第30話

「待ってください! 処置を続けてください! リアン中尉を、どうか助けてください!」


 俺は右腕と両足を突っ張って、何とか医師たちの前に立ちはだかった。

 最初は、抵抗されるであろうことを予想していた。ここを退くように言われ、憲兵たちに

 羽交い絞めにされるだろうと。


 しかし、そんなことはいつまで経っても起こらない。何故だ? 何故誰も俺を邪魔者扱いしない?


 その理由は明らかだった。医師たちの、沈鬱な顔を見れば。

 今更ながら、俺はこの地下に続くエレベーターの先に何があるのか悟っていた。だからこそ、俺はばっと手足を床に付き、額を擦りつけながら懇願した。


「中尉を……リアン中尉を、遺体安置所なんかに連れて行かないでください!」


 医師たちは無言。だが、その表情が険しくなり、互いに顔を見合わせているのは、気配で分かった。

 俺は無様に這いずり、一番近くにいた医師の長靴に手を載せた。汗だか涙だか鼻水だか、判別できないものが俺の顔全体を覆っていた。


「お願い……します……。どうか、中尉を助けて……」

「顔を上げてくれ、デルタ伍長」

「頼みます……。手伝えることなら、何でもしますから……」

「デルタ伍長」


 俺の胸のプレートが見えたのだろう、俺の名を呼ぶ医師。どうやら彼が、医療スタッフの責任者らしい。いや、今相手が誰なのかなどどうでもいい。

 止めなければ。中尉が遺体安置所に運ばれてしまうのを。彼女が死んだという事実が確定されてしまうのを。


 すると唐突に、俺の胸を医師の爪先が突き飛ばした。


「がっ!」

「止めんか、デルタ伍長! 見苦しい! それが死者に対する礼儀か!」


 軽く転がり、胎児のように身を丸める俺。だが、黙ってはいられない。すぐに右腕で体勢を立て直し、医師に向かって歩み寄った。胸倉を引っ掴む。


「礼儀かどうかなんてどうでもいいんだよ! 俺はリアン中尉に生きていてほしいだけだ!」

「もう察しはついてるだろう! 彼女は死んだんだ! 殺されたんだよ!」

「だったら証拠を見せてみろ! リアン中尉が死んだって証拠を!」


 その時だった。薄っすらと中尉の瞼が開いたのは。


「デルタ、くん……。そこにいるの?」

「リ、リアン中尉!」


 俺はだらりとぶら下がった彼女の腕を取り、右手でぎゅっと握りしめた。

 まさか中尉が目を覚ますとは思っていなかったのだろう、医師たちは一歩、担架から距離を取った。


「私の……ヴァイオレット、は?」

「もう出撃できます!」


 興奮を隠せずにデルタは答える。

 しかし、中尉が起き上がって整備ドックへ向かうことはない。それでも、中尉はいくらか安心した様子だ。


「中尉?」

「無茶して、ごめん。あなたが整備してくれた、ヴァイオレットを、傷つけられたくなくて」


 俺は目を見開いた。まさか、そのためにあんな特攻じみた行動を取ったというのか。


「あなた、ヴァイオレットで戦う、んでしょう? ちが、う?」


 再び驚く。図星である。


「は、はい、今回だけ、超法規的措置ということで――」

「あげるよ、あの機体」

「えっ……」

「私、には、もう操縦はでき、ないだろうから」

「何を言うんです、中尉! 俺はこれからも中尉のために整備を――」


 すると、中尉は瀕死だとは思えない力で腕を持ち上げた。俺がゆっくり右手を解くと、中尉は解放された手の指先で俺を頬を撫でた。


「ッ……!」


 眼下から波が押し寄せるように、俺の目から新たな涙が溢れ出す。


「その、優しさは、どうかリールのために……」


 俺は中尉の手の甲に自分の右手を重ねながら、かぶりを振った。


「俺にはあなたしか……リアン中尉しかいないんです! 代わりに誰かを好きになれとでも言うつもりですか!」

「ごめんなさい、酷いことを、言ったわね。でも、あの子が、感情を失ったまま生きていくのは、とても耐えられない……。だから、あなたには、あの子を守ってあげてほしい」

「俺が守りたいのはあんただよ、リアン! あんたが俺を守ってくれたように!」


 俺は敬意も敬語もかなぐり捨てた。もうこうなったら、意地のぶつかり合いでしかない。


「乗り換えるんなら、また俺が整備するし、どんな無茶な注文でも叶えてやる! だから……、だから、あんたも生きて……!」


 この期に及んで、中尉は軽く口角を上げた。


「リールを、よろしく」


 だらん、と中尉の腕が宙ぶらりんになった。今度こそ俺は、認めるしかなかった。リアン中尉の身体には、もう魂が宿っていないということを。

 俺はぺたりと尻を着き、その場に座り込んだ。傍から見たら、俺の方こそ魂のない、脱力しきった人形か何かのように見えるだろう。


 ただし、人形と異なる点が一つだけ。瞳から滂沱のごとく落涙しているということだ。


         ※


「デルタ」

「……」

「デルタ。聞いてくれ」


 俺はルイスを無視した。というより、身動きが取れなかった。

 しかし、ルイスもまたそんな俺を無視して話を始めた。


「敵がトラップを突破するまで、三時間を切った。この基地にある中で、一番性能がいいのはヴァイオレットだ。腕利きのパイロットに搭乗してもらう」

「……」

「なあ、デル――」

「俺が乗る」

「はっ?」

「ヴァイオレットには、俺が乗る。左腕が使えなくても、一番相性のいいコンビは俺とヴァイオレットだ。だから、俺が乗る」


 すると、唐突に後ろ襟を引っ張られた。


「まだ言うのか! 君がリアン中尉を大切に想っていたことは分かる。でも、今は戦争中なんだ! 死ぬ人もいれば生きる人も――」

「中尉ほど軍人に向かない人はいなかった!」


 ぐっと息を飲むルイスの気配。だが、今はどうしても中尉の話はできなかった。彼女がいかに優しくて、温かくて、他者を思いやることのできる人だったかということを。


「敵が使ってるバーニーと、味方のヴァイオレット。その両方の動きを一番よく知ってるのは俺だ。俺が行かなきゃいけない。それに、俺は知ってるぞ、ルイス。お前が傷痍兵でもステッパーを扱えるよう、研究していたってことを」


 初めて振り返り、ルイスの顔を見上げた。しかし、そこに驚きの色はない。

 ルイス愛用の整備マニュアルの数々。その中に、パイロットが四肢を欠損した時の操縦法について書かれたものがあることは確認済みだ。


「し、しかし、あれはまだ構想段階なんだ。実際にできるわけじゃ……」

「だったら左腕が使えなくて構わない。俺をヴァイオレットに乗せてくれ」


 普通なら、怒鳴り合いにでもなってどちらかが折れる、というのが普通なのだろう。

 だが、俺とルイスの掛け合いは、実に冷淡なものだった。憲兵二人も、まるで時間が止まってしまったかのように動かない。


 やがて、ルイスは深いため息をつき、眼鏡の蔓を押し上げながら頷いた。


         ※


 約十五分後。

 俺は整備ドックでヴァイオレットに搭乗し、計器類をチェックしていた。流石、俺とルイスが日頃手塩にかけているだけあって、異常はない。


《いいかいデルタ、リール軍曹の救出が最優先だ。バーニーの奪還、または破壊も頼む》


 ルイスめ。その言い方では、一体どちらを優先するべきなのか分からないではないか。

 かと言って、それが俺の考えと違っている、ということはなかった。リール救出は元より、敵によるバーニー奪還も、必ず成し遂げてみせる覚悟だ。たとえ、敵と刺し違えることになっても。


「敵が新しいトラップを仕掛けていった形跡はないんだな、ルイス?」

《それは大丈夫だ。保証する》


 ということは、俺が気をつけるべきは敵本体のみということか。歩兵に重火器は残っていない様子だし、やはり問題はバーニーとの近接戦闘だろう。リールを救出した後ならば、堂々とやり合えるのだが。

 ふっと、先ほどのリアン中尉の言葉が甦った。『リールをよろしく』と。


 俺は右の拳を胸に当て、ぎゅっと握りしめた。リアン中尉――。


《デルタ、どうか生きて帰って来てくれ。何もかも話せる相手は、君だけなんだ》

「弱音はよしてくれ、ルイス」


 俺は目をつむり、深呼吸を一つ。それから右手でレバー握り、両足のペダルの感覚を確かめて、声を張った。


「デルタ伍長、ヴァイオレット、出撃します」


 軽い浮遊感覚と共に、俺はゆっくりと機体を前進させた。

 アルファ、ブラボー、チャーリー、それにエコー。お前らと一緒じゃないのが残念だ。だが一人でも、俺はこの機体で任務を成し遂げてみせる。

 大人に使い捨てにされるだけの少年兵としてではなく、自分の意志を貫く一人の若者として。


 俺はバックパックとスラスターを軽く吹かし、機動性能を確認。今日も整備は万全だ。


「行くぞ、相棒」


 どうしてそんな言葉が出たのか、自分でも分からない。確かなのは、期待があったということだ。

 この作戦を成功させれば、俺はリアン中尉に認めてもらえるかもしれない、という淡い期待が。

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