第26話【第五章】

【第五章】


 その慰霊祭の開催が知らされたのは、俺が部屋に戻った時のことだ。宿舎の全館アナウンスが入った。


《本日午後七時より、未明に行われたテロリスト掃討作戦の死者の慰霊祭を開催します。警備担当以外の職員・兵士・情報員は、各自正装の上、大講堂へ集合すること。繰り返します――》

「何だって⁉」


 俺は思わず、素っ頓狂な声を上げた。

 敵の所在も掴めず、また、未だに生死の境を彷徨っている兵士がいるというのに、慰霊祭など開いている場合か。


 憤慨する俺に、控え目に口を挟んできたのはルイスである。どうやら、俺がスランバーグ母子と話をしている間、俺の部屋を掃除してくれていたらしい。

 アイスティーの差し入れもしてくれたことだし、今回はこいつに世話になりっぱなしだな。

 それはともかく。


「あー、デルタ、僕が聞いたところによれば……」

「何だよ? はっきり言えよ」


 ルイスは口元をむずむずさせ、明らかに言い淀んだ。そして意を決したように、ぱっと顔を上げた。


「基地司令のアールゼン大佐は、今日を楽しみにしていたらしいんだ」

「ッ⁉」

「ああ、キレる前に最後まで聞いてくれ。今日は、僕たちの首都防衛部隊への編入を迎える祝賀会が行われる予定だったんだ。定期開催のパーティーも兼ねて、ね」


 俺は狼狽の色を隠せなかった。

 一つには、人事異動を祝うくらいなら軍備を拡張すべきだろうということがある。

 もう一つは、次のようなことだ。


「定期開催のパーティー、ってどういうことだ?」

「アールゼン大佐は、父親が軍の高官で母親が政府官僚という家庭で育ったんだ。二人共とっくに他界してるけど、いわゆるお坊ちゃま気取りが抜けないらしくてね。軍事費を私的に流用しているらしいんだ」

「なんだと! だったらどうして、誰もそれを訴えないんだ!」

「今の軍部は、アールゼン大佐の父親のお陰で出世した連中で成り立ってるんだ。先代に世話になってしまった以上、息子であるアールゼン大佐に反対することはできない。そう考える人たちが多くてね」

「誰だ」

「え?」


 俺の唐突な問いに、呆気に取られるルイス。


「だから誰なんだ、今の大佐に忖度してる下衆野郎は? 今から殴りに行く」

「ちょっ、待ってくれ、デルタ!」


 肩をいからせながらも淡々と告げた俺に、ルイスは食い下がった。こんな時、彼の方が微妙に上背があるのが、俺に悔しさ、もどかしさを覚えさせる。


「君は大佐に殴りかかろうとしたんだ! これ以上暴力沙汰を起こしたら、本当に軍法会議ものに……」


 俺はそんなことで怯むつもりはなかった。しかし、問題は俺の処遇云々ではない。

 今の首都防衛部隊の首脳部が、アールゼン大佐に掌握されているということだ。少し考えてみれば、ここの首脳部が大佐に『毒されている』と言ってもいい。一人や二人、ぶん殴ったところで何が変わるものか。


 俺は、ルイスを突き飛ばそうとした腕を引っ込め、踵を返してベッドに倒れ込んだ。

 天井を見上げながら、ルイスに言葉をかける。


「誰も命のことを考えちゃいないんだ。前線で戦っている兵士やその家族のことなんて、上っ面の言葉をかけてやるだけで、何も」


 沈黙するルイス。俺の口調は、そんなに悲嘆に暮れたように聞こえたのだろうか。

 空調設備の低い唸りだけが、室内の空気を震わせる。


 俺はのっそりと上半身を上げ、こう言った。


「俺も行くよ。その下衆なパーティーとやらに。ただし、賓客としてじゃない。警備班の一員としてだ」

「そ、それは……」

「ルイス、お前は軍部に顔が利く。俺がそう嘆願していたと、パーティーの司会者にでも伝えてくれ」


 再び沈黙するルイス。俺はそれを、彼の肯定の意志表示と取った。


「おっと、もう六時か。そろそろ準備した方がいいのかな」


 そう言って、俺は無造作に立ち上がった。


         ※


 約一時間後。今、俺は大講堂で黙祷する人々をじっと眺めている。視線を中央に定め、会場のどこで何が起こっても対応できるよう心の糸をピンと張る。

 肩からは自動小銃を提げ、ホルスターには愛用の拳銃をいつも通り収めている。


 さて、何故こうもあっさりと俺の希望が通ったのか。それは一重に、俺がアールゼン大佐に嫌われているからだろう。

 光栄だ。人命に掛けられるだけの資金を、自らの贅沢に流用する司令官。そんな奴の施しなど、受けるつもりは毛頭ないからな。


 やがて黙祷が終わり、いざパーティーという方向へ人々の気持ちが流れていく。全く、首都の連中がここまで呑気だとは。怒りを通り越して呆れてしまう。

 少年兵時代の俺がこの光景を見、現実を知ったら、テロリストより早く銃を乱射していたかもしれない。まあ、今のテロリスト共にどれほどの火器が残っているのかは不明だが。


 生憎とこの基地には、パーティーに適した空間はこの大講堂しかない。一旦片づけ、それからパーティー仕様の明るい空間へと雰囲気を変えねばならない。アールゼン大佐にはもどかしい限りだろうが。


 無論、その間も警戒を怠るわけにはいかないし、そのつもりもない。むしろ、人が動きまわっているのだから、今この瞬間の方が危険性は高いと言える。

 この会場には、首都防衛部隊のみならず、東西南北各方面軍の首脳部も顔を揃えている。テロリスト共が急襲するには、うってつけの機会だ。気を引き締めなければ。

 いや、もしかしたら、こんな性根の腐った軍部など、いっそテロリストに一掃してもらった方がいいのではないか? って、これでは警護班に回してもらった意味がないな。

 何が正しくて、何が悪いのやら。俺は思わず、自嘲的な笑みを零した。


 ふと顔を上げると、視界の中央にリアン中尉がいた。俺の視線には気づいていない様子だ。

 そういえば、まだ仲直りなんて、していなかったな。


 確かに中尉を見ていると、気恥ずかしさから頭に血が上ってくるし、心臓が妙な鼓動を打ち始めるのを止められない。だが、今こちらから声をかけるわけにもいかない。俺は警備班の人間だ。黒子に徹しなければ。


 銃声が轟いたのは、まさにその瞬間だった。発砲音のした方よりも早く、大佐の方に視線を飛ばす。大佐はこの大講堂の最奥部で、腹部を押さえて倒れ込むところだった。

 どさり、と肉質的な音を立てて、石畳の床に前のめりに転倒する。最寄の警備員が『衛生兵!』と叫びながら、人混みを割って大佐の方へと駆けていく。


 俺が拳銃を抜く頃になって、ようやく悲鳴や怒号が飛び交い始めた。俺は軍の要人の位置を把握すべく、顔を上げる。


「ったく!」


 自動小銃が邪魔だ。先ほどは何とも思わなかったが、人混みで戦うのには、リーチもパワーもいらない。拳銃の方がいい。急いで胸の前の留め具を外し、自動小銃の弾倉を抜いて床に置く。そして拳銃を構えて身を屈めた。


 ひとまず、そばにいた少佐の下へと駆ける。その間に、マズルフラッシュが見えた。と同時に、ぱっと鮮血が舞った。俺が盾になろうとしたところ、間に合わずに少佐が被弾したのだ。


「中佐!」


 倒れてきた少佐が頭を床に打たないよう、慌てて割り込む。しかし、彼の上半身を抱き留めた時点で、少佐が事切れているのは明らかだった。眉間に穴が空いている。


「くそっ!」


 俺はそっと少佐を横たえ、次に守るべき高官の姿を探す。しかし、皆が似た正装をしているので、よく分からない。テロリストも同じ格好をしているようだ。

 しかし、銃声の度に倒れていくのはお偉いさんばかりである。


 テロリストは、明らかに標的の顔を把握して銃撃を行っている。機密保持されていたはずの、公安部の高官ですら撃たれている。奴らには情報源――俺たちから見たスパイがいるに違いない。


 いいや、今は考えている場合ではない。ここは戦場なのだ。それも、敵味方の区別がつかなくなりつつある。俺は、自分たちが完全に嵌められたことを悟った。


 再び身を屈めて周囲を見渡すと、喧噪の中からある言葉が耳に染み入ってきた。


「何だって? ステッパーのドックが急襲された?」


 声のした方に素早く駆ける。そこにいたのは、俺同様に姿勢を低めた通信兵だった。俺たちが使うのよりも大型のヘッドセットを装着し、腰元につけた小型の無線機に手を遣っている。

 俺は強引に身を寄せ、そのヘッドセットを引っ手繰った。


「お、おい、何を……!」


 周囲から見えないように密着し、俺はそっと通信兵の腰元に拳銃を押し付けた。視線だけで、銃口の方を示す。


「ひっ!」


 ようやく拳銃の存在に気づいた通信兵と目を合わせ、片手の人差し指を自分の口元に当てる。

 ヘッドセット越しに聞こえてきたのは、混乱の極致に至ったドックの現状だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る