第29話

 俺のダチを脅した落とし前は、きっちりつけさせてもらうぞ。

 久々に、否、今までになく血が湧きたつのが分かる。が、俺は咄嗟に立ち上がろうとして左手をベッドに着き、呆気なくすっ転んだ。


「うあ!」

「無茶しないでくれ、デルタ。テロリストたちの足止めはしておいたから」

「あ、足止め?」

「うん。テロリストたちが地下の水道管を使えないように、天井を崩したんだ。もちろん、僕がやったとは彼らも思っていない。ステッパーの大きさと瓦礫の量、それに水道管の太さを考えれば、今のところ彼らは袋の鼠だ」


 ルイスの言うところによれば、三ヶ月ほど前、水道管の下見に来た際に、テロリストたちを騙して爆薬を仕掛けておいたらしい。


「ロンファが命を落としたあの日、僕がどうやって身を守ったか、覚えているだろう?」

「確か、マンホールの中に――あ」

「そう。僕は、テロリストたちの誘導のために、この街の地下の水道管の地図を持っているんだ。それに、僕たちの車列が攻撃されることは分かっていたから、すぐに脱出して地下の水道管に逃げ込めたんだ」

「そう、なのか」


 急に流入してきた膨大な情報を処理しながら、俺は一つの疑問にぶち当たった。


「ルイス、お前は俺たちの味方なのか? 敵なのか?」


 すると、ルイスの頬がぴくり、と痙攣した。やはり、訊かれたくないことではあったのだろう。だが、今すぐにこれははっきりさせなければ。


「答えてくれ、ルイス」


 すると、ルイスは大きなため息を一つ。


「こんな情けない言い分もないだろうけど……。今は君たちの味方だ。テロリストを足止めしたのが証拠だ。今、歩兵部隊の第二・第三課が追撃にあたっている。ステッパー同士で戦うには、あそこは狭すぎるからね」

「戦略云々はいい。何故だ? どうしてテロリストを誘導しておきながら、奴らの妨害をする? 矛盾してるじゃないか」

「ギリギリまで分からなかったんだよ、自分の心が」

「は?」

「自分の両親を取るか、君たち祖国の兵士たちを取るか。選べと言われて、はいそうですかと選べるものじゃない。デルタ、君も想像してみてくれ。自分の両親が存命だったとしたら、当然助けたいと思うだろう? 同時に、今まで戦ってきた仲間たちをおいそれと裏切ることもできないはずだ」

「そ、それは……」


 いや、『想像してみてくれ』と言われても。俺の記憶には、両親というものが存在しない。いたことは間違いないだろが、単純に覚えていないのだ。

 しかし、親、家族というものが、温かいものなのだろうというくらいは考えられる。先日出会ったスランバーグ将軍の家族、メリアとソフィのことを思い出せば。


「すんでのとことで、僕はテロリストたちを裏切った。だから今、彼らの足止めをしている」

「減刑はできないのか」

「えっ?」

「ルイス、お前はテロリストに協力したが、それは家族を人質に取られたからだ。しかも、今は俺たちの味方に戻ってくれた。減刑されて当然だろう?」


 俺はルイスに、というより二人の憲兵に向けてそう言った。しかし、二人は顔色一つ変えない。ルイスは力なく笑って、静かに語った。


「減刑なんて甘いことは考えていないさ。僕のせいで一体何人の犠牲者が出たと思ってる?」

「そ、それは……」


 俺が答えられないでいるうちに、ルイスは説明を続けた。

 彼が取ったテロリストに対する妨害工作。それは、水道管上部の爆破だった。水道管の金属片と、その上部のアスファルトまでもが陥没し、彼らの眼前に降り注いだ。

 しかし、自分とリールの安全を確保するために、テロリストを叩き潰すことはできなかったという。


「テロリストたちの頼みの綱は、バーニーのサーベルだ。あれなら瓦礫をどけていくことができる。僕の計算が正しければ、ざっと二十時間といったところだと思う」


 具体的な数字的な指摘に、俺の意識はより明確になった。


「ルイス、俺はどれだけ眠ってたんだ?」

「……」

「ルイス?」

「止めに行くのか、テロリストたちを」


 当たり前のことを尋ねられ、俺は虚を突かれる。そして、俺も問いで返した。


「俺を行かせないつもりか」

「当然だ!」


 唐突に落ち着きをなくしたルイスは、ぐっと身を乗り出して叫んだ。


「君は負傷者だぞ、デルタ! 今は歩兵の第二・第三課の兵士たちに任せて――」


 ちょうどその時、どこからか悲鳴のような声が響いてきた。


「歩兵部隊が全滅? 全滅だと!」


 言わんこっちゃない。俺は落ち着いた心持ちで、そう思った。人質を取られているのはもちろん、相手はあのバーニーなのだ。

 まさかリールが操縦しているのではないだろう。だが、一度でもあの機体の戦闘を目にした人間なら分かるはずだ。歩兵を主にした戦闘で、奴に対抗できるはずがない。


 俺は一つ、大きなため息をついた。


「俺がヴァイオレットで出る。任務内容は、リール軍曹を救出して、バーニーを奪還または破壊すること。これでいいか?」

「いいわけないだろう!」


 そう言うと思った。だが、この目でバーニーの動きを見、なおかつヴァイオレットに一番詳しいのはこの俺だ。

 いや、ステッパー全般についてだったら、ルイスの方が詳しいだろう。しかしヴァイオレットに特化すれば、俺は誰にも負けない。整備することも、操縦することも。


 俺は左腕を使わないよう、慎重に右腕で身体を起こし、ベッドから下りた。


「リアン中尉に訊いてみようじゃないか。俺の作戦がおかしいかどうか」

「ま、待つんだデルタ!」


 誰が待つか。俺はルイスを無視して病室を出た。軍医に中尉の場所を尋ねると、集中治療室の前で待てと言う。俺は廊下にまで並んだ担架や負傷者を避けながら、治療室のドアの前に立った。


 ふと、時計が目に入った。俺が左肩を撃たれてから、既に十五時間が経過している。

 タイムリミットはあと五時間か。まだ余裕があると言ってもいいだろう。


 中尉の意見を聞かずに出撃してもよかった。だが、ここはメインパイロットの意見を聞いておくべきだと、俺は直感していた。

 そうして、俺は廊下を行ったり来たりしながら、中尉が現れるのを待った。


 俺は、壁に埋め込まれたデジタル時計に目を遣った。当然ながら、一秒ごとに数字の列が切り替わる。

 俺が注目したのは、時間でも分でもなく秒だ。この無機質な表示を眺めていれば、いくらか気が静まると思ったのだ。

 が、残念ながらそう上手くはいかなかった。


 視界が、捻じれる。身体の異常でないことは分かり切っているが、それでも数字の列がぐにゃり、ぐにゃりと曲線的に折れ曲がっていくように見えてしまう。

 腹の底が熱い。まだか? まだ中尉の処置は終わらないのか? 急いでくれ。


 待てよ。『タイムリミットはあと五時間』と考えることで、落ち着いていた俺はどこへ行った? 冷静さが、件の腹の底の熱に侵食されている。

 早い話、手術が長引いていることが、俺に不安と焦りを押し付けているのだ。


「リアン中尉、無事でいてくれ――」


 今まで信じたことのない『神』という存在に、この時ばかりは頼らざるを得なかった。

 俺はずっと、仲間の死を見てきた。神様、どうかリアン中尉まで連れ去りはしないでくれ。


 いつの間にか、俺は立って背中を壁に預けていた。ソファからは、負傷兵を寝かせるためにどいている。

 そうして、動く方の右腕を顎の下に遣って、俺は石像のようにじっとしていた。


 ふと見上げると、俺がここに来てからちょうど一時間が経過していた。

 残り四時間、か。そう思い、再び俯こうとしたその時。

 ガシュン、と機械的な音がして、集中治療室の扉が開いた。


 俺は首の筋肉が攣るほどの勢いで、がばりと顔を上げた。そこには、数名の医師に付き添われ、担架で運ばれるリアン中尉の姿があった。


 はっとした。彼女の姿を見かけてどきどきする、ということは日常茶飯事だったが、今回は違う。大きな安堵感を得たのだ。

 中尉は助かった。証拠に、医師たちが点滴や人工呼吸器を外している。もう会話することもできるかもしれない。


「リアン中尉!」


 俺は声を上げた。場にそぐわない、明るい呼びかけだ。中尉は担架に乗せられたまま、一般病室へ――向かわなかった。


「ん?」


 俺は疑念を抱きつつ、しかし医師たちの邪魔をするわけにもいかないので、黙ってついていくことにする。中尉をどこへ運ぶつもりだ?


 医師たちの行く先には、大き目のエレベーターがあり、地下へ通じている。それを確認した時、俺はハンマーで思いっきり頭蓋を砕かれたような衝撃を覚えた。

 医師たちが向かおうとしている場所の見当がついてしまったのだ。そしてそこには、絶望しか溢れていないということも。


 俺は慌ててエレベーターの前に飛び出し、医師たちの前に立ちはだかった。

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