第25話

 俺は言葉を続けた。


「階級を理由にすんなよ! 自分だけのせいにすんなよ! そうやって勝手に罪悪感を背負って、勝手に自分だけ許された気になって……! 俺がどんな、一体どんな気持ちで今まで戦ってきたのか、あんたに分かるのかよ!」


 ああそうだ。支離滅裂だ。論点はズレて、話は噛み合わず、感情的になって説得力の欠片もない。

 そもそも、この話題の発端からして無益だったのだ。反省ではなく、失敗に基づく後悔から、俺の怒りや焦り、悲しみは始まっている。頭を使わず、感情に振り回されているのだ。

 それは、突然乱入してきたリアン中尉にだって当てはまる。


 俺たちの中で一番冷静なのはルイスかもしれないが、彼は俺たちの顔色を窺うばかり。喧嘩の仲裁に、などと望むべくもない。


 ああもう、こうなったら俺だって拳で勝負してやろうじゃないか。俺はルイスを巻き込まないよう、平手で軽く突き飛ばし、もう片方の腕を振りかぶった。足に力を込め、真っ直ぐに中尉に向かって身体を突き飛ばす。中尉もさっと顔の前で腕を構える。


 その時だった。

 中尉が入ってきてから開きっぱなしになっていたドアがノックされた。固く落ち着きのある音がする。

 思いがけない闖入者、否、闖入音に、俺たち三人は動きを止め、廊下側を見つめた。

 そこには、俺たち同様動きを止め、呆気に取られている伝令の姿があった。


「で、伝令! デルタ伍長、お客様です」

「俺に……?」

「はッ、スランバーグ将軍のご息女と、お孫さんです」


 スランバーグ将軍。その名を聞いた瞬間、俺の胸中で荒れ狂っていた波が、いっぺんに凪いだ。

『仲間割れしている場合ではない』――そう諭されたかのようだ。


 俺は一旦中尉を見、敵意が霧散しているのを確かめてから、ぐるりと自室を見渡した。

 客人を招き入れるには、いささか殺伐とし過ぎている。


「俺の方から伺う。二人を中庭にお連れしてくれ」

「はッ」


 やはり正装した方がいいだろうか。そう思い、俺は無造作に着替えを開始した。


「デ、デルタ?」

「ルイス、悪いが来客だ。着替えるから、リアン中尉を連れて部屋を出てくれ」

「わ、分かった。さあ、中尉」


 ルイスは中尉を伴って、ゆっくりと部屋を出ていった。中尉がどんな感情を浮かべていたのか、俺には分からない。


         ※


 この街は、どこもかしこも人工的・工業的で無機質だ。道路沿いも、商店街も、駐車場も、百貨店も。

 それらをあまり見たことのない俺が言うのも難だが、きっと『味気ない』とはこういうことを言うのだろう。


 それは、この首都防衛部隊の本拠地も例外ではない。それでも俺が客人を中庭に通したのは、そこに自然があるからだ。いや、これもまた自然の模造品に過ぎないのだが。

 中庭には、半透明のこじんまりした、ビニールシートで囲われた区画がある。自然の模造品は、全てそこに集約されているのだ。


 俺も入ったことはなかったが、その存在は知っていた。なんでも、自然に触れると人は心を癒されるのだという。


「本物じゃねえのにな……」


 そう呟きながら、俺は中庭に(今度はきちんと階段を使って)下り立った。


 中庭自体はそれなりの広さがあり、アスファルトの地面が非腐食性の特殊な材質で覆われている。これは一種の衝撃吸収材で、暇を持て余した兵士(そんなもの、この基地で初めて見た)が、武術の訓練に励んでいる。


 その一角に、一組の母子が立っていた。肩をすぼめるようにして、しかし落ち着いた様子である。特に子供の方は、きょろきょろと周囲を見回しながらも、下手に歩き回ったり、騒ぎ立てたりはしていない。

 少なくとも、地雷で死ぬことはないだろうな。


 そんな不謹慎なことを思っていると、母親の方と目が合った。眼鏡を掛けた、神経質そうな細面の人物だ。歳の頃はまだ四十代に見えるが、実に落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 流石、将軍家の人間といったところか。


 俺はゆっくりと、二人の下に歩み寄った。母子が俺に気づいたのは、ほぼ同時。丁寧にお辞儀をする母と、真似をする娘。

 会話に支障のない距離に近づいた俺は、ゆっくりと声をかけた。


「スランバーグ将軍のご息女でいらっしゃいますでしょうか」

「はい。メリア・スランバーグと申します。こちらは娘、将軍の孫であるソフィです」

「デルタ伍長であります。本名は失念致しました。ご無礼をお許しください」


 俺はピシッと敬礼した。再び頭を下げるメリア。ソフィもそれに倣ったが、すぐに俺を興味深そうに見上げた。首を傾げているのは、俺が極端に若いからだろうか。


「立ち話もなんですので、ちょっとした席にご案内します。こちらへ」


 こうして俺は、母子をビニールシートへといざなった。


         ※


「うわあーーーっ!」


 歓声を上げたのはソフィである。これは予想できたこと。しかし、


「まあ、素敵……」


 メリアまでうっとりしてしまったのには、軽い驚きを覚えた。


「あの、メリアさん、ここにあるのは……」

「ええ、分かっています。造花なのでしょう?」

「ご存知だったのですか? だったらどうして、そんなに物珍し気にしておられるのです?」


 メリアは微笑みながら、ソフィの方に視線を遣った。


「ソフィは好奇心旺盛な子なんです。将来は花や木々に関わる仕事に就きたいと言っています」

「ということは……」

「お察しの通りです、デルタ伍長。私は今、本物の自然に触れているふりをしているだけです。娘を喜ばせるために」


 子供を喜ばせるために虚偽の言動を? 流石にそう真正面から尋ねるのは憚られた。しかし、メリアはきちんと補足するのを忘れなかった。


「造園業者や花屋になろうなど、今のこの街ではとても望みのない夢です。環境汚染が酷いですからね。でも、夢を見ていられる時間があるのなら、せめてその時間、私は娘の邪魔をしたくないのです」

「そう、ですか」


 確かに、首都の有り様を見れば、誰しもがこんなところで植物を育てようなどとは思うまい。


 それを実感しつつ、俺はメリアの『望みのない夢』という言葉に囚われていた。

 五年前、命を落としたチャーリーが抱いていたのも『望みのない夢』だったのだろうか。

 先日、スランバーグ将軍が朝顔を持ち帰ろうとしたのも、メリアのための『望みのない夢』のためだったのだろうか。

 一体俺たちは、何を目指し、何を『夢』として生きていけばいいのだろうか。


 その時、ふっとある人物の顔が思い浮かんだ。

 リール・ガーベラ。

 彼女が見ているのは、どんな世界なのだろう。精神障害として感情を奪われた彼女に、望むことなどあるのだろうか。


『望みのない夢』を抱くソフィと、『望みを持つことさえない』リール。対照的な二人だが、彼女たちを待ち受けているのは、結局『絶望』でしかないのではないか。


 俺はかぶりを振って、どうにかその思考を脳みそから取り払おうとした。


「デルタ伍長、どこかお加減でも?」

「えっ? ああ、いえ……」


 俺は言葉を続けられず、漠然とソフィの後ろ姿を眺めた。

 こっちの造花に触れ、そっちの切り株を見下ろし、あっちの枝葉をしげしげと観察する。

 目で追うだけでも大変だ。


 それから俺は、メリアにぽつりぽつりと話をした。少年兵時代に見聞きしたことや整備士時代のいざこざ、そしてスランバーグ将軍の最期。


「そうですか……。父が、将軍が片足を失ってから、いつかは戦死する日が来るに違いないとは覚悟していました。しかし、主人に続いて父も命を落とすとは……」

「ご主人も前線に? ああ、失礼しました、不躾なことを――」

「いえ、とんでもありません。私の主人は通信兵でした。国のために働きたい、戦いたいとは思いつつ、人を傷つけるのは嫌だった。そんな不器用さゆえ、矛盾に苛まれて、精神を病んで……。一ヶ月ほど前、配属先の基地の片隅で拳銃自殺したと聞いています」

「それは……。ご、ご愁傷様です」


 すると、今度はメリアの方が首を左右に振った。


「でも、一人の母親としては難しい問題です。娘は未だに、父親は立派に戦って戦死したと信じ込んでいますからね。戦争は人の身体だけでなく、心までをも酷く切り裂いてしまう。その真実を、いつかは話さなければなりません」


 それからしばし、俺たちは切り株(の模造品)に腰かけ、ルイスが持ってきてくれたアイスティーを挟んで雑談に興じた。

 首都に住む人々が、どんな思想を抱いているのか。それを勉強するにはいい機会だった。しかし、メリアが軍人の娘であり、生や死というものに人一倍敏感であることを忘れてはならないだろう。

 彼女のように、戦争を深刻に捉えている人間は少数派だということだ。


 それからしばらくして、一通りビニールシートの中を見て回ったソフィが、メリアの下へ戻って来た。

 俺がしゃがみ込んで軽く頭を撫でてやると、くすぐったそうにしてこう言った。


「兵隊さん、お仕事頑張ってね!」


 俺とメリアは顔を見合わせ、その無邪気さに苦笑するしかなかった。

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