06 佐野二郎の旅はまだ始まったばかりだ!
☆
炭鉱近くのドワーフ村を出発して、数日が過ぎた。
俺は以前の約束の通りに、刺繍の名人である老婦人のもとを訪ねていた。
「これ、できあがった醤油です。さすがに日本で味わえるような最高品質とは言えませんが……」
それでも、何とか醤油と呼べるものは出来たと自負している。
たいてい困った時に決め手となる仕事をしてくれたのは親方だがな。
「まあまあ本当にわざわざありがとうございます。私の方からも、次にお会いしたときに渡そうと思っていたものがありますのよ」
そう言って、ご婦人は一枚の木綿を俺に手渡した。
台形に近い形状で、上部と横に掛け紐がついている。
「これは、料理用の前掛けですか?」
「はい、二郎さんは中華料理の仕事をなさっているとおっしゃってましたので。あら、こんなおばあさんの作るものだと、若い人には合わないかしら」
見ると、スソの部分に龍と鳳凰の中華風刺繍、左胸の部分にこの世界の文字で「佐野二郎」を意味する刺繍が施されていた。
「い、いえ、めっそうもない。ありがたく頂戴します」
重い。
すごすぎるアイテムをいただいてしまい、プレッシャーがマッハ。
つーか、汚れ仕事に使うの、恐れ多すぎるわ。
自分の中で納得のできる一杯を完成させるか、もしくはそのラーメンを引っ提げて店を構えるまで、そうそう使わないで大事に保管しておく。
待っててくださいよ。真っ先にあなたに食べさせますから。
あなたの鍋にいろいろ崩壊させられた、せめてものリベンジとして。
そう言えば、猫舌くんがこの人の刺繍欲しいとかなんとか言ってたっけ。
ドラゴンとか、フェニックスとか。
彼の言ってたのとは微妙に違うだろうが、俺がもらってしまったな。
次に会うときに見せびらかしてやろう。
☆
老婦人にあいさつを終えて、さらに旅は続く。
この世界、ドワーフたちは山の多い地域にいくつか点在する村や町を形成して暮らしている。
旅に出たとは言っても、こっちのドワーフ村、あっちのドワーフ町、と相変わらずドワーフのオッチャンオバチャンたちに相手をしてもらっている状況だ。
俺のような「外から来たヒト」が珍しいのだろうか、行く先々で住民に興味を持たれ、取り囲まれて質問攻めにされることもあり、旅の移動速度自体ははっきり言って遅い。
ただ、村ごとに微妙に変化する食文化や、取引されている食べ物などの違いをつぶさに体験できるので、これはこれで悪くない道のりだ。
路銀にはまだ多少の余裕がある。
食堂や工房の手伝い賃という名目で、村の人が出発前に分けてくれたのだ。
もっとも金が尽きたら尽きたで、行った先で稼げばいい話。
包丁無宿ならぬラーメン無宿である。
そんな驚き、発見のある出会いをいくつか繰り返しながら、俺が旅を続けて十数日が経った。
目の前の大きな川を越えればそこはもうエルフが多く住む地域、という境界線近くまで俺は来ている。
休憩がてら、さっそく河原で火を起こして飯の準備と決め込む。
ここに来る前まで滞在していた村で、煮豚と即席麺を作っておいたのだ。
豚を温めなおし、湯を沸かし野菜を茹でる。もったいないからこの湯で麺を調理する。
使っているのはドワーフのオッチャンたちが作って持たせてくれた、異世界版中華鍋だ。
中華鍋と中華包丁があればどこに行っても何とかなる、そんな安心感が半端ない。
老婦人のところで分けてもらった味噌を使い、今日は即席異世界味噌ラーメン、野菜増し増しで行こう。
食事の支度が終わり、さあ三分経った、食うぞ、と麺をすくった瞬間。
「おいそこのお前、こんなところで何をしている」
後ろから急に声をかけられたが、手を止めずにそのまま食った。
うめぇ~。この味噌やっぱうめぇちくしょう。
いろいろな意味で涙が出そうになるぜ。
「お前だお前! こっちを向け!」
「はんがぁ? ほれがどうひはっへぇふがふが」
口にラーメンが入っていて意味のある言語にならなかった。
ったく、ラーメン食う時間くらい待てないのか。食うのも三分くらいで終わるっつうのに。
振り向いた先には、なにやら金属製の鎧を着て見事な白馬に乗った女騎士がいた。剣らしきものを腰に下げている。
女、と判断したのは体の線が細く、声が高かったからだ。
金色の髪は腰まで伸びているほどの長さ。
中性的な男かもしれないが、どっちでもいい。
他に特徴があるとすれば、耳が横に長くてとがってることくらいだな。
「わけのわからぬ言葉を話しおって、お前はいったい何者だ! 新種の魔獣か!? ここで何をしている!」
ごくん、と口の中のラーメンを嚥下して、あぐらをかいたまま俺は相手を睨みつけた。
「食っている間にいきなり話しかけてきたのはてめえだろうが! そっちこそいったいなんだ! なんの権利があって俺の昼飯を邪魔しやがる!」
「ぐッ……!?」
俺が言い返すと、女騎士は気圧されたように半歩だけ下がった。
モノを食べるときは、誰にも邪魔されずに自由で救われてなきゃいけない、って偉い人が言っていたのを知らんのか。
独りで静かで豊かな俺のメシ時を台無しにしやがって。アームロック掛けるぞこんちくしょう。
「わ、私は境界自警団の者だッ! 最近は旅人を狙った野盗が増えているから、それを取り締まるために警邏巡回をしていた途中だ!」
そんなにでかい声を出さなくても聞こえるのに、威勢のいい女だこと。
「それはご苦労さん。引き続き頑張ってくれ。じゃあな。馬で転んでも泣くんじゃねえぞ」
再び残ったラーメンをずるずると口に流し込む俺。
スープに白米をぶち込みたい味だ。
もちろんそんなものはないが、早く入手したいもんだな。
「ど、どこまでも私を愚弄するか……ッ!!」
じゃきん、と耳障りな音が鳴った。
横目で確認すると、馬から降りた女騎士が腰に佩いていた剣を抜いたのだ。
「おいおい、ヒカリモンはやめろ。話せばわかる」
「問答無用!」
白く光る大剣が振り下ろされる。
がちぃぃん、と金属同士がぶつかる音が、甲高く鳴り響いた。
俺が自前の中華鍋でその剣撃をそらした音だった。
そのまま女騎士の手を押さえながら起き上がる勢いで体ごとぶつかり、俺が倒れた相手の上に馬乗りの姿勢になった。
もちろん、ラーメンが入っていた鍋を使って防御してしまったので。
飲まないうちに、汁が、あたりに……。
「ちっくしょうこのアマぁ~……!!」
半べそをかきながら俺の下になっている女にすごむ。
「わ、私に乱暴する気だな!? 野蛮なオークの群れのように!」
「なにをわけのわからねえことを言ってやがる!! あのお手製味噌は貴重品なんだぞ!! 戦後七十年の想いが詰まってるんだぞ!! それを、それを、くっそぉ~~~~!!」
白米をぶち込めなかっただけでも残念なのに、ごくりと飲み干してはぁーっとため息をつく楽しみさえ奪われた、この俺の悲しみが異世界人にわかるだろうか。
おそらくわからないだろうから、下になったまま唖然として、女騎士は俺の泣き顔を凝視している。
「お、お前は本当に、いったい、なんなんだ……?」
☆
その後、女騎士の仲間と思しき物々しい武装をした連中が数人来た。
俺はその一行に荷物を没収されて、連行の憂き目に遭っている。
「おい俺なんもしてねえだろ。したとしても正当防衛だろ。いきなり斬りかかってきたのはそっちじゃねえか。死ぬとこだったんだぞ」
後ろ手に縄まで縛られている。
「うるさい、とにかく話は詰め所で聞くから大人しくしろ」
女騎士の同僚であるらしい他の騎士、おそらくなんとか自警団の面子が、俺と女騎士との間をふさぐ位置関係で馬を曳きながら歩く。
「……どう見てもただの旅人だろう。お前は軽率すぎるんだ」
小声だが、女騎士が同僚から説教されるのが聞こえた。ざまあみろ。
ところで、今までドワーフたちが住む村や町を巡って旅をしてきたが、こいつらの容姿は明らかに違う。
まず背が高く線が細い。
全員が全員、男か女かわからないくらい、人形のようにすらりとした手足を持っており、すっきり整った顔立ちをしている。
しわ一つない真っ白い肌も特徴的だ。デパートのマネキンを思い出すな。
そして前述したようにとがった長い耳。
「なあ、あんたらがエルフって種族なのか」
手近にいる一人に聞いてみる。
「エルフなのか、って。お前はそんなこともわからないのか。私たちがエルフ以外の何に見える」
呆れられた。
その会話を聞き、別のエルフが口を挟んできた。
「なあ、こいつ外の『ヒト』なんじゃないか。ドワーフにしては細長いし」
「私が百年くらい前に会った『ヒト』はもっと丸くて小さかったけど」
「え、私が二百年前にちらっと見たのは、もっと毛むくじゃらだったぞ?」
百年とか二百年とか、細長いとか丸いとか毛むくじゃらとか、おおざっぱな連中だなこいつら。
そんなんだから罪のない旅人と盗人の区別もつかねえんだよ。
☆
筏のような渡し船を使い、一行は対岸へ。
川を渡りそのまま森に入った俺たちは、自警団の詰所と言う木製の小屋に到着した。
「凶器になりそうなものがあるな。このナイフはなんだ?」
「ナイフじゃなくて包丁だよ。俺は料理人だ」
俺はそこで、エルフに囲まれて取り調べを受けている。
短気な女騎士は別のエルフと一緒に奥に引っ込んだ。そのまま朝まで説教受けてろ。
「料理人ね。ドワーフではないんだな? なんのために旅をしているんだ?」
「ドワーフじゃねえよ。あんたらも言ってた通り、別の世界から来たらしい。せっかく来たんだからこの世界で俺の料理を究めるつもりだ。それでこの世界のことを広く深く知るには、エルフは長寿で知識も豊富だから行ってみるといいってすすめられたんだ」
なるほど、と言って取り調べ役のエルフはなにやら羽のペンで書き物をしている。
「確かにエルフの長老たちは深く広くこの世界の知識に精通している。しかし身元のはっきりしない者を取り次ぐわけにもいかないぞ。なにか身分を証明できるものがあるか?」
「んなもんあるか。俺の身の上を証明できるのはラーメン作りの腕だけだ」
「それじゃ困る。もといたドワーフの村から身元の引受人に来てもらって、そこに帰ってもらうことになる。怪しいやつにウロウロさせるわけにはいかない」
ふ、振出しに戻るとか、なんの冗談だよ。
なにか、なにかないか。村のみんなにも迷惑かけたくねえしなあ。
クソッ、なんかねーのかよ。なにか。
思い当たるものはなにもなかった。
「ないようなら、とりあえず今日は詰め所に泊まってもらうからな。明日の朝にもう一度取り調べをする。そのときに身元の証明が出来なかったら、元いた村のドワーフに馬を飛ばして連絡するから、そのつもりで」
そうして、俺は詰め所内にある牢のような場所に閉じ込められることになってしまった。
まだまだ旅は始まったばかりなのに、終わっちまうのかよ!?
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