第17話


         ※


 人員輸送ヘリのキャビン内は、痛いほどの沈黙が張り詰めていた。聞こえてくるのは、回転翼の駆動音のみ。

 駆動音がするならば、『沈黙』という表現は正しくないかもしれない。だが、周囲の皆の顔を見れば、誰もが言葉に詰まっているのは明らかだ。これを『沈黙』と言わずして何というのだろうか。

 戦ってばかりで学のない俺には、ちょうどいい表現が見つからない。


 強いて言えば、リールの寝息が聞こえてきそうだとは思った。リアン中尉の膝に頭を載せ、微かに頬を膨らませたり、縮めたりしている。

 普段なら、中尉の膝の上という特等席に居座っていることを羨ましく思うかもしれない。

 だが、そんな下世話な感情が湧いてくるほど、俺の胸中は穏やかでなかった。


 スランバーグ将軍の最期の姿が、脳裏に浮かんで離れなかったのだ。

 包帯でぐるぐる巻きにされた右手を額に押し当て、鈍痛が走るのも無視して俺は俯く。

 我が国の軍隊は、とんでもない人材を喪失してしまったのではあるまいか。


 結局のところ、聞こえてきたのは、俺自身がつくため息だけだ。

 と、一種の諦観を抱いた矢先、思いがけない言葉がヘッドセットから聞こえてきた。


《デルタ、ルイス、すまねえな》

《どうしたんだい、ロンファ?》


 驚いたような声音のルイス。俺は無言で顔を上げる。

 視線の先にあったのは、両腕を膝の間で脱力させ、床の一点を見つめるロンファの姿だった。


《まずはデルタ、癪だがてめえに先に謝っといてやる。危ないところを救ってもらったな。礼を言うぜ》

「そ、そんな、俺はただ、状況を好転させようとしただけで――」

《屁理屈はよせよ、似合わねえ。もしてめえが俺を心底嫌ってたら、自分を踏み台にしろ、なんて言い出しはしねえだろう。それにあの時、ドラゴンフライは、右足のスラスターが損傷しかけていたんだ。そこでルイス、てめえに借り一つだ》

《僕に?》

《よくこんな荒っぽい操縦をするパイロット合わせて整備してくれたな。面倒をかけた》


 すると、ルイスは肯定も否定もせずに、ゆるゆるとかぶりを振った。


《僕は自分の任務を全うしようとしただけさ。君やデルタのようにね》

《それが、整備士としての矜持ってやつか》

《さあ?》


 肩を竦めるルイス。今更ながら俺は、こいつは筋金入りの整備士なのだと再認識させられた。


《男の友情っていいものね》


 唐突に、女性の声が入ってきた。言うまでもなく、リアン中尉である。俺は驚きと緊張で、ぴんと背筋を伸ばした。

 中尉の方を見ると、ちょうど彼女と目が合った。どくん、と心臓が妙な跳ね方をする。


《友情っすか?》


 じとっとした調子で尋ねるロンファ。きっと、命を懸けて戦ったことを『友情』という一言でまとめられたのが面白くなかったのだろう。


《女の私が言うのもおこがましいけれど、まあ、友情っていうか、信頼っていうか、そういうものがなければあんな戦い方はできないわ。私はそう思ってる》

《僕もです》


 追随したのはルイスだ。


《デルタ、君はよく戦ってくれたよ。トラウマに囚われたらどうなってしまうのか、そればかり心配していたけれど》

「ん、ああ」

《大丈夫だったみたいだね》

「大丈夫なもんか。どうにか持ちこたえたんだよ。それこそロンファの言う通り、お前の整備士としての信念のお陰だ」

《って、おい!》


 ロンファががばりと顔を上げた。


《俺の言葉ってことにすんなよ! その……恥ずかしい》

「?」

《?》

《ふふっ》


 ぽかんとする俺とルイスに代わって、リアン中尉が軽く吹き出した。


《あなたにも可愛いところがあるのね、ロンファ伍長?》

《だっ、だからちがっ……ああ、もう!》


 ロンファはヘッドセットを外し、ふっと視線を窓の外に遣ってしまった。

 しかし、それでも俺は、きっと出会ってから初めてロンファに感謝していた。


 自分から他人に礼を述べるという、いつもの高慢な彼からは想像できない言動を取ったロンファ。

 どこまで彼が意図していたのかは分からない。だが、彼の思いがけない言葉かけによって、ヘリのキャビン内の重苦しい空気が薄らいだのは事実だ。


 彼とて、両親をこの戦争で亡くしている。それが当たり前だと思っていた自分を、俺は恥じた。

 ロンファだって今を生きる若者であり、まだ両親の庇護下にあってもおかしくない年頃なのだ。これから向かう首都では、大学という学究機関があり、二十歳過ぎまで教育を受けられると聞いている。


 その機会を奪われてなお、仲間のために戦い、柄にもなく気を遣ってくれたロンファ。

 俺は、彼がヘッドセットを放り投げたのを確認してから、小さく呟いた。


「ありがとな、ロンファ」


 ちょうどその時機を見計らったかのように、パイロットの声がヘッドセットから聞こえてきた。


《皆さん、首都に来られるのは初めてですか?》

《いえ、私と妹のリールは、この街の出身です。他の三人は、恐らく初めてかと》


 リアン中尉が代表して答えてくれた。

 そういえば、リールは将軍と一緒にあの前線基地を訪れたのだったな。だとすれば、リールのみならず、リアン中尉もまた首都の出身だとしてもおかしくはない。


《では、一旦周回します。余計なお世話かもしれませんが》

《いえ、是非お願いします》

《了解しました、中尉殿》


 俺は窓際に身を寄せ、隣に座っていたルイスからも窓が覗けるようにする。そして眼下に目を遣って、はっと息を飲んだ。

 地面には、色とりどりの宝石が散らばっていた。ネオンだ。まさに極彩色と言っていいくらいの人工的な星々が、我こそはと光を放っている。


「これが、首都か」

《そうだね》


 ルイスの相槌も聞こえないほど、俺は呆気に取られてこの光景に見入っていた。

 やがて、その光の粒は、ちょうど目の高さにまでせり上がって来た。否、このヘリが降下しつつあるのだ。


《じき、首都防衛部隊司令部に到着します》


 パイロットの声が響くと同時、僅かにヘリ全体が減速する。高層ビル群の隙間を縫うように、ゆったりと高度を下げていくヘリ。

 すると、前方にネオンの灯っていない、暗い部分が見えてきた。ちょうど、正方形の真っ暗闇が口を開けているかのようだ。


 ヘリはそこへ向かって、更に減速しながら下りていく。


《着陸します。五、四、三、二、一!》


 ガシュン、という音と共に僅かにキャビンが上下する。ヘリの離着陸用のタイヤが、暗闇、つまり軍事施設ビルの屋上に上手く接触したのだ。着陸は成功したらしい。


《お荷物をお忘れなきよう》


 それ以降、俺たち全員が荷物を持って降りるまで、パイロットは口を利かなかった。


         ※


 ヘリポートに降り立つと、正装した兵士が二人、俺たちを待ち受けていた。

 二人は丁寧に、しかし事務的に名乗り、俺たち一人一人の本人確認作業を行った。


 それにしても、暑い。もう夜中だというのに、この湿気は何なんだ。

 木々の緑が早速懐かしくなるような気分である。まあ、この場所に来たくて来たわけじゃないんだが。


「では、首都防衛部司令、グレンド・アールゼン大佐の下へお連れ致します。こちらへ」


 きびきびとした動作で前を行く二人の兵士。俺は上方、高層ビルのネオンの点滅を眺めていた。ここは、全方位が煌びやかな人工灯で囲まれている。


「ほら、デルタ」

「ん? あ、おう」


 ルイスに急かされて、俺はヘリから遠ざかるように歩きだす。光源に包囲されて、それに見入っていたせいか、一瞬足元がもつれそうになった。

 俺が思ったことは、ただ一つ。

『一日の消費電力を前線に回せば、一体食糧が何日分手に入るだろう?』

 と、いったことだ。


 屋上に配されたエレベーターに乗り込み、そのまま屋内へ。やはり冷房はガンガンに効かされており、俺はざわり、と全身の産毛が立つのを感じた。寒いくらいである。


 俺たちが降りたのは、五階のうちの三階だった。しかし、既に目をぱっちり覚ましていたリールは、エレベーターから降りる素振りを見せない。


「どうしたんだ……じゃない、どうかされましたか、リール軍曹?」

「あたし、早くステッパーを見たいの! 新しい、あたし専用のやつ!」

「は?」


 俺が頭上に疑問符を浮かべていいると、リアン中尉が通訳を務めた。


「リール軍曹、せめて司令官にお会いしてからにしなさい」

「やだ! ステッパー! ステッパーが見たい! 着いたら見せてくれるんでしょ? あたしの専用機!」

「中尉として命令することもできるのよ? 私たちと来なさい」

「い・や・だ!」


 専用機? この歳で既に専用機を用意されているのか? ああ、だから最初に出会った時、まじまじとステッパーを眺めていたのか。


 苛立ちと得心の気持ちが同居する中、結局はリアン中尉が折れた。引率の二人の兵士のうち、一人が俺たちを大佐の下へ、もう一人がリールをステッパー整備ドックへ連れていくことになった。

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