第12話
※
大会議室は、会議室というより講堂と言った方が相応しい場所である。天井は高く、奥の席ほど高くなるように段差が造られている。もちろん、演台に立つ人間のことがよく見えるようにという理由でだ。
俺が制服に袖を通し、あまりの暑さにへばりながら入室すると、幸いなことに冷房が入っていた。照明は点けられていなかったが、高いところに小窓が並んでいて、そこから差し込む日光のお陰で暗くはない。
不思議と神聖な空気が流れていて、俺は自然と気が引き締まるのを感じた。しかし、それほど神聖であっても、軍事施設であることに違いはない。銃弾や爆発物に耐えうる厚さの壁で覆われているはずだ。
皆はと言えば、やや緊張している様子。その緊張感を演出する効果が、この大会議室にはある。適度な気温と湿度の中で、過剰すぎないピリピリとした空気に包まれているのは、悪くないものだ。
俺の場合、登壇者が誰なのかを事前に知っているから、過度な不安に呑まれずにいられるということもあるだろうが。
にも関わらず。
緊張度最高潮を記録し続ける人物が最前列にいた。隣席は空いている。
「よう、ルイス」
「あ、お、おはよう、デルタ」
「どうしたんだ? やけにビビってる様子じゃないか」
「いっ、いや、そういうわけじゃ……」
俯き、手の指を組んだり開いたりしている。額には薄っすら汗が滲んでいるし、これでビビッていないと言い張るのは無理があるだろう。
「だってよ、ルイス。今日演台に立つのは、あのスランバーグ将軍だろ? 俺たちには面識があるんだから、そうびくびくすんなよ」
「いや、問題はそこじゃないんだ」
「あん?」
俺が露骨に首を傾げると、ルイスは『直に分かるよ』とだけ言って口を閉ざしてしまった。
何も、怖いなら後ろの席に座ればいいのに。
大会議室内の微かなざわめきを沈黙させたのは、不思議な音だった。
コツン、コツン、コツン。
司会者である大尉が『静粛に』と呼びかけるよりも早く、その音は、ここに集まった全員の鼓膜を震わせた。
沈黙の中、音は続く。
コツン、コツン、コツン。
最初は不思議な音だと思ったが、今になってみれば何の音かは明確だった。
将軍が杖を突く音だ。その音は、主を連れて会議室に入って来た。演台横の扉から、正装した老人の姿が入ってくる。
続く沈黙の中、将軍は難なく階段を上り、演台の前に立った。
しかし、俺には見えてしまった。彼の左足は、金属製の義足だったのだ。
それを感じさせない、いや、健常者以上の何らかの雰囲気をまとって、将軍は演台を挟んで俺たちと向き合う。そして、マイクの位置を自ら調整した。
《あーあー。後ろの席の諸君、聞こえるかね? うむ、よろしい》
こうして、司会者をほったらかしにしたままで、将軍は自己紹介をし、一瞬のざわめきを生んだ。俺が内政に疎いだけで、どうやら相当な人物らしい。
この基地にいる人間は、パイロットも整備士も、若者が多い。ところどころでざわめきの残滓のような声が飛び交っていたが、将軍は温和な雰囲気を醸しつつ、彼らが落ち着くのを待った。そして、話を続ける。
《今回、私は諸君ら前線で戦っている者たちを鼓舞する目的でこの基地を訪れた。だが、その前に伝えておきたいことがある》
僅かな間。しん、と痛いほどの静寂に包まれた会議室。
《首都に住む者たちの危機意識が、あまりにも低すぎるということだ!》
この一言で、一気に将軍の口調は熱を帯びた。
《空襲される心配はないとしても、敵国のゲリラ部隊が一体どのように攻め込んでくるか、そしていかなるテロ行為を実行するか、分かったものではない。にも拘らず、軍も警察も民間人も、戦争など対岸の火事としか思っていない! 諸君らの日頃の労に報いようという気すらないのだ!》
ダン! と演台を叩く将軍。俺たちの沈黙は続いている。
《しかし諸君、これだけは聞いていただきたい! 私は諸君らの味方だ! 私自身、かつての戦闘で左足を失っている! 足どころか命を奪われた戦友の人数は数え切れない! 私がここに来たのは、諸君らを鼓舞するため。確かにそう言った。だがそれよりも、私は首都にいる平和ボケした者共に、本当の戦線がどんな状態に陥っているか、それを叩きつけてやろうと考えている!》
おおっ、というどよめきが起こった。基地司令の少佐も、流石にこの言葉は予想外だったのか、副司令の大尉と顔を見合わせている。
やがて一部で、喚き声が上がり始めた。『スランバーグ将軍万歳!』という主旨であるようだ。
しかし、将軍がすっと右手を掲げると、喚き声はぴたりと収まった。
《私の心は、諸君ら真の戦士たちと共にある! これ以上、述べることはない! 私からはこれだけだ!》
そう言うと、ザッと踵を合わせて、将軍はその場で敬礼した。
俺たちもまた、一斉に立ち上がって敬礼した。凄まじい一体感を覚える。
こんな将軍の下でなら、命を賭して戦える。何より、見捨てられることはない。
それが、俺の思っていたことだ。
将軍が敬礼を解き、降壇する。それに合わせて、俺たちも着席した。しかし、今度はざわめきはない。聞こえてくるのは、興奮に染まった鼻息くらいのものだ。
すごいものを見た。聞いた。感じた。そんな一種の感動が俺たちの胸を精確に撃ち抜き、繋ぎ合わせているかのようだ。
今回の演説者はスランバーグ将軍だけだったようだ。基地司令が、彼自身もまた大変感銘を受けたような様子で、どもりながら解散を指示する。
俺たちは相変わらず無言のまま、しかし冷房が無意味に思えるほどの心理的熱気を纏って大会議室をあとにした。
※
「いやあ、すっげえ演説だったな!」
「ああ! 俺、あの将軍が指揮してくれるならどんな作戦でもやるぜ!」
「全くだ! なあデルタ、お前もそう思うだろ?」
一旦宿舎に戻り、作業着に着替えながら、ルームメイトたちはそんな会話をしていた。俺は適当に返答しながら、声が震えないようにするのに必死だった。
怒りがこみ上げてきていたのだ。
将軍に対してではない。極端な士気の高揚に対してでもない。強いて言えば、戦争と言うものの理不尽そのものに対して、だろうか。俺は自分のベッドの上部にぶら下がっている識別票を手に取った。
アルファ、ブラボー、チャーリー、エコー。教えてくれ。
お前たちは首都の連中の盾にされて命を落としたのか?
戦争という概念そのものに押し潰されながら生きてきた――そして死んでいったのか?
お前たちの仇を討ってやりたいが、そもそも『敵』とは何なんだ?
俺がぼんやりと立ち尽くしていると、不意に廊下がざわめいた。
「何だ?」
ルームメイトが、開けっ放しのドアから顔を出す。そして、
「どわあっ!」
勢いよく突き飛ばされ、転がって部屋の反対側に衝突した。
「おい、どうしたんだ?」
別なルームメイトが振り返り、それから再びドアへと視線を遣る。そして、ひっ! と短い悲鳴を上げて姿勢を正し、敬礼した。
この期に及んで、ようやく俺にも聞こえてきた。その人物が歩み寄ってくる音が。
コツン、コツン、コツン。
「いやはや、驚かせてすまないね、諸君」
ドアの隙間から顔を出したのは、誰あろうスランバーグ将軍その人だった。俺と残る一人のルームメイトも、着替えの手を止めて敬礼する。生憎、一人はトランクス一丁という格好だった。
そうか。最初に『突き飛ばされた』と思ったルームメイトは、驚きのあまり後ろ向きにぶっ倒れただけだったらしい。大した驚きようだったが。
だが、本当に驚くべきは、将軍が次に発した言葉だった。
「デルタ伍長は、こちらにおるかね?」
「は、はッ!」
「少しお付き合い願えるかな? まあそう固くならないでくれ、君という人物を見込んでの、年寄りのちょっとした頼みだ。今、時間を頂けるかな」
それは大丈夫だが。
俺が慌てて正装に戻ろうとすると、将軍はさっと手を掲げた。
「ああ、服装はそのままの方がいい。正装していては歩きにくいだろうからな」
「はッ……」
歩く? どこに行くんだ?
「何も隠し立てするようなことではないんだ。話がしたい。できれば散歩がてらにな。もしデルタ伍長が乗り気でなければ遠慮するが……」
「とっ、とんでもございません! 光栄であります!」
すると将軍は、穏やかな笑みを浮かべた。顔の皺の深くなったその笑みは、先ほどの演説時からは想像もつかないものだった。まさか同一人物とは。
「し、しかし、散歩がてらにと申しましても、どこへ行かれるのでありますか?」
「そうさのう」
将軍はゆっくりと部屋に歩み入って来た。皆が道を空け、直立不動の姿勢を取る。将軍は、窓の前で足を止め、じっと眼下を見下ろした。
「では、森の中にでも行ってみよう。哨戒機の報告では、敵性勢力は見受けられないとのことだったのでな」
俺と目を合わせ、再び笑みを浮かべてから、将軍は『お邪魔した』とだけ告げて悠々と退室した。
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