第16話
敵のヘリが、機関砲の角度を調整するべく対空している。俺とロンファの遠距離武器がなくなったことに、油断しているのだろう。それでいい。ゆっくり狙いを定めてくれれば、時間稼ぎになる。
残り二十秒となったところで、遂にヘリの機関砲が回転を始めた。間もなく弾雨がこの基地に降り注ぎ、俺たちに痛打を与えるだろう。特に、将軍は生身なのだから、即死は免れまい。
「やれるか?」
俺は自問しながら、電磁ランスを右手に持ち替えた。そして、ロンファがやってみせたように、思いっきり投擲した。
ロンファの場合と違うのは、右手に持ち替えたこと。グレネードランチャーを放棄した右腕は、機動補助用のワイヤーが仕込まれている。俺はそれを利用した。ランスの持ち手にワイヤーを巻きつけておいたのだ。超高硬度のワイヤーを。
俺はできうる限り、屋上の縁に近づいた。そこからヘリに向かって、ではなく眼下の木々に向かって、ランスを投げつけた。
《おいデルタ、何をやってんだ⁉》
「黙って見てろ!」
俺は自機の右手首を、フルパワーで回転させた。ワイヤーと、その先端のランスが舞い上がり、弧を描く。
もちろん、ヘリには届かない。だがそれでいい。
ヘリの機関砲が唸りが銃弾を浴びせ始めた。情け容赦ない銃撃だ。しかし、そのほとんどが屋上に達する前に防がれた。
俺はワイヤーにランスというおもりを付け、勢いよく回転させることで、仮のシールドを展開したのだ。
残り五、四、三、二、一!
「ロンファ! 将軍の準備したロケット砲を拝借しろ! 俺を踏み台にして、跳べ!」
《了解だ!》
俺はワイヤーを引っ込めた。直後、ずしり、と機体に重圧がかかる。
ロンファの手にした単発式ロケット砲は、今度こそ敵のヘリを捕捉。ほぼ水平に発射されたロケット弾は、真正面からヘリのコクピットを直撃した。
ゆるゆると降下し始めたヘリに向かい、俺は今度こそランスを投げつけた。
手応えあり。油圧系統が損傷し、そこにロケット弾の炎が引火する。やがてヘリは、空中で爆発四散した。
先ほどと同様、俺とロンファは機体の腕を交差させ、身体を守る。がらん、がらんと音を立て、ヘリの破片がゆっくりと降ってくる。
くるりと機体を回転させる。そこには、人員輸送ヘリがあった。損傷軽微のようだ。飛行するのに支障はあるまい。
しかし、そこにあったのはそれだけではなかった。それを見た瞬間、俺は我が目を疑い、それから意識が遠のくような錯覚に襲われた。
《やったぜデルタ、敵のヘリを三機もぶっ潰してやった! ざまあみやがれ! はっはー!》
「……」
《デルタ? どうしたんだよ? 喜びで声も出ねえってか?》
「違う」
《じゃあ何なんだ? 一体何が気に食わねえって――》
振り返るドラゴンフライ。そして、そこにあったものを見て、ロンファも言葉を失った。
俺はコクピットを強制開放し、慌てて輸送ヘリの下へ駆け寄った。そこにいたのは、
「将軍! スランバーグ将軍!」
変わり果てた姿のワイルドット・スランバーグ将軍だった。
右腕はない。左腰部が抉られ、そこから止めどなく鮮血が溢れ出していた。
「ロンファ、衛生兵だ! 早く!」
《あ、ああ! 衛生兵、至急ドックの屋上に来てくれ! 将軍が撃たれた、酷い出血だ!》
その時、微かに将軍の唇が動いた。自らの血でむせりながらも、こちら視線を寄越してくる。
俺は急いで将軍のそばにしゃがみ込み、言葉を聞き取ろうと試みた。
「何ですか、将軍!」
「デ……デル、タ、伍長……」
「はッ自分はここにおります! 間もなく衛生兵も到着しますから――」
片手を握りしめると、将軍はゆるゆるとかぶりを振った。
「間に、合わんよ……。我、ながら、酷い……有り様だ……」
「喋らないで、将軍!」
「私用の貨物の中に、あの花……朝顔の花が、入っている……。どうか、それを、首都にいる孫娘に……届け……て……」
「ご自分で届けてください、必ず助かりま――」
「命令だ、デルタ伍長」
その命令は、今まで受けてきたどんな命令よりも残酷で、冷徹で、そして絶対的だった。
衛生兵が駆けつけたのは、まさにその言葉が終わる直前。
「どいてくれ! 将軍閣下、私を見てください! お気を確かに!」
今更、何をやっても無駄だ。俺はその一言を叩きつけてやりたい気分だった。だが、俺には俺で、やるべきこと、やりたいこと、それにできないことがある。
将軍を死の淵から生の領域へ引き込むことなど、できないことの典型だろう。
そうだ、朝顔。俺はよろよろと力なく、輸送ヘリのキャビンに乗り込んだ。そこにあったのは、『スランバーグ将軍・私物』という軽金属製の箱だ。
もう既に、朝顔は搭載されているだろうか? 鍵のない箱を開け、そして俺は悲嘆にくれた。
「おーい、デルタ! 将軍が……」
ロンファがそばに駆けてきて、将軍の死亡を知らせた。だが、そんなことはとうに分かっている。問題は、今俺の両の掌に載っているものだ。
「デルタ、そいつは何だ?」
「朝顔、だったよ」
「朝顔? それがどうかしたのか?」
「将軍が、首都に持ち帰ってお孫さんにプレゼントするつもりだったそうだ」
「でも朝顔なんてどこにも――」
この期に及んで、ようやくロンファは口を閉ざした。俺の見ているものを、自分も捕捉したのだ。
俺の掌には、半分ほどが粉々になった透明な容器。その中で、焼け焦げて萎れた何かがある。間違いなく、将軍が摘んだ朝顔の成れの果てだ。
「俺は、将軍の命令に従って、これを首都まで運ぶ予定だった。いや、そもそもは将軍自身が運ぶ予定だったんだ。それなのに……!」
珍しく、ロンファが沈黙した。
「こんな……こんなことって……。当たり所が悪かったのか? ヘリの飛行に支障がない程度の損傷だったことを喜べってか? ふざけんな……。ふざけるなッ‼」
俺は自分の額が裂傷だらけになるのにも関わらず、焼け焦げた朝顔を顔に押し付けた。
そして泣いた。涙は次から次へと溢れてくる。
あれほど国を憂い、若き兵士たちを鼓舞し、それでいて草花を愛でる優しさを持ったスラバーグ将軍。そんな人が、こんなにあっさり死んでいいものか。
「畜生! 畜生! 畜生ッ‼」
普段の俺に非ざる態度に、ロンファも、それからやって来たルイスも、声をかけられないでいる様子だった。
幸いだ。今の俺なら、誰彼構わず殴打していたかもしれないのだから。
※
その日の夜には、ルイスを始めとした首都防衛部隊転属組のための壮行会が行われる予定だった。そもそもがささやかなものになる予定だったが、当然ながら完全に中止である。
「えーっ? 美味しいお菓子とか出るんじゃなかったの?」
「こらリール! 静かにしなさい、それどころじゃないのよ!」
全く空気を読まないリールの発言を窘めるリアン中尉。それにしては、落ち着いている。
それもそうか。俺がこの五年間、整備士という任務に励んでいる間、彼女は何度も出撃し、いくつもの死を見てきたのだ。敵のものも、戦友のものも。
俺だって同じだ、少年兵時代があるのだから――などと言うのは簡単だ。しかし、俺の方がずっと他人の生き死にというものに敏感な気がする。
対照的なのが、リールである。
姉のリアン中尉くらいのベテランパイロットであれば、生き死にというものにある程度、折り合いをつけられるだろう。
だが、彼女の年齢で、人の生き死にに慣れきってしまっているというのは、正直異常だと思う。
リアン中尉が危惧していたのは、リールのこんな感情の欠落したような部分のことなのかもしれない。
かく言う俺たち――ルイス、ロンファ、リアン中尉、リール、それに俺は、既に人員輸送ヘリのキャビンに腰を下ろしていた。
ちなみに、ロンファのドラゴンフライ、中尉のヴァイオレットは、一旦分解して陸路で運ばれることになっている。ちなみに、別トラックでスランバーグ将軍の遺体も。
ヘッドセットに吹き込まれたパイロットの声に、俺は意識をヘリの中に引き戻した。
《リアン中尉、搭乗者の確認を願います》
「はい、全員乗っています」
《では離陸します。カウントダウンは省略します》
回転翼が勢いよく回り始め、普通に会話するには支障が出るほどの騒音に包まれるキャビン。それでもリールは、未だに文句を垂れていた。
どうやら、牛肉の缶詰を運べなかったことにご立腹らしい。中尉の肉親でなければ、拳骨の一つも喰らわせているところである。
かく言う俺は、額に包帯を巻いていた。ちょうどバンダナのように。
流石に夜風は冷えるな……。そう胸中で呟いて、俺はキャビンのドアを手動で閉鎖した。
ヘリが離陸したのは、ちょうどその直後のことである。
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