05 VS うどん

 ☆


 おっす、オラ二郎。ラーメン大好き二十七歳と数か月。

「二郎さん、おうどん打つの上手ですねえ」

「あ、いえ、そんなことは、ハイ」

 しかし成り行きでうどんを打っている。

 べ、別にラーメンよりうどんが旨いだなんて、思っていないんだからなっ!! 勘違いするんじゃない!!


 ゆえあってお邪魔した俺と同じ世界の「ヒト」である老婦人。

 彼女からいろいろな話を聞き、同行者と一緒に食べるための食事の支度をしているところだ。

 この炊事場に足を踏み入れて、まず味噌に驚いたが、煮干しまである。

 この土地は海が遠いから半ば諦めていたが、川魚や川エビを乾燥させて作っているんだな。

 昭和二十年の正月頃にご婦人はこの世界に来た、と話していた。

 それから七十年弱、長い年月かけて自分の味を確立していったんだろう。


 そうこうしているうちに、イノシシの肉をメインとした味噌仕立ての鍋が完成した。

「……熱そう」

 猫舌くんが、ご婦人に聞こえない程度の小声で弱音を吐いている。

 特に相手にはしない。

 鍋の中には肉のほかに、ネギ、カボチャ、ジャガイモ、そして良くわからない葉っぱものの野菜なども入っている。

 出しガラには内臓を除去した鮎の煮干しもあった。どんだけ贅沢だ。胸が苦しいわい。

 俺は元の世界にいたとき、ラーメンのスープに鮎干しを使おうと思い、試作を重ねたことがある。

 魚介の出汁をアクセントとして複合的に使うのは、今のラーメン界では珍しいことではない。

 それを川魚の女王、鮎でやればどうだろうと思ったのだ。

 しかし、どうやっても採算の取れる常識的な価格で作り続ける見通しが立たなかった。

 俺は断腸の思いで鮎干しと言う選択肢をあきらめた。

 そんな苦い思い出が、鮎干しにはあるのだ。


「ふんがうんがぐが、この鍋うめぇなおい」

 もう一人の若者くんが、待ち切れなかったという勢いを発揮してさっそく鍋を頬張っている。

 彼は猫舌ではないらしい。

「いただきます」

 俺も続けて食材を口に運ぶ。

 アクもなく、清澄な味わいをふんだんに放った煮干したち。

 苦労してたどり着いた米味噌の柔らかく懐かしい口当たり。

 野菜からにじみ出た甘味が、野趣あふれるイノシシの肉を優しく包み込む……。 


 うさぎおいし、かのやま。

 こぶなつりし、かのかわ。

 ゆめはいまも、めぐりて。

 わすれがたき、ふるさと。


 な、なんか勝手にBGMが脳内再生されたぞ!!

 そして俺の目から流れ出る水はいったいなんなんだ!!

「あらまあ、熱かったかしら? そんなに慌てて食べなくても」

 いきなり泣き出した俺を、ご婦人が心配している。

「いえ、全然大丈夫です。ただの悔し涙です」

「は?」

「なんでもありません。錯乱してしまって」

 単純に旨くて泣いた、という話ではなかった。

 もちろん、俺自身に里心がついて、元の世界を思い出して泣いたわけでもない。

 涙があふれた理由は、このご婦人が七十年という年月を故郷を想いながら過ごし、この味にたどり着いたその重みだった。

 耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだ日々もあっただろう。

 しかしそれでも齢九十までを積み重ね、故郷を忘れずに生きてきたこの女性の七十年間が、この鍋に詰まっていた。

 それを追体験してしまうほどの力が、この鍋には。


 もちろん、〆にうどんを入れて食った。

 味? 旨いに決まってるだろこんちくしょう!!

 自分が打ったうどんが旨すぎて、自分で悔し涙を流してしまう。もう何が何だか、自分でもわからん。 


 ご婦人宅に俺と猫舌くんが泊まって、翌朝。

「どうも、お世話になりました」

 俺たちは元の村に帰る支度を終え、ご婦人に別れの挨拶をした。

「いえいえこちらこそ、あ、お醤油が出来上がったら、よろしければ分けてもらえるかしら」

 醤油を鋭意制作中であることは、夜のうちに話しておいた。

「もちろんです。また伺いますよ。それまでお体に気を付けて、お元気で」


 味噌と麹を少量だけ俺も分けてもらい、俺たちは帰りの旅路に着いた。

「なんだよジロー、元気ないな。それよりあのお婆さんの部屋にいっぱいあった刺繍、すごかったな。俺も服に入れてもらおうかなあ。ドラゴンとか、フェニックスとか。絹で上着を仕立ててさあ」

「高いらしいぞ」

 俺の心中を知る由もない猫舌くんが、軽い調子で何かしゃべっている。

 何がフェニックスの刺繍だ。お前は田舎のヤンキーか。

 

 ラーメンとは、人生である。

 それは厳然たる真理であり、未来永劫変わらぬものだ。

 しかしこの旅の中で食った味噌鍋とうどん、それらと同じ土俵に立てるほど、俺のラーメンは人生をぶつけていただろうか。

 人生の重みが、どんぶりに乗っていただろうか。

 材料自慢、技術自慢の小細工で止まっていなかっただろうか……。


 帰りの道すがら、俺はそうやって自分にとってのラーメンをひたすら見つめなおす羽目になった。

 俺は完全に負け犬の心境に叩き落とされたのだ。


 ☆


 月日は流れ、この世界に夏が来た。

 日本の関東や関西ほどではないが、この世界、俺のいる村も日中はかなり暑い。

 鉱山で仕事をしているオッチャンたちにとってはつらい時期だろう。

「と言うわけで、試作段階を経て本格的に冷やしつけ麺、はじめました」

 俺は食堂にて、猫舌くんや長老を含めた顔なじみに、冷やしつけ麺を食わせていた。

 つけ汁は前もって作っておき、密閉した容器に封入してから井戸に沈めて冷やしておいた。

 麺は茹でた後に冷水を地下からくみ上げ、その水で洗うように冷やせばいい。基本的に元の世界にいたときとやることは同じだ。

「冷たくてうめえ」

 猫舌くんにはもちろん大好評だった。

「なんじゃ、今までと全然味が違うのう。冷たいだけではないようじゃな。この、焦げた水のようなおかしな色の汁のせいか」

 他の連中より長老のほうが味に対しての反応が的確だな。年齢による経験の差だろう。

 そう、今までとの味の違い、それに最も貢献したのは醤油だ。

 とうとう俺は、試行錯誤と失敗を繰り返しながらも、記念すべき佐野式大豆醤油を完成させていたのだ。

 もちろん、俺だけの力ではない。

 親方を含めた工房の仲間の協力あってこそだ。


「これなら、行けるッ……!」

 完成した醤油を一口舐めてそうつぶやいた時、親方は少し泣いていた。

 あ、感動ではなく、親方が試飲した量が少し多すぎてむせただけだが。

 

 かねてからの悲願だった醤油もめでたく完成。

 そこから作ったつけ麺をみんなが平らげた後、俺は大事な話を持ちかけた。

「長老。俺さ、旅に出たいんだけど」

「む? どうしたんじゃ一体。ここでの暮らしに不満でもあるんかのう」

 そういうわけではもちろんない。

 この村の気のいい連中を相手にメシを作り、工房の人たちと協力しながら醤油も完成させた。

 大食堂ではオバチャンたちと料理の腕を切磋琢磨したし、自分の空いた時間で工房での酒造りやそこから派生して酢の製造なんかも手伝った。

 ラーメンに生き、料理に生きる俺にとって、その日々はとても素晴らしいものだった。

 しかし、俺は行く。そう決意したのだ。

「遠くの土地には、海があるんだろう? 他の地域でも、ここの村では入手しにくい食材が他にいっぱいあるんだよな? いろいろなところを回って、いろんなものを食ったり探したりして、俺にとってのラーメンを、この世界で一から見つめなおしたいんだ」

 俺は物心ついた時には、ただラーメンを食ったりラーメンを作ったりして、そうして生きて死ぬ、それが俺の人生だと思っていた。

 四歳のとき、生まれて初めてラーメン屋に連れて行ってもらった時から、将来はラーメン屋になるものだと決めていたからな。

 根幹は今でも変わらないが、それなら俺が一度死に損なって、この世界で生きていくさだめを受けたのはなぜだろう。


 俺は思うのだ。

 俺は、この世界でこそラーメンを作るために生まれたのだと。

 俺がこの世界に飛ばされて、その上でラーメン狂いとしての自我を保ち続けていることにも、なんらかの意味があるのだと。

 根拠はない。ただ、何者かが魂にささやきかけるのだ。

 世界を究めることは、ラーメンを究めることなのだと。


「俺はこの世界をたくさん知りたい。この世界をたくさん感じ取って、それらすべてを一杯のラーメンで表現したい。それが俺の人生なんだ」

 俺が言うと、長老は目を閉じて言った。

「覚悟は固そうじゃな。なら何も言わん。この世に生まれたものは、生業に命を、一生をかけるものじゃ。それはわしらドワーフも変わらん。なりは違えど、おぬしも立派なドワーフ魂の持ち主じゃあ」

 そうして、俺はすっかり慣れ親しんだこの村を出ることになった。


 ☆


 出発日の朝。

「貴様の醤油、われがいつでも様子を見ておくのである。出先で必要になれば荷馬車や商人を通じて送り届けるので、いつでも連絡するのであるぞ」

「ありがとう親方。なるべく冷温暗所で頼む。たまに白い酵母菌の結晶が浮くけど、気が付いたら除去しておいてくれ」

 俺は親方とがっちり握手を交わし、醤油樽の保全について申し送りした。

「本当に行っちまうのかよジロー。ちくしょう、試作品をタダで食うのが楽しみだったのに」

 猫舌くんは少しくらい俺の心配をしてくれてもいいと思うぞ。

「んだぁ~? 余所者のアンちゃん、どっか行くのかぁ~?」

 うげ、酔っぱらいの半精霊オヤジまで来た。

「まあ、ちょっと旅に」

「おおそうかそうか、若いもんは旅に出るもんだからなぁ~! ちょっと待ってろぉ、選別にいいモンやるからよぉ~」

 と、言うなり半精霊のオヤジは自分の喉に指を突っ込んで。

 ゲロを吐いた。

「道の真ん中できったねーなこの野郎!」

「精霊さまにきったねえところなんてねぜぞぉ~う? おお出た出た、これ持って行けえ」

 ゲロの中から、何やら光る宝石のようなものを手渡された。

「なんだいこれは。いくら綺麗でも臭いとか残ってそうで、やだな」

「精霊の加護があります、っつう証みたいなもんだぁ~。俺は半分だから効果も半分だけんど、ないよりはマシなんだぁ~」

 酔っぱらいの加護がどれだけの効力があるのか不安だが、まだまだこの世界の理屈がわからない俺なので素直にもらっておくことにした。


 みんなに見送られ、俺は炭鉱近くの村をあとにした。

 まず目指すは、以前訪れた老婦人の住んでいる村。

 醤油が完成したので渡す約束があるからな。

 そしてその次はエルフと言う種族が住んでいる森林の多い地域。

 エルフは長寿の種族として知られているので、この世界のいろいろなことを知っているそうだ。

 また、海に通じる道のりはエルフの森を抜けていくルートが最も安全と言う理由から。


 この先どうなるのかはわからない。

 それでも、まだまだ形になっていない、俺だけのラーメンを探し求めるこの旅に、俺の心は躍っていた。

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