかっこつけて文学的に呟いてみる。

 実際、港湾で働いている色々な種族の作業者たちの表情を見ても、動物顔の連中が多くて表情が読めない。

 殺伐とした雰囲気が海の向こうにあるのかどうなのか、異邦人の俺にわかるわけはなかった。

 トカゲ男は常に無表情に見えるし、狼男は常に怒ったように見える顔立ちだったからな。

 爬虫類や肉食獣に対するイメージなんて、俺たちにとってはたいていそんなものだろうが。

「あ、ウサギさんやネズミさんもいる。ちょっと可愛いかも」

 すみれが注目した先には、ウサギ人間やネズミ人間がいた。

 ガキの頃に動物園で見たカピバラを思い出すな。

 あれが直立歩行して服着て歩いてるんだぜ。

 ぬいぐるみにすれば売れるんじゃないだろうか。どうでもいいが。

「なあ、黒いエルフってのはここら辺に稼ぎに来てる中にいるのか?」

 俺は疑問に思ったことをエルフ娘に聞いてみた。

 言葉のイメージとして、きっと色黒のエルフなんだろうと思って周囲を見渡してみたが、それらしき連中は目に入らなかったからだ。

「……黒エルフは基本的にわれわれが住むこちらの大地には立ち入らないからな」

「ふもふもぐ。仲が悪いの? ごくん」

 すみれがどこからか買い食いしてきた魚の丸揚げを食いながら尋ねる。

 口に物を入れながらしゃべるな。

「悪い良いという次元の話ではなく、お互いの土地に干渉しないという固い取り決めがあるのだ。聞きたいのなら話すが、あまり往来で立ち話する内容ではないな」

「腹が減って飯屋に入りたいなら素直にそう言えよ。いちいち勿体つけやがって」

 俺がそう突っ込むと、エルフ娘が俺の足を蹴った。

 そう言えば猫舌くんはこの港から船で海を渡るはずなのだが。

「出港は明日の朝だから、夜メシなら付き合うよ」

 そう言ってくれたので、四人で夜メシの店を探して入った。


 ☆


 昔々、罪を犯したエルフが島に流された。

 その島はその後も、罪を犯したエルフを流して閉じ込めるための監獄代わりとなった。

 また、原因不明の呪いや病気にかかったエルフも、忌まわしきものとして島に流された。

 エルフの土地には要らぬものとして、島に捨てられたのだ。

 荒れた土地、激しい高波、灼熱の夏と極寒の冬を持つ、およそ生き物が暮らして行くにはなにもかもが足りない、呪われた島に。

 彼らは大陸のエルフを恨み、大陸のエルフが畏敬する精霊への信仰を捨てた。

 彼らが新しく崇めたのはドラゴンだった。

 力強さと雄々しさを持ち、古き知性ある生き物を彼らは篤く崇め奉った。

 ドラゴンはそれに応え、彼らの島に降り立った。

 やがて島のエルフは大陸のエルフとは違う体を持った。

 白い肌は褐色の肌に変わり、金色の髪は灰色にくすみ、寿命が半分以下に短くなった。

 そして彼らは寿命以外にもエルフが本来持つ魔力を失った。

 代わりにエルフよりも力強い肉体と炎のような闘争心、そして飢えと暑さと寒さに耐える強靭な意志を身につけた。

「黒エルフたちは力を蓄え、大陸のエルフと島の黒エルフとの間に、大戦争が起こった。奴らにとっては父祖以来からの復讐だったのだろう。黒エルフは滅びる寸前まで死に、大陸のエルフも種全体の半数が死んだと。伝説とも言えるほどの昔話だ。父が生まれるよりはるか昔、父の父の、そのまた父の……誰もわからないくらい昔の話だ。その戦争はドラゴンと精霊の王が仲裁して終結したと伝わっている。それ以来、両者の間に活発な交流はなくなったんだ」

 眼を閉じて、エルフ娘が話を締めくくった。

 ここは見つけた飯屋の個室席だ。

 俺たち四人は食事がてら、エルフさまたちのものすごい伝説を拝聴していた。

「なあ、これ本当の話かよ」

 俺はどうにも邪気眼設定の与太話にしか聞こえなかったので、揚げ芋と魚のスープを一生懸命に息で冷ましている猫舌くんに確認してみた。

「まあ、いつごろかはわからないくらい昔の話で、そういう言い伝えがあるねえ」

 担がれているわけではなさそうだ。

「……なんか、かわいそうな話だね。両方とも。ぐずっ。ひくっ」

 泣きの虫が目を覚ましたのか、すみれは目を赤くしながらしんみり聞いていた。 俺たちがいた日本にも世界のほかの国にも、伝説や神話というものはもちろんあるが、なにかこの話には腑に落ちない点があると思う俺がいる。

「エルフが持ってて、黒い連中が失った魔力ってのはいったいなんだよ。少なくとも俺はお前らエルフの連中が魔法やまじないらしきものを行使しているのを見たことがねえぞ」

 そう俺が疑問を口にすると、エルフ娘は若干驚いたような顔をした。

「ふむ? そうか、お前には見せたことがなかったな。われわれエルフが持つ魔力と言うのは、これのことだ」

 そう言って、俺の手を握っってくる。

「な、なんだよ一体。握手されてもここの飯は奢らんぞ。自分で払え」

「いいから黙っていろ」

 エルフ娘が俺の目をまっすぐに見る。

 あまり真剣にこいつの顔なんぞ観察しないが、やっぱエルフってのはどいつもこいつも美形に出来上がってるもんだな。

 その整った顔に、なにやら集中して念じているような真剣さがあった。

 そのうち。

「なんか、いろいろどうでもよくなってきたわ俺……」

 そうとしか言えない、けだるさと虚無感が俺の心身を侵食し始めた。


 ☆


「佐野、どうしたの? 具合でも悪いん?」

 すみれがなにか言っているが、マジどうでもいい。

 あー、俺だけのラーメンとか、エルフの戦争とか、ドワーフたちがいつも一生懸命働いてるのとか。 

 スゲエ馬鹿馬鹿しくなってきたわ。

 酒飲んで寝てりゃ、たいていのことってどうでもいいやって感じになるよなー。

 あー、マジそんな感じ、ダルいし。なんにもやる気しねー。

 生きてること自体どうでもいいけど、わざわざ自殺するのも馬鹿馬鹿しいって感じだわ。

「あーあ、すごい効き目。エルフのお嬢さんよ、やりすぎだぜ。元に戻らなかったらどうすんだよ。こんなジロー、ヤだぜ俺。なんの役にも立たんし」

「口で説明するより、体験させるほうが早いからな」

 猫舌くんとエルフ娘がなにか話してるが、そもそもこいつら自体どうでもいいって気分だわ。

 いちいち周りの状況を把握するのも飽きてきた。

 飯も食って腹もいっぱいだし、寝よう。

 目覚めなくてもいいや、とにかく今は眠ろう。

 人生の果てまで眠りたい。

 寝て一生終わらねーかなー……。


 ☆


「いつまで寝てんのよこのバカ!!」

 ベチーン! と俺の頬が高く音を立て、激痛。

「寝てる人間にいきなりなにしやがる!」

 俺は跳ね起きて、おそらくビンタの犯行者であるすみれに食って掛かる。

「……あ、ああ良かった。戻ってる。ねえ佐野、アンタはいったい何者? なんのために生まれてきたかわかる?」

 人のツラを張っておきながら意味不明に半泣きになっているすみれ。

 おまけに禅問答のようなことを言ってる。痛くて泣きたいのは俺だっての。

「人が寝ぼけてるのにわけのわからんこと言ってんじゃねえ。俺は世界であり、世界はラーメンであり、ラーメンは俺だ。したがってラーメンは世界であり俺だ。それが俺の人生哲学だぜ」

 ふむ。いつも通り俺は俺だ。しかし自分で言ってて違和感がある。

 少なくとも寝る前はそんなことを思っていなかった気がするな。

 そもそも、なんで俺いきなりこんなところで寝てるんだっけ。

 エルフ娘に手を握られて、目を見つめられて。

 なにもかもがどうでもよくなって……。

「異界の『ヒト』にこれほど効果があるとは驚きだったな。しかし体験して分かっただろう。これがエルフの持つ魔力、端的に言うと相手の生きる意志や活力を根こそぎ奪う呪いのようなものだ。もっとも、解呪の方法はちゃんとあるが」

 なきゃ困るわい。

「地味な割にえげつねえ能力だなおい。いっそひと思いに殺せ。エルフの全員がこんな物騒な力を持ってんのか?」

 エルフと他の種族があまりベタベタ仲良くしない最大の理由ってこれじゃねえのかな。性格悪すぎだわこの能力。 

「能力の強い弱いはあるが、たいていのエルフはこの力を行使できる。同種同族間では無効で、黒エルフにはわずかに効果があるとされているな。そういう点でも、われわれと黒エルフは明らかに変質した種ということだ」

 能力のこと、エルフたちの確執は話として理解した。

 その上で俺はもうひとつ気になっていたことをエルフ娘に聞いた。

「島の向こう側にもさらに大陸があるって言ってたな。そこに住んでるエルフやドワーフたちはなにもんなんだ」

「遠き陸のエルフは私たちの同種だ。伝説では、黒エルフとの戦争を忌避して別の土地に移り住んだ民の末裔と言われているな。ドワーフたちはもっと近年になって遠き陸に入植した者たちだ」

「もちろん仕事のためにな。そこに仕事があるならドワーフはどこにだって行く」

 エルフ娘の説明を補足する形で猫舌くんが一言付け加えた。


 ☆

 

 話を終えて、俺たちは店を出た。

 俺が寝ていたせいもあって、ずいぶん真夜中になっている。

 食材あさりや海向こうの情報集めは明日、また仕切り直しだな。

 今夜は宿をとることにしよう。

 この時間でも大丈夫だろうかと思いつつ、宿の方向に歩いていると。


 ソラシ~ラソ♪ ソラシラソラ~~♪

 (音階表記であり、こういう言葉が聞こえたわけではもちろんない)


 聞き覚えのある音楽が、深夜の海辺にこだました。

「チャ、チャルメラ……!! 屋台……!?」

「お、おい、すみれ!」

 俺の呼び止めを無視して、すみれが音の鳴ったほうへダッシュした。


 ちなみにチャルメラと言うのは楽器の名前であって、あの曲の名前ではないんだぞ!! 分かってるのかすみれ!!

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