第21話【第四章】

【第四章】


 今回の、首都防衛部隊増強計画に基づく犠牲者(スランバーグ将軍や民間人含む)の合同慰霊祭は、翌々日に行われる運びとなった。

『翌々日』とは言ったが、俺たちが首都に到着し、敵軍所属の特殊部隊に攻撃を受けたのが日付の変わった頃だから、体感としては『翌日』と言うべきだろう。


 だが、そんな些末なことは、今の俺には関係ない。俺は、一時的な滞在先として与えられたホテルの一室で、抜け殻のような状態でベッドに横たわっていた。

 ルイスやリアン中尉が尋ねてきてくれた様子だったが、無視した。俺が自室から出たのは、食事の受け取りの時くらいのものである(それでも食欲が湧かず、大半を残したが)。


 こんな高級なベッドに横たわり、豪勢な食事を与えられるなんて、少年兵時代の俺には想像もつかなかったことである。もしかしたらチャーリーは、こんな料理を提供する仕事に就きたかったのかもしれない。

 そう思うと、俺の胸中に棘が刺さったような痛みが走った。しかし、それでも食欲はなかった。


 これはチャーリーが腕を振るった料理ではないし、そもそもチャーリー自身が既にこの世にはいない。そう思うと、どんな高級料理も陳腐なものに見えた。

 まあ、牛肉の缶詰程度のチープな食材が出てくれば、むしろ手をつける気になったかもしれないが。


 牛肉の缶詰――ロンファが食べたがっていたな。首都ではこんなにも豪勢な料理が振る舞われるというのに、彼は缶詰さえまともに食べる間もなく殺された。こんな理不尽があっていいものか。


 気がつくと、俺の頭上に羽毛が舞っていた。どうやら俺は無意識の間に枕を殴打し、そのせいでカバーが破れて、中のクッション材が飛び出してしまったらしい。

 俺はもはや『涙が出る』領域を通り越し、真っ暗な絶望の中にいた。微かに胸中を照らし出すのは、怒りと言う名の灯だ。

 俺はこのまま、どうなってしまうのだろうか。


 すると、唐突にアナウンスが入った。部屋の天井に取り付けられたスピーカーから、声が降ってくる。何事だろうか。いや、何事でもいい。

 しかし、そんな俺の無関心(を装った意地)を刺激する言葉が、そこには含まれていた。


《現在、本日未明に市街地で発生した銃撃戦により命を落とされた方々の、ご遺体の埋葬作業が行われております。お客様に置かれましては、ご多忙のところとは存じますが、一分間の黙祷を捧げていただければと存じます》


『それでは、黙祷』――その言葉は、実に乾いた響きをしていた。良い悪いの問題ではなく、単純に俺の心に入って来ないのだ。

 黙祷、か。確かに死者に対する礼儀ではあるが、それで彼らが生き返るわけでもあるまい。


 俺は身体を反転させ、大の字で仰向けになりながら、呆然とこの沈黙を噛みしめていた。


         ※


「デルタ伍長? 起きてる? 食事、持ってきたけど」


 そう呼びかけられたのは、翌日、つまり慰霊祭の前日のことだ。

 その間俺は、クリーニングもベッドメイクも、食事の提供までをもシカトしていたが、今回ばかりはそうとはいかなかった。

 扉の向こうにいるのが、間違いなくリアン中尉だったからだ。


 彼女が俺の部屋に食事を届けてくれたのは、これが最初ではない。しかし、流石に俺も空腹を覚えていたし、それと共に、話し相手を欲してもいた。自分の心に折り合いをつけたかったのだ。


「開いてます。どうぞ」


 信じられないほど掠れた声で、俺はリアン中尉の入室を許可した。


「失礼するわね」


 そう言って、中尉は一歩、室内に歩み入った。そして、顔を顰めた。

 それはそうだろう。床は羽毛だらけで、外壁の窓にはひびが入っている。バスルームの周囲は濡れていた。俺が怒りに任せて、蛇口を捻り壊してしまったからだ。

 要するに、酷い有様だったわけで、中尉が立ち尽くしてしまうのも無理はない。


 しかし、彼女が怯んだのは一瞬だった。すぐに平然とした顔に戻り、片手で食事のトレイを握り、もう片方の手で後ろ手に扉を閉める。そして、トレイを備え付けのデスクの上に置いた。俺の下まで運んできても、跳ね除けられることを察していたのだろう。


 ルイスが食事を持ってきた時は、やたらと長いお説教をされた。暴力では何も解決しない、とか、亡くなった人たちが喜ぶとでも思うのか、とか。


 しかし、この時中尉が発した一言は、そんなものに比較にならない破壊力を有していた。


「ごめんなさい、デルタくん」


 正直、驚いた。

 何故あなたが謝るんだ、という疑問は当然あった。だがそれ以上に驚異だったのは、謝罪されたことで、俺の心に温かい『何か』が宿ったことだった。

 俺は身を起こし、ベッドの上であぐらをかいたまま尋ねた。


「どうして中尉が謝るんです? 俺なんかに」

「あの車列の中で、一番階級が高かったのは私よ。部下の……ロンファくんが亡くなったことを悼むのは当然だわ」

「そういうもの、ですか」

「ええ。でも、勘違いしないで」


 中尉はいつになく鋭い視線で俺の目を覗き込んだ。


「私が悲しく思っているのは、自分の責任云々のせいじゃない。純粋に、ロンファくんが命を落とし、デルタくんが傷ついている。その事実を悲嘆しているのよ」


 すると、中尉の瞳に透明な、分厚い膜ができた。それは水滴の形になって、彼女の頬を滑り落ちる。中尉は一度、すん、と鼻を鳴らした。


「おかしいわね、私があなたの悲しみを受け止めに来たはずなのに……。どうして私が涙なんか……」


 俺は、無意識のうちに身体を動かしていた。ベッドから下り、そっと中尉の真ん前まで歩く。それから、涙を拭っていたのと反対の中尉の手を、そっと握りしめた。中尉はされるがままになっている。


 ああ、お互い様なのだな。そう、俺は思った。ロンファの死と言う事実に打ちひしがれている、という意味だけではない。もっと日常的なことだ。

 それこそ、この手先。『一般的な』女性の手がどんな感触なのか、俺は知らない。でも、中尉の手が『一般的な』女性のそれと全く異なっていることは察せられた。


 訓練にしろ実戦にしろ、自動小銃を扱ったり、ステッパーを操縦したり、自身の身体を守るために使ったりと、手を酷使し、掌全体の皮膚が厚くなっている。

 いつか、前線基地の屋上で星を眺めていた時の浅慮な俺の考えを、俺は自分で踏みにじりたくなった。


 一体何が、『首都でモデルにでもなってればいい』だ。確かにそれは安全な人生の選択肢かもしれない。しかし、同時に中尉の信念、生き様を曲げる行為でもある。

 俺は、彼女の過去を知らない。それでも、俺と同様の悲しみを背負っているのは事実だ。


 それは、無言で行われた所作だった。リアン中尉は、俺の背に腕を回し、ぎゅっと抱き締めたのだ。

 その温もりや柔らかさを、俺は我ながら落ち着いて受け入れた。


 中尉は、女性にしては背が高い。俺よりも少し上だ。だからちょうどよかったのだろう、俺の肩に顎を載せて、無言で顔を擦り寄せてきた。俺も腕を伸ばし、そっと、中尉の滑らかな長髪を撫でた。


 俺がついつい見惚れていた、中尉の胸。それは今、優しさを伴って俺の肩のあたりに押し付けられている。だが、そこに色っぽさというか、刺激的な要素は感じられない。

 代わりに俺が心を呑まれたのは、年上の女性にしかない穏やかな匂い。それに、まるで母体に戻ったかのような安心感だった。お袋の顔だって覚えていないのに。


 胸ばかりではない。俺は、中尉の『柔らかさ』にささやかな驚きを覚えていた。

 全身が柔らかく、温もりに満ちていて、とても兵士とは思えない。

 いや、逆だ。こんな華奢な身体を以て戦場のエースだなんて、とても優しい女性には似つかわしくない。


 どうしてルイスは、リアン中尉を同行者として選抜したのだろう。首都の方が、前線より安全だからか? まあ、昨日は首都にいながらにして危険な目に遭ったのだが。


 ふっと、温もりが遠ざかった。中尉が俺の肩を、軽く押し返したのだ。


「ごめんなさいね、デルタくん。私、気持ちがいっぱいいっぱいになっちゃって」

「い、いえ」

「五年前のこと、覚えてる?」

「中尉が自分を救ってくださった時のこと、ですか」


 無言で頷き、少し間を置いて中尉は語り出した。


「デルタくん、あなたは特別だったの。任務の都合上、私はたくさんの少年兵たちを見てきたし、その残酷な運命を見届けてきた。でも、あなたは他の少年兵たちと違って、目に強い力があった。人生を諦めず、必ず生きてやるっていう強い意志が。だからあなたを救ったのよ」


 俺は目を丸くした。


「そ、そんな! 皆、死にたくなんてなかったはずです! 僕が偶然、生き残ったっていうだけで……」

「運も偶然も実力の内、ってね。私はあなたに希望を見たのよ。それは、許されることじゃない。押しつけがましくて傲慢で……。でも、私は」


 そう言いかけた中尉を、今度は俺の方から抱き締めた。はっと息を飲む中尉。さっきのお返しだ。

 それからしばらく、俺は中尉の背を撫で続けた。

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