第28話


         ※


 俺はドック前方の搬出口から飛び出した。ヴァイオレットの起動にはまだ時間がかかる。自分の足で追いかけるしかない。せめて、敵の行く先を見極めなければ。


 非常警報の鳴り響くドックとその周辺。黄色いランプがところどころで点滅し、あたりの闇を切り取っている。

 敵の一団を目視した俺は、その場で腹這いになって自動小銃を構えた。が、どうも落ち着かない。


 そうか。木々や雑草がなく、いくら伏せても身を隠せないからだ。

だったら、先手必勝だ。俺はうつ伏せのまま、身体を固定して自動小銃の弾丸をばら撒いた。

 しんがりを務めていた敵の足元をさらう。すると、両脇に展開していた二人が振り返り、こちらに銃撃を始めた。


「チッ!」


 こいつらがリアン中尉を撃ったのだ。生かして帰すつもりはない。俺は匍匐前進と横転を組み合わせ、敵の射線から逃れつつ銃撃。更に一人を仕留めたが、しかし直後、突然の事態に手を止めることになる。


 鈍く薄暗かった視界が、急に真っ白になったのだ。慌てて腕を目の前に翳し、遮光する。


「何だッ⁉」


 敵もまた、攻撃のしようがないのか、銃声は響かない。

 

 この状況下で考えられる光源は二つ。

 一つは照明弾だ。だがそれを使ってしまっては、敵も味方も視界を奪われるだけで、メリットがない。

 もう一つは――。


「まさか!」


 やや光が和らいだところで、俺は腕をどかした。そして、見た。

 バーニーが、専用武器であるサーベルを使って地面に穴を空けようとしていたのだ。


 戦闘時の超高温を示す橙色を輝かせ、アスファルトに切れ込みを入れていく。こいつらは、地下に逃げるつもりなのだろうか? しかし、この街の地下空間を知らない俺には、そう断ずることができない。


 いずれにせよ、ここでバーニーを足止めしなければ。俺は立ち上がり、駆け寄りながら自動小銃を横薙ぎに振るった。


「くそっ! 当たれ!」


 だが、俺は完全に、少年兵当時の戦い方に戻ってしまっていた。これでは当たるものも当たらない。そして、無造作に敵に近づきすぎた。


「ッ!」


 慌てて身を屈める。しかし、敵の方が冷静さで勝っていた。


「うあ⁉」


 左腕が、俺の意志とは無関係に跳ねた。何とか右腕一本で自動小銃を握り、銃撃を続けようとしたが、ここで弾切れ。ああ、撃たれたのか。

 倒れ込みながら、俺は一度に多くのことを考えた。


 撤退すべきか否か。

 傷口の処置はどうするか。

 せめて敵の行く先を見極められないか。


 だが俺は、間隔を置いて襲ってきた激痛に、呻き声を上げるのが精一杯だった。

 左肩に弾丸を叩き込まれた。貫通はしていない。そして骨にまで達しているようだ。

 激痛のあまり、それ以上の観察・分析は不可能だった。


「ぐっ……うあぁあっ!」


 自動小銃を放り捨て、再び転倒。そのまま何とか整備用具の倉庫の陰に入る。幸い、敵は俺を見逃し、逃走することを優先したようだ。


 畜生、弾丸を一発もらったくらいでこの体たらくか。俺は拳銃を抜いたが、左手を使えないので弾倉の交換すらままならない。同時に、意識が朦朧としてくる。

 俺が最後に意識したのは、後方から駆けつける味方の足音だった。


         ※


「輸血準備、急げ!」

「肺の出血が止まらない!」

「麻酔を打て! この患者の左足を切断する!」


 俺は自分が、治療を受ける立場にあることを理解した。麻酔が効いているのか、左腕に痛みはない。ただし感覚もない。動かすのは無理だ。


 ここがどこかは容易に想像がつく。首都防衛部隊本部に併設された病院だろう。そこしか考えられない。

 そう判断した理由は、最寄の医療施設といったら軍の病院であろうということ。至極単純な理由である。

 だが、理由はもう一つ。四肢の切断を行う際に麻酔を用いることができる環境は、極めて限られている、ということだ。


 過去を引きずるつもりはない。しかし経験として、麻酔なしで仲間の四肢を切断せざるを得ない状況に陥ったことは、何度もある。これは消しようのない事実だ。

 しかし、実際に自分が撃たれて、その上で過去を鑑みると、ぞっとする話である。


 俺は右腕一本で上半身を起こし、そっと左腕に触れてみた。肩口から先の感覚がない。これでは戦えない。


「畜生……!」


 気づいた時には、俺は歯を食いしばって、喉の奥で唸っていた。

 鮮明に思い出したのだ。リアン中尉が撃たれたことを。


 男性が女性を一方的に守る時代ではない。それは分かる。分かるのだが、どうしても守りたいと思ってしまう。この感情の源泉に、性差というものがあるのは否めないだろう。


 最悪、俺が代わりに撃たれていたら、まだ気は楽だったかもしれない。身体の方が大変だったとしても。

 などと考えてしまうほど、今の俺はリアン中尉の安否を気にかけていた。この感情を『恋』と同義であると判断できるようになるには、俺はあまりにも幼い。たとえ頭で分かっていても、だ。


 だったら、自分で自分に分からせてやる。俺は左腕を使わないよう注意しながら、慎重にベッドを下り、カーテンを引き開けた。

 そして、ちょうど正面に現れた人物の姿に、心底驚いた。


「ルイス……? ルイス!」

「やあ、デルタ」

「お前、無事か? 怪我はないか? お前が人質に取られたって聞いて……!」


 右腕をぶんぶん振り回し、俺は矢継ぎ早に尋ねた。しかし、ルイスの表情は変わらない。沈鬱で、顔に血が通っていないようにすら見えた。


「デルタ伍長、どうぞベッドに」

「え?」


 ルイスのものではない、第三者の声がして、俺はようやく気づいた。ルイスは、憲兵らしき人物に両側から挟まれていたのだ。

 二人共馬鹿に背が高く、冷淡極まりない表情をして、周囲から浮いている。


「ルイス、一体どういうことだ?」


 するとルイスは視線を落とし、後ろ手に組んだ腕を揺すった。じゃらじゃらという金属音がする。手錠で拘束されているのか。

 何故だ? ルイスが一体、何をした? その疑問が俺の顔に出たのだろう、憲兵の一人がルイスを小突いた。まるで、責任を丸投げするかのように。


「なあルイス、お前が何をしたって――」

「僕は敵国のスパイだ」


 俺は一瞬、耳が麻痺した。比喩ではない。周囲の雑音が、完全に消え去ったのだ。頭が理解を拒むように。


 ゆるゆると視線をルイスと合わせると、口の動きでこう見えた。『僕はスパイだったんだよ』と。

 

 俺の聴覚が戻ったのは、まさにその直後である。


「僕がやったことを、今から話す。それから、その理由もね」


 俺はごくり、と唾を飲んだ。


「まず、前線基地にいた時の、スランバーグ将軍の電撃訪問の日時と場所を伝えた。敵は、僕たちの国で英雄視されている将軍の首を取れば、自国民の士気が上がると思っている。彼の死は伝えられたらしいけど、どんな反響があったかは分からない」


 自然を愛する優しさと、敵の遺体すら丁重に扱う道徳観念を持っていたスランバーグ将軍。彼は、ルイスのせいで命を落としたのか?


「それから、首都へのテロリストの手引き。もう憲兵隊に話したけれど、この街が首都に据えられる前の、古い地下水道管の利用を提案したんだ。もしデルタが、バーニーが地面に穴を空けている場面を目にしたというなら、きっと地下に戻って本国まで逃げ帰るつもりだったんだろうね」


 ああ、だから奪還されたのがバーニーだったのか。他のカスタマイズ機よりも、遥かに協力な超高温サーベルを手にしているバーニー。アスファルトに地上から穴を空ける必要があったから、バーニーが標的にされたのだ。


 なるほど、そこまで情報を流していたとすれば、それこそ軍法会議は免れまい。

 しかし、俺は意外なほど、ルイスに腹を立ててはいなかった。彼があまりにも憔悴し、やつれて見えたからだ。


「ルイス、そんなことをした理由、教えてもらえるか?」


 この期に及んで、ルイスは言葉を詰まらせた。口を真一文字に結び、喉仏を上下させている。

 俺は余計な言葉かけをせず、じっとルイスを見つめた。すると、彼の口から言葉の断片が下りてきた。


「父さん……母さん……」


 眼鏡の位置を直し、しかし俺を直視することは叶わず、それでも強い感情を抑え、冷静に話そうとしている。


「死んだと思ってた僕の両親が、生きていたんだ」


 その言葉に、俺は軽い衝撃を受ける。ルイスもまた、両親を喪って軍に配属されたのだと思っていたが。


「僕が敵国の諜報部から接触を受けたのは半年前。君の両親は亡命し、今では平和に暮らしているのだと教えられた。嬉しいんだか悔やしいんだか、分からなかったよ。でも、僕は生きて両親に会いたい。だから、相手は僕の亡命を受け入れる代わりに、情報を寄越せと言ってきたんだ」

「そ、それは……」


 残念ながら、俺に理解できる感情ではなかった。俺には両親の存在どころか、記憶すらもないのだから。

 一つ言えるのは、敵はルイスの両親を人質にしたということだろう。


 下衆な奴らめ……! 俺は、ルイスの代わりに怒りを込めているような錯覚に陥った。

 親を思う子供の気持ちを踏みにじってまで、この戦争に勝ちたいのか。

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